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第三十話 アダン領への出発前夜


 この歳くらいから婚約者を探すと聞いていたので心の準備はしていたが、身近に迫るとやはり緊張感は高まるものだ。十歳といったらまだ小学生だ。十歳で結婚のことを考えていたかというと、答えはノーだ。むしろ二十歳超えても考えていなかった。無縁の世界だった。そう考えると、春乃の時は男っ気がなかったなあ……。


 そして問題のその婚約相手であるが、今領地の外にいるため確定するのは難しいそうだ。ヴィルヘルム、アルベルト、クローディアそれぞれの意向もあるとは思うので、それを擦り合わせ決定しなければならない。もちろんわたしの意向もあるが、正直よくわからないが本音だ。それは既に伝えてある。

 第一夫人派の人間を除くとだいぶ絞れるようだが、その辺りは平民で力のなかったわたしを救ってくれたヴィルヘルムとアルベルトに任せるとしよう。多少難がある相手でもわたしは受け入れるつもりだ。欲を言うならば、わたしの趣味と任務を邪魔しない旦那だと良いなとは思うけれど。


 そのため、婚約相手探しはアダン領での用事を早々に済ませて戻った後になる。このような大変な時にわざわざアルベルトはアダン領に行くことに難色を示していたが、ヴィルヘルムは無視した。今回の旅の目的は、精霊の情報をアダン領で見つけてくることだ。決して謁見がメインではない。ただ今回の件で、王族は精霊のことを何かしら知っていることがわかった。それを探りたいところだが、どうすれば良いのかというところだ。こればかりは領地のしがない令嬢であるわたしがどうにかできるはずがないのでヴィルヘルムに相談しようと思う。


 さて、ヴィルヘルムたちは会議を終え、諸々の用事が済んだので、明日にはアダン領に向けて出発することになっている。

 アルベルトはわたしの保護者であるため付いてくることになっているが、その他の文官たちは仕事がないに等しい。そのため別ルートでジャルダン領へ先に戻ることになっている。最低限の人数だけ残してわたしたちはアダン領へと向かうのだ。人数が減ると目立ちにくくなるし、動きやすくもなる。しかもこちら側はアダン領へ行くため、帰りは問題のギルメット領を通らない。それならば、ということで、文官や一部の武官はジャルダン領へ戻り、通常業務を進めてもらうことになっている。精霊道具を動かす人数も必要だからだそうだ。


 そして夜。明日からの打ち合わせのため、今わたしは通信道具を手に取っている。


『アダン領主に対しても、我々が精霊を呼び出していることは内密にしよう。知られたらあの方のことだ。お祭り騒ぎになって広がってしまいかねない』

「わかりました」


 アダン領主は精霊を崇拝しているという。そんな相手に「精霊です」と言ってイディやシヴァルディを紹介した時にはどうなるか想像は容易い。王族にも秘匿にしているので、その話が広がり、耳に入るのは避けたいところだ。


『そして今回の謁見で王族が精霊について何か知っていることがわかった。だから、其方を取り込もうと手を出してきたのだろう』

「ですが夢見の結果だと言いましたよね?」


 ブルクハルトが婚約を切り出してきたのは事実だが、夢で見たと言っている子どもをわざわざ取り込もうとする必要があるだろうか。確実に何かを知っているならばわかるのだが。

 わたしの言葉にヴィルヘルムははあ、とため息を漏らした。「わかっていない」と言わんばかりだ。


『精霊は王族の象徴。そして精霊が去ってから二千と五百年ほどの月日が流れている。今まで見つからなかった精霊の手がかりが目の前にぶら下がっているのだ。飛びつかないわけないだろう』

「それほど王族は精霊のことを追っているのですね……。納得しました……」


 言い伝えられた精霊の容姿を知る少女が目の前にやってきたら、王族にとってはラッキー的出来事でしかない。しかも夢見なので、また現れるかもしれないと希望もあるだろう。そうならば、婚約やら養子縁組やらで王族側に繋ぎ止めようとする行動は納得できる。実際は夢見でも何でもなく、呼び出して現物がいるのだけれど。


『今回、こうして王族に少々の情報を開示したが、ここまで得られるとは思わなかった。良くないものも付いてきたがな』

「全く隠さなかったのはわざとだったのですね」


 嘘を混ぜるという行為はわたしのためだと言っていたが、実際は王族に鎌をかけたようだった。匂わせてどのような反応をするのか、ヴィルヘルムはそれを見ていたらしい。実際は藪から蛇が出てきた結果なので、良かったとは言い切れない。このヴィルヘルムという男、なかなか思い切りが良すぎる。


『婚約、という形で其方を縛ろうとするのは想定内だ。しかしその申し出はうまくやれば、こちら側の知りたい情報を引き出すことができる。しかし……』

「なんでしょうか?」


 ヴィルヘルムの言葉が濁っていく。何か言いにくそうだ。


『其方の気持ちは全く無視した方法だ。其方はどうしたい? ……王族との婚姻を進め、王城内の精霊の文献を探るか、王族との婚姻は諦め、王族の手を借りず情報を集めるか。アルベルトにはああ言ったが』

「それは……」


 手っ取り早い方法を取るならば、王族との婚姻はかなりの近道だ。扱いも前孤児院長とは雲泥の差で、平民孤児として扱われることもない。前世で王子様と結婚して幸せに暮らしました、という御伽噺(おとぎばなし)もあるくらいだから、変な扱いはされることはないだろう。多分。


 それよりも土地の精霊力が衰え、王国が衰退する方がわたしは問題だと思う。シヴァルディも危機感を感じている。わたし個人の気持ちなどで左右されることではないのだ。


『リア……、貴女が悲しむような結果になることだけは避けてください。私は貴女の幸せを願っているのですから。それに、精霊力についてもここ数年でひっくり返るものではありません。飢饉が起こり始めたらそろそろかとは思いますが、今はそこまで来ていませんし』


 シヴァルディはわたしの気持ちを案じて優しい言葉をかけてくる。甘やかされているなあ、と自然と笑みが零れてしまう。そこまで急ぐことではない、という言葉にぐらりと揺れてしまうが、わたしはきゅっと拳に力を入れた。


「わたしは婚姻を進めても良いとは思います。ジャルダン領にとっても利益になりますし……。ですが、まだ王族がどんな情報を握っているのかが明らかになっていないのに、こちらも目先の利益に飛びつくのはどうかと思う部分もあります」

『なるほど……』

「王族はシヴァルディの容姿を知っている素振りでした。しかしそれだけです。もしかするとわたしたちより情報は持っていないのかもしれません。王族が知りたい内容をこちらが得、条件を提示して協力を得るなど、まだ他にも方法はあると思います」


 王族は何かを知っている。しかし、何を知っているのかまではわからない。わたしが仮に婚約をしたとして、知りたい内容が得られなかった時、ヴィルヘルムはわたしという手駒を失ったことになる。婚約してもある程度の情報は流せるが、今までのように自由に連絡を取ったり、相談したりできないのだ。自由に動かせる手駒はできるだけ最後まで取っておく方が良い。


『そうか……、そうだな。まだこちら側もできることはある、な』

「領主様?」


 ヴィルヘルムは自分に言い聞かせるようにぼそりと呟くと、「何でもない」とわたしの言葉を一蹴した。


『では、其方と王族の婚約は最後の切り札として取っておこう。この一年の間に王族はこちら側に打診をかけてくるだろう。もちろん根回しをした上でな。期間はそれまでだ』

「わかりました。今回のアダン領での訪問で、何かしらの情報を手に入れることにします」


 わたしは頷き、決意した。今回のアダン領訪問はきっと最初で最後になる。何か情報を得ることができれば、と思う。

 そう考えていると、今まで黙っていたイディがひょいと目の前に飛んできた。イディの焦げ茶色の瞳は真剣そのものだ。


『リア……、わたしは最後にリアの気持ちが聞きたい。リアは本当に王族と結婚したいの?』


 わたしはごくりと息を呑んだ。わたしの言った答えは、わたしの願いは含まれていない。わたしの本当の気持ちを出してしまっても良いのだろうか。


 王族と婚姻を結ぶということは、住み慣れたジャルダンの地を離れるということだ。この王国のしきたりなどは良くわからないが、一度出たら里帰りは無理だろう。転移魔法陣など便利なものが存在しないので、一度帰ろうとするだけでも一か月くらい平気で時間を潰してしまうし、王族という立場になるので情報の抜き取りを防がねばならない。そう考えると、プロヴァンスの地から出ずに一生を過ごすことになっても文句は言えない。

 ジャルダン領を離れると、良くしてもらったヴィルヘルムやアルベルト、そして孤児院の皆に会うことすら叶わなくなる。わたしの身を案じてくれたマルグリッド、わたしを友と呼んでくれたアモリ、慕ってくれたロジェ、レミ、ギィたちの姿を見ることもできない。追憶しかできない。


 初めは、文字解読だけできれば良いと思っていた。前世で成し得なかったことを今世でやり遂げることが生きる目的だった。でも…………。


「わたしの気持ちだけ、考えたら。それだけを考えたら、王族の良いようにされるのは真っ平ごめんです。わたしは大切な人に囲まれて幸せに文字解読ができたら良い。……でも、それだけで動くのは助けてもらったみんなに申し訳がない気持ちもあります。だから領主様、自身の領地のためにわたしを良いように使ってくださいね」


 前者も後者もわたしの心からの願いだ。一歩間違えれば、前孤児院長の良いようにされていてもおかしくはなかった。第一夫人にこちら側の弱点を見せてでも、わたしをプレオベール家に託してくれ、受け入れてくれたのだ。彼らに恩返しをしたいという気持ちは十分にあるのだ。


『わかった』

『リア……』


 ヴィルヘルムは低い声で了承した。イディは心配する目をこちらに向けている。

 けれどこれはわたしが決めたことなのだ。わたしはイディに笑顔を向けると、イディは諦めたような顔になり、『わかったよ、リア』と言ってくれた。


『では明日、アダン領へと出発する。基本は今まで変わらない。だが、他領なのは間違いなので行動には十分注意しなさい』

「わかりました」


 そして通信は途絶えた。

 わたしは一度深呼吸をした後、精霊道具を自分の中に取り込んだ。

 明日より、アダン領へと出発する。わたしは体と心を休めるために、寝台へと潜り込んだ。王族との謁見もあり、疲れ果てていたのか眠りにつくまで一瞬だった。



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