第二十七話 プロヴァンス領の屋敷にて
プロヴァンス領は王族が唯一管理する領地だ。そのため中心には王都が置かれており、そこには研究施設が併設された豪勢な城があると聞いていたが、実際に見ると圧巻ものである。ジャルダンの城とは規模が違う。初めてジャルダンの城を見た時は驚嘆したが、それ以上だ。まるで御伽噺の世界に入り込んだようだ……といっても、この世界はファンタジーそのものなのだが。イメージ的にはフレンチ・ルネサンス建築で造られたシャンボール城を彷彿とさせる造り込みだ。
また、森や畑が多いジャルダン領と異なり、この領地では商業が発達している。各領地の名産品などを仕入れ販売して生計を立てている領民が多いように見受けられる。プロヴァンス領に入ってから畑をあまり見ないのもそういう暮らしが当たり前だからなのかもしれない。王城を中心に貴族区、商業区、平民区と広がっていて、わたしはまだ貴族区の中のジャルダン領主の屋敷から出られていない。ヴィルヘルムが会議に向かう関係で武官を屋敷に残しておけないからだ。まあ、わたしはおまけのようなものなので問題ないし、今好きに資料を読み漁れるので問題はない。不満があるとするならば未解読文字を探す旅に出られないことくらいだ。……そう考えると、大きな問題だ。
……はあ、精霊殿文字以外が見たくなってきた。その辺に落ちていないかな。
わたしは窓の外に見える美しい白壁を眺めた。きっとあそこには古代の資料がたくさん眠っているに違いない。あそこに行くのはヴィルヘルムの会議後だ。けれど正直に、「資料を見せてください!」などと嘆願できるはずもないし、ヴィルヘルムに睨まれ、王族にはおかしな顔されるのは間違いなので自重しなければならない。いつかは……とは思うが、王族に入る以外は難しく、わたしは嫁入りする気は毛頭ないのできっとその機会は訪れないだろうな。
『ため息が漏れてるよ。どうせリアのことだから「お城の資料読みたいな~」なんて考えてたんでしょ』
図星だ。イディがわたしをこうやってからかってくるので、わたしはジト目で無言でイディを睨みつけ、資料のページを捲る。精霊殿文字はだいぶ読むのに慣れてきたので、読むスピードが速くなっていると思う。
「……はた…か、そたたなく……パタが育たなくなってきた……と報告があった」
何気なく読み始めた部分に引っ掛かって、声色が変わっていくのがわかる。パタとは、枝豆のような見た目をしたジャガイモであるパパタタの改良前の作物だ。実際にシヴァルディに種を貰い、ジャルダン城の畑に種蒔きをしている。今頃育っているだろう。
この資料にはパタが育たなくなってきた、と書かれている。ヴィルヘルムたちと考察した時は土地の精霊力が失われているからだと予想していたが、ここでヒントは得られるだろうか。わたしはその部分に指を当て、読み進めていく。
「……他の野菜の、不作もあるため、春の会議の時に、相談してみよう……って、会議のところは春の部分だから……」
ああ、もどかしい! わたしは目の前に見えた情報をお預け状態にされ、苛立ちから耳後ろを掻く。日記なのでその部分に飛べば、その内容を知ることができるので、わたしは慌ててパラパラとページを捲った。春の会議付近の記述を目で追う。
「会議は、いつも緊張する……。王族が、放ついけん……? ああ、威厳か。威厳というもの、がこちらを圧倒してくる。会議の、内容は、やはり作物の不作についてだった……。他領でも問題視されてたってことね」
推測であった土地の精霊力の衰えが各地で起こっているから、このような状況になっていることがわかる。本当に予測は正しいのかもしれない。わたしは続きを読むために、指でなぞっていく。
「……今回、王族から提案されたのは、新たな作物の、種の流通だった。名をハタタ、という。今より多く収穫が見込める、らしい……。見た目は、パタ、より小さくなるが、そのものだった」
パパタタに至るまでに王族がいろいろと改良を施していたことがわかる。土地を耕し、作物を育てる限り、精霊力は吸い上げられていくため、こうやって改良を施すことでその場その場を凌いでいたのかもしれない。結果、パパタタまで辿り着いているということだ。しかし、現在のパパタタもそこまで実りが良いとは言い難くなってきていると思う。今回の会議にも、王族が新たな種を提案してくる可能性もあるやもしれない。
「これで帰った後、パタがどう育っているかによって仮説は証明される、てことね……」
『少ない精霊力で育たないはずだもんね、パタは』
「帰る頃には夏前で収穫前のはずだから……。精霊力の量によってどう変わってるだろうね」
こればかりは帰ってからの作業になるので置いておこう。
けれど、長い時間をかけて精霊力を吸い尽くしているから不作という目に見えた事象として起こっているのだということがわかった。実際、この領地だけでなく、他領でも起こっているという話だったし。儀式も失われていたので、回復手段がない状態で来ているのだろう。
とりあえずヴィルヘルムには報告をしておいた方が良いと思うが、今は会議でバタバタしていると思う。そのため、事前に預けられていた精霊道具であるメモ帳に報告書として記していく。引用もしておくと良いので、資料をパラパラとめくり、ページ数と一緒に書き込んでいった。
……一先ずはこれでいいかな? 読み飛ばした内容も読んでしまおうか……?
ちらりと窓の外を見ると日が傾き始めている。そろそろ会議が一時中断し、ヴィルヘルムたちは戻ってくるだろう。それならばそろそろこの資料は隠しておかねばならない。今はフェデリカも排して、与えられた自室に閉じこもっている状態だが、そろそろ限界だろう。
『……あ、リア。ちょっといい?』
「うん? イディ、どうしたの?」
フェデリカを呼ぼうかとベルに手を伸ばそうとしたところで、イディが声をかけてきた。わたしはさっと手を引っ込め、イディに話すように促した。
『あのお守り、もう一個か二個作っておいた方が良いと思うんだ。ギルメット領ではないにしろ、他領だから安全とは言えないし、リアの自衛用にも持っておいてほしい』
「作ったの、砕けちゃったしね」
初めて作成したヴィルヘルムへのお守りは、ギルメット領地内で襲われたことにより砕け散ってしまった。おかげでヴィルヘルムは健在なのだが、もう手持ちのお守りはない状態だ。王都である程度の安全はあると言っても油断はできない状態だ。しかしわたしは必要だろうか? 閉じこもる生活が基本なのでどうなのだろう。
『領主様に二つ渡しても良いけど、リアも危険な立ち位置なのは変わらないはずだよ? 領主様が特段危ないだけで。……でも、結局は一日一個が限界そうだから少しずつでもお守りは作っておくといいかなと思って』
イディの言うことは最もだ。かなりの精霊力を持っていかれるので一日一個が限界だ。もしかすると作った結果、寝込むかもしれない。今後の予定を考えたら今作っておくのが最適だとわたしも思うので頷いた。
「とりあえず作るね。でもどんなものが普通か、シヴァルディに聞かなきゃいけないからとりあえず自分の分を作ってみる。領主様は明日にでも作るよ」
『じゃあ奥の部屋に行こうか。光って見つからないように』
「……うん!」
イディに言われ、奥の部屋へと向かう。奥の部屋はいつも通り、寝室になっているので、ある程度は誤魔化せる。わたしは奥の部屋に入り、扉をぱたんと閉めると、イディに手を差し出した。イディもすぐにわたしの手に自分の小さな手をふわりと重ねた。
わたしの場合も指輪で良いが、フェデリカたちに見られる可能性が高いため指に嵌めることはできない。きっと持っておくことになると思う。それでも良いが、せっかくなので別のものも作れるのか試してみたいところだ。装飾品と言われると、ネックレス、ブレスレット、イヤリングが挙げられる。
耳飾りにしたら髪に隠れて良いかもしれない。髪のセットが終わった後にこっそり付けたらいいし、最悪手持ちでもいい。
上のものから贈られたものは配下の証だが、自分で用意したものならば問題はないだろう。実際ヴィルヘルムも身に付けているし、他の者もそうだ。
効果も前回と同様で良いだろう。攻撃を跳ね返すものが一番良い。耳元で弾けるのは怖いが、仕方あるまい。
そう考えていると、重ねられた手に精霊力が集められ始めた。するすると抜けていく感覚は慣れたものだが、水を飲んでいくかのように減っていくのはやはり焦ってしまう。
……やっぱりなかなか光らないな。
前回同様なかなか光が生まれないので、さらに流れを強くして送り込んでいく。残量が残り僅かというところでやっとオレンジ色に光り、風が生まれ始めた。わたしの長い銀髪がふわりと舞って後ろにたなびいているのがわかる。
……ちょっと気持ち悪くなってきたかも。
『加護を与えた者の願い物をつくり給え……!』
胃の中がひっくり返るような気分の悪さに耐えながらも精霊力を注ぎ続けていると、イディの早口の詠唱が聞こえてきた。そして手の間の光がパンッと弾け、きらきらと優しい雨のように降り注ぐ。
これでお守りの完成だ。気分が悪いので、わたしはその場に座り込んだ。すると、ゆっくりと想像した耳飾りが一つ、わたしの手の中に降りてきた。小さく目立たないけれど、イディの色を連想させる橙の石が嵌め込まれた耳飾りだ。
『だ、大丈夫?』
「ちょっと気持ち悪いだけ。休んだらすぐ動けるとは思うけど……」
『とりあえず、食事まで休んだ方が良いと思う。フェデリカを呼んだら?』
「……うん、そうする」
わたしはイディに作ったお守りを預かってもらうように頼み、元いた部屋にヘロヘロの足取りで何とか戻った。そして、フェデリカをベルで呼び、暮れの鐘が鳴るまで休ませてもらうことにした。
やはり自分の体はだいぶ強くなってきている。回復が早い。何が原因かははっきりしないが、困ったことではないので置いておいても大丈夫だろう。わたしは寝台に寝っ転がり、目を閉じた。




