第二十六話 襲撃
「襲撃です!」
年若い男性の大声とともにキッと車が止まってしまった。窓の外を覗くと、そこは道幅が狭いところで木々が目の前に見えるところだ。おそらく前を走る車が止まってしまい、止まらざる得なかったのだろう。予め文官たちが予想していたポイントの一つだが、ここまで道幅がない場所だとは思わなかった。襲撃には最適だ。
「伏せてください、オフィーリア様!」
メルヴィルの言葉にハッと我に返り、言われるがまま頭を抱えて伏せる。フェデリカはわたしの身を守るかのように覆い被さってくれた。今まで平和な環境に置かれていたためか、体が震えているのがわかる。怖い。危険が目の前に迫っていることに恐怖を感じ、ぎゅっと目を瞑った。
「どの車だ!?」
「報告とは違うぞ!」
外で襲撃者の声が聞こえる。やはり関所での情報が筒抜け状態だったのだ。こちらも対策として出発直前にヴィルヘルムの乗っている車を変更し、空車の場所を多くしたのだがそれが功を奏し、敵側は混乱しているようだった。しかし、それも時間の問題だ。扉を開け、確認すればすぐにわかることなのだから。
「敵は魔道具を所持している! 気を付けろッ!」
外から聞こえる注意の叫び声にヴィルヘルムは舌打ちをした。
「……やはりギルメット領主が噛んでいるな」
「どういたしましょう、ヴィルヘルム様」
「ランベール、出ろ。ここはメルヴィルがいる」
ヴィルヘルムの命令にランベールは首を横に振って否定する。メルヴィルも目を見開いて驚いている。まさか自分が領主を守る立場になるとは思わなかったのだろう。
「なりません! メルヴィルだけでは……!」
「あの車だ! 行けッ!」
外の敵の声にランベールは舌打ちした。思った以上に特定が早すぎるのだ。ランベールは立ち上がると、扉を勢いよく開けて出ていった。そして剣と剣がぶつかり合う鈍い音が聞こえてくる。外の状況が全くと言っていいほどわからない。わたしはイディを心の中で外の様子を窺うように念じた。
────かなりの数。平民っぽい恰好をしてるけどとても強い。ランベールが入っても押されてる!
イディの偵察の返答と声色を聞くに、状況は良くないものだと知る。盗賊に見せかけているのがたちが悪い。街の外ではあるのでいないとも言い切れないが、精霊力がなければ使えない道具を所持していることを考えると見た目を偽装しているとしか考えられないのだ。するとイディの焦りを含んだ声が脳内に流れ込んでくる。
リア! 一人、車に近づいてる!
「メルヴィル! 剣を構えなさい! 近づいています!」
イディの警告通り、わたしが叫んだ直後にボロボロの服を身に纏う男が扉の外に現れた。フェデリカがそれを見て息を呑み、彼女の手の力が強くなるのがわかる。
「いたぞ! この車だ! 前方に乗っている! 前方のみだ!」
ヴィルヘルムの位置を叫ぶとメルヴィルに向かって短剣を向ける。メルヴィルは舌打ちをすると反撃をし始めた。扉の入り口は狭く長剣は振るえない。短剣を捌くことしかできないが、何とか中に入られるのは阻止できそうだ。
「ヴィルヘルム様!」
しかしその時、ヴィルヘルムの懐が強く発光した。かと思うと、ガラスが粉々に砕けたかのような大きな音が鳴り響く。そして車の外で悲痛な男性の叫び声が上がった。
「何もないのに刺されただと!?」
「どういうことだ!?」
「今の音は何だ!」
敵味方関係なく混乱しているのがわかる。今ならばさらに混乱させられるかもしれない。わたしはイディに今朝、預けておいたカメラを使うように念じた。カメラのフラッシュに殺傷効果はないが、目くらましとして使えると考えたからだ。
すると外で、強い閃光が走る。メルヴィルと闘っている敵もその強い光に驚いたようで、一瞬動きが鈍った。メルヴィルはそれを見逃さず、敵の短剣を握る手を突き刺した。
「状況がわからん! 一度引け!」
敵側が不利になるやもしれないと悟ったのか、敵のうちの一人が撤退の言葉を上げた。その声の主が今回の襲撃の指揮者なのだろう。近くに短剣を落とし、右手を流血させた男性はメルヴィルを睨みつけながらも、背後に気を付けて後退していく。本当にそのまま逃げる気なのだ。
「逃がしはしない! 追え!」
ランベールらしき男性の声が聞こえる。ヴィルヘルムは慌てて立ち上がり、声を上げた。
「深追いするな! ここはギルメット領内だ!」
そしてすぐにヴィルヘルムはランベールを呼びつけた。わたしはフェデリカにもう大丈夫だと伝え、覆い被さっていた体を退けてもらった。その後すぐにランベールが車に乗り込んでくる。
「ヴィルヘルム様、ご無事でしたか? お怪我は? ……なさそうですね、ああ……」
ヴィルヘルムの身の安全を確認し、ランベールは胸を撫で下ろし、安堵の表情を浮かべていた。車の中で何が起こったのか全く理解できていないわたしは首を傾げる。
「外では何があったのだ? 説明してくれ」
「ヴィルヘルム様の乗る車に魔道具の剣が突き立てられたのです。貫通したかと思ったら急に弾け、突き立てた敵が大怪我を負ったのです」
ランベールの言葉にヴィルヘルムはハッとした表情になり、自分の懐に手を当てる。そして微かな声で「砕けている」と呟くと、胸に当てた手をぐっと握りしめた。それを見てわたしも勘付いた。わたしが贈った指輪が効果を発揮したのだと。ヴィルヘルムにとって致命傷になりかねない攻撃を跳ね返したのだと。
「中で何があったのでしょうか……」
「私もわからぬ。……それで、こちら側の損害は? 死人はいるのか?」
状況が全く掴めていないランベールにヴィルヘルムはきっぱりと言い切ると、外の状況を尋ねた。まあお守りが発動したなどとヴィルヘルムが馬鹿正直に説明する訳がないのだが、もう少し労りの言葉などをかけたら良いのにと思ってしまう。
しかし、戦闘があったのでこちらも被害を受けているはずだ。確認は大切なことだ。死者など出ていなければ良いが、と願うしかない。わたしの願いが通じたのか、ランベールは首を横に振った。
「奇跡的に死人はいません。負傷者はいますが、軽傷です」
「……そうか」
ランベールの報告にヴィルヘルムはホッとした表情を見せた。怪我人はいるが酷くないのならば、悪くない結果ではないだろうか。しかしランベールの表情は曇っている。目の前で剣を突き立てられ、主人が殺されかけたという事実が彼の顔を曇らせているのだろうか。ランベールは表情を変えぬまま、口を開いた。
「少し、おかしいのです」
「おかしい?」
「敵が手を抜いているように感じたのです」
ヴィルヘルムは青磁色の瞳を鋭く光らせて「どういうことだ?」と説明を求めた。ランベールは続けた。
「ギルメット領主が噛んでいるのは事実だと思います。魔道具、敵の動きなどを含めると確実です。それに比べてこちら側の損害が少なすぎる点が気になりました」
「確かにギルメット領の武官の動きならばこちらに死人が出るのは当たり前だ。しかしそれが今回なかった……」
ギルメット領の武官は王都に出されるくらい手練れの者たちが多いと聞く。今回のことを見ると、死人が出なかったからそのギルメット領の武官相手に良くやったということだけでは終わらないらしい。武を嗜まないわたしにとって未知の世界だが、ランベールにはわかるものがあるのだろう。
「あとヴィルヘルム様を狙うならば自分の方に多少損害が出ようともやり切ろうとするはずなのですが、すぐに撤退していきました。ここが特に気になります」
確かにこのランベールの言葉には納得はできる。閃光が走ろうが、一人大怪我を負おうが、必死の形相でヴィルヘルムを殺しにきたはずだ。しかし、あっという間に後退していってしまった。まるでとりあえず攻撃はしておいた、と言わんばかりに。でも殺意はあったのは確かで、剣を立ててきたのは事実なのだが。
「敵の行動が中途半端だと感じたランベールは正しいだろう。不測の事態が起こっても任務を遂行するのがギルメット領の武官だ。……ということは敵の狙いはまた別にあるのか……?」
ヴィルヘルムは腕を組み考え込む。敵の狙いがぼんやりとしてきた。ヴィルヘルムの命を狙うのは狙っているが、何か別の目的があるのかもしれない。他に何を狙うのかが全く予測できない。この領地で問題を起こすことがあちらの狙いだろうか。しかし襲ってきたのはあちら側だ。こちらとて言われるままでいるわけがない。
「ヴィルヘルム様、すぐに出発いたしましょう。この領地に留まっていても良いことはありません」
考え込んでいたところをランベールに促され、ヴィルヘルムはすぐに了承の返事をした。そして車は準備をそこそこに走り出し始めた。怪我人は同じ車に集められて手当ては車内で行われるそうだ。幸い命に関わる怪我などはなかったようなので本当に良かった。しかしそれを知るとますます、敵側が手を抜いているという事実が現実味を帯びる。ある程度こちら側も応戦し、向こうに怪我を負わせていると聞いているけれど、実際のところどうなのだろうか。それはギルメット側にしかわからないことだ。
ランベールの言葉もあり、追撃が予想されていたが、特にそのようなこともなく、無事に暮れの鐘の前にプロヴァンス領の関所に辿り着いた。ギルメットの狙いが良くわからなくなり、ヴィルヘルムを含め首を傾げることになってしまった。
また、ギルメット領で襲われた事実を領主に伝えるため、ヴィルヘルムは関所で手紙を出した。アルベルト曰く、「こちら側は手を出していない、襲われたという事実を伝えておくのが大切だ」ということらしい。「おそらく盗賊ですね、ご無事ですか」としれっと返してくるのだろうが、とも言っていたが。領地の問題なので結局は揉み消されるのは目に見えていると遠い目をしていた。
プロヴァンス領に入ったため、一つの山場を乗り越えた。次は王都での会議だ。
そして、第一夫人たちの狙いが明らかになるのはもう少し先の出来事で、その際に大きく事が動くことをわたしたちはまだ知らない。




