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第二十五話 緊迫の時


 憂鬱な朝だ。こんな日を迎えるのは孤児院を出る時以来かもしれない。もちろん孤児院を出る方が辛く、悲しく、後ろ髪引かれることだったので、それに比べたら今日の気分はまだマシなのかもしれない。

 今日は遂にギルメット領に入り、日が沈む前にプロヴァンス領に滑り込む予定だ。そのため今は領地と領地の境付近にいる。ギルメット領での宿泊を避けようと考えるとこの行程がベストなのだ。


「おはようございます、オフィーリア様。朝一で入領の手続きを致しますので、車でお待ちください」


 今は明けの鐘が鳴ったばかりだ。関所が開く時間に合わせて到着するように早めに館を出たため、辺りはまだ薄暗い。

 フェデリカたちは関所の役人への書類提示のために、武官であるメルヴィルたちも周辺の警戒のため、車を降りて行った。ということは今、車にはわたしとヴィルヘルムの二人と精霊たちしかいない。つまり、ヴィルヘルムに指輪を渡す絶好の機会ということだ。


 ……人間の仕来たりとかマナーとか、何でこんなに面倒臭いのだろう。


 思わず深いため息が出そうになるが、グッと堪えて、わたしは襟を正して座り直す。


「……何だ?」


 わたしの挙動のおかしさに気付いたのかヴィルヘルムの眉がピクリと動く。もうすぐギルメット領に入るためか、雰囲気もピリピリとしている。自分の事情で他を巻き込むことになるので仕方がないことではあるが、息の詰まりそうな空気の中で話を切り出すのは辛いものがある。わたしは口元に力を入れて息を思いっきり吸った。


「今からギルメット領に入るにあたって、おわ、渡したいものがっ!」


 力が入るあまり言い方がおかしくなった。心なしかわたしを見るヴィルヘルムの目が冷たい気がする。しかしわたしの気持ちと命を天秤にかけると、命の方に傾くのは当然のことだ。ここでめげてはいけない。

 わたしは水を掬うかのように両手を目の前に差し出し、そこに精霊力を集中させる。するとスーッと橙色の粒子が指輪の形になって集まっていった。


「これを使ってください! お守りです!」

「お守り……?」


 ヴィルヘルムが不思議そうに言い返しながら、わたしの手中にある指輪をまじまじと見つめた。


「指輪じゃないか」

「ゆ、指輪です」

「配下に入れ、ということか?」

「ちちち違いますよ!」


 前日にヴィルヘルムから装飾品を贈る行為は自分の配下だと周りに知らしめるためだと聞いていたので、ヴィルヘルムの言葉にぶんぶんと首を何度も横に振り、否定した。わたしはヴィルヘルムを危険から守りたいのであって、自分の配下に置こうなど大それたことなど考えてはいない。


「そんな恐れ多いことなんて考えてもいないです! これは精霊力で作った攻撃を跳ね返すお守りです。作って数日は持っていましたが、体を精霊力の膜のようなものが覆ってくれるので、効果は期待できるかと思いまして!」

「……これを作った時、貴族のあれこれを考えようともせずに作ったな」

「…………」


 指摘されたことが図星だったのでわたしは黙り込むが、ヴィルヘルムはそれを無視してひょいっと指輪を摘み上げた。わたしの手の中にあった時はそこまで小さくは思えなかったが、ヴィルヘルムが触るとそれがかなり小さく見える。指に嵌められるのだろうかと少し疑問に思ってしまった。


「まあいい。シヴァルディ、オフィーリアの言うことは本当か?」


 黙って答えないわたしにこれ以上問い詰めようとせずに、摘まんでいる指輪を虚空に掲げた。するとその近くにパンッと森の精霊の色である翠色の光を弾けさせながらシヴァルディが現れ、軽く指輪に触れた。深緑の艶やかな髪がふわりと舞って神秘的な図だ。


『……ええ、これには途轍もない精霊力が篭められていますわ』

「お守り、という彼女の言葉は?」

『正しいですが、一回きりのものだと思ってください。精霊道具とは違い、これは攻撃を受けたら壊れます。眠りにつく前、ジャルダンの子と作った覚えがありますが、今はもうないのですね』


 シヴァルディの言葉でこのお守りが古代では良く使われていたことがわかり、古代のことを良く知る存在のことを改めて思い出した。彼女に相談していれば、どのようなものが良く作られていたのか聞くことができたのではないかと。しかし後の祭りなのは事実だ。わたしの考えなしの行動に頭が痛くなる。


「使い捨てならば尚更なくなるだろうな。今は精霊はいないとされているのだから」


 精霊がいなければ精霊道具さえ作れない。それならば使い捨てのお守りなどこの二千五百年の間に無くなるのは想像できるだろう。


『ヴィルヘルム、これはリアの言う通り身に付けるのが良いですわ。虚を突かれる可能性もあります。これはそれを防ぐことができるのですよ』


 シヴァルディが深刻そうな顔でヴィルヘルムを諭す。わたしもそれに同意するようにこくこくと頷いた。するとヴィルヘルムはもう一度、銀色に鈍く光る指輪を見つめると、小さく息を吐いた。


「……わかった。其方らの言う通りにしよう」


 ヴィルヘルムはそう言って指輪を懐へと仕舞う。


『指に嵌めないのですか?』


 ヴィルヘルムの行為を咎めるようにシヴァルディが指摘すると、ヴィルヘルムは眉間に深い皺が刻み込まれた。これは不機嫌な時の顔だ。


「オフィーリアが指に嵌めずとも効果を発揮していたのならばそれで良いだろう。……それともあれか、オフィーリアの配下になれと言うのか」

「とんでもありませんっ! お好きに身に付けてもらって大丈夫ですっ!」


 底冷えのするような低い声にわたしは恐怖を感じながらぶんぶんと首を横に振った。わたしはそのようなつもりはない。ただヴィルヘルムの助けになれば良いのだ。


「それとシヴァルディ、お守りを作れるのならば先に提案しなさい。それならば作成していた」

『作れるとは思わなかったのです。眠りにつく前のジャルダンの子の力でも相当量持っていかれていたのですよ? 作ろうとしたところでおそらく寝込むことになっていましたが』

「……それは無理だな」


 ヴィルヘルムは自虐するように笑った。あの仕事を置いたまま寝込むことなど無理だろう。

 しかし指輪を作った時はかなりの精霊力を抜かれてしまった。倒れかけたが、数日間寝込むことはなかったので、大したことはないのかと勘違いしていたが違うようだ。ということはわたしの体が変化しているということだろうか。

 考え込んでいると、車の外からヴィルヘルムを呼ぶ声が聞こえた。声質的にパトリシアだろう。ヴィルヘルムは立ち上がると、ギイッと車の扉が開かれる。


「どうしたのだ?」

「それが……、書類を確認すると言われ、かなり待たされているのです。おそらく……」

「足止め、か」


 パトリシアの焦りと緊張感を含んだ声に、ヴィルヘルムは顎に手を当てた。

 フロレンツィオ領ではそこまで待たされることなく、本人確認に進むことができたが、ギルメット領ではそうではなかった。敢えて確認作業と称して待たせているのだとしたら目的は妨害だろうか。それにしてはやることが小さすぎる。


「足止めをして、我々が出発する時期を知らせているのかもしれません。警戒が必要です、ヴィルヘルム様」


 パトリシアに同行し手続きをしていたアルベルトが深刻な顔で進言する。そうか、こちらが警戒しているように向こうも時期を窺っているのか。しかもここからプロヴァンス領までの道は一本道だ。出発時間さえわかれば待ち伏せが容易だ。宿泊の予定も組んでいないので、今日のうちにこの領地を去るしかない。


「……わかりやすすぎるというのが気になるが、ランベール、警戒を高めるように武官たちに伝えなさい。アルベルト、他の文官たちにも同様に」

「わかりました」


 そう言ってランベールとアルベルトが各々動き始める。危険が身近に迫っていることに冷や汗がつーっと流れていくのがわかる。隣にいるフェデリカも不安そうな表情だ。


「大丈夫です。オフィーリア様は必ず、私がお守りします」

「ありがとう、メルヴィル」


 わたしの緊張感が伝わったのかメルヴィルが小声でわたしを励ましてくれた。わたしはこくりと頷き、礼を言った。


 その後、武官たちは装備を整え、文官たちは襲撃ポイントを予測しながら、待ち時間を過ごすことになった。結局、ギルメット領の関所を通過できたのは朝の初めの鐘が鳴った頃だ。鐘一つ分の時間を向こうに与えてしまったことで、こちらの緊張感はかなり高まっていくことになった。



 そして、昼の鐘が鳴る前にわたしたちは襲撃された。



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