第二十四話 資料の一時報告と指輪
その後の行程は問題なく進み、フロレンツィオ領に入って四日が経った。余計な諍いを避けるためか、手の者を回しにくいのかよくわからないが、ヴィルヘルムの睨み通り、フロレンツィオ領内で襲われることもなく順調に進むことができた。
今日はフロレンツィオ領で過ごす最後の夜だ。予定では明日の朝一にギルメット領に入り、そのまま王都があるプロヴァンス領に入る手筈になっている。三大領地でないためフロレンツィオ領とプロヴァンス領の間に関所がない。ギルメット領に入るのは避けたいが、次に近いトゥルニエ領に向かうことにしても旅の時間も旅費もさらに増える。しかもただでさえ不安定な領地に別派閥である第一夫人が残っているので、領地を空ける時間も短くしたいのだろう。
ヴィルヘルムから貰った資料は寝込んでしまった時以外の夜の三日間全てを費やして読んだ。濁点や半濁点がない精霊殿文字なので、推測で読んでいくしかない部分もある。終わりまで読めたわけではないが、書かれた時代はおそらくヴィルヘルムの祖先が精霊殿から今暮らす城に移った頃だということがわかった。今から大方の内容の報告しようと考えている。
『それで、作った指輪はいつ渡すの?』
「……う」
『暴発するかもしれないってリアがこの三日間持ってたけど、特に何もなかったんだから早く渡したら?』
「……そう、なんだけど」
イディが言っていることは正論だ。お守りとして作成した指輪だが、フロレンツィオ領内にいる限り危険性は低いと考えていたため、わたしが所持して何も起こらないか確かめていた。もちろん指に嵌めたりなんてしていない。イディの言葉通り、急に光ったり、暴走したりなど特に何も起こらなかった。精霊力の流れを確認すると、所持している人間の周りに薄っすらとした橙色の膜が張られていることがわかり、きちんとお守りとして作用しているようだった。あとは攻撃を受けて跳ね返れば完璧だが、攻撃される機会などないのでそこはまだ未確認だ。
さて、何故そのような効果が付いた指輪を一番危険な立場にいるヴィルヘルムに渡さないのか。それは、今更プロポーズ臭くないかと我に返ってしまったということが大きい。前世で指輪を渡すという行為の意味は言わずもがな。わたしは作業の邪魔にならない、目立たない、小さい、着脱可能という点を考慮して作成してしまったが、この世界では指輪などの装飾を渡すことにどのような意味があるのかきちんと確かめていないことに気が付いてしまった。ヴィルヘルムの指に幾つか指輪は嵌めているので装飾品を身につけるという概念はありそうだが、わたしが指輪を渡すということはどういうことを意味するのだろう。ただでさえ一度こちらから婚約を提案して丁重に断られている。婚約提案と言ってもそこには恋愛感情などない、断じてない。ヴィルヘルムもそれを理解しているが、わかっていても指輪を贈るという行為が求婚するという意味だったら、意図がなくても途轍もなく恥ずかしい。そう考えると渡すに渡せないし、どう言い訳をするのか考えているとここまで来てしまった。しかし、明日にはギルメット領に入ることになっている。早く渡して身につけてもらわねばならない。作り直そうかと思ったが、作ったせいで寝込んでしまう可能性だって孕んでいる。それならば王都に到着してからの方が皆の迷惑にはならない。
『いろいろ考えてるみたいだけど、渡さないと非常時の時に意味ないよ? 明日はついにギルメット領だし。領主様にきちんと説明したらわかってくれるとは思うよ?』
「それでも、なんだよ……」
説明したらわかってくれる相手だからこそ、お小言も付いてくるし、恥ずかしいのだ。しかしイディの言う通りなので、意を決して渡すしかない。ギルメット領にいる間だけでも、と言ったら良いだろうか?
「とりあえず報告しないといけないから、指輪のことは明日ギルメット領に入る時まで考える」
『リア……』
イディが呆れた目でこちらを見ている気がするが、気にしないことにした。わたしは取り出した精霊道具に精霊力を注ぐと、シヴァルディに念話を送った。いつも通り、しばらく経ってから了承の返事が来たのでわたしはボタンを押し込み、わたしの声が向こうに届いているか確認の言葉を道具に吹き込んだ。
『……ああ、聞こえている』
「今日は借りた資料の一時報告ができればと思っていたのですが、お時間よろしいですか?」
『問題ないが、手短に頼む』
こんな夜遅くに報告するのは申し訳ないが、日中はお付きの者が張り付いているのでヴィルヘルムと二人で人を排して話すタイミングがないのだ。そこは我慢してもらおう。代わりに要約しておいたから。わたしは予めメモをしておいたいつものほんのりと金色に光る文章を引き出すと、手元の資料とともに広げた。
「この資料は、千五百年以上前のジャルダン領主が記した日記でした。精霊殿から今、拠点にしている城へ移る際の時代のことが書かれています」
『ほう……、それは興味深い。拠点を移したのは何故か書かれていたか?』
以前シヴァルディが何故別の場所で暮らしていたのかという疑問を投げかけてきたが、その答えがここにあるのでヴィルヘルムにとって関心が高いようだ。わたしはまとめてある部分に目を落とし、指でなぞる。
「濁点を入れて原文のまま読みますね。『あの建物は精霊殿と言われ、貴族の持つ力を持って維持すると言われているが、精霊は今の時代存在せず、何のための場所かと思ってしまう。平民の孤児、そしてその職員たちがうろつくあの建物を忌避する貴族も多く、居を移すように進言され始めた始末だ。余計な混乱や衝突を避けるため移そうかと考え始めている』」
『確かに孤児院に対する貴族の考え方は今と変わらない。役人を任命する際も苦労したことだ』
マルグリッドたち孤児院の貴族職員の任命のことを指しているのだろう。マルグリッドは孤児院で暮らしていたので忌避感などなく、スムーズに孤児院長になったが、他の職員は難航したことが伺える。平民と部屋は別でも同じ建物にいるという事実が高いプライドを刺激するのだろうか。人生のほとんどをアモリたちと過ごしたわたしにとってその感覚はよくわからない。……みんな、元気だろうか。
「その後、数年かけて建設をして移ったそうです。その時の貴族たちの反応は安堵のものがあったと書かれていました」
『象徴の精霊もいない、貴族たちの反発も酷いとなると、建物は維持する形で城へと移るという判断は理解できるな』
結局はジャルダン領主が判断を下して移ったのだ。そして精霊殿と言われていた場所はいつしか孤児院と呼ばれるようになり、その機能しかない場所へと変わったのだろう。この文章を見るに、儀式もこの時点で行われていないので、そうならざる得ないと思う。わたしはさらに付け足す。
「……あと気になることが書かれていまして、『父親からこの精霊殿文字を継承されたが、正直使いどころがないように感じている。王家の文書も全てプロヴァンス文字なので、息子に教える意味がないように思う。それならば別の能力を身に付けさせた方が子のためになるのではないだろうか』と」
『精霊殿文字もこの辺りから存在価値が疑問視されたということか。領主の仕事は道具に力を込めるだけでなく、机仕事も多い。ともに仕事をする文官仕事の内容も粗方理解しておかねばならない』
「どの時点で継承されなくなったのかは疑問ですが、元より一子相伝のような書きぶりにも感じるのでシリルガーヌ様のように父親が急死された場合も考えられますね」
ヴィルヘルムの仕事ぶりを見るに領主仕事は時間が取りにくく大変そうだ。車の中だろうが、夜中だろうが、常に仕事をしているようなイメージがある。リアの時に孤児院への襲来やプレオベール家の突然の訪問を考えると、あれはかなり特殊だったのだと今だから感じる。
とにかく伝える意味がないと感じ、尚且つ他の教育を優先させようと思ったら切り捨てられてもおかしくはないだろう。特に国のトップが使わなくなったのならばそれに順応することになるのは当然のことだ。
「その他に領主の仕事内容について書かれていたり、ある貴族の愚痴だったり、息子の教育方針で悩んでいたりと日記らしくて読んでいてその当時の暮らしを垣間見れて楽しかったです」
この資料は本当にただの日記だったのだ。王族でなければ領主以外読めない文字なので他者に内容を見られることもないので、確かに日記を書くには適している。しかし逆に言うとそのくらいしか使い道がないということだ。
この当時のジャルダン領主はいろいろと悩みを抱えていたようで、なかなか表に出せない悩みをここでぶちまけていた。わたし的にはそういう人間味あふれた感じは好きだが、貴族としては駄目出しを食らうのだろうなと思いながら読んでいた。
『そうか。では、またその翻訳したものを見せてもらうことは可能か?』
「はい。今できている部分で良ければ、また報告書にしてまとめて送ります」
いつものメモ帳に書いて報告書は作成するつもりだったので快諾した。王都に着いたら作成しよう。
『では、明日も早い。もう用件がなければ通信を切るが』
『あ、領主様! 一つ聞きたいことが!』
話を終えようとしたところで、イディが手を上げながら通信道具に近づく。声しか聞こえないのだから、手を上げる必要などないのだけれど。
『……何だ?』
ヴィルヘルムの声は低く、手短にという雰囲気がありありと伝わる。この後も仕事があるのだろうと考えると、わたしの報告に付き合ってもらえるのは本当に有難いことだ。
『男性が女性に、または女性が男性に装飾品を贈るという行為に特別な意味などありますか?』
『……どういうことだ?』
イディ、直球すぎやしませんか? その言葉にカーッと顔が赤くなっていくのがわかる。ヴィルヘルムはイディの話に掴みどころがないと思っているに違いない。いきなりそんなことを言われたら誰だって訳がわからないと首を傾げるだろう。
『リアが身近な人に装飾品を作り贈りたいと考えているようですが、その意味を習っていないらしくどうしたら良いかと悩んでいたようなので。今は皆忙しいですし。教えてもらえたら踏ん切りがつくかな、と思いまして』
『ああ、まだその辺の教育まではいっていなかったのか。優先事項が多かったので仕方がないな。相手はメルヴィルか? 良く働いているからな』
「ええ……、まあ……」
自分に贈られるものとは全く考えていないようなのでわたしは言葉を濁しながら答える。メルヴィルなどの自分の配下に贈るという行為は決して珍しいものではないということだろう。
『自分の配下に自分に仕えてるのだと周りに示すために装飾品を贈るのは良くあることだ』
『なるほど……』
『白と黒の色のものは贈ってはなりませんよ。黒は不吉の象徴、白ははじまりの色なので成人後の男女間では婚姻のものとして捉えられますので。今はどうかわかりませんが』
シヴァルディの言葉に対してヴィルヘルムは「大体合っている」と肯定した。
うーん……、どっちにしろ贈りにくい。でも明日はギルメット領だ。渡さないと作った意味がないよね……。
これ以上突っ込んでも墓穴を掘ってしまいかねないし、後回しにしたい気持ちしかない。
曖昧に意味を知らされて結局は思い悩む夜を過ごすことになってしまった。
明日は諸事情により、更新はお休みします。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。




