第二十一話 フロレンツィオ領へ
わたしがプレオベール家に引き取られてどのように過ごしていたのかという思い出話に花を咲かせ終え、ボーッと窓の外を見ていたら気になることが出てきた。
もうすぐジャルダン領を出て隣のフロレンツィオ領に入ろうとしている。フロレンツィオ領に入る際は車を降りて関所を通らねばならない。申請していた通りの人物が来ているのか確認するそうだ。そのため時間的にも隣領に入れたくらいが日の入りが近いので、今日はそこで移動を一時中断することになっているそうだ。日が沈んだ後の移動は余計な事故を生みかねないので余裕のあるスケジュールで良いと思う。
「何か気になられるのですか?」
身を乗り出すような形で窓の外を見ていたわたしに気付いたフェデリカが笑顔を向けていた。……しまった、淑女にあるまじき行為だった、と「ええ、少し」とわたしは慌てて笑顔の仮面を被ってフェデリカに向けた。そして何事かもなかったかのようにゆっくりと姿勢を元に戻す。
「あの外の、石……でしょうか。あれは何なのでしょうか。定期的な間隔で現れるのですが……」
「窓の外、ですか?」
わたしは窓を見つめながら何か知っているかもしれないフェデリカに尋ねる。フェデリカは不思議そうな表情を浮かべると、窓の外を覗いた。
この世界では外で出歩く経験がないわたしにとって外の景色は貴重だ。木々や草花、家畜など目新しいものが多くみられるので見ていて飽きなかったのだが、定期的に小さな石柱のようなものが置かれているのが物凄く気になった。形が珍しいとかそういうわけではないのだが、同じ白色、同じ大きさ、同じシンプルな形と全ての石柱が一緒で既視感がある。機械化など程遠いこの世界であれだけ精巧に同じものを作り出せるとは思えないくらいだ。
「あの白い、腰掛けのようなものですか?」
しばらくするとフェデリカがわたしが言うものを見つけたのか、窓の外を指差した。ただ車は動き続けているのですぐに通り過ぎてしまったが、フェデリカが言うものとわたしが言うものはきっと同じだろう。
「はい。あれには何か意味があるのでしょうか? ……例えば道標になるとか」
フェデリカならばわたしよりは外に出歩いているだろうと踏んで尋ねてみると、フェデリカは首を横に振った。
「車での移動が基本ですので、私もあの石柱のことはわからないですわ。窓の外を眺めるなどほとんどありませんから、オフィーリア様に言われて初めて気が付いたくらいです」
「……そうですか」
フェデリカが知らないとなると、あと知っている可能性のあるのはヴィルヘルムくらいだ。彼も車での移動が基本なので知らないかもしれないが。わたしは一抹の希望を抱いて、ヴィルヘルムの方をちらりと見る。
「何だ? 見ての通り私は忙しい」
「……わかっております」
ヴィルヘルムは資料を片手に鬱陶しそうな顔を向けてきた。そして彼の席の隣には今回の会議で使うであろう資料も置かれていて手付かずのものもある。目を通しておかないと会議でジャルダン領の言い分を通すための策を練られないのだろうか。
見た通り時間が惜しいといった感じなので、わたしの思い出話にも参加せず、ヴィルヘルムはひたすら資料を見つめ捌いていた。揺れる車で読んで酔ってしまわないかと不安になるが、それは杞憂だったようだ。強い。ただ聞かないという選択肢はないので、端的に聞くことにした。
「背丈の低い石柱が一定の間隔で置かれている気がするのですが、あれには何か意味はあるのですか?」
「ないだろうな」
思い切って聞いたことに対してバッサリと切られ、わたしは内心がっかりしてしまう。意味がない、というか、知らない可能性もあるだろう、と推測しながら、「そうですか。ありがとうございます」と微笑みながら礼を言うと、さらに眉間に皺を寄せた。不機嫌になった?
「腰掛けのようなものだから平民の移動時の休憩場所なのではないか?」
「私もちらりと見せてもらいましたが、あれはどうも一人用のようなので貴方が言っていることは違うと思いますわ」
ランベールとパトリシアが一緒になって考えてくれようとしている。ということは二人も知らないということか。メルヴィルの方を見ても首を傾げていたので同様だ。この車には情報を持つ者は誰もいないということか。
そうしていると、急に車が止まった。そして前方から人の声が聞こえてきたので、隣領のフロレンツィオ領との関所に辿り着いたということか。ここでフロレンツィオ領主から事前に発行してもらっていた書類とともに本人確認をすれば領地に入れる。つまりはここで完全に領地からの脱出だ。
「では私たちが手続きをして参ります。本人確認の際はまたお呼びします。……書類はアルベルト様がお持ちですよね?」
「そうだ、頼む」
「では私たちは車から降り、外でお守りします」
そう言って側仕えと武官は降りていく。そしてヴィルヘルムとわたしが残された。
手続きは自分でしなくていいのか。それならば待ち時間の方が多くなりそうだ。
わたしは欠伸を噛み殺していると、そのシーンをばっちりと見ていたであろうヴィルヘルムと目が合った。そして、大きなため息。何故?
「オフィーリア、浮かれ過ぎだ」
「浮かれていますでしょうか? 確かに初めての旅ですので心は踊っておりますが、どちらかというと宿に到着してからの方が浮かれそうな気がするのですが」
宿に到着したらヴィルヘルムの資料を受け取ることができる。そしたらカメラで写して、あとは解読三昧だ。想像するだけで口元が緩む。早く見たい、読みたい、解読したい。
そんなわたしの様子を見て、ヴィルヘルムの眉間に深い皺が刻まれていく。
「其方の目的は王族の面会を難なくこなすこととアダン領での資料の入手だ。決して資料の解読でも、旅を満喫するのでもないぞ。しかもここはもうジャルダン領ではない、他領だ。余計なことをしないように気を引き締めなさい」
「……わ、わかっていますよ」
凄みのある声で威圧されてわたしはたじろいでしまった。確かに資料を目の前にぶら下げられて興奮していることは認めるが、これが浮かれているというのならば通常運営なのでどうしようもない気がする。ヴィルヘルムの前で未解読文字を見つけた際は大変不安にさせてしまう自信がある。
「王族と会っても問題ないように勉強をしてきましたし、十分に気を付けます。ですので、領主様の持っている資料は必ず見せてくださいませ」
「……だからせめて欲望は隠しなさい」
ヴィルヘルムは先行きを不安に思ったのか、またため息をついた。
その後しばらくすると、手続きが終わったという報告を受けたのでわたしとヴィルヘルムは車を降りた。本人確認と言ってもパスポートもないこの世界では領主からの許可書が全てだ。役人の目の前で領地に入りますという直筆のサインをし、登録している魔力確認のため石に精霊力を流して終わった。
『凄いわね……。ジャルダン領と雰囲気が違うわ……』
出発から車を降りることがほとんどなかったので、フロレンツィオ領周辺の景色を見てイディとともに圧巻された。
森が多いジャルダンとは違って、草原と麦畑が広がっている。領地の方は石造りの風車のようなものが数多く立ち並び、羽根車が風を受けてゆっくりと回っている。風車を見て感じたが、微風だが風が吹き続けている。ということはこの領地を象徴する精霊は風の精霊かと予測できる。
せっかくなので観光といきたいところだが、この領地は王都への通り道として入っている。そんな時間はないだろう。
こういう時にカメラを使って記念に残すんだけど、人がなあ……。
さすがに側仕え、武官、他領の人間がいる中で、こっそりと使うわけにはいかないので諦める。動作テストもしていないし、どのように動くのかわからない。音が鳴ったり、光り出したりしたら言い訳できない。
今日、宿で人がいない時を見計らって使ってみるか。問題なければ領主様に相談しよう。
今夜の予定が決まったところで、車に乗るように促される。そしてその移動の際に、ふと横を見ると車の中で話題に上がったあの石柱が目の前にあった。こんな関所の中に石柱があるなど中途半端だ。撤去などは考えなかったのだろうか、と疑問に思う。わたしは石柱に軽く手を触れた。
「あの、この石柱は邪魔ではありませんか? 何故撤去しないのでしょう?」
気になりすぎて思わず近くにいた関所の役人に話しかけてしまった。この役人は平民なのでわたしが話しかけたことによりとても青い顔をしている。以前のわたしを見ているようで、申し訳ない気持ちになる。
「は、は、はい! 車を通す関係で邪魔になりますが、どれだけ強く叩いても壊れぬのです。だから仕方なくそのままに……」
「壊れないのですか?」
「そそそうなのです!」
上擦った声で返事をする役人はわたしの機嫌を損ねないように気を張っている。その態度に申し訳なさを感じ、わたしは簡単に礼を言い、そのまま車に乗り込んだ。わたしという脅威が去ったことであの役人は今頃ホッとしているだろう。
しかし叩いても壊れない石柱、というのは気になる。何か特別なものなのかもしれない。ヴィルヘルムたちは基本車での移動なのでその存在に気付いていなかった。実際にあの石柱をじっくり観察するなどして調べたいところだが、もうフロレンツィオ領に入ってしまった。この領地で下手に動いて迷惑をかけるわけにはいかないのでもどかしい気持ちになった。
……わたしの知らないことだらけね。
わたしは車の窓からあの石柱を見て、自身の無知さとタイミングの悪さを嘆いた。




