第八話 食事改善がしたい 前編
孤児院の朝は早い。夜明け前の暁三度目の鐘から活動が始まる。
「リアー! 起きてー!」
ゆさゆさと体を揺らされどうしようもない怒りが沸き立ってしまう。眠りについたのが暁一度目の鐘が鳴ってしばらくしてから。あまり眠れていないので眠気を優先したいところだが、同室の仲間たちがそれを許さない。
「今日もやること、たくさんだよっ」
「が、頑張ろう? リア姉ちゃん」
「はやくしないとマルグリッドせんせーにおこられるよぉー?」
その言葉とともにまた体を揺らされる。わたしは瞼を上げ不快感丸出しの顔でわたしを揺らしているアモリを見た。
「さっさと体を清めて朝ご飯食べよ? ほら、起きて!」
そう言ってアモリはわたしの布団を剥いだ。寒くて温かさを保つために体を丸めるがそれを図っていたかのように子どもたちが「えいっ」と下に敷いていたシーツを抜き去った。わたしはコロコロと転がりこんで硬い床で頭と腰を打ちつけた。
「おはよ……」
「おはよう、リア」
わたしは観念して起き上がると、他の四人はわたしの寝具を片付け整えてくれた。そしてアモリには手を引かれ、子どもたちには背中を押され、なされるがまま部屋を出た。
「夜も暑くなってきたから汗かいちゃったっ」
伸びかけた後ろ髪を軽く持ち上げるのは、レミ。燃えるような紅い髪に特徴的なつり目を持つロジェと同い年くらいの女の子だ。勝気で女子というものを嫌でも感じてしまう。
「からだふくのいやだなぁー。だってふくぬがなきゃいけないし、めんどくさい!」
舌足らずな声で文句を言うのは、ギィ。真っ青な長めの前髪から覗く垂れ気味の目は小動物と似ていて可愛らしい。彼女は同室の仲間の中で一番年下で今年四歳になる。
「ギィ。ち、ちゃんと体を拭いておかないと先生に汚いって、し、叱られちゃうから、頑張ろう? 私も手伝うから、ね?」
ギィの頭に撫でながらロジェが励ます。撫でられたのが嬉しいのか笑顔で「わかった!」とギィは頷いた。
そんなギィを見て微笑むロジェはわたしより年下なのにも関わらず、周りを見て気を配ることができる優しい子だ。ただ孤児院に引き取られる前の生活が酷かったのか、おどおどとした言動はなかなか治らない。しかし数年かけて明るくなってきているので時間が解決してくれることを願うばかりだ。
そうしているとすぐに食堂に到着した。
「じゃあお湯もらってくるね」
アモリはそう言うと調理場に繋がる入り口に向かって走り出した。朝になると孤児院にいる子どもたちが身を清めるため調理場で大量に湯を沸かしてくれている。女子は食堂で今はどんどん暑くなってきているので男子は外で体を拭くことになっている。風呂に入るという概念自体ないので湯で温まってさっぱりしたいのだが設備も皆無なので難しい。
「リア姉ちゃん、こ、これ手拭い。どうぞ」
「ありがとう、ロジェ」
ロジェから体を拭く用の布を貰う。使っては洗いを繰り返しているのでほつれているところが多い。もともと古くなって着ない服を裁断しているものなので既に綻びが多いのだが、最近は子どもたちが着る服がきちんと支給されるようになったので、新しい布へと変えやすい。とても有難いことだ。
「お湯持ってきたよー」
アモリが湯気の立つ大きめの盥を持って現れ、私たちの目の前にドカッと置いた。たっぷりの湯を貰ってきたのか置いた時に湯が揺れ、食堂の床を少々濡らす。
レミはそそくさと盥に近づき、持っていた手拭いを放り込んだ。みるみると湯を吸って布は沈んでいく。それを見てギィも楽しそうに布を盥へ投げ込んだ。
「アモリ姉ちゃん。お、お湯ありがとう。これ手拭い、だよ」
ロジェはアモリ用の手拭いを差し出すと、アモリは「ありがとう」と礼を言ってから受け取りそのまま盥の中に手拭いを入れた。そしてその後にロジェも自分の手ぬぐいからそっと手を離し盥の中に沈めた。
「リア姉ちゃん、手拭い入れないの? あたしが入れてあげるねっ」
ぼーっとしていたわたしの返事も聞かないまま、わたしの手にある手拭いをレミが引ったくりそのまま放り込んだ。そしてレミはしゃがみ込み自分の手拭いを湯の中から取り出し、布を丸めて水気を絞った。それを見てロジェやアモリも身をかがめ、自分の手拭いを絞っている。
「ロジェねぇちゃ、わたしのもしぼって」
「いいよ」
ギィがロジェに甘えているのを横目にわたしもレミに入れられた布を手に取り軽く絞った。少し熱めの湯が入れられていたので軽く絞っただけでちょうど良い温度の濡れ布ができあがった。わたしはそのまま布を首に当てて擦っていく。汗をかく腹や胸、脇などをしっかりと拭いては湯に入れて絞りを繰り返す。
「あ、リア。背中やってくれる? あとでリアのもしてあげるからさ」
「うん、いいよ」
そうしているとアモリが背中を出しながらやってきたので彼女の手拭いを受け取り背中を拭いてあげた。
「ありがと、はい」
すぐにわたしの手拭いを取り上げられたのでわたしは素直に後ろを向く。アモリはわたしの背中をささっと拭いてくれた。
「終わりー! おチビはまだやってるから私たちで朝食取りに行こうか」
「うん」
ロジェたちを見ると仲良く体を拭いている。体が小さいためか手が届きにくいようだ。手伝っても良いが三人で協力し合えば十分だろう。
わたしはアモリと一緒に調理場へと向かった。孤児院ということもあってパンとスープが基本の食事だ。たまにプラスで一品出るくらい。だいぶ慣れた方だと思うがこの世界ではとりあえず塩で味をつけていたらいいという考えなので素材の旨味を活かさない料理が出てくるので食欲があまり湧かない。けれど食べないと辛いので水で流し込んで腹を膨らませるしかない。わたしはこの後の食事を想像してげんなりとした。
「おはようございます。朝の食事をもらってもいいですか?」
アモリが調理場にいるわたしより年上のサラに話しかけた。孤児院では料理も分担の一つだが、火やナイフを使うので年齢が上の方の子たちがすることになっていて、わたしはまだ料理をしたことがない。
アモリの声に気付いたのか前掛けで手を拭きながらサラはやってきた。
「アモリとリア、おはよう。ごめんね、スープに入れるパパタタがまだなの。ぬめりを取らなきゃいけないから時間がかかりそうで……」
「パパタタってぬめりがあるんですか?」
アモリが不思議そうに尋ねる。
パパタタは簡単に言うと大豆くらいの大きさの芋だ。手軽に作ることができるので菜園で栽培している。一つ一つが小さいので三、四粒ほどサヤに入って地面に埋まっている。収穫物でしかわたしも見たことがないのでぬめりがあるとは初めて聞いたのでわたしも驚く。
「そうなの。もし手が空いてるなら手伝って。処理が多くて今日は人手が足りないの」
「わかりました」
特に用事もないのでわたしたちは快諾した。調理場には水瓶に水を入れにいくぐらいしか入ったことがないので初めての経験に少し心躍った。
前掛けをしてわたしとアモリは調理場の中に入る。今料理をするために火を焚いているせいか熱気が凄い。せっかく拭った汗が噴き出てくる。わたしは額に浮かんだ汗を手で拭い、サラに付いていく。
「これがパパタタ。こんな時間なのにまだこの処理ができてないのよ」
調理場の隅に置かれた山盛りのパパタタを指差した。少し離れたところに水に晒されたパパタタが少し置かれているので処理の途中なのだろう。
「でも助かるわ。パパタタはこうやって塩で揉んでぬめりを取って毒抜きのためにあっちみたいに水に晒すの。お願いできる?」
「わかりました、やってみます」
アモリの返事にサラはニコリと笑うとスープを作りに持ち場へ戻っていった。山盛りのパパタタの近くには袋に入った塩が置かれている。わたしは塩の袋に手を触れた。
これ、わたしが塩の量とか調理とか工夫したら美味しく作れるんじゃない?
嫌々食べる食事だったので自分で直せるように働きかけたらうまくいくかもしれない。今日は顔見知りで優しいサラが当番であるし。
「サラ姉ちゃん困ってたからさっさとやろう」
「あ、うん」
アモリの促しに我に返り、わたしは頷きパパタタのサヤを手に取る。サヤからパパタタの実を押し出すと里芋のようにヌメヌメとした粒が出てきた。
「ほんとだ、ぬめりがあるんだね。塩いるよね?」
横で見ていたアモリはそう言って塩の袋の口をわたしの目の前に広げた。わたしは塩を手に取るとパパタタを揉み込んだ。じょりじょりと揉んでいるうちにぬめりが取れていく。そして水瓶から水を器で掬い塩を洗い流した。
「こんな感じかな?」
処理が終わったパパタタを手のひらに転がして確認すると、アモリは拍手してくれた。わたしは少し笑うと水を張った器にパパタタを入れた。毒があるとは聞いたことがあったが、水に晒すと毒が抜けるなんて知らなかった。
「分担した方が効率がいいかな? アモリはこっちでパパタタの実を出して。わたしが塩で揉み込んで水に入れるから」
「ん? わかったー」
アモリが返事をするとそのままパパタタのサヤを取って実を取り出し始めた。わたしはその実を受け取って塩で揉み込んで器に置いていく。ある程度の量になったら水で流して、水を張った器に入れていった。
しっかりパパタタとかを炒めて旨味を閉じ込めて作って塩を使えば美味しいスープになりそうだな……。
そんなことを考えながら作業を続ける。ずっと旨みのないがっかり料理しか食べていないので期待が高まる。塩たっぷりの残念な料理でなく塩味を活かす形の食事を作ることで改善することができるのではないか。そうしたらわたしは気持ちよく解読に没頭することができる。
できるなら今日のスープはぜひ自分で作りたい……!
野菜の出汁と塩味があればぐっと美味しいものになるだろう。できあがったスープの味を想像するとわたしは嬉しくなって作業スピードを上げていく。器にはどんどんパパタタの実が溜まってきた。
「終わりましたー」
しばらく作業を続けていたらすぐに終わってしまった。アモリの言葉でもう実がないことに気付き、水瓶で水を汲んでさっと塩を落とした。
「あら早いわね。ありがとう、助かったわ」
様子を見にきたサラが器に入ったパパタタを確認しながら言った。そしてサラは器の水を一度捨てて新しい水を入れた。
「あとは入れるだけだから少し待ってね。本当にありがとう」
「あの……」
パパタタを持っていこうとしたところを呼び止める。何とかここで頼まないと美味しい食事にはありつけない。
「どうしたの? リア?」
サラは足を止め尋ねてきたので正直にわたしは頼んだ。
「スープの塩の量とか減らせませんか……?」
サラとアモリはわたしの言葉を理解できないと言った表情を見せた。
食事は生活の基本ですよね。私は食べることが好きなので、この世界の料理は耐えられないと思います。笑
ブクマ、応援本当にありがとうございます。執筆の励みになります。
2021/10/11追記
塩の扱いについて変更しています。混乱させてしまってすみません。