第十九話 出発の朝
ヴィルヘルムとパタの種蒔きを終えてから、資料を読み終えるまで登城を繰り返した。あの精霊殿文字の資料は日付らしきものが記されていたので、どうやら日記だと推測している。それを屋敷に持ち帰れないか相談を持ちかけたが、やはり管理の関係で持ち帰るのは無理だと断られた。また持ち帰る際にアルベルトにどのように説明するのか、と付け足されて何も言えず、黙ることになってしまった。正直にはどうしても言えない。
そのためヴィルヘルムは例の資料を春の会議の際にこっそり持ち出すと言ってくれた。ヴィルヘルムの会議中は王城に行くため、わたしは手持ち無沙汰になるので、王都の屋敷で作業をしておいてほしいようだ。未成年のわたしがわざわざアルベルトやヴィルヘルムに付いて王城へ行く必要性もないし、むしろそちらの方が良い。この絶妙な配慮はさすがだと思う。どんどんヴィルヘルムの好感度が上がっていっている。
暫定日記の資料は領地を出た後に読む予定なので、それまでは他に目ぼしい資料がないか探すか、王族への振る舞い方を学ぶ日々だった。資料の方は日記のほかに、精霊殿数字が並んだ書類が幾つか見つかった。内容を察するに王族への税収の報告なのではないかと思うので、それもヴィルヘルムに渡しておいた。そうすることで王都出発の際の荷物に入れてもらえるだろう。まあ、王都についても先に日記の方を読むように言われているので、こちらの報告書類は後回しだ。なぜなら知りたい精霊については特に書かれていないだろうから。
王族への作法はほぼほぼ今まで学んでいたことと変わらなかった。姿勢や立ち振る舞いのチェックが厳しくなったくらいか。くらい、と表現しているが、重箱の隅を突くような厳しさだ。できれば胃が痛いので面会をお断りしたいところだが、しかし王族から催促の手紙が何度も来ていたくらいなので受けるしかない。動揺を悟らせない、相手の言葉を待つ、優雅に……など、散々注意されたので、それを意識して面会しよう。頑張ろう。
そう慌しく過ごしていたので、あっという間に春の会議に合わせて王都に向けて出発する時期となった。
領主が出ていくことになるので、たくさんの人材が領地を出ていくことになる。魔法の世界ならば転移のための魔法陣があってすぐに移動できるが、魔法・魔術が存在しないこの世界はアロゴーヴァが曳く車での移動が基本だ。アルベルトが言うに王都まではだいたい五日、六日くらいかかるそうだ。自動車、飛行機、新幹線と文明の利器であっという間に目的地にたどり着くことができていた前世とは違って、長旅を経験することになる。移動して王都で滞在して、その後また移動してアダン領……と考えると、このジャルダン領に戻るのはどのくらい後になるだろうか。一か月くらいはかかるかもしれない。
『準備は良い? 忘れ物とかない? すぐに取りに帰ることができないからね』
自室でイディがブンブンと忙しなく飛び回っている。着替えなどの生活に必要な荷物はフェデリカとデルハンナが準備してくれているので問題ないが、イディが言っているのは解読のための道具だろう。基本的に精霊力の塊か精霊道具なのでわたしが取り込んでいるので問題はない。
「ペンも資料も全部この中に入ってるから大丈夫、だとは思うけど」
『……じゃあ、作っておくものは!? 向こうでは人の出入りも多いかもだから、作るなら今の内だよ!?』
「……イディ。浮かれてるね?」
あまりにもイディがそわそわとしているので、初めて領地を出ることに浮ついているのだと思い、そう指摘した。するとイディは舌をぺろりと出してそれを肯定とし認めた。……浮かれていたのか。
しかし、イディの言うことにも一理ある。向こうの屋敷や移動中は欲しくなっても何もできないので、ここでサクッと作って持っておいても良いかもしれない。何か作りたいものはあったかと考え巡らせると、孤児院を出る前に作りたかったカメラのことを思い出す。カメラがあれば対象物を写して保存も可能だ。わざわざ書き写す必要もない。今後の資料作りをするかもしれないのでその時は役に立つかもしれない。……今のところは解読だけしておきたいが。
「じゃあ、精霊道具をパッと作っておきたいな。……えーっと、こっちでは写真機っていうかな。ものを写して絵にする道具なんだけど」
『わかった! リアが想像してくれたら作れるから問題ないよ。じゃあ、想像して……』
そう言うと、イディがスッと寄ってきて、わたしの手のひらに自分の手を重ねた。こう振り返ると、イディやシヴァルディとともにたくさん道具を作ってきたな、と感慨深いものがある。全ては壁文字から始まって、金色の文字を生み出すペン、アンティーク仕様のランタン、と精霊の力を借りることで当時の身分では不可能のことを可能にすることができた。こうやって古代の人々は精霊とともに生きてきたのかと思うと、現在眠っている精霊たちを早く解き放ちたいと考えてしまう。
……今、わたしができることを確実にやっていくことが大切。近道かもしれないし、遠回りかもしれない。でも、一歩一歩確実に。
わたしは目を閉じた。前世でよく使っていたデジカメを作ろうと思ったところで、保存のことで引っ掛かってしまった。デジカメならばデータで保存されるが、印刷するにはプリンターが必要になる。
プリンターを作るのは……、面倒くさいな。その場で印刷できる良いところ取りのカメラを作ろうか。
春乃の時に参加した結婚式の二次会で、写真を撮りその場で専用フィルムに現像してメッセージを書いていたことを思い出し、それとデジカメを合体させたようなものを作ろうと考えた。レンズ、シャッター、絞りを調節する部分、写したものを表示する画面など想像していき、最後に撮った写真の印刷口とそのボタンを付け足す。……こんなものだろう、と納得すると、中心部から熱が引いていくように自身の蓄えていた精霊力が抜かれていく。今回はイディの適性のものを作っていないので、それなりの量を持っていかれた。
『加護を与えた者の願い物をつくり給え』
いつも明るく元気なイディとはまた違った、真剣な声色が聞こえるとわたしはゆっくりと瞼を上げた。重ねられた手から橙色の光が生まれている。そしてパンッと弾け、キラキラと光の粒がわたしたちに降り注ぎ始めた。頭上を見るとイメージ通りのカメラが生み出されていた。
「これで撮影して資料を保存できるね」
わたしはそっとカメラを手に取り、試し撮りをしようとしたところで、部屋の外からガタガタと物音が聞こえた。
『あ、もう時間なの? ……思ったより早いね。リア、早く寝台へ』
わたしは頷くと、カメラをすぐに自身に取り込み、そそくさと寝台の中へ潜り込んだ。試し撮りできなかったのは辛いが仕方がない!
そう、今は早朝。朝準備をし終えたところで、城でヴィルヘルムと合流し、彼の車で王都へ向かうことになっている。いつもはもう少し時間が経ってから着替えなどの手伝いにフェデリカがやってくるのだが、今日は出発の兼ね合いもあってかなり早い。まだ明けの鐘も鳴っていないはずだ。
「オフィーリア様、おはようございます。時間ですわ」
わたしは今起きましたよ、と言わんばかりに寝台の上で体を起こしたタイミングでフェデリカが入室してきた。わたしは挨拶を返すと、寝台を下り、着替えのためにクローゼットの前へと行く。フェデリカはクローゼットを開け、今日着用する衣装を手に取る。
「本日は出発ですからね。……さあ着替えましょうか」
フェデリカに着替えを手伝ってもらい、寝間着から翠色を基調とした服へと着替える。この色はジャルダンの色の証だ。特例とはいえ、正式な形で領地を出るためその衣装となっている。
着替えを終え、朝食を摂るために部屋を出る。その際に明けの鐘が鳴ったら領地を出発することを伝えられた。
「フェデリカも王都に付いてきてくれるのですよね?」
「はい、オフィーリア様の側仕えですもの。当然です。不自由がないようにお世話させてもらいますね」
「長旅になると思いますが、よろしくお願いしますね」
フェデリカと出会ってから半年以上経つことになるが、彼女の仕事ぶりは非常に助かっている。気が付いたらスッと欲しいものが準備されていたり、わたしの予定の調整も良い塩梅だ。そんなフェデリカが付いてきてくれるならば心強い。わたしは笑顔でお願いすると、彼女は「勿論です」と微笑んでくれた。
「おはよう、オフィーリア。出発の日だな、準備は良いか?」
食堂へと入ると、既にアルベルトが席について朝食を摂っていた。わたしを見て、手を止め声をかけてきたので、わたしはにこりと笑った。
「おはようございます、お父様。皆が滞りなく準備してくれたので問題ありません。お父様こそ、準備はよろしいのですか?」
「ははは、問題ない。先代から専属で文官をしているからな。この旅も何度も繰り返している」
わたしはフェデリカに促されてアルベルトの向かいの席に座る。アルベルトは前領主のシリルガーヌの時から引き継いで第一文官をしているので、会議の準備などは慣れている。そうなると何十年もやっていることになるので、ベテランの域だろう。いつかは息子のダ―ヴィドがこの立場を引き継ぐことになるのだろうか。
「もうすぐ屋敷を出発するぞ。早く朝食を食べてしまいなさい」
「わかりました」
アルベルトはそう言うと、再び食事を始めた。アルベルトとの雑談の間に、フェデリカが朝食を配膳してくれたので、わたしは食事を摂るためにカトラリーを手に取った。多少は改善されたものの、未だに自然のものを生かした料理が多いように思う。平民と違って貴族の立場になってからより強く感じる。具材は増えたがスープにするかそのまま焼くくらいしかしていない気がする。改善の余地大ありだが、今はそこまで手が回らない。今後考えて動いていこう、と心に誓いながら、わたしはしっかりと煮込まれた温かいスープを掬って飲み始めた。
朝食は軽いものなので、あっという間に食べ終わり、わたしとアルベルトは自身の側仕えと武官を連れ立って屋敷を出発した。まだ鐘は鳴っていないので、約束の時間までには城に到着するだろう。




