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第十六話 旧プロヴァンス文字の資料


「入りなさい」


 部屋の中からヴィルヘルムの声が返ってきたので、フェデリカは懐にベルをしまうと扉を開けた。


「まだお話は終わっていませんのよ? ヴィルヘルム様!」


 聞き覚えのある幼めの高い声が先に聞こえてきたので、わたしは下げていた目線を上げた。

 執務机の前にはヴィルヘルムとリオレッタがいた。そして少し離れてリオレッタのお付きの者らしき女性と、以前わたしが孤児院にいた時に前孤児院長たちを捕らえていたランベールと呼ばれていた男性が立っている。

 そして、リオレッタは苛ついているのか下唇を噛み締めながら自身の拳を握り潰す勢いで手に力を込めていた。そんな彼女に対してヴィルヘルムは今までに見たことがないくらい面倒臭そうな表情を浮かべ、眉間に指を当てている。どうやらお取り込み中のようだったが、敵側と見なしていた人間がこの部屋にいたことでアルベルトが纏うげんなりした空気がピリッと引き締まるものに変わった。


「終わってないも何も今は受け入れられないということです。前領主から引き継いだ仕事全てをまだ把握しておりませんし、リオレッタを受け入れる準備もままなりません」

「それならば支援するとお母様も……!」

「リオレッタ」


 ヴィルヘルムの冷たい声にリオレッタは固まる。

 先程の会話からヴィルヘルムがリオレッタとの婚約を断ったため、リオレッタ本人が直接乗り込んできたという流れであることを把握する。ヴィルヘルムは困ったような笑顔を取り繕い、リオレッタを見下ろした。


「そこに貴女の意思はありますか? ……どちらにせよ、今は婚約よりもこの領地を回すために仕事に慣れる方が必要なことなのです。ご理解ください」

「それ、は……、言い訳だと、お母様が……」

「そう聞こえると思います。ですがそれは事実で、私は前領主の急死によってジャルダン領主を引き継いだのです。いつかは子を残すためにも婚姻は必要です。その際に()()()()()でそれを望むのならば私は受け入れましょう」


 ヴィルヘルムは幼い子どもを諭すような口調でリオレッタに言った。リオレッタは相手に動揺を悟られないように笑顔を作ろうともせず、そのまま俯いた。ヴィルヘルムはリオレッタの何かを知っているのだろうか。


「ヴィルヘルム様」


 アルベルトが緊張した面持ちで声をかけると、リオレッタを映していた瞳をアルベルトへと向けた。そして小さく頷くと、再びリオレッタに視線を向ける。


「そういうわけなので、どうかお引き取りください。そしてけしかけてきたアリーシア様にもそういう理由なので、とお伝えください」

「……そう、わかったわ」


 俯いた顔を上げ、リオレッタは自身の側仕えに部屋に戻ると声をかけた。そして引き連れて部屋を出ようとした時に、わたしとバチッと目が合ってしまった。その瞬間、リオレッタは目を瞬かせたかと思ったら、すぐにわたしを睨みつけてきた。完全に敵認定である。もちろんわたしは何もしていない……と思っていたが、お披露目の会の時のことを指すならば何も言えない。


「何故貴女がここに……? ああ、そういうこと。時間稼ぎってことね」


 勝手に疑問をぶつけてきたかと思ったら、すぐに納得したのか止めた足を動かし、執務室を出ていく。そして扉を閉められた瞬間に、大人たちのピリついた雰囲気がフッと和らいだのか息を吐く音が聞こえてきた。敵側の人間が直接乗り込んでくるとは思わなかったのだろう。


「アルベルトたちが来てくれて話を切ることができた。ランベールを傍に置いていたのが功を奏したな」

「……まさか直接、様子を見に来るとは思いませんでした」

「こちらが慌てふためいていないかの高みの見物だろう。だから本人は来ぬのだ。アルベルト、その顔色を何とかしなさい」


 ヴィルヘルムがため息をつきながら言い放つと、アルベルトは小さく返事をした。アルベルトはヴィルヘルムを心配してそういう表情になって狼狽えているのだと言い返そうかと考えたが、表情を取り繕うのが基本の世界でアルベルトの態度はあり得ないので口を噤んだ。わたしもさんざん言われていることだ。


「それでどうなさるのですか? 時間の問題ですよ」


 ランベールと呼ばれた男性がヴィルヘルムを見てそう言うと、ヴィルヘルムは肩を竦めた。


「リオレッタはアリーシアの言いなりの人形だ。人形は所詮人形だ、何とでもなる」

「ですが危険がついて回ることになるのですよ?」

「仕方あるまい。領主になった時点でそれは予想できたことだ。……さて、オフィーリア」


 ヴィルヘルムは話を無理矢理終わらせてわたしを呼びつけた。わたしは部屋の端の方でじっとしていたので、近くに寄るためにとことこと歩いていく。


「そこに資料を積んである。春の会議までに読み終えなさい。ただ城の外へは持ち出せないので、ここで読むように」


 そう言って来客用の机の上を指差すと、そこには大量の書類や本が積まれていた。なかなか広めの机だがそのほとんどを埋め尽くすほどの量だ。城の外に持ち出せないのでここで読み切れるのかと疑いそうになる。未知の資料が広がっている資料室へは行かせてくれないのかと文句を言いたくなったが、アルベルトたちがいるので何も言えず、ただ「はい」と答えるしかなく、わたしは資料の一つを手に取った。資料室へは行けないが、読みたかったものが目の前にあるのだ。飛びつかないわけがない。目を落とすと「えっ」と思わず声を上げてしまった。


「王族の名簿、ですか……?」


 資料に目を通すと今の国王だけでなく、その妻や子どもについて記されていることがわかる。文字ももちろんこの世界で当たり前のように使われているプロヴァンス文字だ。


 何で? 昔の資料じゃないの? わたしの精霊殿文字ちゃんは何処行ったの?


 恨めしげにヴィルヘルムを睨みつけると、ヴィルヘルムは口の端を吊り上げた。


「其方は王族に会うのだろう? その時に失態があってもいけないからな」


 意地悪そうな笑みを浮かべながらヴィルヘルムは正論を言い放つ。確かに王族のことをそれなりしか知らないので言っていることはわかるが、酷くないだろうか。わたしは何も言い返すことができず、ジト目でヴィルヘルムを見つめるが、ヴィルヘルムはそれを華麗に無視した。


「アルベルトは春の会議に向け、資料を集めてきてくれ。ランベールは扉の前で待機だ」

「わかりました」


 二人は返事をすると、わたしとその仕えを残して動き始める。ヴィルヘルムは目線でわたしの仕えにも命令を出すように訴えかけているので、メルヴィルをランベール同様扉の前へ、フェデリカを部屋の端へと下がらせた。そしてヴィルヘルムは無言のまま執務机に置かれた大量の書類に目を通し始めた。本当に文献を読ませる気がないのだろうか。わたしはむくれながら席に座り、真ん中の方に置かれている本を引き抜きぺらりと捲った。


「あ……」


 思わず開いてしまった口を塞ぐように左手を当てた。しかし漏れてしまった声は近くのヴィルヘルムに届いてしまったようで企みがうまくいったような笑みを浮かべていた。


「その資料を読み、理解したかを確認するためにそこの紙に内容をまとめるように」

「わかりました!」


 喜びに満ち溢れた返事をし、わたしはやや重い本を膝に置き再びそれに目を落とした。

 ヴィルヘルムが用意した王族に関する資料はカモフラージュだったようだ。下の方に旧プロヴァンス文字で書かれた何らかの資料が紛れており、わたしのテンションは爆上がりする。


 領主様はやっぱり優しかった! ありがとう!


 心の中で最大限の感謝をしながら、呼吸するかのようにその文字の羅列を読んでいく。旧プロヴァンス文字はイディのお陰で読めるようになっているので特に資料は必要ない。精霊殿文字なら自分の中から引っ張り出してこないといけないが、今の状況的に厳しい。というよりは無理だ。一先ずは目の前の資料を読み進めていくことにした。


 この本に書かれていた内容は千年ほど前に書かれたジャルダン領の歴史だった。天候の崩れから不作の年があったとか、新たな作物を作り始めて成功したとかその年その年のハイライトが記されている。粗方の内容で気になるところはなさそうなので読み飛ばしながら進めていく。しかし所々に知らぬ単語が出てくるのは気になった。文脈から作物の名前だと思うのだが、わたしは聞いたことがなかった。後でヴィルヘルムに尋ねるためにメモをしておく。


 他に王都から送られてきたのだろう文書や先程同様の少し時代の前後した歴史書があったが、全て旧プロヴァンス文字で書かれたものだった。精霊について探るならば、その秘匿さ故に精霊殿文字で書かれているはずなのだが、なかなかそれで書かれた資料は見つからない。またわたしが知らぬ未解読文字の影すらない。少しずつではあるが量は減っているのでこのまま読んでいくしかないので、目を通しては次を繰り返した。


 結局今日はわたしが知りたい内容は見つからないままアルベルトに肩を叩かれ、既に暮れの鐘が鳴ったことを知った。目ぼしい内容もなかったが約束なので今日読んだ内容を紙にまとめ、ヴィルヘルムに提出しておいた。後で聞きたいことがあるので夜に連絡します、と付け足して。


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