第十五話 面倒ごと
「これは……」
中身を読んで内容が思っていた以上で驚き、言葉が続かない。わたしは手紙から目線をヴィルヘルムへと向けた。ヴィルヘルムはわたしの気持ちを代弁するかのように眉を顰めていた。
「其方を王都へと呼ぶ手紙が王族からきている。特例で下位から上位へと養子にするためとはいえ、十五の壁を打ち破る方法は大きな成果のため面会を求められた。研究者の一面を持つ王族からしたら興味深い内容なのも事実だろう」
「……ここには、何度か催促したような記述がありますよ?」
わたしはそう言って整ったプロヴァンス文字の羅列の中のある一文を指し示す。そこには、何度か手紙を出したという記述があり、その後に「この冬で十になったため」と書かれている。
もしかしてヴィルヘルムはわたしがまだ十歳になっていないことを盾に断りの文句を入れていたのではないだろうか。ただでさえ貴族での立ち振る舞いが怪しい状態なのに、そのような状態で王族の前に出されていたら失態してしまってもおかしくはない。それによってわたしだけ罰せられたら良い方で、庇護者であるアルベルトや領主のヴィルヘルムに飛び火してしまう可能性だってあるので、この断りを入れてもらえていたのは有難い。王族の申し出に対して断りを入れるのはどうかとも思うのだが、何とかなっているのならば良い。
「十に満たない子どもを領地の外に連れ出すのはいささか不安がある、という体で、断りを入れていた。しかしもう十になってしまったので、言い訳もできぬし、振る舞いも多少は覚えただろう。仕方がないので春の会議に合わせて連れていくことにする」
「連れて行くって……、わたしまだ成人していませんよ?」
「成人しておらぬ其方を呼び出す王族も非常識だ。……今回は会議もあるため保護者であるアルベルトも連れて行くので何とかなる」
ヴィルヘルムが不機嫌そうに片手を振りながら言った。王族を非常識呼ばわりするヴィルヘルムも非常識だと思うが、心の中で思うだけで口には出さないでおく。言ったら絶対に睨まれるに決まっている。
「近日中に城に呼ぶので目ぼしい文献を読み解き、春には其方を王都へ連れて行く。会議中は王都の屋敷で待機になるが、その間も文献の解読に励んでもらえたらと思う。会議後はそのままアダン領へと向かう」
「わかりました。とても長い旅になりますね」
わたしの言葉にヴィルヘルムはニッと口の端を吊り上げた。わたしにとって初めての領地外だ。孤児院を出てからもそこまで外出はなかったので、不安が大半だが楽しみでもある。
「アダン領主に手紙を送って、会議後の訪問は可能か聞いておく。城に呼ぶ頃合には返事が来ているだろう」
その辺りのやりとりはヴィルヘルムに任せるのが一番なので、わたしは頷いた。
そしてその後、ヴィルヘルムはアルベルトを呼び、無事にわたしは城をあとにすることになった。アルベルトはわたしの王都同行に難色を示したが、王族の手紙を差し出すと盛大なため息をついていた。王族は研究者の一面が強いためわたしから魔力のことをいろいろと聞きたいのだろう、と困ったように言っていたので承諾せざる得ない状況のようだ。
そうしてプレオベールの屋敷へと戻り、城へ再び呼ばれることが決まったのは十日程が経った後だった。
それまでは王族に会うことになるので作法の勉強をみっちり詰め込まれたり、この領地の貴族の顔と名前を一致させたりと忙しかった。もちろん森の精霊の記述の部分の解読も進めていたが、特に目ぼしい情報もない状態だ。基本的にシヴァルディが言っていた上中下の精霊のことが書かれていたので、シヴァルディが知る内容なのだと思う。この部分は全ての解読が終わったらヴィルヘルムに報告しよう。
そして登城する当日。アルベルトが顔色を真っ青にしながらわたしを迎えに来た。昼過ぎからの面会だったので、アルベルトは仕事のために先に登城していたのだが、何かあったのだろうか。成人していないわたしは保護者なしに登城は不可能なため、クローディアと一緒に屋敷で待っていたのだが、アルベルトの顔色にわたしたちは首を傾げた。
「どうかなさったのですか?」
クローディアがアルベルトに尋ねると、アルベルトは大きなため息をついて手を額に当てた。朝出かけた時はそのような様子ではなかったのに、相当やつれている。
「リオレッタ様をヴィルヘルム様の婚約者に、と第一夫人が声を上げたのだ……」
「そう来ましたか……。もう二十二になるのにも関わらず婚約者を作ろうとしないところは気になっていたのです」
アルベルトの話を理解したクローディアは眉を下げた。アルベルトのように盛大なため息をつかないところはさすが淑女教育を受けていると言ったところか。
リオレッタはわたしと同い年で十歳になったばかりだ。十歳から婚約者を見繕い始めると言っていたので婚約者のいないヴィルヘルムにと言うのは間違いではないが、二人は別の派閥でしかも敵対関係である。アルベルトのやつれ具合は理解できた。
「それならばオフィーリアを迎えに来ている場合ではないのではないですか?」
クローディアの言葉にわたしは頷いた。そんなに慌てるような内容ならばわたしを登城させても相手する暇などないはずだ。しかしアルベルトは首を横に振った。
「まだ領主に就任して間もないという理由で断りを入れる、と言っていたので問題ないと……」
「ですがそれも一時しのぎでは?」
クローディアの言葉に同意するようにアルベルトは頷いた。ヴィルヘルムが領主になったのは今年の春あたりだそうだ。そう考えるとまだ一年も経っていないので、まだ言い訳にはできる。しかしそれも時間の問題だ。先延ばしにしつつ対策を練るのだろうか。
「とりあえずオフィーリアを登城させるように言われたので迎えに来たのだ。オフィーリア、急いでくれ」
「わかりました」
わたしはメルヴィルとフェデリカを引き連れて屋敷を出て、車に乗り込む。アルベルトも顔色は悪いままだが、何とか乗り込み、出発する。ここから城へは近いのですぐに到着するだろう。
「……領主様は後々リオレッタ様と婚約を結ばれるのでしょうか」
車が走り出して少し経った辺りで、フェデリカが不安そうな顔をして尋ねてきた。領主の婚姻は領地を揺るがすほど大きな出来事だ。心配する気持ちはわかる。
「リオレッタ様と婚約されることの利点としてアリーシア様の派閥と敵対する必要がなくなりますね。特に領主様がリオレッタ様を押さえられたらジャルダンの地は安定するでしょう。ですが……」
「アリーシア様が背後にいるのだからリオレッタ様を押さえるなど難しい。またヴィルヘルム様の身に危険が迫りやすく、お守りするのも容易くはなくなる」
第一夫人が狙っているのはジャルダン領主の座だと考えると、ヴィルヘルムは邪魔だ。ヴィルヘルムを殺してしまえば、領主一族は第一夫人とリオレッタしか残らないのでリオレッタを領主に据えたら目的は完遂できる。ヴィルヘルムを殺すならばその間に幾らかやっているはずだが、ヴィルヘルムが生きているのを見るにそこはおそらく上手くいっていないということだ。
今回の婚約騒動はヴィルヘルムの命を狙う一環だと推測しているアルベルトは自分の膝に肘をついて項垂れた。
「お父様。今まで領主様は婚約を結ぼうとはなさらなかったのですか?」
十歳から婚約者を探すのが通例ならば、いずれは領主になるヴィルヘルムが探さないはずがない。十年ほど婚約者の席が空席だったとは思えない。
「今の領地の状況で他領からは難しいということで、自領から探して数名の候補がいたのだが……」
その後の言葉を言いにくそうにしながらわたしをちらりと見て黙った。
……手を回された、ということね。
領主の妻となるとある程度の身分は必要になってくる。この領地ならば上位、領地外ならば領主の血縁か上位と意外と幅は広いようで狭い。領地外はギルメット領が手を回せば三大領地以外は口をつぐみ、領内は第一夫人が担当すれば何とかなるはずだ。あとは自分の娘が十歳になるのを待つだけになる。
……難しい問題、ね。領主ともなると。
断ると言っていたが、一抹の不安を胸に抱きつつ車は城へと向かい、何事もなく到着した。ヴィルヘルムは執務室で待っているようだ。アルベルトに連れられているので迷うことなく執務室の前まで来ることができた。
フェデリカが自ら扉の前まで進み出て懐からベルを取り出し、チリンチリンと来客を知らせる音を出した。




