第九話 十歳になった冬
冬になり、わたしは無事に十歳を迎えた。プレオベール家に来てから約半年が経過している。
第一夫人派の貴族がわたしの情報を嗅ぎ回っているということを聞いてから、情報を落とさないためにこの屋敷に引き篭もり、ひたすら勉学に励む生活だった。貴族の子どもは五歳ごろから読み書き計算の練習を始め、作法や地理、歴史、必要ならば武術と手を広げていくが、貴族令嬢としての教育を受けてこず、孤児院で育ってきたわたしはスタートが遅いため、朝から夕方までタイムスケジュールを組まれて取り組むこととなった。
序盤は早かった。読み書きはイディの加護で、計算は前世で得た知識でさっさとこなしたことで全くと言って良いほど問題はなかった。
「て、天才だ……!」
「さすが能力を見込まれてプレオベール家に養子に入られた方ですわ!」
まだ何も学んでいないはずの子どもが難なくマスターしてしまったことに驚愕した家庭教師らから絶賛されることとなってしまったわけだが、わたしは能力が高いわけでも、才能があるわけでもない。前世を思い出し、イディという精霊の友を持つしがない子どもである。
しかし、わたし側の事情など説明するわけにもいかず、その後の地理や歴史などの勉強でもそのレベルを求められて四苦八苦してしまった。
地理は王都も含めた十の領地名からその名産などが中心だったので日本の四十七都道府県と比べると比較的マシであったが、歴史の方が大変だった。約三千年分の歴代の王名や史実など丸暗記しないといけないのが辛かった。名前は王族らしくやたら長い名前だし、王族は研究者の気質があるのか新しい研究成果や制度を導入することが多く、一代一代の内容が意外と濃い。遣隋使、冠位十二階や十七条憲法などを導入した聖徳太子レベルの人物が多い。興味ないことを暗記するのはそこまで得意ではないので苦労したが、プレオベール家には恩もあるし、今後の解読作業で参考になり得るかもしれないので必死に睨めっこしながら頭に叩き込んで、何とか及第点を貰えたのである。
『ジャルダンは森林の面積が多いから、シヴァルディ様がここを司っているのね』
「そうね。地形で考えると、コルネイユ領は多くの湖と大河があるから多分水の精霊で、火山帯があるヴィアルドー領は火の精霊だと思う」
先程、地理の勉強の時間を終えた時にこの王国の地図を借りることができたので、わたしは休憩がてらイディとそれを眺めながら談義をする。王都があり、この国の名を持つプロヴァンス領を除くと、領地はちょうど九つで分類される精霊の数も九つで、ぴったりと数が合う。おそらく領地ごとにそれぞれの精霊が祀られているのだろう。
例えば、このジャルダン領はこの王国一の大森林の一部を切り開いている。多分その森林から派生し生まれたのが大精霊であるシヴァルディだ。そのように他の領地でもその領地特有の地形から派生し生まれたのではないかと考えている。ただ、日や月、時などの地形に関係ない精霊が存在するのは事実なので、この予測は正しいのかもわからない。
『地理がわかるだけで、これだけの推測が立てられるのだからやっぱり勉強って大事なのね』
しみじみと言ったイディの言葉にわたしはこくりと頷いた。
「この領地ごとに運営する制度も、五百十二年の王族が流行り病で亡くなったことで王族の人手不足からできた制度みたいだし、この二千五百年間でいろいろと変化はしているみたい」
そう、この領地がジャルダン領として成立したのは五百十二年から一年経った後だ。それまでは王族やその文官が各地を回っていたようだが、当時の国王が亡くなり、傍系から即位したことで効率性を重視した制度へと変化していった。それまでは領地という概念もなかったのだ。
「その時に精霊殿文字も国の運営効率化のためになくして、旧プロヴァンス文字に統一したのかもしれないね。精霊も去ってしまって存在意義がなくなったし」
わざわざ精霊殿に仕える者しか読めないようにされていた精霊殿文字も精霊が去ったことから精霊殿の存在意義が薄れ、他の文官たちも読めるように公文書などを旧プロヴァンス文字に統一していったと考えると、ジャルダンの子であるヴィルヘルムが認知していないのは納得できる。
五百十二年に人間と精霊の間で何が起こったのかは不透明だが、精霊が御伽噺とされたり、精霊力が魔力と呼ばれるようになったりと変化を遂げるには十分な年月が経っているように思う。
『国の変化が大きいこの時代に新しく制度が導入されたことで、廃れてしまったこともあった……と、リアは考えてるわけか。でも国の繁栄を左右する大事な儀式のことくらいは残っていてもおかしくないとは思うんだけどなあ……』
「結局はわたしの推測でしかないの。……こう、手記的なものが残っていたら良いんだけどな」
イディのぼやきにわたしは念押しをする。この考えは結局は様々な事実を繋ぎ合わせたものにしかすぎない。手記的なものが残っていれば確証を得られるが、そういうものを探すにはやはり王族レベルの地位にいないと厳しい。でも王族になるためには嫁がない限り無理だし、わたしはそんなつもりもない。
わたしがため息をついていると、澄んだベルが鳴った。ああ、もうこんな時間かと思いつつ、「入ってください」と声をかけると、扉が開き、デルハンナとわたし付きに雇われたフェデリカが入室してきた。
「オフィーリア様、そろそろお支度をいたしましょう」
「今日の午後はオフィーリア様のお披露目なのですから」
そう言って寝台がある部屋へと向かうように促されたので、奥の部屋へと向かう。
わたしはこの冬に十歳になった。
貴族の子どもにとって十歳は節目であり、他の貴族にお披露目をする時期でもあるそうだ。それまでは屋敷で貴族の作法や勉学を学び、一般教養を身につけ、十歳になれば正式に貴族の子どもと認められ、将来の職業に応じた専門的な知識や技術を学ぶことができるとアルベルトが言っていた。
そのため、わたしが城の文官になるためにもきちんと他の貴族たちに顔見せをしなければならないということだ。第一夫人のことも気がかりだが、それが一般的なのでボロを出さないようにやり切るしかない。
「今年で十歳になった子どもは十人弱です。オフィーリア様は初めて同世代の子に会うことになりますね」
デルハンナが微笑みながら、わたしのお披露目のために調えた衣装を手に取った。まだ着ていない服もあるのでわざわざ購入しなくても、と伝えたが、やんわりと断られ注文されたのだ。その時に「オフィーリア様のお披露目ですし、きちんとお金を使って世に流さないといけないのですよ」とデルハンナに耳打ちされ、自分の中の常識と大きくかけ離れていることにただただ驚かされた。
デルハンナとフェデリカはわたしに衣装を着付け、皺がないように整えていく。今日の衣装は、お披露目ということもあり純白のものだ。これから自分の好きな色に染まる、という意味で十歳のお披露目の際に使われる色なのだそう。膝下くらいの丈のフリルのついたふんわりスカートは可愛らしいが、わたしに似合っているかと言われると閉口してしまう。馬子に衣裳とはまさにこのことだ。
「あとは髪ですね。まだ成人していませんが、十歳になられたので一部分、纏めましょうか」
この世界では成人後の女性は全ての髪を結い上げるのが普通だ。これで男性は成人済みかそうでないかを判断するそうだ。
フェデリカはわたしを鏡台前の椅子に座らせると、銀髪の一部を手に取り三つ編みをしていく。フェデリカは城で働いていたそうだが、アルベルトが引き抜いてこの秋からわたし付きになった。彼女は二十歳そこそこの若い女性でそれまで城に勤めていたこともあってか、今の流行には敏感な様子だ。カチューシャに見立てるように慣れた手つきで三つ編みを仕上げ、紐で止めた。乱れもなく美しい。わたしには絶対できないので、わたしには側仕えの適性はない。
「さあできましたよ。それではアルベルト様とクローディア様と一緒に城へ参りましょうか。時間も迫っていますので」
デルハンナが促したのでわたしは立ち上がる。ギリギリまで予定を詰め込んだので、デルハンナの言い方は丁寧だが若干の焦りも含んでいた。お披露目の会に遅れるわけにはいかないので、少し早足気味で自室を出て行く。
初めての城か。久しぶりに領主様に会えるかな。
精霊道具でのやりとりはあったが、ヴィルヘルムは領主であるため忙しかったようであれ以来顔を突き合わせて話すことはなかった。半年かけて儀式の部分の解読が終わったのできちんと報告したいのだが、会の後は時間はあるだろうか。一応、シヴァルディを通じて報告書は送っておいたが返事はない。
……まあ難しいか。近々面会できるか、後でお父様に聞いてみよう。
わたしはとりあえず目の前のお披露目のことに集中することにした。




