第八話 ヴィルヘルムの訪問 後編
「わたし、まだ歴史を学んでいないのですが、……その、精霊が消えたと言われる時っていつなんですか?」
以前ヴィルヘルムと講堂で話していた時に精霊がぱたりと消えた、と言っていたことが気になり、わたしはヴィルヘルムに尋ねた。歴史を全て学んだ上で考察する方が良いのはもちろんだが、今の話に付いていくためには聞いておかなければいけない。精霊の力で国を興したのならば、精霊が消えたと言われる時も記されているはずだ。
「プロヴァンス歴〇年にこの国が興り、今はプロヴァンス歴三〇二一年だが、初期に精霊が去ったと言われている。五一二年に王都で流行った病で半分の王族が亡くなり、その不幸を嘆いて精霊が去ったとある。それが本当かどうかは疑わしいがな」
「プロヴァンス王国ができてからすぐに感じますが、初代王はとっくに亡くなっていますよね」
精霊が去ってから約二千五百年は経ってしまっている。そうなると徐々に廃れてしまったと考えられるが、儀式のような大切なものもなくなるのはおかしい。文字についてもだ。精霊殿文字は精霊殿に仕えていたヴィルヘルムの先祖が読んでいたと言われた文字なのに、現に子孫のヴィルヘルムが読めないのもそこが影響しているのだろうか。
『もうそれだけの時が経っていたのですね。私はヴィルヘルムのおかげで目覚められましたが、他の精霊たちはまだ目覚めの時を迎えていないようです』
シヴァルディの眉を下がる。他の精霊と言われると、森以外の八つの日、月、水、火、風、地、時、武の精霊を思い浮かぶ。シヴァルディと同様に精霊殿の中にある石碑に眠っているのだろう。目覚めていないということはその地の領主が精霊力を一定量を注げていないということになる。
「五百十二年より前に何か大きな出来事などはなかったのですか?」
「いや、特にはない。覚えている限り国王は何度か代わっているが、反乱などなく、平和な世の中だったと言われている」
『私も知る限りでは眠りにつくまで特にありませんでしたわ』
二人の言葉にやはり五百十二年に王族と精霊の間で何かが起こったと考えるのが妥当だ。しかし歴史では王族の病死しか書かれていないようなので、何が起こったまではわからない。王族が知っている可能性が高そうだが、直接聞くことも難しいので別の方法で探るしかない。
「とにかく、地に精霊力を注ぐ行為がかなり重要なものだということがこの報告書からわかった。実際に実りに影響し、王国の衰退を招くならば、早急に解明しなければならない内容だ。城の文献も見ていく方が良いかもしれない」
「それはぜひともですね!」
ヴィルヘルムの言葉にわたしは早口に切り返す。城に文献が残っているのならば、ぽろりと他の未解読文字の文献が混ざっているかもしれない。その可能性がある限り、ぜひとも携わりたいところだ。
わたしの反応にヴィルヘルムは一瞬目を見開き驚いた様子を見せたが、すぐにクックックッと笑いを噛み殺し始めた。そんなおかしなことを言っただろうかと首を傾げるが、笑うのを全く止める様子はない。
「其方は自分の感情を出し過ぎだ。これから学び、隠すことも覚えなければならぬな」
『そうですよ。貴族と関わるのならば尚更ですわ』
二人に言われ、わたしは口元を両手で覆った。イディはやれやれといった表情でわたしを見下ろしている。
そこまで感情丸出しだなんて思わなかった。少し、いやかなり恥ずかしい!
「あ、あ、あ、あの! そういえば、領主様に渡すものがあったんです!」
わたしは恥ずかしさから話題を切り替え、挙動不審気味に目をキョロキョロさせながらイディを見た。わたしの言葉から意図に気付いた苦笑しながらイディは指をぱちんと鳴らすと、昨夜作った解読書が姿を現した。それをイディから受け取るとヴィルヘルムの目の前に差し出した。
「それは何だ? あと、声を静めなさい。外に漏れる」
ヴィルヘルムの言葉にわたしはまた手を口に当てた。危ない危ない。恥ずかしさのあまり、大声で旧プロヴァンス文字のことを話すところだった。わたしは一つ咳ばらいをすると、小声でブックカバーを外し表題を見せた。
「これは、旧プロヴァンス文字についてまとめた本です。保存が効くように精霊道具にしました」
わたしがそう言うとヴィルヘルムは解読書を手に取り、ぺらぺらとページを捲って読み始める。さすがは机仕事が多い領主といったところか、物凄い速度で読んでいる。流し読みだろうが、わたしにはとてもそのような芸当はできない。
元々解読書ということもあり、文章量もそこまで多くないのですぐに終わりまで辿り着き、ぱたんと本を閉じる。
「これは興味深いな。……私に差し出すということは預かってほしいということか?」
口の端を吊り上げてヴィルヘルムは楽しげな声で言った。考えていた通りのことを言い当てられて、また思考を読まれたかと思い焦ったが、どうしようもないので静かに頷いた。そんなわたしの様子を面白そうに眺めながらヴィルヘルムは解読書をシヴァルディに渡した。
「私の執務室ならば人の出入りもそこまで多くなく、資料の一部として紛れ込ませられる。其方の部屋は信頼しているとはいえプレオベールの人間が出入りするからな。良い判断だ」
ヴィルヘルムは扉の外に気を配りながら小声で言った。そしてすぐに視線を扉からシヴァルディに移し、頷いた。するとシヴァルディも先程のイディのように指をぱちんと鳴らすと、シヴァルディの手の中に手で持てるくらいの小さな箱が二つ現れた。シヴァルディはその一つをわたしに差し出した。
「私も其方にこれを渡そう。そこを押しながら話すと、対になるこちらに繋がるようになるように作った。私に用事がある時はシヴァルディに呼びかけ、これに精霊力を流して使いなさい」
わたしはその通信機器を受け取り、実際にボタンのような出っ張りを押しながら「あー、テステス」と試してみる。ヴィルヘルムの言った通り、シヴァルディが持っている方から遅れて言ったことが再生された。
「何だ、それは」
「え……、あはは……。つい……」
訝しむ表情でわたしを見つめているヴィルヘルムの視線から逃れるようにわたしは目を逸らした。マイクテストは前世では定番だったけれど、通信機器すらないこの世界にそのような試し方はない。わたしが異様に映ったと思う。
「あ、ありがとうございます。領主様に聞きたいことがあれば、これを有難く使わせていただきます」
そう言ってわたしは通信機器に目を落とした。これはヴィルヘルムがシヴァルディと作った精霊道具だろう。わたしのメモ帳では一方通行のやりとりしかできないので、これがあれば会話が可能だ。この世界に電話などの通信機器は存在しないので、そう考えるとヴィルヘルムは相当なアイデアマンで頭が良いと思う。
わたしはその通信機器の中の精霊力をそのままの形をイメージして、自分の内側に取り込んだ。スッとそれは姿を消したが、きちんと自分の中にあることを確認した。他人の精霊道具も収納できるのは万能だ。
「用事は全て済んだが、他に聞いておくことはないか? ないのならば、其方も勉強があるようだし城に戻るが……」
そう言いながらも帰る気満々なのか、作法など気にせずカップに入っている冷めたお茶を一気飲みするとヴィルヘルムはがたりと席を立った。
「あ! し、城の文献は……?」
「またそれか。数が膨大過ぎてなかなか整理に時間がかかりそうなので、其方の出番はまだ後だ」
「そ、そんなあ……」
よく考えると建国から約三千年分だ。資料室はさぞかし大きなものなのだろう。けれど、目の前に見せつけられた文献をお預けにされてわたしの心は悲しみに満ち溢れている。わたしはがっくりと項垂れた。
「それまでは精々、貴族の作法と勉学に励みなさい。読み書きに関しては心配していないが、それ以外もあるからな。特に作法に関しては今日の態度を見る限り心配している」
「し、失礼ですよ……!」
わたしがむくれて反論しようとすると、ヴィルヘルムは笑いを押し殺した。一応作法の先生にも褒められたのだから、そこまで酷くはないと思う。失礼なことだ。
「……しばらくは第一夫人側の貴族がこちらを探ってくるだろう。情報はできる限り回すつもりなので、きちんとこちら側の世界も知ることだ。其方は平民孤児のリアではなく、上位貴族の娘のオフィーリアなのだから」
笑いを堪えていたヴィルヘルムが突然真剣な顔つきになったので、わたしはごくりと息を呑んだ。平民ではなく、貴族の世界に来たことを嫌でも思い知らされ、つつーっと冷や汗が伝った。知らなかった、では済まないことも出てくるのだ。わたしが契約して上位貴族の娘になったとは知らず、手を出し厳罰に処された前孤児院長のように。
「何かあれば連絡を入れる。其方も何かあれば言いなさい。私に面会するには日がある程度必要なので、会って話したいことがあれば早めにアルベルトに伝えなさい」
「わかりました」
わたしはこくりと頷いた。今は貴族のこと、この王国のことを詳しく知る時だ。
わたしの返答にヴィルヘルムは満足そうに笑うと、アルベルトを呼び、退出していった。それと入れ替わりにデルハンナが入室してきたのでわたしは冷めたお茶を一口飲んで息をついた。




