第七話 ヴィルヘルムの訪問 中編
「オフィーリアの情報を持つ者自体少ない。マルグリッドらの孤児院の者にはその情報について口を閉ざすように言っている。時間稼ぎのため暫くは静かにしておいてほしい。ここにいる限りは身は安全だろう」
ヴィルヘルムの発言にクローディアは「わかりました」と承諾した。わたしもこれ以上迷惑をかけるわけにいかないので、深刻に受け止めてこくりと頷いた。
第一夫人が動いているのならばわたしも動くのは危険だ。余計な情報を落とさないように静かにしているのが一番だろう。
「当分は教養を身につけるつもりだったので問題はありませんわ。ですが、もう十歳近いので成人後の職を考えるために登城も並行しようかと思っていたのですが、もう少し後にずらします」
「彼女の能力からアルベルトの養子にすると私が判断したのだから、登城はもう少し後でも良いだろう。その間はアルベルトとダーヴィドがみてほしい」
登城? 職? どういうこと?
わたしの知らない話が目の前で進んで行き、わたしは目を白黒させた。暫く静かに過ごすためにこの屋敷に引き篭ることは理解できたが、成人後の職のための登城とはどういうものなのだろうか。結局はそれも難しいという話なのだけれど。
するとわたしの表情を見たクローディアが苦笑して、疑問である登城の意味を説明してくれた。
十歳前後の貴族の子どもは将来、どの職に就くのか決めるために登城しながら様々な職を見学し、成人とともに決めた職に就くのだという。わたしはこの冬で十歳になるので、勉強をしながら登城も並行し、職を決める予定だったそうだ。平民ならば基本は畑を耕すか、工房や商会に伝手を頼って従事するか、富豪の家の下働きなどの職があるが、貴族では城でそういう斡旋が行われているのか。孤児院ではヴィルヘルムが用意した職の中から選んで就職するしか道がなかったので、いろいろと選べるのは良いことだと思う。ただ、最後に家の職を引き継ぐことがほとんどなので、下位貴族の方では特に形だけになりつつあるとぽつりと漏らしていた。
「ということは、領主様はわたしには文官が良いと判断されたということですか?」
先程の会話の流れだと、文官であるアルベルトとダ―ヴィドがわたしを教育する的なことを言っていたのでわたしはクローディアに尋ねた。他の職は武官と側仕えくらいしか知らないが、確かにわたしの能力からみると戦ったり、人の世話をしたりするのは不向きだ。文官、またはあれば研究者が適任だと思うので、ヴィルヘルムの考えは正しい。解読者の仕事はやはりないのかとがっかりではあるが。
わたしの質問に対してクローディアは肯定するように頷いた。
「貴女の養子縁組の他の候補としてエテックス家があったそうですが、そこは長らく続く武官の家です。ヴィルヘルム様は貴女の能力が文官仕事が合っているとお考えだったので、第一文官であるアルベルトの養子に、と勧めてくださったのです」
エテックス家? また知らない貴族の家が出てきた。しかしわたしの養子縁組先としての候補だったということもあるので自分の派閥から選んでいると思うので、いつか会うことがあるだろう。
「そういうことだ。暫くは大人しく勉強でもしておきなさい」
「プレオベール家に恥じないようにしっかり教育させていただきますね」
口の端をニッと吊り上げてヴィルヘルムが言うのに続いて、クローディアがにこやかにビシバシ教育しますよ宣言をする。わたしがやりたいのは文字解読に付随する歴史や地理の勉強であって、貴族令嬢の教育は適当で良いのだけれど、と思うのだが、拾ってもらった恩はきちんと返さないといけないので何とも言えず、にへらと笑った。本当ならばマルグリッドやクローディアのように優雅に笑みを浮かべるべきなのだが、わたしにはハードルが高い。
「……あと、オフィーリアに少し話と渡すものがあってな。しばらく部屋を借りても良いだろうか」
「わかりました。では私たちは部屋を出ます」
そう言ってアルベルトとクローディアは席を立ち、部屋を出ていく。デルハンナがそのタイミングで気を利かせて温かいお茶に入れ替えてくれ、そのまま部屋を後にする。部屋にはヴィルヘルムとわたししかいなくなったのをしっかりと確認してヴィルヘルムがこちらを見て口を開いた。
「あまり込み入った話をすると外に漏れる可能性があるので、言葉には気を付けながらそして小声で発言をしなさい」
精霊の名前などは出さないように、ということか、と判断してわたしはこくりと頷いた。そして、人がいなくなったのに合わせてシヴァルディが姿を現した。きっとヴィルヘルムが呼んだのだろう。わたしも心の中でイディを呼びかけると、イディも姿を見せた。
「其方の報告書のことを言える範囲で良いので、改めて報告してほしいのだ」
そう言ってシヴァルディが精霊道具であるメモ帳を取り出した。そのままヴィルヘルムに手渡すと、ヴィルヘルムは手を当てて自身の精霊力を注ぎ、中を開いた。中にはわたしが書いた報告文がつらつらと書かれている。
「この地に力込めん、という記述。実際に試したとも書かれているが、どういうことだ?」
そう言えばシヴァルディの記述の方はヴィルヘルムがお忍びで孤児院に来た時に読んだが、反対側の壁の方は何も触れていなかったことを思い出す。報告書では実行してこうなりましたという事実のみを書いていたので、訳がわからないに違いない。わたしはヴィルヘルムが指差す記述に目を落とした。
「そのままの通りで地面に精霊力を流してみたのです。すると流した力に応じて作物が育ったのです」
「地面に流しただと? 道具ではなくか?」
ヴィルヘルムが非常識だと言わんばかりにただただ驚嘆している。精霊道具に精霊力を流すのが当たり前だという認識なのでその反応になるのは仕方ないが、少し酷いのではないだろうか。
「領主様もシ……孤児院の石碑に精霊力を流しているではありませんか。それと変わらないと思いますけど」
「あれは精霊道具と変わらぬ。孤児院の建物の礎のようなものだ。定期的に力を注ぐことで建物の崩壊を防いでいるのだ。何もない地面に注ぐ其方とは違う」
ヴィルヘルムが面倒くさそうに眉を顰めた。わたしと同列扱いされて不機嫌になったのか、ヴィルヘルムは胸の前で腕を組む。解せない。
あの石碑、そんな役割があったの? 知らなかったんだけど。
だからあの中庭は領主一族くらいしか入ってはいけなかったのかと納得する。しかし、精霊力を定期的に注がないと壊れる建物に住んでいたと思うと、少し寒気がした。
「領主になり、多忙になったこともあり、当分孤児院の方には顔を出せないと思ったのでな。あの日はかなり多めに注いだのだ。そしたら……」
そう言ってヴィルヘルムはちらりとシヴァルディを見る。いつもはそこそこ注いでいた精霊力ではシヴァルディを呼び出すことはできなかったが、大量の精霊力を注いだことで呼び出しに成功してしまったということか。しかし今までの領主も同じようなことを考えて大量に注がなかったのだろうか。
「本来は領主一族で分担して精霊力を注ぐのだ。だから一人当たりの量は減る。私の場合は第一夫人の協力が得られず、実母もすでに死去している。他の者も幼いか、第一夫人側なので一人で注ぐしかなかったのだ」
わたしの思考をばっちりと読んでヴィルヘルムがとても嫌そうな顔でわたしの疑問に答える。何かエスパー的なものも持っているのではと思ってしまう。
けれど、ヴィルヘルムの取り巻く環境はなかなか複雑のようだ。孤児院の崩壊を防ぐために家族で協力しなければならない場面で、協力してもらえない環境なのは辛いに違いない。だから、ヴィルヘルムは頼るということに慣れていないのではと思ってしまう。
「……話が逸れた。それが古代では当たり前に行われていたのか?」
これ以上触れられたくないのかヴィルヘルムはすぐに話題を切り替える。地に力を込めるという行為が当たり前にされていたのかと言われると、微妙なところだ。なぜならまだ儀式の部分の解読が終わっていないからだ。
「今、読んでいるところまでで答えますと、そういった記述はありません。わたしの予想では、儀式でそれを担っていたと踏んでいます」
『そのような直接、注ぐといった行為を目にしたことはありませんわ。儀式でもそのようなことはなかったはずです』
シヴァルディがわたしの答えに補足を入れてくれた。シヴァルディは眠りにつく前までのことは知っているので、儀式のことを詳しく聞いたら何か見えるのではないか。わたしはシヴァルディに続きを話すように眼で促した。ヴィルヘルムも同様にシヴァルディに美しい青磁色の瞳を向けた。
『儀式は年に一度行われ、ジャルダンの子が進行をしていました。国王が持っている神聖な杯を掲げ、この国の繁栄を喜び、そして国王の報告を聞くのです』
「話を聞くだけが儀式か? それに何の意味があるのだ?」
ヴィルヘルムの問いかけにシヴァルディは首を傾げた。シヴァルディ自身も意味を理解していないということだ。
シヴァルディが言う神聖な杯が壁文字でいう力の器ということだろう。それが精霊力の器としたら、王族が持つものなので古代の儀式を復活させるのは難しい。そしてその杯を掲げるだけに何の意味があるのだろう。権威の象徴を確認だろうか。ますますよくわからなくなってきた。
『リアの考察の精霊殿が中心となって精霊力を地に注いでいるというものは思い当たりません。ジャルダンの子は精霊殿に仕え、精霊道具や精霊石を作るのを主としていましたから』
「ではそうなると、王族が怪しいな。儀式のことも含めて王族が何か隠している可能性が高い」
ヴィルヘルムは顎を撫でた。王族のことはよくわからないが、確かにそこが不透明だ。王族が何か知っている可能性があり、精霊との間に何かあったというわたしの推測が現実味を帯びてきた。




