第三話 久しぶりの解読の時間
初めての顔合わせ、着せ替え人形、家族揃っての会食と終え、やっと一息つけるかと思ったが、昼食後はわたしの服や下着などの身の回りのものを調えるために、商会を呼んでいたようで買い物に午後の時間全てを費やしてしまった。必要最低限で良かったが、楽しそうな二人を見ていると何も言えなかった。アルベルトも同様に思っていたのか事の成り行きを静かに見守っていた。ちなみに兄二人は仕事の休み自体午前しか取っていなかったらしく、昼食を終えた後仕事に戻っていった。二人とも一般の武官と文官なので、アルベルトのように専属ではないと言っていた。そのため城勤めで働いているのだそうだ。
結局、プレオベールの家に来てやっと一人で落ち着けたのはその日の夜の鐘が鳴った後だった。
「ああああ……、疲れた……」
『お疲れ様、リア』
夕食を終え、自室へと戻ってもデルハンナが付いてくるので、なかなか一人になれなかった。断ろうにも断れないので、そのまま観察していると湯浴みと夜着の着用を手伝ってもらうと「お休みなさいませ」とにこやかに言って退出していった。今はデルハンナが世話を焼いてくれるが、本来、彼女はプレオベール夫妻付きなので後日、中位貴族から一人、わたし付きで雇うようなことを言っていた。正直いらないが、貴族である限り必要であるそうなので仕方がないと呑み込むしかない。兄二人も一応付けられているようだし。
デルハンナという監視の目もないので、わたしは行儀悪く寝台の上にごろんと寝転がる。孤児院の布団とは全く違い、ふわふわでふかふかだ。天井も見慣れた古びているものでなく、綺麗に掃除されているので違う場所へ来てしまったのだな、としみじみと感じてしまった。
「アモリたち、大丈夫かな……」
『大丈夫だよ。マルグリッドが孤児院長になったし、少しずつだとは思うけど生活改善していくと思うよ』
「そうなんだけど……、そういうことを言いたいんじゃなくて……」
マルグリッドが孤児院長になったのは喜ばしいことだ。イディの言う通り、マルグリッドは子どもたちのために心を砕き、そのための出費は惜しまないだろう。前孤児院長と違って犯罪に手を染めるような人ではない。きっとアモリたちのためになる策を考え、実行していくに違いない。
孤児院のことを思い出すと、今朝皆と別れたばかりなのにもう会いたくなっている。しかしわたしはもう平民のリアでなく、貴族のオフィーリアだ。貴族の娘と平民孤児では身分が違いすぎるし、マルグリッド付きのアリアのように貴族がついて回るようになる。そうなるとマルグリッドは良くても、アモリたちを萎縮させてしまうだろうし、以前のような同等の立場で話すことなど無理な話だ。だからヴィルヘルムは別れの時間をきっちり取って、わたしの気持ちの整理をつけるようにしたのだろう。意図がわかっているからこそ、辛いものがある。
「……でも、これを選んだのは自分なんだよね……」
『リア……』
孤児院長の手から逃れるためとはいえ、上位貴族の娘になる契約をして孤児院を出ると決めたのはわたし自身だ。その提案をしてくれたヴィルヘルムにも感謝している。そのおかげで孤児院長に良いようにされずに済んだのだ。
これからアモリたちが上手くやっているか、マルグリッドに手紙を出して聞いてみても良いかもしれない。その時くらいはあの日々の思い出に浸っても咎めるものはいないだろう。
「……うん。わたしはわたしで頑張る」
『でも無理はしないでね』
イディの言葉にわたしは横を向いて微笑んだ。長い銀髪が顔にかかり、はらりと落ちる。小さな炎の明かりしかないこの部屋は薄暗く、イディの表情も暗い影に隠れてはっきりは見えないが、イディも微笑んでいるような気がした。
「さて、と。まだ夜はこれからだし、儀式の解読しようかな」
『え、寝ないの?』
イディの驚いた声にわたしは歯を見せて「まさか」と笑った。
ここに来るまでの二日間、全くと言って良いほど解読が進んでないのだ。それも講堂の壁文字をひたすら写していたためだ。カメラのような精霊道具を作ってしまえば楽だったのかもしれないが、今後の孤児院のために土に精霊力を流してしまっていたので残量が心許なかったのだ。使いすぎて倒れて寝込むわけにもいかないので、手作業で写すしか方法はなかった。だから前孤児院長のごたごたから文字解読ができていないので、そろそろわたしの文字に対する欲望も限界なのだ。
『光ってたらバレない?』
「この部屋でやるから廊下に明かりも音も漏れないでしょ。でも明日から作法とかの勉強も始まるみたいだし、寝る時間も確保するために前と同じで鐘二つ分って時間を決めてするから」
『……リアが良いなら、ワタシは止めないわ』
イディは何か諦めたような声で引き下がった。イディが止めてもわたしの気持ちはもう止まらないのであまり関係はないのだけれど。今すぐにやりたくてやりたくて仕方がない。もう文字解読は一種の中毒性を含んだ何かだ。
わたしは寝台から勢いよく体を起こすと、そのまま立ち上がった。
「精霊殿文字ちゃーん。もう少しで全貌が明らかになるからね〜。待っててね〜」
傍から聞くと絶対に気味の悪がられる猫撫で声を出しながら自分の両手を前方へ押し出すように広げる。そして目を閉じ、中に仕舞い込んだ壁文字の写しと書き殴った資料を引っ張り出して、精霊力を手から空間に放つ感覚を想像した。その時にこの二つが混ざってしまわないように少し離して広げることも忘れない。
『これじゃあ、どれが壁文字でどれがリアの作ったメモかわからないね』
無事に引き出された金色に光る文字を見てイディが眉を下げる。確かに全てが黄金色に光るため、どれがどれかが判別が難しい。わたしは光る文字を撫でた。
急いでいたからあとの作業のこと、考えてなかったな……。わかってたらペンで色を変えたんだけど。
愛用のペンは精霊道具ではないのでインクの色を変えることができるが、もう書いてしまった後だ。後からでも色味の変更は効くだろうか。
わたしは文字をすり抜けた手を再び金色に光る部分に戻し、精霊力の粉をかけるように一振りした。
『あ、リアの色に……、銀色に変わった……』
イディが感嘆の声を上げる。わたしの目の前に広がっていたほんのりと淡く輝く金色が、徐々に晴れた日に積もった雪が輝いているように美しい白銀色に変わっていく。壁文字を書き写した方を銀色に変えたのでこれで区別がつきやすくて良いだろう。とりあえず無事に変えることができて良かったとホッと安堵する。
「じゃあ、儀式の部分をやっていきますか。……あ、ちょっと暗いしランタン出しとこう」
久々の解読に心が躍り狂う。きっと口元は緩み切り、瞳は目の前の白銀色の文字のようにキラキラと輝いているだろう。壁文字という古代の人々が残した結晶が目の前にないのは残念で仕方がないが、精霊殿文字を恍惚の表情で眺め、崇拝する。ああ、何と美しいのだろうか。早く全てを解き明かしたい。
早る気持ちを抑えながら、右手から精霊力を放出して黒のランタンを取り出す。そして鐘二つ分のエネルギーを流し込むと、近くの鏡台の上に優しく置いた。
「明かりも資料も準備オッケーだね。イディはどうする?」
いつもならわたしの作業の様子を眺めているが、最近は文字についてまとめる作業をしているので念のために聞いてみた。するとイディは右手の人差し指で丸を描くように振ると、印字されたような均一なプロヴァンス文字が現れた。
『旧プロヴァンス文字のまとめを推敲しようかな。結局、リアのお手伝いしてたからできてなかったの』
「わかった。精霊力、使う? 使ってもいいよ」
『ううん。推敲に時間かかると思うから、もし使うなら本にする時だからその時は声かけるね』
わたしが頷くとイディはそのまま文字に指を置いて推敲作業をし始める。イディのまとめたものが完成したら、わたし以外の誰かが旧プロヴァンス文字を読みたいと言ってもそれさえあれば変換しながら読むことができるだろう。
それじゃあわたしも作業をさせてもらいますか!
いつも通り精霊力を引き出してペンを取り出すと、儀式について書かれていると思われる部分に目を向けた。
旧プロヴァンス文字をひらがなだとすると、精霊殿文字はローマ字のようなものだ。そのため子音と母音をそれぞれ組み合わせて言葉を作っていくのでどうしても文字数が多くなる。文字の種類はそこまで多くないが組み合わせでどのように発音するのかがわからないものもあるので、試行錯誤しながら進めるしかない。日本語で言うと、「ず」や「づ」のように現代では同じ発音でも古代では使い分けていたものもあるようだし。ややこしいが一つひとつ確認していくしかない。一つの文字が音を表す表音文字なのがまだ救いだ。
「ぬぇ……じゃなくて、ね、か。年、にいちと……年に一度、かな? シヴァルディ、確かそう言ってたし」
わたしはある程度の予測を含めた結果を急いでメモしていく。精霊殿文字での文章は濁点、半濁点を省略して書かれているのでどこでつくのかわかりにくい。シヴァルディが以前言っていたことを照らし合わせながらやることで、まだ解読しやすい。やはり少しでも情報を持った状態で作業するのは結果が大きく変わってくる。
この世界のこと、もっと知りたいな……。そしたらいろいろ助けになるのかも。
明日から始まるこの王国に関する勉強のことに思いを馳せながらわたしは解読を進めていった。




