第六話 オフィーリア、抜け出す
夜一度目の鐘が鳴った。この鐘が鳴ると子どもたちは就寝の準備をする。窓の外を見ると暗闇に包まれ、奥は暗くて何も見えない。見上げると小さな星々が爛々と輝いている。日本では夜も明るかったのでこんなに美しく星が輝く様を見たことがなかったので時を忘れて見つめてしまう。
「リア、夜の魔力供給ですよ。手を出してください」
星から目を離し、薄らとした灯りの中声をかけてきたマルグリッドの方を見た。彼女はわたしの方に手を伸ばし自分の手に乗せなさいと言わんばかりに手のひらを上に向けている。わたしは黙って片手を差し出しマルグリッドの両手の上に重ねた。
「次はアモリですからね。準備しておいてください。ではいきますよ。」
隣から「はぁい」と間延びしたアモリの声が聞こえるがいつもの風景なので気にせず目を閉じた。
すると、差し出した手にじわじわと温かいものが流れ込んでくるのがわかる。初め魔力供給をされた時は訳がわからなかったが、イディに精霊力のことを聞いてこの温かい波のような感覚がそれだということがわかった。だから講堂でペンやスクショをした時の流れ出す何かは精霊力だったのだと納得し、供給を何回か通して力の流れを感じることができるようになった。
子どもはある程度大きくなるまでは精霊力を貰っておかなければならない。だから朝と夜にこうしてマルグリッドから供給と称して精霊力を貰っている。
「リア、どうですか?」
「少し、クラクラします」
「最近供給量が増えましたね。成長期でしょうか?」
朝から晩まで働くとお腹はもちろん空くのだが、空腹とはまた違った怠さもついてくる。マルグリッド曰く、「成長用の魔力不足」だそうだが実際はどうかわからない。わたしがオフィーリアになってから貰う量が増えたと言うがクラクラする感じはなかなか消えない。マルグリッドが疲れるくらい貰うとマシになるので遠慮なく頂いている。
「これくらいで大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます」
正直怠さは完全に抜けていないがこれ以上するとマルグリッドが倒れると思うのでやめておいた。マルグリッドは疲れた顔で「どういたしまして」と微笑んで言うとわたしの手をゆっくりと離した。そしてすぐにアモリを呼び寄せる。
「もう大丈夫です、ありがとうございます!」
呼ばれたアモリは手を差し出し、マルグリッドがアモリの手に少し触れただけで魔力供給は終わってしまった。こんなにも違いがあるのかと毎回驚いてしまう。
「アモリはリアの半分以下の魔力で事足りるのに……」
マルグリッドはアモリの手を離し、自分の手を目の前に広げて不思議そうに見つめた。
そんなこと言われてもわたしにはわからないので、黙って考え込むマルグリッドをわたしは見つめた。
『先生、考え込んでるわね』
二人には見えないことをいいことにイディはマルグリッドに近づいて言った。ここでイディに返事をすると誰と話しているのかわからない状態になるのでわたしは黙っておく。
『春乃の人格が覚醒したのだから器が変わったのだもの。それで精霊力保有量が増えたんじゃないかしら』
聞いてないんだけど、とバッとイディの方に視線を向けると精霊は『多分ね』と付け足した。精霊が言うのだからおそらくその仮定は合っているのだと思う。だってこの身体になってからこの現象が起きているし、器が変わるという言葉がなんだかしっくりくるからだ。イディは楽しそうに笑いながらわたしの肩の上に止まると足を揺すりながら鼻歌を歌い出した。
なんとまあ自由な精霊ですこと。
わからないようにため息を一つつくと、マルグリッドが両手をパンッと合わせて空気を切り替えた。
「さて、もう休みましょう。ロジェ、レミ、ギィ、お邪魔したわね」
考えることをやめ、マルグリッドはアモリに掛け布団を差し出した。そして立ち上がると、持ち手がついた燭台を持って扉の外へ向かった。
「先生、おやすみなさい」という子どもたちの声が疎らに聞こえるとマルグリッドはふんわりとした笑顔で「おやすみなさい」と言った。それから扉の外からもう一度私たちを照らし布団に入っているか確認すると、「良い夢を」と一言呟いて扉をパタンと閉めた。
灯りが無くなりあっという間に暗闇が広がる。このままみんなが寝静まるまで待たなければ動けないので目は開けたままわたしはごろんと横になる。『うわぁ』というイディの声がした気がするが気にせず薄い布団を被った。もちろんここで眠ってしまわないように四つあるテオの実の一つをこっそり食べているので眠気はまだマシだ。
この後は念願の対面だ。ふふふ、楽しみすぎる!
漏れそうになる笑い声を堪えつつ、講堂に行ってまず初めにどのような動きをするのかシミュレーションする。頭の中のスクショした資料を思い描いて考えていると沸々と胸が高鳴ってきて楽しくなってきた。早くみんなが寝静まらないかそわそわ浮き足立ちながら待つ。
三十分くらい経っただろうか。
規則正しい静かな寝息が聞こえ始めてしばらく。わたしは被っていた布団からそっと顔を出し辺りを見渡した。布が擦れる音を長めに立てても誰も起き上がったり声をあげたりしない。
『大丈夫よ、みんな寝てるわ』
イディの太鼓判にわたしは安心して布団から抜け出した。寝ているみんなを起こさないように素早くかつ音を立てないよう慎重に歩いていく。そして廊下へ繋がる扉まで進みゆっくりと扉を開けた。
『立て付け悪いわね』
この建物自体古いためか嫌な音を立てるので振り返って誰も起きていないか確かめる。静かな空間に静かな息遣いだけ響くので誰も起きていないと安堵して作業を続けた。わたし一人が通れるくらいの幅まで開くとすぐさま潜り抜け、時間をかけてゆっくりと扉を閉めた。
扉に耳を当てて確認するが、何の反応もないのでホッと息を吐いた。
『いけたわね』
「ありがとう、イディ」
小声でお礼を言うとイディは嬉しそうな声で「いいのよっ」という言葉とともにわたしの肩に飛び乗った。
『灯りなしでいける?』
「うん、少し光があるから夜目がきいてくると思う」
今日は星月夜なのでほんのり明るい。これならば灯りなしで講堂に辿り着くことができるだろう。わたしは壁に手をついて物音を立てないようにして歩き出した。
わたしの部屋から講堂までは少し歩く。わたしの前世が卯木春乃と気付いたきっかけとなった階段を降りて真っ直ぐに行かないと辿り着かない。マルグリッドを含む先生たちが出歩いている可能性もあるので慎重に行かなければならない。見つかったらもう講堂に行くことは叶わないだろう。
『こんなスリルあることわざわざしてまで講堂に行きたいの?』
「春乃の時はヒエログリフ解読途中で死んだのよ? 今回はきちんとやり切りたいに決まってるじゃない」
薄らと暗がりの中見えるイディの呆れ顔には納得できず言い返す。
そこに未知の文字があるならばたとえ火の中水の中。研究者の端くれなので時間がかかっても解読したいと思うのが普通ではないだろうか。
そう考えながら大きな階段を降り真っ直ぐに進んでいき、講堂に繋がる扉の前に立った。
辺りを見渡し人の気配がないことを確認すると扉の取っ手に自分の体重をかけて押した。ギギギギ、と嫌な音を響かせながら扉は開いていく。わたしは内心見つからないかとびくびくしてしまう。しかし、人が近づく足音も見回りが持つランプの明かりもなく何とか講堂の中に滑り込むことができた。そして扉をゆっくりと閉めた。
「ふう……、何とかここまで来れた……」
『お疲れ様。でも真っ暗だけどどうするの? 明かりなんて手に入りにくいもの持ってないでしょ?』
「うーん……。そこまで考えてなかった……」
『それ、ダメじゃない!』
講堂の中は四方壁に囲まれ、公文書らしきものが書かれているため窓はない。ステンドグラスはあるがあれは光が入って輝くものなので、今は暗闇状態だ。肩に乗っているはずのイディの姿も見えにくく声で存在がわかるくらいだ。
しまった、文字を見るためには明かりがいるよね。電気に慣れてたからそこまで気が回らなかった。
どうしたものかと考えるが時間は有限だ。一刻も早く解決して、目の前にあるだろう文字と邂逅しなければわたしの研究心の疼きは治らない。
「精霊力の金の文字が明かり代わりにならない?」
『多少は見えるけど今持ってるものよりたくさん書かないと見えないわよ』
「どうしよう……」
あの金色に輝く文字では難しいようだ。よくよく考えるとほんのりと輝く程度だったのでイディが言っていることにも納得できた。
解決策が見えず焦りが出てきたわたしにイディはひょいと肩から下りて目の前に現れた。
『それならだいぶ精霊力を使うけど、精霊道具作る?』
「作れるの!?」
わたしはイディを両手で掴み顔に近づけた。イディはこくこくと頷いた。
『ワタシ、ちゃんとした精霊よ? それくらいなら作るのなんてちょちょいのちょいよ。ただ本当に精霊力を使うからこの後の解読作業はあんまりできないけどいい?』
「ランプを借りるのも難しいし、解読は時間がかかる作業だから、いい! むしろ作らないと進まないし、ちょっと作ってみたい!」
夜のために先生たちからランプを借りるためにどう理由を話したらいいかわからないので自分のものとして作っておく方が楽だ。
精霊力を消費してしてしまうのは今日の作業に差し支えてしまい勿体ないが、背に腹はかえられないし、どうせ今後も使うものになるので良いだろう。
『じゃあ……、離してくれます? 痛いワ……』
興奮したわたしとは正反対の冷静な声でイディは言った。
わたしは謝罪しつつ手を離しイディを解放した。
ちょっとワクワクするな! 魔法の世界って物語の中だけだと思ってた!
これから起こることにわたしは期待に胸を弾ませるのだった。
ブクマ、評価、応援、本当にありがとうございます。
執筆スピードが少し早くなった気がします。笑
抜け出したオフィーリア。
次回、自分の精霊道具をつくります。やったね。