別話 講堂に光る金の文字 イディ視点
リアが孤児院を出ることになった。ワタシはリアの前世である春乃の魂から派生した存在なので、リアから離れる気はない。もちろん付いていくつもりだ。
孤児院を出るまでの猶予はそれほど長くなく、二日もない。けれど出ていくまでに、ジャルダン領主様から言われたのは二つだ。
一つは、孤児院のみんなとお別れを済ませること。リアは隠れ平民ではなく、正式に貴族の娘として引き取られる。その時、名を改めてオフィーリアと名乗ることになるので、孤児院に気軽に会いに行くことができなくなる。貴族の娘でも関係ないじゃないか、と思うけれど、孤児院長であるマルグリッドに会うならまだしも、孤児院に行くのはきちんとした理由がないと難しいらしい。上位の貴族の娘になるのでお手伝いの者として貴族がついて回ることになり、平民であるアモリたちと話すことも難しくなると言っていた。人間の世界のこと、そこまでよくわからないが大変だな、と思う。
二つ目は、孤児院の中にある講堂の壁文字を常時解読できるような状態にするか、全てを解読してしまうという指示だ。一ヶ月ほどかけて数文しかできていないのに、この二日で全て解読できるわけがない。だから自動的にこちらで資料としてまとめるしかなくなった。
「終わるんだろうか……」
『手伝うよ。リアの精霊力を使っちゃうけど』
「うん……」
二日あるうちの一日目。
リアは大きなため息をつきながら天井を見上げている。近くには初めて作った精霊道具のランタン。壁に彫られた文字がよく見えるように壁際に置かれ、煌々と明るく光っている。昼間のように全体が照らされる明るさではないので壁の文字たちはぼぅ、と浮かび上がるかのように存在していた。ちょっと気味が悪いが、ぽつりと呟いたらリアがものすごく怒ってきそうだ。リアの情熱は怖い。
リアはいつも使っている精霊力の塊であるペンを持って手をだらんとさせている。アモリときちんと別れの言葉を交わすために寝台に潜る時間が長かったので、講堂に来るのが遅れた。だからこの作業を始めてそれほど経ってない。
『時間が短いのがダメなんだよ。もっと長くしてもらえるように頼もうよ』
「孤児のリアって存在が領主様やアルベルト様にとっては邪魔なんだよ。本来はわたしのこと知ってる平民、全員いなかったことにしておかしくないはずだよ? だから無理だと思う」
『でもリアは一応、ブルターニュってとこの貴族の娘じゃん。最悪孤児の娘と勘違いされてました〜って言い張ったら何とかなりそうだよ?』
リアは結構賢い。本人はひけらかすことなどしたことないが、マルグリッドや領主様の会話を聞いているとわかりやすい。少し人の話を聞いてある程度理解していることが多いのだ。累計でリアが生きた年齢を計算すると三十は超えているので、心は大人である分、理解力が高いのかもしれないけれど。
ワタシの言い様にリアは困った顔をした。
「もうブルターニュの籍からは移ってるけどね。プレオベールの家の娘と名乗ることになるから、そう考えると孤児院にいた事実はできるだけ伏せたいんじゃないかな。ややこしいけど。だからオフィーリアに戻るんだし」
『人間の世界はたくさんの糸が絡まったみたいに難しいわね』
ワタシの言葉にリアは困った顔のまま笑った。
「とりあえずはお家が変わっても解読できるようにしないと。領主様うんぬんより、わたしが困る! 解読できない状態が続くのは、本ッ当に嫌ッ!!」
最後の方はリアの欲望が出たね。さすがリア。文字に対する気持ちはオフィーリアになろうが変わらないんだね。
ワタシは思わず苦笑してリアとは反対の方の壁……、シヴァルディ様のことが記述されてある方へと向かう。
『ワタシはこっちの方を写していくから、リアは儀式の方をしたら?』
「ありがとう。……でもイディには創世記の方をやってほしい。二種類あるから時間かかりそうだし」
『え、解読終わってるのも写すの?』
ワタシが驚いて言うとリアはこちらを振り返り、キョトンとした顔になった。まるで何言ってんの? と言いたげだ。ワタシはおかしくないと思うのだけど。
「もうここに来ること自体難しいから取っておきたいの。誰かに頼んで抜けてたり、雑だったりすると嫌だもん。ただでさえ知識があるマルグリッドでも『文字なんてありません』って言ってたんだよ? わたしが確認できるうちにやっておきたいよ」
リアの頑固なところが出た。
リアの言っていることはわかる。確かにマルグリッドだけでなく、領主様も「模様にしか見えない」と言っていたくらいだ。そう言うこの世界の人に終わっているところとはいえ、写しを頼んだら抜けが出たり辻褄が合わなかったりと不都合が出るかもしれない。けれど時間がないのに良いのかな、とも思うのだけれど。
「わたしにとってこの講堂の壁文字は全部が大事。創世記も今後参照することになるから、どちらも持っておきたいの」
『リアが言うなら、そうするけど……』
ワタシは渋々、講堂に入って正面の壁の方へと向かう。ここには初代王がこの王国を作る過程が精霊殿文字と旧プロヴァンス文字で書かれている。リアは公文書と言っていたけど、何故公文書がこんなところにあるのか不思議だ。
でもここは孤児院ではなく、本当は精霊を祀る精霊殿であるということがシヴァルディ様の言葉からわかっている。シヴァルディ様が眠っていた石碑もあることだし、納得はできるのだ。しかし、不可解なことも多すぎるのだ。
『何か精霊のことで隠されたことがあるんだろうな。精霊王プローヴァ様の言葉も気になるし……』
精霊がいない原因? の精霊王の言葉は「時が来るまで待て」だ。何年後、何十年後という具体的な時間は言っていない。そしてシヴァルディ様を初めとして眠りについている。精霊と人間で大きな出来事があったに違いない。それで人間側が隠している……? かもしれない。末端のリアはともかく、上の方にいるはずの領主様も知らないとなると……。
王族と、なのかなあ……。詳しくはわからないんだけど……。
一番可能性のあるまだ見たこともない一族を思い浮かべてワタシは創世記を指で書き写し始めた。リアの精霊力を使うのでその文字はリアと同じ金色にほんのりと光っていた。
二日目。リアにとって孤児院で過ごす最後の夜。本来ならアモリたちと一緒に布団にくるまっているはずだが、この通り講堂に来ることになってしまった。昨日の作業でリアは儀式の分、ワタシは創世記の分を写し終えることができたので、あとはシヴァルディ様の記述だ。これで今日中に終えることができるだろう。
「何で目の前にあるのに解読できないのかなあ……」
リアは目の前に未解読文字があるのに何もできず、写すだけの作業に不満を抱いているようだ。解読がしたくて、夜に抜け出す、精霊道具を作るなどのことをするくらいなので、確かにこの状態はリアにとって苦行だと思う。可哀想だが、仕方のないことだ。諦めて。
『でも明日になれば、またプレオベールの家でできるじゃない』
「う……ん、そうなんだ、けど……」
リアの返事の歯切れが悪い。多分、できるけどアモリたちと離れるのは嫌だと思っているのだろう。今の立場よりはやり易くて良いけれど、長年暮らしてきた場所を離れ、頼れる人、甘えられる人に会って話すことすら難しいとなる。
「選んだのはわたし。こうなったのもわたしがしたことによるもの。アモリは会いに来てって言ってくれるけど、簡単に会いに行けないし、会ってもアモリたちを困らせちゃう。しかも身分的に対等でないのに同等に話して、なんて命令じゃない。そんなの違うと思う」
リアは寂しそうに言った。リアは平民に命令できる立場だ。そんなリアがアモリに友だちなんだから普通に話して、と言ってもそれは命令という形になってしまうことをリアは怖がっている。心ではきちんと繋がっているのにね。アモリもきちんとわかっていると思うけど、そういうところ頑固でマルグリッドに似て固いと思う。でもきちんと自分の気持ちを言葉にするリアはなかなか見ないので珍しい。
「とにかく、今日は早く写すのを終える! これ以上何もできないのは嫌だけど……」
『この壁をパッと写し取れるものがあれば良かったのにね』
「…………」
ワタシの言葉にリアは固まり、考え込み始めた。そしてポンと手を叩く。
「そっか、精霊道具を作ってしまったら楽だったのか」
『何の?』
「カメラだよ! うーん、写し絵ができる道具って言った方が良いかな」
カメラ……? そんな便利なものがあるのか、と感心しつつ、ワタシはリアを見た。
「今から作ってもこれから使えるし、作ろうかな?」
『やめておいた方がいいと思うけど……』
リアの言葉にワタシは待ったをかける。リアは目をぱちくりとさせながらワタシを見つめた。何で? と目が物語っている。
『今日、土に精霊力を流したでしょ? これでワタシの適性じゃない道具を作ったら明日から寝込むよ? お別れの言葉も交わせず、アルベルトに引き取られるけど、それでいいならワタシは止めないよ?』
「……やめておく。写すよ」
ここに残るアモリたちが食事に困らないように豊作を願ってリアは土に精霊力を流したのだ。満遍なく、かつ豊作になりすぎない程度に調節したのでかなりの力を使っていると思う。それで道具も作るとなると、過剰に使って熱が出てしまってもおかしくはないのだ。
リアはがっくりと項垂れると、そのままペンを動かし始める。昨日のペースで行ったら写し終えるくらいに時間が来るだろう。
『ワタシも後ろのところから手伝うから、頑張ろ?』
「ありがとう、イディ」
ランタンに照らされたリアが笑顔を作る。リアの銀髪が明かりに透かされてキラキラと光っている。とても綺麗だ。
ワタシはニコリと笑って頷くと、シヴァルディ様の記述の後ろの方に行き、写し始めた。リアも黙って写している。
この講堂に黄金色の文字が漂う日は今日で最後だ。
明日の朝、リアは完全にオフィーリアに戻り、この孤児院を去る。




