別話 祝いの言葉と寂寥感 アモリ視点
「前孤児院長、ディミトリエ様に代わって今日から孤児院長に就任しました、マルグリッドです。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
突然のことで驚いた。夕食の時間になり食堂にやってきたら、先生たち全員が揃っていた。
何事かと思い、そわそわしていると内容は先ほどの通りだ。いつも「先生」と呼んでいたマルグリッド先生が孤児院長になったと言うのだ。けれど、前の孤児院長のことをよく知らない私には孤児院長がどんなことをしているのかピンとこなかった。すると横にいるリアが袖を引いてきた。
「孤児院長はここの長だよ。食糧とか服とか準備したり、子どもたちの成人後の働き口を振り分けてくれたりする人のこと」
聞いていないけれどそう説明してくれた。
さすが、リア! 私の頭の中、よく理解してるね。
私は「ありがとう」と一言言うと、再びマルグリッド先生を見る。私を含めた他の子どもたちも無反応だったのでマルグリッド先生は困った顔をしていた。
先生、固いところあるからなー……。
マルグリッド先生はきっと何で無反応なのかわかってないと思う。すごく真面目で素敵な人なんだけど、私たちとちょっと雰囲気が違うのだ。何が違うかと言われると良くわからない。もしかすると育ってきた環境が違うせいなのかもしれない。
そんな困り顔のマルグリッド先生に助け舟を出すようにニコラ先生が前に出てきて話し始めた。
ニコラ先生は小さな子どもに接するのがとても上手で、話もわかりやすい。幼い子どもに伝えるようにマルグリッド先生が優しくて良い人だと言うことと孤児院の長であることを説明してくれたことで、何となく納得したのか子どもたちは嬉しげな声を上げていた。実際に近くのレミやギィも知っている先生が孤児院長になったことを喜んでいるようだ。
「孤児院で暮らす皆さんが困らないように精一杯頑張りますので、皆さんもたくさんのお話を聞かせてくださいね。困ったことがあればニコラ、エルルなどの先生、そして私を含めて相談してくださいね」
ニコラ先生の話し方を意識したのかいつもよりさらに柔らかい声で言うと、いつも私に微笑むように笑顔を見せた。マルグリッド先生は笑うと本当に美人でどんな男の人でも虜にしてしまいそうだ。私もああなりたいなあ……なんて。
「……そして、もう一つ。報告があります」
ボーッと考えていると、急にマルグリッド先生は唇にきゅっと力を入れ、話を続けた。今さっきの雰囲気とは打って変わって、ふざけてはいけない感じがした。他の子もそれを理解したのか、がやがやしていたのが急にしん、と静かになった。
「これはとても良い報告です。……リアがこの孤児院を出ることになりました」
……え? どういうこと?
私はリアの方を向く。リアは寂しそうに作り笑いをして下を向いた。
「リアを引き取りたいと言った夫婦が現れたので、領主様の承認を得て明後日、この孤児院を発ちます」
マルグリッド先生の言葉一つひとつが心臓に響く。普通ならば喜ばしいことなのに何故こんなに気持ちになるのだろう。私は膝の上に置いてある拳に力を入れた。
「お別れまであまり時間はありませんが、お話ししておきたい人はきちんと今のうちに話しておいてくださいね」
マルグリッド先生の言葉が通り抜けていく。そして、話を終えた先生はニコラ先生たちとともに食堂から出て行った。その際に「夕食にしてください」という言葉も残していったので、リアを含め子どもたちは食事の準備をするために動き出す。何人かはリアのところへ寄って「良かったね」「頑張ってね」などの声をかけている。
……私もおめでとうって言わなきゃ。
私は席を立ってリアのところへ行こうとするが、何故か体が動かない。
おかしい。何故? おめでとうの気持ちはあるのに何で体は動いてくれないんだろう。そう考えていると、視界がぐにゃりと歪んで自分の拳にぽたぽた、と何かが落ちた感覚がした。
それが涙だとわかった瞬間に生成色の袖口で拭い取り、目をごしごしと擦る。
そっか。寂しいのか、私。
自分の感情を理解すると、すとんと落ちてとてもスッキリするが、すぐにリアがいなくなるというどうしようもない事実に寂しさが押し寄せてきた。そしてリアの顔が全く見れない。顔を見たら一気に泣いてしまいそうだ。
私は動けないまま何となく食事を終え、部屋に戻るまでリアと言葉を交わすことはなかった。何と声をかけたらいいのか、どんな顔をしたらいいのか、わからなくなってしまったからだ。
「……アモリ」
就寝時間になり、明かりが消されしばらく経った後、隣からぽそりと私を呼ぶリアの小さな声が聞こえた。
「……なあに?」
声をかけられたので返事をするしかない。自分から声をかけられなかったので、キッカケを貰えたのは正直嬉しい。すると、リアがごそごそと自分の布団を持って私の寝台に潜り込んできた。リアの息が私にかかるくらい距離が近い。
「少しお話ししたい、な」
「うん……、私もきちんとしたいと思ってた」
月明かりでリアの銀髪が淡く照らされている。私の真っ黒でごわごわした髪とは違い、細く繊細な髪でいつも羨ましいと思っていた。私はリアの髪を撫でた。リアは私の顔に自分の顔を近づけると小さな声で話し始めた。
「わたし、ね。孤児院を出ることになったんだ」
「知ってる。先生が言ってたじゃん」
「そうだけど……、きちんとアモリにわたしの口から言いたかったの」
リアはそういう律儀なところがある。私は「そう」と呟くと、リアはごそごそと身じろぎした。
「……わたし、アモリと過ごせて、出会えて良かった。笑ったことも、怒られて泣いたことも、全部全部楽しかった」
「……私もリアと会えて、良かった」
そう言って近くにあったリアの顔がふと見ると見えなくなっていた。目の前にはリアの流れる銀髪のみに変わっていた。布団を顔に寄せ、泣いているとわかったのは後から聞こえてくるリアの嗚咽からだった。
「急に、さよならになっちゃったけど、わたし……、きちんとお別れ、したかった、の」
「ありがとう、リア……。遅くなったけど……、おめでとう。頑張って、ほしい」
私はリアの頭を撫でた。そうしていると私も蓋をしていた寂しい感情が溢れ出てきて硬い枕を濡らしていく。リアの泣き声を聞いて、やっぱりリアはここから出ていくのかと改めて思い知らされた。
「私にとってリアは大切な友だちなのは変わらないよ」
「ありがとう、アモリ……」
私の言葉にリアは布団から顔を出し、お礼を言った。目には大粒の涙が溜まっている。
ここを出ていっても孤児院で過ごした日々は変わらない。リアは共に過ごしてきた仲間で、友なのだから。
「わたしにとってもアモリは大切な友だちだよ」
リアは目をごしごしと擦ってにへらと笑顔を作った。いつもこうやってリアは自分の感情を隠すのだ。けれど今夜、私に寂しい気持ちを出してくれたのは正直嬉しい。辛いのは私だけじゃなかったんだ、とじわりと心が温かくなる。
「あと少しだけどよろしくね、リア」
「うん……」
私たちは見つめ合うと少し笑った。寂しさは全く消えないけれど、気持ちを確かめ合えて良かった。残り少ない日数だが、リアといつもより多く関わって思い出を作っておきたい。そう考えていると、ホッとしたのか急に眠気が襲ってきた。瞼が重くなって、目を開けているのが辛くなる。
最後に言っておきたいことを言わないと。
「リア……、ここを出ても……」
「ん……?」
リアの声が遠く聞こえる。私は瞼を閉じながら続ける。
「ここを出ても……、たまにでいいから……、私に会いにきてね……」
返事を聞こうと意識を止めようとするが眠気に勝てない。ふわりと私の手が温かい感覚がしたと思ったらそのまま眠りに行った。きっとリアなら「うん」と肯定してくれるはずだ。
……例え難しくてもちょっとでも会いにきてほしい、と思うのは私の我儘だろうか。
でも、リアも同じ気持ちだったらもっと嬉しい。




