別話 就任と報告 マルグリッド視点
「前孤児院長、ディミトリエ様に代わって今日から孤児院長に就任しました、マルグリッドです。皆さん、どうぞよろしくお願いします」
暮れの鐘が鳴り、子どもたちは夕食の時間なので食堂に集まっている。その子どもたちは私の挨拶をきょとんとした顔で見上げている。私から見て右側には子どもたちの世話をする職員が数人並んでいて、嬉しそうな表情を浮かべていた。
子どもたちが無反応ね……。
食事の配膳の前に、と集められ、いきなり言われたものだから訳がわからないのだろう。ギィくらいの小さな子どもたちは特に口をぽかんと開けた状態から動かない。
このようなことになったのも先程の領主様と前孤児院長であるディミトリエ様、そして育子リア……ではなく、オフィーリア様の間で起こった出来事があったからだ。
前孤児院長ディミトリエ様は、私と同じで中位の貴族で、前領主第一夫人であるアリーシア様の息のかかった人物。城勤めに比べると華やかではない孤児院の役職だが、その施設の長に推薦され、数十年前から孤児院長の職についている。支給させる資金の横領をしたり、施設の平民の若い女性に手を出したりと、私がこの孤児院に隠されてからこの人の良い噂を聞くことはなかった。
そして、ディミトリエ様は私の大切な育子であるリアに目をつけた。能力が高く、変わっているけれど非常に美味しい料理を考えられるので、いつか貴族の目に留まるだろうと思っていたが、それがまさかディミトリエ様とは思っていなかった。慌ててキャンデロロの家に連絡をして、平民のリアを引き取らせてもらおうと嘆願したが、成人前の平民の孤児は難しいと判断された。しかも彼女が魔力持ちだったこともあり、容易に引き取れる子どもではない、とも父からの手紙に書いてあった。
けれどリアは望んでいないのにそのようなことは許せない、と思っていた時に、あの出来事が起こったのだ。
ディミトリエ様による横領、人身売買、孤児院で時たま起こる行方不明の女性職員の件、その全てを証拠とともに領主様──ヴィルヘルム様が指摘し、罪に問うために捕らえたのだ。……そして、その後リアがオフィーリア様になることが決まった。私はその時の様子を思い返す。
「……リアは今後、オフィーリアとして生活することになり、この孤児院を出て行く」
ヴィルヘルム様とリアより先に、ヴィルヘルムの第一文官であるアルベルト様が今後の話をしてくれた。
リアは正式にアルベルト様の養子になり、オフィーリア様になるということ、か。……リアを狙っているディミトリエ様はいなくなったけれど、これだけ大きく動いたのでこのままリアを放っておくのは良くない。これは適切な判断だと思い、私は頬に手を当てた。
そうしていると来客を知らせるベルが鳴ったので、私は扉を開けに行く。本来はアリアの仕事だが、アリアはディミトリエ様が私の監視のためにつけた下位貴族だ。ヴィルヘルム様がお忍びで来た時もディミトリエ様に後から報告していたのは知っている。そのため今回の騒動で同様に捕らえられ、連れて行かれた。だから今、私の世話をする人間はいないが、ある程度の年齢まで自分のことは自分でやっていたのでそこまで困り感はない。貴族としてどうか、と言われると返答に困るが。
「遅くなった。アルベルト、ある程度は伝えたか?」
この部屋に入ってきたのはヴィルヘルム様とリア……ではなくオフィーリア様だ。ヴィルヘルム様は用意してある椅子に向かいながらアルベルト様に確認すると、アルベルト様は「はい」と返事をするとヴィルヘルム様が座れるように椅子をひいた。
「マルグリッド、今回のことで協力してもらい感謝している。そして今後のことで相談もあり、其方にも同席してもらう」
「はい」
私は息を呑んだ。改めてオフィーリア様のことを話すのだろうか。なかなか会うことのない領主を目の前にして緊張感が高まっていく。私はヴィルヘルム様が座ったのを確認すると、オフィーリア様用に椅子を用意し、座らせた。そしてアルベルト様が座ったのを確認して、私は下座に当たる席に座った。
「改めて、ディミトリエは第一夫人勢力の中でも力を奮っていたので今回のことで第一夫人の勢力を削ぐことができた。感謝している、マルグリッド」
「もったいないお言葉ですわ。オフィーリア様のためですもの、このくらい当然の行いです」
私は頭を下げ、顔を上げると置いて行かれた子どものような表情を浮かべたオフィーリア様と目が合う。
私とて、同じ気持ちですよ……。
私は目を伏せ、そっと息を吐いた。いつかは、とは思っていたが、思った以上に早く手を離れてしまったことでとてつもない無力感に苛まれている。オフィーリア様も同じように思っていると思うと、とても嬉しかった。
「そして今後のオフィーリアのことだが……、先程説明した通りプレオベールの家に引き取ることになるので、孤児院を出ることになる。私の承認も終え、庇護がアルベルトへと移っているからな」
「そうですわね。……では今すぐに、ですか?」
孤児院自体、子どもを引き取るという行為は珍しいものではない。平民で子どもに恵まれなければ引き取ることはあり、その際は承認後はすぐに連れ帰られる。その時でも軽く別れの言葉くらいは交わしているが、オフィーリア様の場合は貴族の娘となるのでリアの存在は邪魔だ。いっそ死んだことになるか、引き取られて音信不通が妥当だろう。そのため別れの時間を取るのは難しいのではないだろうか。しかし、それはあんまりだと思う。
私の不安をかき消すようにヴィルヘルム様は首を横に振った。
「今回、事が早急に動いたせいでこちら側も受け入れの準備ができていない。……そのため今日から二日後に引き取ることにする。その間に親しい者との別れを済ませるように」
「わかりました。ご配慮、ありがとうございます」
「……それでは二日後に出られるように準備をしておきます」
別れの言葉だけならば二日は十分だが、気持ちの整理をするには短すぎるのではないか。けれどヴィルヘルム様の決定に口を挟むわけにはいかないので、それで引き渡せるようにするしかない。オフィーリア様の方をちらりと見ると、寂しそうで我慢をしている顔をしていた。こう見るとオフィーリア様は年相応の子どもに見える。
ヴィルヘルム様はオフィーリア様の話を終えると、こほんと咳払い一つして話題を変える。
「そして、この孤児院のことなのだが……」
「そうですね。だいぶ人員が減りましたから、補充をしてもらわねばなりません」
ディミトリエ様が失脚されたのに伴ってディミトリエ様と癒着している下位貴族がごっそりと捕えられてしまった。そのためこの孤児院は院長を含め、空席が多い。
「次の孤児院長なのだが、マルグリッドを指名しようと思う」
突然のヴィルヘルム様の言葉に私は目を丸くした。
「わ、私では力不足ですわ……」
私は慌てて大きなお役目を辞退しようとする。私は愛人との子で隠された存在なのにそのような役職をお父様が許すはずがない。ヴィルヘルム様は首を横に振る。
「キャンデロロの家には了解は取っている。マルグリッドはきちんと貴族籍に入っていて問題ない。孤児院の仕事もある程度担っているので適任だ」
「確かにそうなのですが……」
ディミトリエ様の仕事の一部を押し付け……請け負っていたのである程度はわかる。しかし本当に良いのだろうか。
「人員を補充するために第一夫人派でない者を入れ、尚且つここの仕事を理解している中位となると其方しかいなかったのだ、マルグリッド」
ヴィルヘルムは青磁色の瞳を私に向けた。ここまでヴィルヘルム様に言わせてしまっては受けるほかない。キャンデロロの家にも了承を取っているなら尚更だ。
「わかりました。そのお役目、謹んでお受けいたします」
「助かる。下につく下位はこちらで選んでも良いが、もし人選があるなら聞くので一覧を提出してくれ」
「ありがとうございます」
私は頭を下げると、ヴィルヘルム様はオフィーリア様に目を向ける。
「さて、オフィーリア。我々はこれで戻るが、このままだと其方はマルグリッドよりも上の立場の人間のままだ。孤児として紛れるにはマルグリッドには以前の通りに接してもらわねばならない。……どういうことかわかるな?」
オフィーリア様はヴィルヘルム様の言葉にハッとした表情になる。……そう、私は不敬にならないためにもオフィーリア様として接しなければならない。ヴィルヘルム様の言葉の意味を理解したのか、オフィーリア様はくしゃりと顔を歪めた。「先生、先生」と慕ってくれていた子どもにこのようなことを強いるのは辛いことだが、これからを生きるためには仕方がないのだ。
「……オフィーリア様、これから生きて行く世界はまた常識が違いますわ。だから精一杯に生き抜くためにもきちんと理解してくださいませ」
「せ……、マ、マル、グリッド……」
私は安心させるように笑顔を作る。これが最後の教えになると思うと、寂しい。賢いオフィーリア様ならば私の言葉を理解できるはずだ。
オフィーリア様は少し目を泳がせていた。リアは気持ちを整理するときに良くしていたのだ。本人は無自覚かもしれないが。そして、意を決したように唇を少し噛むと、ゆっくり口を開いた。
「マルグリッド。この二日間、わたしがリアであった時と同様に接しなさい。……これは命令です」
「わかりました、……リア」
そうしてリアは残り二日をこの孤児院で過ごすことになり、私はこの日をもって孤児院長に就任したのだ。
その後、平民の方の職員たちに就任の報告して子どもたちへの挨拶となり、冒頭へと戻ることになる。
子どもたちのあまりの無反応に私が苦笑いをしていると、ニコラが私の側までやってきた。そして子どもたちに見せるニコリとした笑顔を一つ見せると私の方を指し示して言った。
「アモリやリアの先生である、マルグリッド先生よ。マルグリッド先生は前の孤児院長の代わりに、この孤児院の長で孤児院がうまくいくように頑張る人のことよ。マルグリッド先生はとても素敵な人よ! みんなが困らないように一生懸命考えてくれる人だもの」
「わー、すごい良い!」
「それって嬉しいね!」
ニコラの言葉で状況を理解したのか幼い子どもたちが楽しげな声を上げた。
そうか、言葉が難しかったのですね、と原因を発見し、話し方を意識しなければと感じていると、ニコラは自分のことのように得意顔になり続ける。
「そうよ! だからマルグリッド先生の言うことはよーく聞いてね」
「はい!」
子どもたちが元気よく返事をしたのをニコラは笑顔で頷くと、私に何か言葉を言うように促した。子どもたちはニコラの言葉をしっかりと守り、キラキラとした瞳でこちらを見つめている。
何か、良い言葉をかけないと……。
私は頭の中で何を言うか少し考え、内容を整理する。ディミトリエ様はほとんど孤児に会うことなどなかったので孤児院長という肩書きは子どもたちにとって未知だと思う。できるだけ安心させられるような言葉がいいのではないでしょうか。
「孤児院で暮らす皆さんが困らないように精一杯頑張りますので、皆さんもたくさんのお話を聞かせてくださいね。困ったことがあればニコラ、エルルなどの先生、そして私を含めて相談してくださいね」
「はい、マルグリッド先生!」
先程とは打って変わって子どもたちが可愛らしい笑顔を浮かべて返してくれたので、私の口元が緩んでいく。しかし、すぐにきゅっと力を入れて、他にも言わねばならない事実を皆に伝えることにした。
「……そして、もう一つ。報告があります」
そう、リアがこの孤児院を出て行く事実を。




