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第五十六話 別れ


 リアとして貰えた猶予が今日を含めてたった二日だなんて、短すぎると思う。しかしこちら側の事情など本来は考慮して貰えないことを考えると、この時間は貴重な時間だ。大切に過ごさなければいけないが、無常にもあっという間に通り過ぎていく。


 マルグリッドたちと話し合い、出るまではリアとして過ごすのだから孤児院での仕事はいつも通りすることにした。孤児院長が失脚して、孤児たちは生きるためには仕事をしなければならない。微々たる量だが分担してこれからもここで過ごすアモリたちのためになりたかったのだ。貴族の娘になると公表していないのでわたしだけ仕事免除というのもおかしな話だし。


 だから、日中はアモリと一緒に掃除をしたり、サラに簡単に作れるレシピを提供したり、こっそり畑の土に精霊力を注いでみたり、わたしが去った後のことを考えて過ごした。孤児院から出た子どもたちはたまに顔を見せることがあっても、リアとして過ごすことがこれで最後のわたしには「またね」はない。そのため子どもたちがお腹いっぱい食事を摂ることができるように、特段に力を入れて野菜を育てている土地に満遍(まんべん)なく精霊力を込めておいた。これで当分は実も大きく育ち、収穫量は十分なものになるだろう。

 夜はヴィルヘルムに命じられている解読があるので、鐘二つ分と決めて講堂に行っていた。プレオベールの家でも作業を進めることができるように壁文字を資料として手元に置ける状態にしなければならない。そのため、解読どころではなく、必死に虚空に精霊殿文字を書き写す作業に追われることとなった。目の前に文字があるのに解き明かせない苦しみで身体が疼くのは辛かったけれど、仕方がないことだ。


 早く読み進めたい。けれどリアとしての日々は終わってほしくない。そんな板挟み状態で悶々としながら別れの朝を迎えた。

 いつもは起きられずレミとギィに転がされて起こされていたが、今日は何故かすっきりと起床できた。そして時間に余裕を持って食堂へ移動し、アモリが運んできた湯を使ってわたしたちは無言で体を擦り上げる。


「ね、リア。今日が最後だから体、拭いてあげる」


 ニカッとした笑顔を見せてアモリがわたしの背中側に回り、拭き始める。


「あ、ズルいっ! わたしもやるわっ!」

「レミねぇちゃもずるい! あたしもやるっ!」


 アモリの突然の行動を見て目を輝かせたレミとギィもわたしの傍に寄ってきて、右手左手をそれぞれ拭き始めた。レミとギィは体を清めるのに時間がかかるのだから自分のことを先にすれば良いのに、と呆れてしまうが、今日が最後の触れ合いだとわかっているからその心遣いを嬉しく感じた。


「リア姉ちゃん……、わ、わたしも、髪、ふ、拭いていい?」


 一歩出遅れたロジェもおずおずとしながらもわたしに近づき、尋ねてきた。私が頷くとぱあ、花が咲いたかのようにと顔を綻ばせ、新しい手拭いを用いてわたしの髪を拭いていく。

 この図は完全に介護されている病人か、良いところのお嬢様だ。わたしは椅子に座った状態で手を伸ばしているだけ。側から見たらおかしな光景だが、三人の心遣いに嬉しくて笑ってしまう。


「あ、リアねぇちゃ、わらってるー!」

「ホントだーっ!」


 レミとギィがわたしの顔を見て嬉しそうな声を上げる。それを聞いたアモリとロジェも回り込み、わたしの顔を見て、楽しそうに笑った。


 ……幸せ、だなあ……。


 目の前に広がる日常の幸福感に包まれてわたしは、みんなの顔を見て微笑んだ。

 時間はかかってしまったが、結局はみんなで体を拭き合い、それを終えた頃には他の子どもたちが朝食の配膳を始めていた。アモリとわたしは厨房に食事を取りに向かうと、サラが慌ただしく子どもたちにスープの入った皿を手渡している。


「あ! リア!」


 順番待ちでしばらく待っていたら、わたしに気付いたサラが声をかけてきたので、わたしは挨拶をした。サラはすぐに挨拶を返すと微笑んでくれた。


「リアの分はこっちなの。特別よ」

「わあ! ベーコンがいっぱいで美味しそう!」


 サラは別のところに置かれた皿を手に取ると、わたしに差し出してきた。それに目を落とすと中身は他の子と同じシンプルなスープだが、パパタタやマルコートなどの野菜とアモリが言うようにベーコンがゴロゴロと入っている。


「え? こんなに良いんですか? みんなとおんなじで良いですよ!」


 わたしは首を横に振って皿を返そうとすると、サラはふふっと笑った。


「今日でここを出るんでしょ? リアの門出祝いよ」

「リーアー! 貰っておきなよ! 文句なんて言われないし、言わせないから!」


 二人が柔らかい表情で勧めてくるので、わたしは丁寧に礼を言って受け取った。アモリも他の子どもたちと同じスープをサラから受け取る。「あ、ロジェたちの分も配膳してあげて」とサラに付け足されて、アモリと同じスープを二つ用意されたので両手に皿を持ち、自席へと戻った。あと一つ足りないので、気を利かせてロジェが取りに向かう。


「あ、マルグリッド先生が来たよっ!」


 食堂の上座に当たる部分に向かって歩いてきているのをレミが指さして明るい声を出す。

 何故マルグリッドが朝食の時間にやってくるのか。その答えは簡単だ。

 マルグリッドは孤児院長の役職に就いたのだ。前孤児院長は刑の内容は決まっていないが厳罰に処されることは決定しているため、孤児院長として続けることは不可能だった。あれだけ汚職していたのなら辞めさせられて当然だと思うが。


 それで問題となったのは次の孤児院長は誰にするかということだ。ちらりと聞いたことだが、ヴィルヘルムは自分の継母に当たる、前領主の第一夫人と折り合いが悪いらしい。自身の娘を領主にする計画だったが、前領主が突然亡くなったこと、後継者をヴィルヘルムに指名していたことがあって頓挫したことで相当恨んでいると聞いた。孤児院自体、第一夫人側だった前孤児院長の息のかかった人間がほとんどだったのと孤児院自体誰も行きたがらない。その中で領主側で尚且つ中位以上の貴族を見繕うのに難航していたそうだ。

 そうして今回の件で領主側に付くことを表明したマルグリッドに白羽の矢が立った。キャンデロロ家自体は中立派であったので問題はなかったが、マルグリッドの出自で少し揉めた部分があった。愛人の子どもという立場なのでそれを蔑む者が出るのでは、と懸念されたが、キャンデロロの当主がきちんとマルグリッドを実子として貴族籍に入れていたので問題ないと判断し、無事にマルグリッドが孤児院長に就任したのだ。


「マルグリッドせんせー、こじいんちょーになってから、まいあさ、ここにきてくれるね」

「前の孤児院長はここに来ることすらほとんどなかったから、私はマルグリッド先生で嬉しいわっ!」


 レミやギィが言っているようにマルグリッドは孤児院長として毎朝、挨拶をしに孤児院の方に顔を出している。前孤児院長と比較するまでもなく、マルグリッドは好意的に受け入れられている。元々孤児院の方で生活をしていたので尚更だ。

 そんなマルグリッドは微笑みながら子どもたちに席に戻るように促し、前に立った。そしてロジェを含め、全員が着席したことを確認すると話し始めた。


「今日も良い朝を迎えることができました。食事の挨拶の前に改めて報告を。……今日はリアがこの孤児院を出ていきます」


 何人かの子どもたちがバッとわたしの方を向くので、わたしは軽く頭を下げる。


「朝食後、養父になる方が迎えに来られます。見送りは混乱を避けるためになしとしますので、別れの言葉を言いたいのならば、食事後すぐに言っておくようにしてくださいね」

「はい」

「……それでは、恵みに感謝していただきましょう」


 子どもたちが素直に反応したのを見届けてマルグリッドは食事の挨拶をした。子どもたちは各々祈るとスプーンを手に取り、食事を始めた。わたしも適当に祈ると、特別盛りされたスープに口を付けた。わたしが初めてここで料理したスープとほぼ変わらない、いやそれ以上の味だった。喉から胃へと凝縮された旨味が染み渡っていき、わたしはほぅっと息を吐いた。


「ね、リア。私からもこのベーコン、あげるね。……これから頑張って」

「わ、私もっ! リア姉ちゃん、こ、これ!」

「あ、ずるい! あたしも!」


 スープを堪能していると、アモリがスプーンで掬ったベーコンの塊をわたしの皿の中に入れた。それを見た三人は慌てて自分の分のベーコンを掬って入れてくれた。ただでさえ、たくさん具が入っているのにこんなに貰っても良いのだろうか。素直に礼を言うと、アモリたちはニコリと笑ってくれたので有難く頂くことにした。


「きょ、今日のスープ、特段に美味しいね」

「サラ姉ちゃん、張り切ってたみたいだから」

「アモリねぇちゃも、もうすぐりょうり、するんでしょ?」

「まだナイフしか使ってないけどねー」


 他愛無い会話だが、明るく食事が進む。ああ終わってほしくないな、とその光景を眺め、感傷に浸る。

 アモリたちはこのまま、孤児院で生活を続けることになる。けれどそこにはリアはいない。わたしがいなくても彼女らの生活は変わらないけれど、何故こんなにも寂しく感じてしまうのか。わたしはそう思うほどこの孤児院でアモリたちと過ごすのが好きだったみたいだ。潤みそうになる涙を堪えながら、わたしはスープを啜りながら四人とその明るい会話を目と耳に焼き付けた。





 食事を終え、机を片付けたところでマルグリッドが迎えにやってきた。マルグリッドはわたしの肩に手をやり、深く頷いた。話せるのはこれで最後になるということか。


「わたし……、もう行くね」

「リア、元気で」

「……うん」


 アモリはわたしに抱き着いてきた。ぎゅっと両手をわたしの背中に回し、顔をわたしの肩口に埋める。わたしも同様にアモリの背中に手を回した。アモリの温もりを感じ、これで最後なんだと認識してしまうと一気に視界が潤んでいく。わたしは必死に堪えようとするが、嗚咽をもらしてしまった。


「なんで泣くのー? 私の方も悲しくなるじゃん!」

「だって……」


 もうリアとしては会えないんだよ、という切実な思いは言えなかった。離れがたかったが、ゆっくりと体を離すとアモリも涙を流していてた。


「また会おうと思ったら会えるんだから、ね? 私は会いに行けないから寂しくなったらいつでも会いに来て」


 アモリの涙が頬を伝う。アモリも同じように寂しがってくれていると思うと、嬉しい。

 しかし、もう会うことは叶わない。この孤児院を出た時点で孤児のリアではなく、オフィーリアになってしまうのだから。約束できないことはしない。わたしは肯定も否定もせず、涙顔で精一杯の笑顔を見せた。


「リ、リア姉ちゃん。げ、元気でね……」

「がんばりなさいよっ!」

「いつもみたいに、ねぼすけじゃダメだからね」


 ロジェ、レミ、ギィも涙ぐみながら別れの言葉を言った。わたしは口を無理矢理吊り上げこくりと頷くと、袖口で目元をごしごしと拭った。


「みんなも、元気で。助け合って、頑張ってね」


 そう言ってわたしはマルグリッドに目配せをして食堂の出口の方に足を向け、歩き始めた。マルグリッドは慰めるようにわたしの背中に手を添えてくれた。


「リア! またね!」


 振り向くとアモリが手を振っていた。わたしには「またね」はない。唇をぎゅっと噛みしめて、無理矢理笑顔を作る。そしてわたしはアモリたちに向けて手を振り返して言った。


「さよなら」


 別れの言葉を。


これで一章 孤児のリア 完結です。

今後の予定は活動報告にて報告します。二章一話の更新予定は11/24の予定です。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マルグリッドも アモリ・ロジェ・レミ・ギィも サラねえも みんな素敵です。 もちろんリアも。 キャラが生き生きとして眩しいです。 [一言] 良質のオマージュ作品 創作は模倣から…
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