第五十四話 決戦 後編
「其方には他にも罪がある。……心当たりは?」
ヴィルヘルムが見下ろす形で孤児院長を睨む。呆然として力が抜けてしまっている孤児院長はへらりと笑うと首を横に振り、否定した。
「ありません。……罪など、犯しているはずがないでしょう?」
それでもしらばっくれるつもりの孤児院長の態度にヴィルヘルムたちは深いため息をついた。ここまで追い詰められても責任を取ろうとしない孤児院長に吃驚だ。
「……答え合わせ、だと言ったであろう? 誰かの入れ知恵を利用して隠したつもりだろうが、証拠は残っているものだぞ」
ヴィルヘルムは頭を片手で押さえながら、懐から数枚の書類を取り出す。その書類を見た瞬間、孤児院長の顔がさらに青白くなった。
「一つ目が、孤児院運営費の横領。この書類が其方が私に提出した孤児院運営の収支報告書、そしてこちらが内部に入り込んで調べさせた実質の支出だ。食費に当たる数字が大きく違っているのがわかるだろう?」
そう言って揃っている数字の中に一点、異なる数の部分を指差した。領主が調べたという食費より孤児院長が出した食費の方が十万単位で金額が高く記されている。この差額が孤児院長の懐に入っているということか。
「食料品の購入先を一つひとつ当たり、確認させたので確かな情報だ」
「そんな馬鹿な……! 納品書から金額を書き換え……」
重大な失言をしたことに気付き、孤児院長はハッとした表情に変わった。その不用意な発言をヴィルヘルムが見逃すはずがなく、口元を吊り上げる。そして別の書類をまた、孤児院長の目の前に広げた。
「一つ、罪を認めたようだな。……二つ目が、孤児の人身売買。この孤児院ではその年に成人する孤児が毎年、一定の割合で病死していることがこれからわかるが、実際はどうなのだ? なあ、マルグリッド」
病死? わたしが物心ついたころから病気で死ぬ子どもはほとんどいなかったはずだ。
ヴィルヘルムは不敵な笑みを浮かべながら、その答えをマルグリッドに求める。孤児院長は「駄目だ! 駄目だ!」と大きく首を横に振って答えないように彼女に求めた。けれど、マルグリッドは可哀そうな子どもを見るような目で孤児院長を一瞥すると、ゆっくりと息を吸った。
「いいえ。ここ数年ほどで子どもたちは自給自足で暮らすことを覚え、飢えることなく過ごしております。ここの職員は衛生面には気を付けるように子どもたちに言い付けていますので、体力がない小さな子どもは病気にかかることはあっても、成人近い子どもが重篤な病気になることは少ないですわ」
「そうだろうな。それも調べたらすぐにわかったことだ。……そして、消えた子どもたちはどこへ行ったのか。その答えはこれだ」
そう言ってヴィルヘルムは持っている契約書を前へと突き出した。
「自身の派閥を中心とした貴族や富豪の家に売り飛ばしているようだな。これは、サミという子どもをある家と取引した時に交わした契約書だ。……前領主は目を瞑っていたようだが、私はそのような不正を許さぬ。孤児はこの領の所有物だ」
「サミ……!? そんな、ああ……」
マルグリッドが両手で顔を覆った。サミは今年の春に成人し、孤児院から出ていった孤児の一人だ。女性らしく整った顔立ちをしており、子どもたちの面倒をよく見るお姉ちゃん的存在だった。職員を含め、成人したので職を斡旋してもらい、働いていると思っていた。しかし実際は違い、売られていた者もいたということだ。だから孤児院に顔を出す者と出さない者がいたのか。……正確には物理的に出せない、と言った方が良い。
「今回のこの騒動もその延長、と言った方が良いか? 魔力持ちは監視の目が多いからな。成人が近くなるにつれて動かそうとするのは難しいのはわかりきったことだ」
だから初めて会った時に成人前かどうかを目で見て確認していたのか、と納得する。今回は他に売られるではなく、孤児院長の手中に収まりかけたということなのだが。
「人身売買についてはきちんと調べれば自ずとボロが出てくることだ。売買の際に手に入った金はほとんど其方の懐に入っているのだろう?」
孤児院長は黙っている。カタカタと歯を鳴らし、断罪を待つ子どものように怯えている。その態度から人身売買を行っていたことを認めているようなものだ。
「三つ目は……、いや。ここで話すのはやめておこう。子どもがいるからな」
「え?」
ヴィルヘルムはちらりとわたしを見て言うと、持っていた書類をすべて自分の懐へ仕舞い込んだ。訳が分からず、首を傾げると、マルグリッドがわたしの肩に手を置き、悲しみの表情で首を横に振った。……聞くな、ということだろう。
「前二つの罪は明らかなものだ。領主である私を欺いた罪は深い。そして、上位貴族の娘に対して不十分な説明で、しかも無断で不利益な契約を結ばせようとした。これは決定的であり、身分制度上どうなるかわかるだろう?」
「ひっ」
ヴィルヘルムは笑顔だが、目が全く笑っていない。敵に回してはいけない人物だ。つつーっと冷汗がわたしの背中をつたっていった。
「詳しい話は別で取り調べる。ディミトリエと孤児院長室にいる者をすべて捕らえて連れて行け! ディミトリエの犯罪の片棒を担いでいる者もいる! 逃すな!」
ヴィルヘルムが一声上げると、ランベールを含め何人かの騎士たちが動き出す音が聞こえた。ランベールは魂が抜け、抜け殻のようになった孤児院長を無理矢理立たせて引きずり、部屋の外へと連れ出して行った。
孤児院長が完全に部屋から消え去った瞬間に、知らず知らずのうちに力が入っていたのか、その力がスッと抜け、床に這いつくばるように倒れ込む。わたしが崩れたことに気が付いたマルグリッドはすぐにわたしの体を起こし、楽な姿勢にさせてくれた。イディは黙ってわたしの体を摩って心配している。
「無理をなさらないでください」
「先生……」
わたしがマルグリッドを呼ぶと彼女はくしゃりと顔を歪め、口元をきゅっときつく結んだ。そしてわたしの手を取り、ゆっくりと立ち上がらせる。一歩後ろに下がるとマルグリッドは目線を下げ、俯いた。
「先生、ではなく、マルグリッドとお呼びください。オフィーリア様」
わたしは破れるように大きく眼を見張った。今まで親身だったマルグリッドが何処か遠い存在のように思えて仕方がない。わたしはマルグリッドを真っ直ぐに見据えるが、彼女の蒼い瞳はわたしを捉えることなく、視線が交わることもない。
「あ……」
「オフィーリア、声をかけなさい。そうすれば良いのだ」
戸惑いを隠せないわたしに対してヴィルヘルムはそれがさも当たり前かのように静かに言った。
立場が逆転してしまったことに違和感を覚えつつもわたしは恐る恐る声をかけた。
「マルグリッド、顔を上げてください。……そして支えてくださり、ありがとうございます」
「いいえ、お気になさらないでくださいませ」
こちらに向けるマルグリッドの視線は変わらないものだったが、態度や言葉遣いは全く違う。突然、世界が変わってしまったことにわたしの気持ちが追いつかない。
「さて、これからのことを話そう。共有すべきこともあるからな。マルグリッド、すまぬが部屋を貸してはくれぬか?」
こんがらがったわたしの思考の中でヴィルヘルムは周りを見渡してそう言った。マルグリッドはヴィルヘルムの申し出に快諾すると、準備のため先に孤児院長室を出て行く。
外は少々騒がしいが、今いる部屋にはヴィルヘルム、アルベルト、わたしの三人しかいなくなった。
「……アルベルト、この子どもが言っていたリア、改めオフィーリアだ。オフィーリア、養父になる人だ。挨拶をしなさい」
最低人数のみのところでヴィルヘルムがアルベルトを指し、わたしに紹介してきた。本当ならば貴族らしい挨拶がきっとあるのだと思うが、わたしは平民の立場での挨拶しか知らない。ブルターニュの家にいた時ですら最低限の教育を施された記憶もないのだ。
けれどヴィルヘルムの言葉は無視してはいけないので、わたしは失礼にならないように考えを巡らせた。
「……オフィーリア、と申します。今まで平民として暮らしておりましたので、何分正しい挨拶がわかりません。失礼がありましたら申し訳ありません」
足りない頭で精一杯考えた最低限の挨拶をして、腰を折る。マルグリッドがするように所作が美しく見えるように意識をした。
それを見てアルベルトは「ほお」と嘆声を漏らした。腹を立てた様子が見られないことから一先ず、クリアできたのだと安堵した。
「……振る舞いについては今後、家庭教師を付けて学ぶことになるので良い。こんな子どもが相手を敬うことをきちんと理解しているのか……」
「お、恐れ入ります!」
わたしは恐縮して言うと、興味深そうな眼でわたしを見ながらアルベルトは自分の顎を撫でた。ヴィルヘルムは話の主導権を自分に戻すために軽く咳払いをした。
「プレオベールの家に入るにあたって、ブルターニュが持つ其方の親権は放棄させた。これで其方の両親との縁は切れている」
最後に契約していたのはわたしの親権の放棄だったのか。腐っても生みの親なのでプレオベールの家に入った後も口を出してくる可能性を考慮し、先に潰しておいたのか。全く養育された覚えもないので親だと名乗られ威張られても正直、鬱陶しくて仕方がないので事前に放棄してもらえて良かったと思う。
「それで形としては、マルグリッドが其方の保護を求めた、ということにしている。其方は下位貴族だが貴族の出なので、能力や魔力量が高ければ養子として出されることは良くあるのだ。……まあそれも基本親戚関係だがな。今回はそれほど価値の高い養子縁組だということになる」
ヴィルヘルムの言葉にわたしはごくりと息を呑んだ。




