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第五十三話 決戦 中編


「ほお……、そこの娘が言っていることと、この契約書には齟齬があるようだな」

「その娘はただの平民です! 平民の言うことを信じると言うのですか!?」


 孤児院長が顔を真っ赤にし、わたしに向けて指を差しながら叫んだ。ヴィルヘルムが乱入するまではニヤついた余裕のある笑顔を見せていたが、今や一転して焦り、怒り狂っている。


 ……嫌な大人。気持ち悪い。


 自分の思い通りにいかなければ怒鳴りつける様は見ていて気分の良いものではない。わたしは不快感に顔を(しか)めた。


「平民か、そうか。ではこのブルターニュ夫妻は? 扉の外からだが『お前と私は家族に戻れる』と聞いたのだが?」


 鋭い眼光でヴィルヘルムはゴドフリートを睨みつけた。嘘偽りなく話せ、というヴィルヘルムの無言の圧力にゴドフリートはどうしようかと斜め下を向き、黙る。孤児院長と領主の間に挟まれ、困惑しているようだ。


「領主様。それは私が説明させていただきますわ」


 それは突然、ヴィルヘルムがやってきた扉の外から聞こえた。そちらに目を向けると、金髪を結い上げた美しい女性──マルグリッドが部屋の中に入ってきた。


「先生!」


 わたしは思わずマルグリッドを呼んだ。するとマルグリッドはちらりとわたしを見ると安心させるようにふんわりとした笑顔を向ける。そしてすぐに真剣な顔付きになり、ヴィルヘルムの方に顔を向けた。


「領主様に以前、報告したように、この娘は捨て子として孤児院で生活をしていましたが、実はブルターニュ家の息女であることがわかりました。そのためこの子は元になりますが貴族の出です」

「そのようだな。報告にあった魔力持ちの孤児というのもそれを聞いて納得したのだ。……しかし何故それがこちらに上がってきていなかったのだ?」


 マルグリッドはわたしに近づき、わたしの背に手を当てる。マルグリッドはわたしの方を見てはいないが、その瞳は敵に立ち向かうような本気の眼差しで、蒼く強い意志のある眼だった。


「それが発覚し、領主様への再報告の声も上がりました。しかし他の者に聞けばわかることですが、すぐに緘口令が敷かれたのです。そのためご報告申し上げることができませんでした。……おそらくはこの時よりディミトリエ様はオフィーリアを手中に収めようと考えていたのかと」

「マルグリッドォッ!!」


 孤児院長は取り乱したように彼女の名を叫んだ。するとすぐにヴィルヘルムは孤児院長を睨みつけたので、孤児院長はこれ以上言葉が続けることができず、黙り込んだ。


「……これは()()()()()、だ。その情報は事前に掴んでいる。其方()がしようとしていたこともな。……さて」

「ひっ」


 ヴィルヘルムの睨みがゴドフリートへと移る。この領地で最高権力を誇る人物の睨み面にゴドフリートは小さく悲鳴を上げ、そして糸が切れたようにどさりと膝から崩れ落ちた。ヴィルヘルムから敵と認定されたに等しいので、カタカタと震え、顔面は蒼白だ。


「この娘は本当に其方らの子どもか? 何故このような本人の意思を無視した人身売買に近い方法を取った? 嘘偽りなく話しなさい」

「そ、それは……」


 ゴドフリートはちらりと孤児院長を見て言い淀んだ。追い込まれているとは思えないほど孤児院長の目はギラギラとしている。言うなよ、と暗に命令しているようだった。それを見てヴィルヘルムは仕方なしとため息を一つついた。


「……もし嘘偽りなく話せば、減刑を考えても良い」

「それは本当ですか!?」


 パッと一筋の光が差したように喜びの顔を見せ、ゴドフリートは両手を床についた。ヴィルヘルムは不機嫌な顔ながら「ああ」と頷いた。


「ゴドフリート、黙れ!」


 裏切られるのを察して孤児院長は低い声で叫んだ。それに対してヴィルヘルムは鬱陶しそうにまた、ため息をついた。


「はあ。ここまできても、か……。其方の言い分などいらぬ。ランベール、頼む」

「はっ」


 額に手を当てながらそう言うと、扉の外から一人の男性がこの部屋に入ってきた。四十代ほどの見た目で腰に剣を下げている。騎士、だろうか。初めて見た。

 ランベールと呼ばれた男性はあっという間に孤児院長との距離を詰め、彼を取り押さえ床へと押し付ける。孤児院長は忌々しそうな表情になりながら騎士を睨んだ。


「邪魔者は押さえておく。早く話しなさい」


 面倒臭そうに言い捨てると、ヴィルヘルムはゴドフリートに発言を促した。今の発言から怒らせたと感じたのかゴドフリートは土下座をするように頭を下げながら慌てた返事をした。


「この娘は確かに私たちの娘です。その銀髪と水色の瞳は母親譲りなので。……何の縁かわかりませんが、ディミトリエ様は私たちの娘を気に入ってくださったようで、こちらに提案を持ちかけてくれました」

「提案だと?」


 ヴィルヘルムは聞き返すと、ゴドフリートは取り繕った顔で「ええ」と肯定した。


「娘を形として養子で引き取った直後に、病死したという口裏合わせの提案です。そうすれば娘は貴族でも何でもありません。平民として生かせば、表舞台に出す必要もないので自由に扱うことができます」

「なるほど、そうか。差し出せる死に石は希少で高価はあるが、大金さえ積めば偽造可能だからな」


 ヴィルヘルムは合点がいったのか頷いている。一見、養子として引き取ったと見せかけて死んだことにすることでわたしを使いやすい駒として手元に置くということだろうか。そのためわたしが異議申し立てをしない、という一文が入っていたのか。


 回りくどすぎてわかりにくいよ……。


 よく考えられた方法に感心してしまうが、その契約をしてしまっていたことを考えると身震いしてしまう。署名せずに済んで本当に良かった。

 孤児院長の思惑の全貌を理解していると、ゴドフリートはまだ続けた。


「それに対する対価として、ディミトリエ様は派閥の中でブルターニュ家を優遇すること、跡取り息子への支援を約束してくださいました」


 そう言われるとブルターニュ家には利点しかない。死んだと思った娘を差し出すだけで自身の家が高待遇になる。だからあんなに必死めいた顔だったのか。

 だが、わたしにとっては迷惑極まりない出来事だ。確実に文字解読はできない。こき使われ、飼い殺しになる未来しか思い浮かばない。


「これでディミトリエの考えたことはよくわかった。しかしな、ディミトリエとの契約自体無理な話だったのだ」

「何?」


 孤児院長の思惑全貌を理解したヴィルヘルムは首を横に振りながら言った。それに反して、孤児院長はヴィルヘルムの意図を理解できず眉根を寄せた。


「アルベルト、契約書を」

「はい」


 ヴィルヘルムが別の名前を呼ぶと、男性がまた入室してくる。ランベールより若く見えるが、三十代後半くらいだろう。アルベルトと呼ばれた男性は帯剣をしておらず、両手で一枚の羊皮紙のみを持っていた。つかつかと早足で孤児院長とブルターニュ夫妻の近くまで寄ると、紙を見せつけるように広げた。


「これはマルグリッドから頼まれ、結んだオフィーリアと私との契約だ。オフィーリアはヴィルヘルム様に魔力量と能力を見込まれ、私の養女となった。もうヴィルヘルム様の承認は済んでいる」

「何ということだ……!」


 アルベルトの言葉で何かを理解した孤児院長は顔面蒼白になる。今までランベールに抵抗していた力が抜け、床へと這いつくばる形になっている。


 この人が協力者で、わたしの今後の父か。


 思いがけず養子に入るプレオベールの人と会うことができて驚いた。文官だと言っていたので、この人が領地運営の補佐をしているのだろう。

 そのアルベルトは孤児院長の顔を睨みつけた。


「貴様がしようとしていたことは横槍だ。しかも上位貴族である私の意向を無視し、その娘を騙しうちで契約を強行しようとした。……上位貴族の娘に対して、貴様は楯突いたのだぞ」

「……そ、それは、知らなかっ……」

「知らぬでは済まされぬ」


 孤児院長の言い訳を遮るようにアルベルトはぴしゃりと言い切った。汗を滝のように流し、何とか言い訳をしようと考えを巡らせているようだが、アルベルトは侮蔑の表情を見せている。これは何を言っても無駄だと思う。


「そういうことだ。オフィーリアはプレオベールの娘となった。……ゴドフリートよ、それに関して其方には承諾してもらいたい内容がある。承諾すれば、プレオベール家と領主を欺くために共謀した罪の量刑を再考してやっても良い」

「な、何でも承諾いたします!」


 そんなに自分の家が大事なのか、ゴドフリートは即答で快諾する。ブルターニュ夫人は夫に寄り添うように座り込み、ヴィルヘルムに救いの目を向けた。

 ヴィルヘルムはアルベルトに目配せすると、アルベルトは一枚の紙を懐から取り出した。そうしてゴドフリートの目の前に広げる。


「オフィーリアに関する契約書だ。……同意するなら署名し、血判を押しなさい」

「は、はい! すぐに!」


 本当に目を通したのか、と疑いそうになる速さでゴドフリートは承諾する。すぐにわたしの膝下に転がっているペンを取ると、署名し躊躇いもせず血判を押した。


「確かに」


 アルベルトが不備がないか確認をすると、すぐに懐へと契約書を戻した。ヴィルヘルムはブルターニュ夫妻に静かに目を向けた。


「減刑は考えるが罪人は罪人だ。刑が決定するまでは身柄を預からせてもらう。……ランベール」

「はっ。連れて行け」


 孤児院長を抑えていたランベールは扉の外に向けて声を放つと、帯剣をした若い騎士たちが数名ブルターニュ夫妻のところまで近寄り、立ち上がらせる。抵抗もせず大人しく二人は連れて行かれた。


「さて……、あとは其方だな」


 孤児院長の共犯者が消えたので、今回の騒動の中心人物を見て、ヴィルヘルムは目を細めた。


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