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第五十話 猶予なし


「別れの言葉か。しかし其方には必要ないだろう。リアは死んだことになるのだからな」


 孤児院長の言葉に嫌な汗が出てくる。

 これは不味い。非常に不味い。貴族籍に正式に戻るのだから孤児院にいたリアの存在を消してしまうという可能性があったことは頭になかった。


『リア……』


 イディがわたしの肩を両手で掴む。ここで「署名しません」とは言えない。しかしこの場を凌がないと孤児院長の手に落ちてしまう。ヴィルヘルムもそれは防ぎたいと言っていた。

 どうすれば良いのか。いっそここで倒れたふりでもした方がいいのではと追い詰められる。いや、意識を失ったふりをしたとして向こうに何されても文句は言えなくなる。

 他に手はないのか、と焦った頭でぐるぐると考えていると、孤児院長が思い出したかのように手を叩いた。


「しかし時間が欲しいという点に関しては、私の方も同じだったな。貴族籍の方を行方不明扱いでなく、ブルターニュ家の実子として存在していると最新の情報として書き換えなければならない。その書類は今、手元にないからな」

「ディミトリエ様。それは後々でも良かったのでは?」

「それでも良かったのだが、この契約が正式なものになる前に領主が間に入ってくるやもしれぬ。孤児としている限りは領主の庇護にあるからな。そうならないためにもここで契約を締結してしまった方が良いと思う。……今朝聞いたことだが、領主が何やら動いているようなのだ」

「何と……!」


 男性は大袈裟な動作をしながら反応する。

 孤児院長の言葉からヴィルヘルムの動きが知られていることがわかる。確か以前、ヴィルヘルムも「奴の手はこの孤児院内でかなり広がっていることがわかった」と言っていたから、何かしらの情報網があるのかもしれない。もしかして孤児院の平民の職員の中に混じっているのだろうか。

 孤児院長は自分の顎をゆっくりと撫でると、考えをまとめながら続ける。


「今日中に貴族名簿を変更するための書類を取り寄せ、明日の昼前にブルターニュ家に戻る契約書と変更をまとめてするのが良いだろう。しかし娘はこのまま、孤児院に戻すのは危険だ」

「ならば、私どもで連れて帰りましょうか?」


 媚びるような声色で男性が尋ねる。孤児院長は黙って首を横に振った。


「領主の庇護元にある状態で連れ出したらそこを突かれてしまうかもしれない。それならば娘は孤児院に戻さず今晩のみ、私の部屋に置いておこう。数日くらいなら隠し通せるので十分だろう」

「そ、そうですか……」


 孤児院長の言葉に安堵したのか男性は胸を手を当ててホッと息を吐いた。隣の女性も同様な反応だった。


「今日契約書に署名せずに明日にまとめてするので、明日も来てもらうことになる。良いか?」

「は、はい……! もちろんでございます!」


 貴族らしい貼り付けた笑顔を孤児院長は浮かべ、ブルターニュ夫妻を見つめる。良いかと形としては聞いているが孤児院長の中で明日もここに来い、という命令に近いようなものを感じた。権力を持つということはこういうことかと唖然とし、我が身に降りかかっていることに消沈してしまう。


「では明日、朝二度目の鐘にここへ」

「はい、わかりました」


 そう言ってブルターニュ夫妻は早足で部屋の外へと向かおうとする。孤児院長が一声かけると、外へと繋がる扉が開き、二人は退出していった。それと入れ替わりで、アルヴェーンが入室しわたしの腕を引っ張る形で外へと連れ出した。


 ……何とか、なったのか? けれど……。


 とりあえずその場で署名する危機は去ったが、孤児院長の部屋のどこか一室に軟禁されることは明確だ。タイムリミットは一日。それまでにヴィルヘルムの助力が得られるように懇願しなければ。




 連れていかれた部屋は使用人が使う部屋なのか、広くはないが寝台や机などは揃っていた。アルヴェーンはわたしを荷物のように部屋に放り込むと、バタンと乱暴に扉を閉めた。あまりに大きな音に驚いていると、かちゃりと鍵がかけられた音が響いた。……本当に軟禁ではないか。


『リア、大丈夫?』


 一部始終を見ていたイディとシヴァルディは心配そうな表情で見つめてきた。乱暴に引っ張られたので腕や手は痛いが、それほどでもない。わたしは手をぶらぶらとさせて大丈夫か確認すると、二人を安心させるように頷いた。


「怪我とか特にしてないし、大丈夫。……でも、この状況だとどう行動したらいいかわからないよ」

『とりあえず私はヴィルヘルムの元に戻り、報告と助言を。まあ、リアが見ていた光景はヴィルヘルムに伝わっているので大丈夫かと思いますが。……しかしあそこで助けに来れないなんてジャルダンの子として恥ずかしい限りですわ』


 シヴァルディがため息をつきながら毒を吐く。あのやりとりを見ている間、シヴァルディとヴィルヘルムでいろいろとやり合っていたのだろうか。


「領主様は領主様の立場がありますし、これが平民の立場は弱いのです……。ですが、時間がないのは事実です。シヴァルディは領主様の元に戻ってください。もし助言があればすぐに知らせてほしいです」

『わかりました。またすぐに戻ってきますので』


 そう言ってシヴァルディはスッと姿を消した。

 わたしはスカートに付いた埃を払うように叩くと、備え付けの堅い木の椅子に腰かけた。するとイディが机の上にちょこんと座って話しかけてきた。


『あの場をやり過ごすことはできたけど、孤児院に戻れないのは予想外だったよ……』

「でもよく考えたら可能性としてあったなって思ったよ。リアとして引き取られるんじゃなくて、オフィーリアとして引き取られるんだから」

『でもどうする? 孤児院に戻れないんだったらマルグリッドに知らせることもできないじゃない』

「そうなんだよな……。そこまで考えてなかったわたしも馬鹿だ……」


 わたしは深くため息をつき、自分の考えなさ具合に落胆する。

 孤児院長の動きが思った以上に早かったこと、呼ばれた時点で後戻りできない可能性を考慮しなかったこと、事前の対策が甘すぎたこと、様々な要因が重なり合って悪い方へと引きずられていく。この状態はほぼ孤児院長の手中にいるに等しい。これではヴィルヘルムに会うこともできないし、助言を貰っても行動すら叶わない可能性もある。

 どうしたものかとわたしは頬杖をついて考えあぐねる。すると急に心臓付近が翠色に輝き始めた。


 リア……、聞こえていますか……? そちらに現出したいので、精霊力を送っては貰えませんか……?


 囁くような優しい声でシヴァルディが語りかけてくる。わたしは胸に手を当てた。


 ……はい、聞こえています。すぐに流します。


 そう返事をするとわたしは目を閉じ、全身に広がっている精霊力を心臓に集めるのをイメージする。すると精霊力が吸い取られて消えていく感覚と同時並行で、蝶の鱗粉のような翠色の輝く細かい粒が目の前に集まっていく。そして人の形になったかと思うと光の中からシヴァルディが現れた。


『お待たせしてすみません。ヴィルヘルムから提案があったので聞き次第、戻ってきました』

「早かったですね」


 シヴァルディが消えてからほとんど時間は経っていない。ヴィルヘルムのところで話を聞いてすぐ戻ってきた状態なので、ほぼとんぼ返りだと思う。わたしの言葉にシヴァルディは目を細くする。


『ヴィルヘルムはあのやりとりを見ながら可能な手を考えていたようです。私が戻った時には最善の方法を提示してきました』

「最善の方法なんてあるのですか?」


 この軟禁状態でわたしにできることなどあるのだろうか。わたしは想像ができず首を傾げると、シヴァルディは指をぱちんと鳴らした。すると、シヴァルディの手にわたしたちが作った鉛筆とメモ帳が現れる。


『ヴィルヘルムの言葉で確認してもらった方が早いと思います。これを……』


 そう言ってシヴァルディはわたしに精霊道具を手渡した。わたしは黒の皮カバー部分に精霊力を多めに叩き込んで、手帳を開く。前回わたしが書いた報告書は消されず、そのまま残っていてヴィルヘルムが書いたと思われる返事と提案がその後に書かれていた。わたしは食い入るようにそれを読もうとするとイディが声をかけてきた。


『ねえ、リア。ワタシも知りたいから声に出して読んで』

「わかった」


 わたしは頷くと、初めの部分に人差し指を当てて一字一字確認しながら扉の外に聞こえないように小声で読んでいく。


「……今回、緊急を要するため、報告書に対する返答は後日行うことにする。興味深い内容だったのでできればそれは直接話したいところだ。……さて、今回のことでディミトリエの準備の良さを痛感した。もう行動を起こすとは考えてなかったので、そこは私が甘かった。しかし最後の最後で私の介入を防ぎ、ディミトリエは慎重を期すために時間の猶予を与えてくれた。そこは不幸中の幸いと言っていいだろう」

『不幸中の幸い……。これが?』


 イディが不思議そうに呟いた。署名を拒否し何とかその場を凌ぐことはできたが、孤児院長の部屋の一室に閉じ込められている。マルグリッドやヴィルヘルムも会いに来れないこんな場所で何かできるのだろうか。わたしはメモ帳を持ち直し、続ける。


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