第四十九話 孤児院長の思惑 後編
開かれた扉の奥には三人。イディの言う通り、孤児院長と男女一人ずつが椅子に座ってそれまで談笑していたようだ。男性の方はややくすんだ薄い茶色の髪、女性の方はわたしと同じの銀髪だった。男性は四十を超えたあたり、女性は若く三十代といったところか。皆、わたしが着ているのと同じくらい上等な衣服を身につけているので貴族なのは間違いない。
あれ……。この女の人……、わたしに似てる……?
そう思ってしまうほど、目つきや鼻の形が先程まで嫌というほど鏡で見た自分の顔と瓜二つだった。そして、わたしを確認した男女は「ああ!」と大袈裟な声を上げて、椅子から立ち上がった。
「オフィーリア! 生きていたのね!」
女性はリアではなく、貴族の名であるオフィーリアとわたしのことを呼んで笑顔を向けた。
「オフィーリア、生き延びていてくれたのか!」
同様に男性の方もわたしをオフィーリアと笑顔で呼んだ。
この二人、わたしに対して笑顔を向けているが、どう見ても作り笑顔だ。言葉的にはわたしを心配していたという風に感じられるが、表情と言葉がちぐはぐだ。わたしは目の前の大人の存在に不信感を感じてしまった。
「久しぶりの我が子との対面だ。再会を喜ぶがいい」
……我が子? わたしがこの大人たちの子ども?
孤児院長の発言にわたしは目を白黒させる。この言い分だと、目の前の男女がわたしの両親だと言わんばかりではないか。
『この二人がリアの両親……?』
イディも突然の出来事にあんぐりと口を開けている。しかし、特にこの女性の容姿はわたしにそっくりなため、孤児院長の言うことは事実なのだろう。
「オフィーリアもこの二人は生き別れた両親だ。存分に甘えると良いぞ」
孤児院長は含み笑いしながら、楽しそうに言う。まるで自分の思い通りにことが運んでいるようなそんな声だ。孤児院長の言葉に同調するように両親らしき大人はにこやかに頷いた。
「オフィーリア。さあ、別れる前に呼んでいたように、お父様、お母様と呼んでごらん」
父親らしき人物は口元は吊り上げたまま、そう言い放つ。目はギラギラとさせていてどう見ても子どもに向ける表情ではない。
以前のオフィーリアの記憶を探っても、この人物たちに見覚えもなく、「お父様」「お母様」なんて呼んだ記憶もない。両親、と言われて思い浮かぶのは春乃の時に温かく見守り育ててくれた父と母しか思い浮かばないのだ。そして、今まで親代わりとしてわたしと接してくれていたマルグリッドの笑顔が脳裏をよぎる。
「さあ、呼んでごらん」
再び男性が催促をしてくる。マルグリッドのような優しい目でもなく、ニコラのような心配する表情でもない。目を血走らせ、目の前の子どもを自分たちの言いなりにしようとしているようにしか見えない。
……ああ、気分が悪い。
このような人物がわたしの親だと考えると、吐き気が襲ってきた。「跡取りが生まれたから魔力供給できない」という孤児院長伝えであるがそのような理由で、我が子であるわたしを捨てた人たちだ。今更、親面をされても不快感しかない。
「言ってごらんなさい」
わたしが黙って見ていることに痺れを切らしたのか、母親らしき女性も語気を強めて催促してきた。
もうこれでは平民に命令する貴族でしかない。貴族の命令は絶対だ。わたしは、二人に湧き上がる不快感を悟らせないように小さく「お父様、お母様」と言った。
「まあまあ! オフィーリア、もっと甘えても良いのよ? 以前のように、ね」
「そうだぞ、これからまた家族に戻れるのだから」
貼り付けた笑顔を見せながら目の前の大人たちは迫ってくる。
『気持ち悪い……』
狂気的な迫り具合にイディもシヴァルディも顔を顰めている。その気持ち、激しく同意する。口には出せないけど。
「心優しい両親の元に帰るのが其方にとって一番良いだろう」
「まあ! ディミトリエ様。わたくしたちはこの子の生みの親ですもの、当然ですわ」
大人たちの口調から、わたしを懐柔しようとしているのがひしひし伝わる。親子の情を使えば、幼子であるわたしは簡単にこちら側に入るだろう、とそういう意図が全く隠れずに見える。
……でも何でわざわざ? わたしの意思関係なく、勝手にできるはずでは?
そう考えていると、孤児院長は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、わたしの目の前に広げた。
「其方は平民の孤児に落ちたとあの時は言ったが、本当はそうではない。私の力があれば、其方を元いた貴族の世界に還すことができる」
広げた羊皮紙の先に見える孤児院長の企んだような嫌な笑みが見える。その眼は鋭く光り、不気味さを感じる。わたしは思わず息をごくりと呑んだ。
「其方はまだ領主の庇護下にいる。これに其方の意思で署名すれば、其方はブルターニュの家に正式に戻ることができる。これは領主の庇護から抜け、元いた場所へと戻ることに同意する契約書だ」
そう言って孤児院長は契約書をぴらぴらと振った。わたしはその契約書を見つめた。
一つ、ジャルダン領主の庇護下から抜けること。
一つ、庇護を退けた後は、正式にブルターニュ家に戻り、籍を復活させること。
一つ、正式に貴族籍に戻れば、その後ディミトリエ・ドグヴォスの養子として籍を移すこと。
一つ、ディミトリエ・ドグヴォスの養子になった後は、扱いについてオフィーリアは異議申し立てはしないこと。
以上のことに同意する。
そのように書かれ、下の方に署名する欄があった。
……嘘つき。大切なことを言ってないじゃない。
裏で勝手に契約を結んでしまうのではなく、孤児院長がわたしの意思で貴族籍に戻るように促しているということは、他の介入を排除するためだろう。他の介入とはヴィルヘルムやマルグリッドたちのことで、わたしが同意した上で行ったと言い逃れられるようにしているのか。
孤児院長はわたしが字を読めることは知らない。だから知られたら都合の悪いことは伏せて話している。そして、後ろにいるわたしの両親と名乗るブルターニュ家の人間は孤児院長の仲間だ。ブルターニュ家の利になるような提案があってそれを受け入れた上での行動なのだろう。孤児院長に脅されている線も捨てきれないが、幼い子どもを捨て、「死んでしまっても構わない」と発言するような人間たちだ。その線はわたしの中ではない。
「其方は孤児院で暮らしていたため、字が書けないであろう? 希望するなら、其方の名前をどう書くかくらいは教えてやっても良いぞ」
「ディミトリエ様がここまで心を砕いてくださっているのだ。さあ、署名しなさい」
大人たちは薄気味悪い笑顔で近づいてくる。気付けば父親と名乗る人物の手には羽ペンが握られており、それをわたしに押し付けてきた。
どうしよう……! 何とかここで切り抜けないと……!
わたしはちらりと近くにいるシヴァルディを見た。シヴァルディは申し訳なさそうに首を横に振る。……ヴィルヘルムはまだ助けに来れない、ということだろう。確かに平民の孤児のために理由なく上の者が動くのは外見上良くないし、難しいのはわかる。
考えろ、考えろ、考えろ……! 署名せずに切り抜けられる言い訳を考えろ……!
わたしは必死になって誤魔化せる言い訳を考える。今すぐサインしないでとりあえずこの場を切り抜けられたらいいのだ。そうすればヴィルヘルムの助言をあとで得て、行動することができる。
相手はわたしを十歳に満たない子どもだと侮っている。中身は二十歳すぎの大人だが、わたしを子どもだと思って親子の情でほだしたり、甘い言葉で囁いて懐柔しようとしたりしている。それを利用したら……!
「こ、孤児院長様……! 失礼とは思うのですが、一つ聞いてもよろしいですか?」
「ん? 何だ。言ってみなさい」
わたしは発言する許可を得る。孤児院長はここまで用意周到に準備し、勝ち誇った顔をしている。そのため言葉には余裕が感じられた。
「わたしがこの契約書に署名したら、すぐにお家に帰ることになるのでしょうか?」
「……そうだな。署名することで領主から親元の庇護に変わるので、其方がここにいるのは難しい」
孤児院長は自分の顎を撫でながら言った。契約書には領主の庇護を抜けることが明記されているので、そうなるだろうと予想はしていたがその通りだった。
「……それならばわたし、お友だちや先生にお別れが言いたいです。署名は必ず。だから一日だけでいいので待っていただけませんか?」
できるだけ子どもらしく、見た目通りの感情豊かな子どもらしく振る舞えば何とか切り抜けられるかもしれない。保留にできれば今回はこちら側の勝ちだ。初めに情に訴えかけてきたのはそちらだ。わたしも子どもらしい反応で対応したら良い。そして署名する、と明言はしない。……どうだろうか?
わたしは孤児院長の様子を窺う。孤児院長はうーん、と一度考え込む振りをするが、答えは決まっているのかすぐに顔を上げた。




