第四十七話 不穏
孤児院長がわたしに用事……。
考えられるのはわたしを自分の手中に収めるためについに抜け道を使ったか、ということくらいしか思いつかない。しかし、何故わたしを呼ぶ必要があるのかは理解できないのでわたしは首を捻った。
「アルヴェーン様がこちらに来ているの。リア、本当に何もしてない?」
ニコラは心配そうにわたしの頬を撫でた。心当たりはあるが、何かしたかと言われると何もしていないのでわたしは首を横に振った。
「何もしてません。関わらなくて済むなら好き好んで関わろうと思いませんし」
「そう……。これ以上お待たせすると、リアが危ないから行くけど、いい?」
ニコラはお願いと言った表情でわたしを見つめてきた。嫌と言ったところで有無を言わさず連れて行かれそうだが、短い時間の中でできる限りの手は打たなければならない。
「……先生にはこのこと、伝えてますか?」
わたしの質問にニコラは首を横に振った。
「急だったからまだよ」
「アモリ、ごめん。今すぐ先生に伝えてくれる?『孤児院長に呼ばれた』って。これで伝わるから」
「わかった。行ってくる」
ただならぬ空気を感じたのかアモリは真剣な顔をして食堂の外へ走っていた。これでマルグリッドに状況は伝わると思う。
あとはヴィルヘルムに動きがあったことを何とか伝えなければならない。
「……ニコラ先生。孤児院長のところに行くならこんな汚い服じゃ、不敬になりますよね?」
「そうだけど……」
わたしは両手を広げて生成色のワンピースを見せつけた。外で作業することもあってか裾は薄黒くなってしまっている。基本お下がりで回しており、新品ではないので元々汚いのだが。
「すぐ終わりますので部屋に戻って、割と綺麗なものに替えてきます」
「……ええ、わかったわ」
ニコラは少し考え込むような仕草を見せたが、頷き承諾した。
これでシヴァルディを呼んで伝えることができる時間が取れた。わたしは一度ニコラに断りを入れてから食堂を後にする。
「イディ、イディ! 起きて! 大変なの!」
今は朝食どきなので廊下には人はいない。だから人目を気にせずにわたしはイディに呼びかけた。
『…………どうしたの? リア……』
しばらく経ってから眠そうに目を擦りながらイディが姿を現す。ここ最近、夜更かしが増えているのでイディは完全に夜型になってしまっている。精霊に睡眠なんて必要あるのか、と疑問に思うが、現に眠そうにしているので人並みに必要なのだろう。
わたしは、早足で自室に向かいながら横目でイディを確認しながら端的に話す。
「今、孤児院長に呼ばれた。領主様や先生が言ってたみたいなことで、何か動いたのかもしれない」
『え!?』
わたしの言葉に一瞬で眠気が吹き飛んだのか、イディは目を丸くする。
『動くの早くない!? 領主様が来てからそんなに時間、経ってないよ!?』
「領主様関係なく、先に動いていたのかもしれない。そう考えると、時間は結構あったんじゃないかな」
初めて孤児院長に会ってからの日数は一、二週間ほど空いている。ヴィルヘルムは孤児院長を強欲で老獪極まる人物と称していた。ヴィルヘルムの訪問後に動いたのではなく、それ以前に手を回していたと考えるとこの動きの早さは納得できる。
しかし、何のためにわたしを呼びつけたのかはわからない。引き取ろうと思うならば勝手にブルターニュの家とやりとりしているはずだ。もしかすると、もう引き取りの手続きは終わり、ブルターニュの家に戻るところまできているのかもしれない。
……そういう状態だと、わたしは何もできない。
嫌な汗が噴き出てくる。こうなってしまうと、ヴィルヘルムの擁護は必須だ。一刻も早く知らせなければならない。
「今、自分の部屋に戻る時間だけ貰ったから、その間にシヴァルディを呼んで領主様に伝えてもらう」
『うん、絶対そうした方が良い。領主様なら何か考えてくれると思う』
他力本願なのは仕方がないが、孤児院長より上の立場でないと撥ね退ける力は平民孤児のわたしにはない。この領地で絶対的な権力を持つヴィルヘルムに助力願うしかない。
滑り込むように自室に入るや否やわたしは、胸に手を当てて呼びかける。
シヴァルディ! 緊急事態!!
名前を呼びつけた途端、わたしの体が心臓辺りが翠色に淡く輝く。光の粒子が体から放出され、目の前に人の形を作っていく。精霊力が抜かれていく感覚に息を深く吐くと、シヴァルディが姿を現した。
『リア! どうかしたのですか!?』
「孤児院長に今、呼ばれました。何で呼ばれたのかわからないので、何とも言えないんですが。下らない用事だったらそれでいいんですが、もしわたしを引き取るための何かだったらいけないかな、と思って。すぐに戻って領主様に伝えてもらえますか?」
わたしの言葉にシヴァルディは青くなった。彼女自身が考えているよりも孤児院長側の動きが早いと思ったのだろう。
シヴァルディを横目にわたしは生成色の服を脱ぎ捨てると、共用のクローゼットからまだ新しめの服を取り出し着用する。そして、少し乱れた銀髪を手で整え、背中へと流した。
「大丈夫。死ぬつもりもないですし、孤児院長の思い通りになるつもりは毛頭ありません。……お願い、できますか?」
『ええ……!』
正直、平民の立場であるわたしにはどうしようもないのだが、安心させるように言葉をかけると、シヴァルディはハッとし、我に返るとこくこくと頷いた。
『すぐにヴィルヘルムに伝えて何かできないか聞いてみます。私を仲介して貴女とヴィルヘルムは繋がっていると言えるので、私はすぐにリアの元に参りますわ』
「お願いします」
『では、またあとで』
手早くそう言い残すと、シヴァルディの体がふっと消えたかと思うと翠色の光の粒の残滓が離散し、しばらくすると馴染むように消えていった。
「これで一番やらなきゃいけないことは終わった。あとは自衛できるところはしないといけないんだけど、こればっかりは何の用事か次第かな」
『様子見って言ったらなんて呑気な、て言われそうだけど、リアの立場だとそれしかできないよね』
相手はこの孤児院で一番の力のある貴族、そしてこちらはしがない平民の子どもだ。権力を前にしては何もできない。
できるだけ話を引き延ばして、ヴィルヘルムの助言や擁護を待つしかない。
「じゃあ行こうか。しばらくは反応できなくなるけど、聞いてはいるから何かアドバイスあったら教えて」
『ん、わかった』
意見は多いほど選択する余地が増える。わたしは口をきゅっと結んで頷くと、自室の扉を開け、ニコラと合流するために食堂へと戻ることにした。これ以上待たせるのも良くない。
食堂の前まで戻ってくると、ニコラが両手を腕の前で組み、人差し指をとんとんと叩いていた。見るからに待たされてやきもきしているようだ。普段は走ってはいけない廊下を駆けて、ニコラの元へと寄っていく。
「お待たせしてすみませんでした」
「ああ、リア。良かった。……じゃあ、行きましょう」
そう言ってニコラはわたしの手を引き、孤児院長の部屋がある貴族のフロアへと向かう。前回、貴族が良く使う玄関口のところでアルヴェーンが待ち構えているのだろう。
「ニコラ先生、アルヴェーン様は何のためにわたしを呼んでいるのか、とか言っていましたか?」
焦りから強く手を引かれ、ほぼほぼ引きずられるような形だが、わたしはニコラに駄目元で尋ねてみる。情報は武器だ。あればあるほど対策することができるが、ニコラは知っているだろうか。
わたしの問いかけにニコラは首を横に振った。
「いいえ、『リアという孤児を連れてこい』としか命令されなかったわ。だから、何かしていないかと初めに聞いたのよ」
「そうですか……」
わたしはがっくりと肩を落とす。知らないとなるとあちら側のペースで話が進んで行くことになる。相当頭を回転させて臨まなければならない。わたしは空いている手を握りしめ、気合を入れた。
「貴族様にとって私たち平民は虫のような存在よ。気分次第で殺してしまっても構わないの。……孤児院長は特に酷い。だから、リア。相手の機嫌を損ねないようにして、お願い」
わたしを見もせず、強張った声でニコラは言う。わたしは「わかりました」と緊張気味に返すが、それに対してニコラは何も言わなかった。今回の呼び出しはわたしの名指しも相まってか、ピリピリとした緊張感が伝わってくる。
……面倒なことになってるなあ。
ニコラの横顔をちらりと見ながらわたしはそっと息を吐いた。




