第四十六話 アモリと精霊石
ゆさゆさと体を大きく揺さぶられ、意識が浮上する。目を薄っすらと開けた瞬間に、眠気が襲ってきてわたしはまた目を閉じた。
「リア姉ちゃん! 起きなさいよっ!」
「うう……、あと少し……。あと少しでいいから、このまま……」
レミの元気すぎる声に鬱陶しさを感じながら、せめての抵抗で薄い布団に顔を擦り付ける。しかし、その抵抗すらものともせず、レミは腕に力を入れ、さらに大きく揺さぶってきた。
「もう鐘は鳴ったのよ? 早く起きてっ! 食堂に行くよっ!!」
「起きる……、起きるからあ……。でも、少しでいいから……、休ませて……。眠い……」
「ああ! もう! ギィ!」
「やるの? わかった!」
起き上がろうとする素振りもないわたしに苛立ったのか、レミはギィを呼びつけた。揺さぶるのをやめてもらえたので安心して深めの眠りに移行しようとしたら、ごそごそと音がする。……ん? 何?
「せーのっ!」
その掛け声とともにわたしの下に敷いていたはずのシーツがなくなった。そして、わたしは自分の掛布団を巻き込みながらコロコロと転がり、硬い床に頭と腰を打ちつける。いつものパターンだ。
「うう……、もう少し優しく……。おはよ……」
「お、おはよ……!」
「これでもやさしいんだぞ?」
「リア姉ちゃんが起きないのが悪いのよっ!」
わたしは打ちつけた腰を摩りながら、開かない目を何とかこじ開ける。もうすぐ日の出なのか窓の外は薄っすらと暗い程度だ。わたしがぼんやりとしている間にレミとギィはわたしの布団をてきぱきと片付けてくれた。どちらが年上なのだろうか。
「リア姉ちゃん……、早く、しょ、食堂に……行こう? 今日は、アモリ姉ちゃんが、か、帰ってくる日、だよ?」
「あ! アモリ!」
ロジェの言葉にわたしの意識は一気に覚醒する。
そうだ、今日からアモリが療養から帰ってくる!
本当は昨日わたしが目覚めた時に会いに行こうと思っていたが、突然のヴィルヘルムの訪問のおかげで就寝時間までにアモリが休んでいる部屋へお見舞いに行くことができなかった。だから、アモリを治療してから今日、初めて会うことになる。おそらく、もう起きて食堂で体を清めているのだろう。
眠気が一気に吹っ飛んだわたしはすくっと起き上がり、さっさと替えの下着を用意する。
「じゃあ、行こう……?」
くすくすと笑いながらロジェが言うことにわたしは何度も頷くと、わたしはギィの手を取って部屋の外へと飛び出した。一刻も早く、元気な姿を確認しておきたい。
食堂に到着すると、他の部屋の女子たちが白い湯気の立つ湯に手拭いを浸して、体を拭いていた。わたしが起きるのが遅かったせいか、ほとんどの子どもたちが体を拭っている。わたしは、すたすたとその子たちに挨拶もせずに自分たちが座っている机へと向かう。
「あ! もう、遅いよ!」
久しぶりに聞く溌溂とした声に目を見開いた。──目の前には倒れる前と変わらないアモリの姿があったのだ。わたしは泣きそうになるのをぐっと堪え、口元を強く引き締めて駆け寄った。
「……もう、なあに? そんな泣きそうな顔になって……」
「……もう、大丈夫なの?」
アモリの頬をぺたぺたと触りながら、体温の温かさと肌の赤みに安心する。アモリはわたしの表情からどうしたら良いのかわからず、困ったように笑ってわたしの手を握った。
「……うん、リアの夢のおかげ。大丈夫、ちゃあんと生きてるよ」
「良かった……!」
アモリの力強い言葉に目頭が熱くなる。わたしはアモリの手を握り返すと、自分の顔元へと近づけた。わかっていたが、きちんと無事を確認し、元気な姿を見るとこみ上げてくるものがある。良かった、その一言しか出てこない。
「今日からアモリも皆との生活を再開します。ですが、まだ本調子でないので、リアがきちんと面倒見てあげてくださいね」
「あ、先生……」
上から言葉が降ってきたので涙で滲んだ瞳をそちらへ向けると、マルグリッドがアモリの傍で立っていた。傍らには湯気の立つ盥と手拭いが置かれているので、アモリの補助をしようとしていたのだろう。声をかけられるまで全く気付かなかった。
「先生、大丈夫だよー! もうこの通り元気なんだから!」
「念のためですよ」
腕をブンブンと振り回しながらアモリはアピールするが、マルグリッドは目を閉じながら首を横に振った。いくら今元気といっても、一度死に石になりかけたのだ。マルグリッドの言うことは痛いほどわかる。
「先生、アモリはわたしがきちんと面倒見ます。それで、今日のアモリの仕事は……?」
「全てリアと同じにしていますよ。仕事の合間は少し休憩しつつやってくださいね」
「わかりました。配慮、ありがとうございます」
今日一日はアモリと別行動することなく、一緒にいられそうだ。それならば、どこか隙を見てアモリに精霊力を流す練習もすることができるだろう。アモリが再び死に石化しないようにするには必須のことだからだ。
わたしはマルグリッドに感謝の意を込め、深々と礼をすると、マルグリッドは微笑んでくれた。
「では、あとはリアたちに任せても良いですか? リアは朝食後にまたわたしの部屋に来てくださいね」
「大丈夫です。皆でアモリのお世話頑張ります」
わたしの言葉にマルグリッドは柔らかい笑みを浮かべながらわたしとアモリの頭を一撫ですると、食堂を去っていった。マルグリッドが出ていく様子を見送った後、振り返るとアモリが息を大きく吸っていた。
「……ということで、今日からまたよろしくね」
「アモリ姉ちゃん、元気になって良かったっ!」
「きょうはアモリねぇちゃは、がんばったらだめだからね!」
一番ショックを受けていたレミとギィが嬉しそうにアモリのところへと近づいて手を握った。アモリは照れくさそうに笑うと、机に置いてあった手拭い数枚を手に取った。
「じゃあ、朝食も近いから早く体を拭いちゃおう! リアたち、来るの遅いから他の子たちはとっくに始めてたんだよ?」
「それは、リアねぇちゃがおきないからわるいんだよ」
「そうよっ!」
「……否定できない」
そう言いながらアモリの手に握られた手拭いを受け取り、盥へと放り込んだ。さっさと体を清めてしまおう。
わたしたち十歳組は手慣れているのでさっさと体を清め終わり、レミやギィの体拭きを待っている間、厨房に行くことにした。竈の精霊道具に少しでもアモリの精霊力を注がせたら今一番の不安点は解消するからだ。
厨房の入り口から二人で顔を覗かせると、こちらに気付いたサラが近づいてきた。
「あら、アモリ! もう元気になったの?」
「うん! いっぱい休んだから良くなったよ。心配してくれてありがとう、サラ姉ちゃん」
わたしやロジェたち以外にはアモリが体調が悪くて倒れてしまったことになっていたようだ。さすがに死にかけたと伝えてしまうと、混乱を招きかねないので良い判断だったと思う。
「サラ姉さん。忙しいところ申し訳ないのですが、ちょっと竈の方に行ってもいい?」
「……? ええ、いいわよ。もう朝食の準備も終わるし」
不思議そうな表情を浮かべながら許可してくれたサラにお礼を言った後、わたしはアモリの手を引いて竈のところまで連れて行く。屈んで目線を下げ竈を探っていくと、炎の強さの切り替えボタンの近くに一点に赤く輝く石があった。
これが精霊力の塊の石だ。
ドミニクたちがいる厨房で見た石とほぼ同じだ。前にここに来た時は全く気付かなかった。わたしは目を閉じ集中して精霊力の有無を確認すると、ぽっと灯るような炎が揺れていた。思った通りそこまで多くはないが、精霊力が込められているようだ。
わたしは赤く光る石を取り外すと、アモリの手に握らせた。
「これは? 外しちゃって良いの?」
アモリは訳がわからずにキョトンとしている。わたしは安心させるように頷いた。
「ちょっと魔力を込めて返すから大丈夫だよ」
「魔力?」
「うん。アモリの魔力をこの石に込めるの」
わたしの言葉にますます訳がわからないのか怪訝な顔になっていく。
「なんで? 魔力は先生が込めてるでしょ?」
「アモリも魔力持ちだから使う練習をしないといけないんだよ。わたしもちょっと前から練習してるの」
最後の言葉は真っ赤な嘘だが、アモリ自身の精霊力を流していかなければならないのは本当だ。そうしないと、力の流れが滞り、末端から固まっていってしまう死に石化の症状が出てしまう。
「それなら先生が教えるのが普通じゃない? なんでリアが?」
わたしの説明にアモリは首を捻る。そう言われると、確かにそうなのだ。しかし、死に石化の原因をわたしはマルグリッドにきちんと伝えておらず、誤魔化している。どうやって治療したのか、予防するのかを伝えるのを伏せてしまったので、マルグリッドの協力を得るための説明が難しいのだ。
わたしは内心どうしようかと頭を捻った。でもここで引いてしまっては、アモリの命に関わる。引くわけにはいかない。
「……アモリが死なないため、だよ。使う練習をしないと、倒れた時のアモリみたいになっちゃうの。わたしは先生に心配かけたくないからこっそり練習してるの。アモリもそうでしょ?」
ここで変に誤魔化すより、アモリならわかってくれると信じてわたしはきちんとお願いすることにした。アモリは目を見張って息を呑んだ。いきなり生死が関わると突き付けられて驚いたのだろう。
「アモリを助けた時、精霊様が教えてくれたの。魔力をきちんと使わないと倒れちゃうんだって。全く魔力を使う機会のないわたしたちは一番危ないの。精霊様のことを先生に教えても信じてくれなかったから、だからわたしはこっそりやってる。だって精霊様は御伽噺の世界のものだって先生が言ってたから」
「……そうなの?」
「だから、これは二人だけの秘密。先生に心配をかけないため、そしてわたしたちが生き延びるための。だからこっそりと魔力を使う練習をしよう? バレないように慎重に」
わたしはアモリの顔に自分の顔を寄せて小声で囁く。精霊の話を以前にアモリにしていたためか、アモリは神妙な顔でこくりと頷いてくれた。わたしは内心ほっとすると、石を握ったアモリの手を両手で握りしめた。
「今日は初めてだから少しだけ。……目を閉じて、先生に貰ってた魔力を自分の手から外に出すのを想像してみて」
「……うん」
そう言ってアモリは緊張した面持ちになって目を閉じた。わたしも目を閉じてアモリの精霊力の流れを感じる。
……アモリの精霊力量、やっぱり少ないな。それなら、放出する量も初めは少なくしなきゃ。
「水滴をぽたぽたと垂らすような感覚で、石に集中して……」
わたしがそう言うと、アモリの精霊力が石へと少しずつ流れていく。ゆっくりと染み込むように石に精霊力が溜まっていく。そして、少し時間が経ったくらいでわたしはアモリに声をかけた。
「え? もう終わり?」
「うん。使いすぎると初めは頭が痛くなったり、熱が出たりするから。こんな感じで毎日この竈の石に魔力を篭められる? わたしがいる時はわたしも一緒にするから」
そう言ってアモリの手から石を取り上げると、わたしも石を握りしめて精霊力を流すふりをした。そして、石があった位置に嵌め直す。竈の窪みに石は吸い込まれるようにピタリと嵌まると、赤く輝きを見せた。
「先生たちには内緒。何をしてたか聞かれても秘密。いい?」
「わかった」
アモリがこくりと頷いてくれたので、わたしは胸を撫で下ろした。これでアモリが死ぬことはなくなるだろう。
そう安堵していると食堂の方が何やら騒がしい。わたしとアモリは顔を見合わせると、食堂の方へと向かう。
「………ですか!?」
誰か女性が焦った様子で叫んでいる。何かあったのだろうか。厨房の入り口から食堂で叫んでいる主を窺う。
「リアはどこにいますか!?」
わたしを求めてそう叫んでいるのは、ニコラだった。顔は真っ青になってかなり焦っているようだ。緊急性が高いことを理解して、わたしはニコラの元に駆け寄った。
「どうしたんですか? 先生」
「ああ! 良かった、見つけた!」
わたしを発見してニコラはわたしの手を握った。そして、そのままわたしに目線を合せるようにしゃがみ込んだ。その目は焦りと心配を含んだものだったので、わたしは思わずごくりと息を呑んだ。
「今さっき、リアを連れて来いと、孤児院長のお使いが来たのです」




