第四十二話 講堂での密談
シヴァルディの別の場所という言葉に、ヴィルヘルムはピクッと眉を動かした。
「どういうことだ?」
『そのままの意味です。何故ヴィルヘルムは精霊殿で暮らしていないのですか?』
シヴァルディの言い方だと、眠る前はジャルダン領主はここで暮らしていたという言いぶりだ。ヴィルヘルムは考え込むように腕を組むと、じっとシヴァルディを見つめた。
「ジャルダンの子は皆、精霊殿で暮らしていたのか?」
『そうです。ジャルダンの子は精霊殿に仕える者。私が眠る前は、ここで生活をし、私とともに王族に仕えていました。もちろん、精霊殿文字も読めるはずなのですが、先程の様子からはそこも忘れ去られたようですね』
「領主が、ここで働いていただと……?」
ヴィルヘルムはかなり驚いたのか目を見開いた。シヴァルディはそれが当たり前と言わんばかりに、大きく頷いた。
『ここで精霊殿を守り、年に一度訪れる王族を迎え、儀式を執り行っていました。そちら側に精霊殿文字で書かれていると思います。人の文字で私は読むことができないので、おそらくになりますが』
そう言ってシヴァルディは、反対側の壁を指さす。そちら側は、「地に力込めん。実り得ん」の記述があるところだ。シヴァルディの方の解読しか進んでいないので、情報を得られるのはありがたい。あとでメモしておこう。
「王族がここに来ていたのか? 今やそのようなことはない。王族に会うにはプロヴァンス領に行かねば会うことなどできないくらいだ」
『私が眠りについていた期間がどのくらいなのかまだ把握できていませんが、その間に様々な情勢が変わっていってしまったということですね』
今の王国のことを知っているヴィルヘルムと以前の王国のことを知っているシヴァルディで、かなりの齟齬があるようだ。そこはすり合わせが必要だろう。
「シヴァルディが眠りにつく前に祖先が行っていたことをきちんと調べる必要があるな。やはり城の文献を探るしかないが、リアよ」
「は、はい!」
今の今まで話を聞いていただけだったので、突然の名指しの指名に肩をびくりと震わせてしまった。
ヴィルヘルムは、孤児院長と違ってきちんと話を聞き、判断を下してくれる稀有な人だが、やはり貴族は貴族なので緊張はしてしまう。
「文献を探るがおそらく実のある成果を得られるとは言い難い。シヴァルディからも話を聞くが、其方はこの記述を読み解き、私に報告書を出しなさい。字は書けるのだから、余裕だろう?」
口角を上げて楽しそうにヴィルヘルムは言った。そのにやりとした企んだ笑みにわたしは知らず知らずのうちに後ずさりをしていた。そして、わたしは承諾していないのにも関わらず、マルグリッドと同じの貴族スマイルを浮かべ、続ける。
「昔の文献になるので、プロヴァンス文字でなく、其方の言う旧プロヴァンス文字の可能性が高い。その場合も其方の力が必要になるので、また呼び出すことになるだろう」
「……わかりました」
圧のある笑顔に押され、渋々返事をする。
旧プロヴァンス文字を読めるようになれば、わたしを呼び出す必要などないのに、と思っていたが、その心の声が漏れたのかヴィルヘルムはわたしを睨みつけた。
「詳しく言えぬが事情でまとまった時間が取れぬ。私としても自分の手で読み解き動きたいのだが、仕方あるまい」
「……すみません」
不機嫌そうな顔を見せつけられて、わたしは萎縮しながら謝罪する。それに対して、ムッとしたのかシヴァルディが『ヴィルヘルム』と一言、窘めるように言ったが、ヴィルヘルムは鬱陶しそうに眉を顰めつつも話を切り替えてきた。
「さて、あと一つ聞きたいことがある。──この孤児院のことだ」
「孤児院、ですか?」
何が聞きたいのだろうと首を傾げるが、すぐに孤児院長のことなのではと閃く。ヴィルヘルムは孤児院長の援助金横領のことを探っているようで、わたしやマルグリッドにそれとなく聞こうとしていた。わたしに聞いてきた時は近くに孤児院長がいたので明言は避けたが、もしかすると言いたいことは伝わっていたのかもしれない。
「そうだ。其方に尋ねた時は明らかに言いづらそうにしていたからな」
「そうですね」
思った通り伝わっていたようだった。あの時は表情は取り繕っていたはずだが、あれで判断したというのならば、さすがジャルダン領の領主といったところか。もしかするとわかりやすく顔に出ていたのかもしれないが。
「孤児院への援助を増やした話は知っているな? 孤児たちが成人したら、土地を与え作物を作らせたり、下働きとして召し上げたりとできるので、多くの子どもが成人できるように手配したのだが、どうも実態と報告が一致しないのだ」
「聞いています。孤児院長に横領疑惑がある、と」
「……賢明な奴がいるようだな」
マルグリッドから教えてもらったので知っていることを伝えると、ヴィルヘルムは興味深そうにわたしを見つめた。
わたしがヴィルヘルムに料理を献上することになった理由は、目の前にいる権力者のご機嫌を取るためだ。見たこともなく、美味とされたわたしの料理を差し出すことによって、疑惑をかき消しつつも孤児院長の仕事ぶりが良いと見せようとしていた。実際、それが吉と働いたわけではなかったようだ。初めからヴィルヘルムは孤児院長の横領を把握していたのか。
「なかなかディミトリエは不正の尻尾を見せない。強欲で老獪極まる人物だ。しかも、前回の視察時や今回の非公式の訪問でも奴の手はこの孤児院内でかなり広がっていることがわかった。そこも早急に対応せねばならない。──実際、私が視察に来る前まではどうだったのか聞きたい。ここならば孤児院長の手の者には聞こえまい」
「視察に来る数週間前から、孤児院内が慌しくなり、内装を整えたり肉が増えたりし始めました。孤児院の料理献上も急に決まってやるように命令されました。わたしは末端の孤児なのでお金のことはよくわかりません」
「なるほどな……」
ヴィルヘルムは自身の顎を撫でながら考え込む。
「では、マルグリッドは信頼に足る人物なのか? 先程のマルグリッドの話しぶりからディミトリエの手の者ではないことはわかるのだが……」
「先生ですか?」
マルグリッドは貴族でありながらも、わたしやアモリ、そして孤児院にいる子どもたちを本気で心配してくれる存在だ。そして、わたしが貴族に関わって殺されることがないように心を砕き、支援してくれた。実際に今、講堂の外で、わたしが何かしでかしていないかハラハラさせているのではないかと思うが。
「マルグリッド先生は、わたしの今後のために貴族への振る舞い方を指導してくれました。そして、アモリ──わたしの友が死に石になりかけた時も自身の手で看病し、心配していました。そして、わたしはマルグリッド先生がいなければ、ここで領主様に会う前に殺されていたかもしれません」
「そうか。よく、わかった。すまない」
ヴィルヘルムは何か気まずそうにそう言うと目を伏せた。何か悪いことを言っただろうか。わたしは小首を傾けた。しかし、わたしの疑問は解消されることなく、ヴィルヘルムは壁際から講堂の中心へと移動する。
「それでは、これ以上ここにいても良いことはないので戻ることにするが、何か気になることはあるか?」
ないよな、という副音声が聞こえてきたような気がするので、わたしは「ありません」と答えようとすると、今まで空気のような存在だったイディが出てきた。
イディ、領主様の機嫌を損ねるのはやめて。
心の中で叫ぶけれど、所詮心の内なのでイディに届くはずもなく、臆する風もなくイディは口を開いた。
『領主様。私から聞きたいことがあるのですが、よろしいですか?』
「まあ良かろう」
表情は全く変えずにヴィルヘルムは許可を出す。イディは『ありがとうございます』と礼を言いながら続けた。
『領主様は精霊様を呼び出していますが、それっていつのことですか? 精霊様の言い方だと最近のような気がするのですが……』
イディがそう発言して、そういえば……とわたしも同様に感じた。シヴァルディとの情報のすり合わせがきちんとできていないこと、シヴァルディの話も聞かず慌ててここに非公式でやってきたことなどを踏まえると、長い間過ごしていたようには思えなかった。
シヴァルディは困ったように微笑むと、ヴィルヘルムの代わりに答える。
『リアがわたしを呼び出した日と同じ日です。時間的に昼を過ぎたあたりでしょうか。イディは私の気配を感じたのではないですか?』
『あ……。あの時!』
イディが何かを思い出したように声を上げると、シヴァルディはイディの考えを肯定するように頷いた。ヴィルヘルムとわたしは二人の会話に付いていけず、ぽかんとしているとイディが気付いた。
『リアが領主様に会って、その後ここに来たでしょ? しばらくして部屋に戻ろうとした時、寒気がしたの覚えてる?』
「そんなことあったっけ?」
『あったの! その時なのか……。納得した』
イディは勝手に納得して頷いている。本当にそんなことあったかなと思い出そうとするが、やはりよく覚えていないので肩を竦めた。
『なので、ヴィルヘルムが私の主になってからリアが私の主になるまでは、そこまで時間の経過はないのです』
『わかりました。ありがとうございました』
「……では、戻るぞ。何かあれば、シヴァルディを通じて連絡を取らせてもらう」
そう言ってヴィルヘルムはシヴァルディを伴って、講堂から外に繋がる扉へと向かう。わたしは、小走りで持っていたランタンを自分の中に取り込み、その辺に置いていた明かりを手に持った。ヴィルヘルムはわたしがランタンを消したのか確認すると、扉を開けるように目で促すのでわたしはすぐに持ち手に手をかけ、引いた。
「お待ちしていました」
扉を開けてすぐ、待ち構えていたマルグリッドとアリアが所作の美しい礼をした。ヴィルヘルムは頷くと、「城に戻る。今日のことは他言無用だ」と言い捨てるとその足で玄関の方へ向かっていった。
そうして、突然の領主訪問は終わりを告げたが、わたしの精神力をかなり持っていかれた出来事となった。




