第三十七話 領主様、来る
顔色の悪いニコラの言葉に驚いたのか、マルグリッドもさーっと血の気が引いた表情に変わるのが傍から見ているわたしにもわかった。マルグリッドは狼狽えながらもニコラに迫った。
「領主様……!? 先日、視察に来られたばかりでしょう!?」
「今回はお忍びだそうです。……その、リアに用事があるとか」
言いにくそうにしながらもニコラはわたしをちらりと見た。すると、マルグリッドはすぐに視線をニコラからわたしに変えた。わたしはその鋭い視線に思わず、ヒッと声を上げてしまった。
「リア。貴女……、私のいない所で領主様に何かしたのですか!?」
つかつかと歩き迫り、布団の上に座っているわたしに顔を近づけてきた。わたしが領主にあったのは孤児院長の部屋だけだ。それ以外に身に覚えがないのでわたしは首を横にぶんぶんと振って否定した。
「そんな、先生のいない所で領主様と会うなんて不可能ですよ! 先生、冷静になってください……!」
「ですが、それ以外にリアに用事など……」
マルグリッドは顎に手を当てて考えようとするが、ハッとして顔を上げた。
「お忍びだろうが来られたからには早くもてなさなければなりません。ニコラ、領主様はどちらに?」
「事後承諾になりますが、孤児院の中ではマルグリッド様のお部屋が一番高品質なのでそちらに案内させてもらいました。今はアリア様が対応しています」
「わかりました、すぐに参ります。……その間にリアは準備を。ニコラ、手伝ってあげなさい」
「わかりました。ですが、孤児院長に知らせないのですか?」
「ええ、お忍びの理由を伺ってからでも遅くはないかと」
わたしが呆然と二人のやりとりを見ている間に話がどんどん進んでいく。そうして、マルグリッドはわたしのいる寝床まで戻ってくると、屈んでわたしと目線を合わせた。
「領主様がどのような用事があるのかわかりませんが、とりあえずは今の状況を切り抜けることが先決です。ニコラに手伝ってもらって体を清めてください。熱があるので無理はいけませんが仕方ありません」
「わかりました」
「良い子ですね。準備が終わったらニコラと一緒に私の部屋に来てくださいね」
わたしはこくりと頷くと、マルグリッドは微笑んでわたしの頭を撫でた。そしてすぐに立ち上がると、早足で部屋を去っていくのと入れ替わりにマルグリッドの後ろに控えていたニコラが近づいてきてしゃがみ込んだ。
「急だけど頑張ろうね。今からお湯を沸かして持ってくるからそれで汗を拭おうか。替えの服と下着をその間に用意できる?」
「はい、お願いします」
「動くの辛いだろうけど、お願いね。じゃあすぐに戻るから」
ニコラはにこりとわたしに笑顔を向けると部屋を出て行く。
一人きりになった部屋でわたしは盛大なため息をついた。
『大変なことになったね』
イディが同情してくれているのか握りしめた両手を胸に当てていた。わたしは同意するように困り顔で笑うと、掛布団を捲りゆっくりと立ち上がった。
「おっとっと……。領主様はわたしに何の用事だろう?」
日数的には少ないが久しぶりに地に足をつけるので、ふらついてしまう。何とかバランスを取って踏ん張った。
本当に孤児院長の部屋以外では会ってないよね……?
何度も思い出しても領主──ヴィルヘルムと会ったのはあの時以外ないはずだ。わたしは心当たりがないか考えながら、少ない衣類が入った引き出しを開け、替えの下着と服を取り出す。
『領主が孤児院の方に来るなんて夢みたいな話ね』
「夢?」
夢と言われてぴたりと手が止まる。そして急に眠っている時に見た映像がフラッシュバックした。
わたし視点で見たヴィルヘルムとの会話。そして最後にヴィルヘルムがわたしを「シヴァルディ」と呼んだ。絡まった糸を解くようにわたしは夢の内容を整理する。
誰かがシヴァルディを呼び出したことで、精霊力の力の多さにヴィルヘルムは興味を持った。だから「会いに行く」と言っていた。
シヴァルディを呼び出した人、会いに行く領主……。……あれ、これってわたしの話じゃない?
実際に領主はわたしに会いに来た。しかもわたしは精霊力を無理矢理叩き込んでシヴァルディも呼び出している。夢で話していたことが現実で起こっていることにさーっと血の気が引いていくのがわかる。
最後に、シヴァルディは事情があってわたしたちと行動は共にできないと言っていた。しかしそれがまさかヴィルヘルムと一緒にいるからだとは思わなかった。
ということは、ヴィルヘルムはわたしが敵か味方かを見極めにやってきたということだ。
……ひいいい! 殺されエンドは勘弁!
ジャルダン領主なのだから孤児の命なんてすぐに奪える。わたしは持っていた衣類を力一杯握りしめた。
『リア? 急に青くなって、どうしたの?』
そう言ってイディはわたしの顔を覗き込んできた。わたしは震える声で先程見た夢の話とヴィルヘルム来訪の意味をイディに伝えた。
『……それは誤魔化しようがないよ。もし変に誤魔化したらそれこそ、命が終わると思う』
「ですよね……」
わたしは項垂れた。それならば包み隠さずに全てを話すしかない。そしてわたしがヴィルヘルムの敵ではないことを訴えかけなければならない。
「じゃあ、イディは領主様に姿を見せなきゃいけないよ」
『わかってる。リアのためだもん』
イディは神妙な面持ちで首を縦に振る。ヴィルヘルムにはイディのことやアモリの死に石化のことを含めて事情を話して理解してもらわねばならない。
……変な汗が出てきた。
失敗すれば殺される。孤児院長の食事会より酷い緊張感がわたしを襲ってきた。
精霊殿文字の解読もまだ半ばだ。しかもプローヴァ文字というものもあるのだ。ぜひともそれも解読させていただきたいところなのに、死んでしまったら春乃の時と同じように夢半ばで生涯を終えることになってしまう。それは御免被りたい。
『だから、リアは自分が領主の役に立つことを説明してね』
イディのかけられた言葉に息を呑んだ。
今までわたしが知り得た情報やわたしの技能を売り込んでいけば、まだ死亡エンドの可能性は低くなるのではないだろうか。
わたしは「わかった」と頷くと、衣類を布団の上に置き、座り込んだ。領主にとって欲しい情報を見極め、整理しなければならない。
考え込もうとしたところで扉が開き、湯気が立つ盥を抱えたニコラが現れた。
「準備できた? じゃあ、急ぎめにするね。領主様を待たせられないから」
そう言ってわたしの側までやってきて、盥を傍に置いた。言葉の通りに急いでいるのか、乱雑に置かれたのでお湯がかなり溢れた。
ああもう! ゆっくり考えたいのに!
ニコラが盥に入っていた手拭いの水気を絞り、わたしの長い髪に当ててくる。髪を引っ張られるのでその度に集中力が切れそうになる。
「ほら! 早くその汗まみれの服も脱いで。一応熱があるし、急いでるから私が拭くからじっとしててね!」
ゴシゴシと温かい手拭いで髪を拭かれ、服を脱ぐように急かされる。わたしは大人しく薄汚れた生成色の服を脱ぎ捨てた。
「さあ、じっとしてて!」
ニコラの動かす手が速くなる。わたしは為すがままにそれを受け入れ、脳内では領主に伝えるべきことを整理していった。
そして気付けば、着付けも髪もきちんとセットされていたのだった。ニコラ、恐るべし。
「さあマルグリッド様の部屋に向かうわよ」
わたしはニコラに手を引かれて自室をあとにした。
今から領主との再会、そして自分が生き残るための戦いだ。




