第三十六話 御伽噺の奇跡
「リア……!」
声のする方向に目を向けると不安そうな顔をしたマルグリッドがわたしの方に向かってきていた。後ろにはギィの姿も。
「良かったです。熱もだいぶ下がりましたね」
マルグリッドはすぐにわたしの側まで寄り、わたしの額に自分の手を当てた。マルグリッドの手は冷たくて気持ちがいい。ひんやりと冷たい感覚にわたしは目を閉じた。
「ですが、まだ少し……熱があるようですね。明日一日もお休みさせてもらいましょう」
「はい、ありがとうございます」
マルグリッドの手がおでこから頬へと移る。わたしは座ったままで頭を下げると、マルグリッドは「いいのですよ」と肩をすくめた。そして、ロジェの方を見ると申し訳なさそうな顔つきになった。
「ロジェ。申し訳ないのですが、ギィを連れて食堂へ行ってもらえますか? ちょうど食事時ですので」
「わ、わかりました! ギィ、行くよ」
「ロジェねぇちゃ、わかった」
ロジェはぺこりとお辞儀をするとギィの元に行き、手を引いて部屋を出て行った。扉がパタン、と閉められる音とともにマルグリッドはわたしに向き直った。
きたか……。
マルグリッドの真剣な目にわたしも緊張してしまう。布団の上に置いている握り拳に力が入っていく。
「まず……アモリのことですが、リアが倒れた後に容態が落ち着きました。その後の経過も良く、明日には皆と同じ生活に戻れるようです」
これは先程イディから聞いていたが、改めてマルグリッドの口から聞くとより安心する。
「良かった……。あとでもいいのでアモリに会えますか?」
「ええ、会ってあげてください」
わたしが笑顔で言うと、マルグリッドは微笑みながら頷いて快諾してくれた。しかしすぐに表情は硬いものに変わる。
「それで……、その治ったことについてです。リアは、それを治す方法を知っているのですか?」
言葉一つひとつを選びながらマルグリッドはわたしを探るように言う。
近くにいるイディが、どう言うの? と伺うように不安げな目を向けてくる。わたしはイディを一瞥しながらゆっくりと瞬きをした。
「……先生。そのことをお話しする前に、アモリの病状を知っている人は先生以外にどれくらいいますか?」
アモリが倒れてから治癒するまでの期間はそこまで長くはなかった。そして、アモリが死に石になりかけていると判断したのはマルグリッドだ。だからどこまで話を広げているかで話す内容を判断する必要があるのではと思うのだ。
わたしの質問に対して、マルグリッドはハッと目を見開いた。そして記憶を探りながらゆっくりと言う。
「まず……ニコラ先生を含むここの子どもを世話する職員、診察に来た医者、……そして貴女の同室の子たちくらいでしょうか」
「孤児院長や上の人には報告していないんですね」
わたしの言葉にマルグリッドは頷いた。
「平民の生き死になど関係ないと思いますから。事後報告で良かったので何も言っていません。……だから、私の黙っておける範囲であれば、リアの話は上にも伏せられますよ」
マルグリッドの真剣な眼差しには知的な光があった。おそらくわたしが何を話したとしても、自分の心の内にしまっておいてくれるだろう。
……どうしよう。
わたしはマルグリッドから視線を逸らし、掛けてある布団の皺を見つめる。
マルグリッドを信じて全てを伝えた方が良いのだろうか。しかし、イディやシヴァルディがこの世界で目覚めていることを説明するのは、やはりまずいとわたしの直感が訴えている。この世界に精霊がいないことはどういうことなのか、理解できていないのだ。だからこの世界で何があったのか、精霊はどういう扱いなのか知った上で行動しなければ、二人に迷惑をかけてしまうかもしれない。
わたしは逸らしていた視線をマルグリッドに戻した。隣のイディは『リアに任せる』と言わんばかりに口元をきゅっと引き締めて握り締められたわたしの拳に自分の手を重ねた。
……ごめんなさい。
「先生。わたし、夢を見たんです」
「……夢、ですか?」
マルグリッドが釈然としないのか首を捻った。わたしはこくりと頷き、続けた。
「夜眠っていたら、夢の中に綺麗な女の人が現れたんです。そして、こう言ったんです。『友を助けたいですか?』と。わたしは藁にもすがる思いで『はい』と答えました。すると、女の人は微笑んで頷いたら消えてしまったんです」
「……そしたら、治ったということですか?」
マルグリッドは納得がいっていない顔をしている。
「そしたら目が覚めて、本当かと思ってアモリのところに急いで行ったんです。そしたら、夢で見た女の人がアモリの側に立っていたんです。手を当てたら光が生まれて……、気付けばアモリの顔色が良くなってました。わたし、それで安心して……」
わたしが見た光景に嘘を混ぜながら話す。本当はシヴァルディが説明しながら処置してくれたが、そこは言う必要はない。あくまでマルグリッドにはアモリの病状改善は奇跡と印象付けておくのが無難だ。
マルグリッドはまだ信じられないのか懐疑的な目を向けている。けれど、これ以上話すことなどないのでわたしはマルグリッドの反応を見続ける。
「俄かに信じがたいのですが……」
「……こんな話をしても信じてもらえませんよね……」
わたしは少し大袈裟に悲しみを体現しながら眉を下げた。マルグリッドには、わたしが幻想の出来事を話す不可解な子どもにしか見えないのだろう。
「そんなこと……!」
わたしの沈んだ表情を目の当たりにしてマルグリッドは慌てた。自分のことを慕ってくれている子どものことを疑ってしまったことに罪悪感を感じたようだ。
先生、ごめん。まだきちんと話せる状況じゃないから……。
マルグリッドの様子を見て、わたしは申し訳ない気持ちになってしまう。でも仕方がないことなのだ。
わたしは自分に言い聞かせつつ、内心でマルグリッドにそっと謝っておいた。
「だから上の人に報告してたらどうしようかと思ったんです。わたしはなんでアモリが良くなったのかわかりません……」
「そう、ですか……。わかりました……」
悲しげな表情は保ったままわたしが言うと、マルグリッドは息を一つ吐いた。これ以上問い詰めても無駄だと理解したのだろう。
「十五の壁に当たって散っていく命を救えるかと思ったのですが、そういう事情ならば仕方ありません。まずはリアの言うことを信じますね」
「ありがとう、ございます……」
ちくりと胸が痛む。確かに死に石になりかけたならば精霊力を流すことで症状は改善できる。
わたしが情報の出どころだとわからずに何とか広めることはできないだろうか。けれど今の平民の立場である限り、出どころを知られてしまえばどのような人物に目をつけられるかわからない。そのくらい平民は立場が弱いのだ。
「ですが、その女の人というのはもしかすると御伽噺に出てくる精霊様かもしれませんね」
「御伽噺?」
考え込んでいるわたしにマルグリッドは雰囲気を変えるように言った。御伽噺と言われてわたしは思わず聞き返してしまった。
「そうです。この国が生まれる時の話があるのですが、そこに精霊様が出てきて助けてくれるのです。もしかすると、アモリを助けたくて困っていたリアに力を貸してくれたのかもしれませんね」
「へえ……、そうなんでしょうか。今って精霊様っていないんですか……?」
わたしは気になって恐る恐る尋ねてみた。
この話は創世記通りだ。その話の精霊はおそらく精霊王のことだろうが、わたしは知らない程なので相槌を曖昧にうっておく。けれど、その話しぶりだとわたしの予想通り、精霊は御伽噺のような存在で間違いはなさそうだ。
「御伽噺ですから。もしかすると、今も我々を見守ってくれているかもしれませんね」
……これ、「本当にいたらいいね」的なやつだ。本当に精霊なんているの? 状態だな、これ。マルグリッドに正直に言わなくて今のところ良かった……。
数分前のわたし、グッジョブと思いながら、胸を撫で下ろした。そんなところに「精霊を呼び出しました」と言ってイディやシヴァルディをいきなり見せつけたら、さすがにマルグリッドの心の内に秘めるだけなど難しいと思う。わたしがその立場ならば、上に報告して然るべきところに保護してもらうように動いていると思う。
わたしは誤魔化すように苦笑いしていると、廊下がバタバタと騒がしい。何かあったのかと思い目をやると、マルグリッドもそれに気付いたのか立ち上がって確認しに行こうとしていた。マルグリッドが扉の持ち手に手をかけようとした時、思いっきり扉が開いた。
「な、何事ですか!」
かなり驚いたのかマルグリッドの声がひっくり返っている。入り口にはニコラが青ざめた様子で立っていた。
「マ、マルグリッド様……!」
「こ、ここでは、先生と……!」
慌てた様子でニコラに口止めをしつつ、廊下の方をちらちらと覗いている。他に子どもたちがいないかどうか確かめているようだ。けれど、そんなマルグリッドの様子など気にせず、ニコラは堰切ったように言った。
「領主様が、お越しになられたのです……!」




