第三十五話 予感
目を開けると見慣れた古びた天井が目に入る。体を起こそうとするも全身がだるくて力が入らず、ドタンと薄い布団に身体を叩きつけてしまった。そしてあの時と同様の脈打つような頭痛が後から襲ってきて思わず眉をひそめ、手を額に当てた。
この頭痛、久しぶりすぎて……、しんど、い……。
額も体も手もいつも以上に熱く、不快感が酷い。あまりにも辛くてわたしはお腹に掛けられていた布団を引き寄せ、頭からすっぽりと被った。しかし、そのような行為で熱も頭痛も治るはずなく、わたしは顔を顰め、ゴロンと寝返りを打った。
『リア!』
オレンジ色の鱗粉のような光を散らせながらイディが心配そうな顔をして現れた。わたしはイディに触れようと手を伸ばそうとしたが、腕がだるくて力が入らなかった。イディはそんな様子を目の当たりにして、わたしの側に飛び寄ってきた。
『なかなか目が覚めないから心配した! 精霊力は少し回復してるけど、今は休んで!』
そう言って乱れた掛け布団を掛け直してくれた。ありがとう、と言おうとしたけれど、酷い頭痛が襲ってきて苦い顔になった。
『それで、アモリのことなんだけど……』
そうだ、アモリ! アモリはどうなったの?
イディに言われて、冷や水をかけられたようにハッとする。シヴァルディが助けてくれた後にそのまま意識を失ったので、その後どうなったのかわたしは知らない。
わたしの表情の変化にイディは気が付いたのか、ふっと柔らかい顔になった。
『大丈夫、アモリは生きてるよ。森の精霊様はリアが倒れた後、すぐに姿を消しちゃったんだけど、ワタシがやり方を見てたから定期的に精霊力を流しておいたの』
生きている、という言葉を聞いてふっと不安がなくなり、心穏やかになった。わたしは息を吐いた。
するとイディは一転して、申し訳なさそうな表情に変わり、ぺこりと頭を下げた。
『……ただ、リアの精霊力を使っちゃったから、回復が遅れるかもしれない。ごめんね……』
なんだそんなことか、とわたしは気にしてないという意思表示をするために首を何とか横に振る。
そうしていると、ガチャリと扉が開く音がした。
「リア! 起きたのですね!」
現れたのはマルグリッドだった。慌てたように駆け寄ると、わたしの額にひんやりとした手を当てて熱の具合を確かめる。
「まだ熱が高いですね。本当はいろいろと聞きたいことがあるのですが、まずは体を休めてください」
そのままゆっくりと頭を撫でられるので、心が安らいでいく。わたしには冷たく感じるマルグリッドの指先がわたしの長い前髪をかき分けながら、行ったり来たりを繰り返す。すると、急激な眠気に襲われあまり開いていない瞼が閉じようとしてしまう。
……あ、ダメ……。先生に、アモリのこと、聞かない、と……。
何とかマルグリッドに話しかけようとしたが、脈打つような頭痛がわたしを襲う。あまりの不快感に涙目になり、気分が悪くなる。
マルグリッドはわたしに何か声をかけながら、掛け布団を整え、わたしの火照った額に手を当てて撫でる。
……休んだ、ほうが、いいかも……。
そう思った時には、意識を手放し眠りについていた。
ふと気が付くと、見知らぬ場所にいた。高価そうな調度品が置かれ、綺麗に整えられているこの場所をわたしは知らない。わたしここは何処なのか把握するために首を動かそうとしたけれど、全く動かない。それどころか、わたしの意思に反して動いている。
……あれ? わたし、こんなに身長高かったっけ?
今見えている景色がいつもより高い位置から見ていることに気付く。見上げないと見えないはずの景色がただ真っ直ぐ見るだけなのに、よく見えている。
そして、目の前には後ろ姿の男性が一人いた。若草色の三つ編みが背中に垂れている。男性は背を向けたまま何か本を漁りながら、わたしに声をかけてきた。
「急に消えたかと思ったら、どうしたのだ?」
「呼び出されたのです」
全く言っていることがわからず、どういうこと? と男性に問い返そうとしたら、意図していない言葉が口から漏れた。慌てて口を触ろうと思っても触れない。
わたしの言葉を聞いた男性は物色していた手をピタリと止め、振り返った。
……この人、領主様だ。
精悍な顔と青磁色の瞳を持つヴィルヘルムと呼ばれていた領主が目の前にいた。何故領主がここにいるのかと不思議だ。
状況が掴めず必死に考えようと働かない頭を動かしていると、ヴィルヘルムは訝しむように口を開いた。
「どういうことだ? まずお前を呼び出すには多くの精霊力が必要なのではなかったか?」
『ええ、その子は貴方と同等の精霊力を持っているわ。必死だったから持っている全てを叩き込んだようよ』
「なんと危険な……」
ヴィルヘルムは眉を顰めた。そして自身の顎に指を当てて考え始める。
「……どちらにせよ、それほど力を持つならば一度会わねばならぬ」
『どうする気ですか?』
「敵になりうるならば手を打たなければならない。それ以前に領主一族しか入れぬ場所に立ち入っているのだからな」
ヴィルヘルムは厳しい顔つきで言った。
整理すると、わたしではないわたしを呼び出した誰かに領主が会おうとしている、ということだろうか。その誰かは領主一族しか入れない特別な場所に入った、ということ。
わたしとは反対に領主は考えがまとまったのか、すっと顔を上げた。
「では、案内役を頼む。その者の居場所はわかっているのだろう?」
『はあ、わかりましたわ』
「頼んだぞ、シヴァルディ」
領主がわたしを見て言った。
どういうこと、と思ったその瞬間に、ふっと目の前の光景が掠れ、意識が浮上していくのを感じた。
目覚めたら、薄暗かった。日が沈んで間もないのか、日が出る直前なのかよくわからない。
ゆっくりと起き上がり、頭を左右に振る。前回苦痛で仕方がなかった酷い頭痛もないようだ。わたしは安堵して辺りを見渡す。
同室のロジェたちがここで寝ておらず、綺麗に畳まれた布団たちがあるだけだった。ということは、今は日の入り後ということだ。
「イディ、イディ!」
『リア!』
誰もいないので安心してイディを呼びつける。イディは変わらず心配した顔で現れた。
「大丈夫だよ。ちょっと熱っぽいだけで、それ以外はだいぶマシだよ」
『ホントに? ホントに大丈夫?』
わたしはイディを安心させるように笑顔で頷くと、イディは少しホッとした顔を見せた。
「それで、わたしはどのくらい寝てたの?」
『えっと、一度起きてからだと……、丸一日と半分くらい眠ってたよ』
「え、そんなに!?」
イディの言葉に思わず驚く。精霊力回復のためとはいえ、そんなに眠ることになるとは思わなかった。
しかし、前回倒れた時は丸三日間は動けなかったことを考えると、だいぶ進歩したのではないだろうか。今はほんのりと体が熱いくらいなので、ほぼほぼ完治と言っても良い。
そんなわたしの様子をじっと見てイディは安心した表情を見せた。
『診た感じ、精霊力はほぼ元に戻ってるね。アモリにも少しだけど分けてたから回復、もっと遅れるかなと思ってたけど……』
「そう、アモリ!」
眠りにつく前に一番聞きたかったことを思い出す。わたしはイディに迫ると、両手でイディの体を掴んだ。
「結局どうなった? 詳しく、教えて!」
『わかってるから、ちょっと離して……』
わたしはハッとして、思わず力が入ってしまった手を離す。イディは橙色のスカートをパンパンと叩くと、わたしの手の上にちょこんと乗った。
『結果だけ言うと、アモリは元気だし、無事。明日くらいから元の生活に戻れるからこの部屋にも帰ってくるって話してるのを聞いた』
「そっか……、本当に良かった」
まだアモリの顔を見ていないが、イディが言うならば本当のことだろう。明日には帰ってくるという言葉に入っていた力がふっと抜けていった。
『ただ、アモリの死に石化が突然消えて、何か知っていそうなリアも倒れたからマルグリッドは混乱してた』
「そうだよねぇ……」
イディの追加の言葉に、わたしは頭を抱えた。
十五の壁と呼ばれるくらい症状が出てしまうと死に至るしかないものが、自身の目の前で突然治癒したのだ。混乱しないというのは難しいだろう。
どう伝えるのが正解なのかな……。
正直、イディやシヴァルディの存在を伝えるのは憚られる。精霊がいないと言われる世界で、この二人の存在はどう影響するのかわからない。慎重に行動しなければ面倒ごとになりかねないのだ。
わたしは心清らかに文字解読したいだけなんだけどなあ……。
自分の蒔いた種とはいえ、わたしは小さくため息をついた。
「とりあえず、アモリが助かったんなら良い。先生には伏せることは伏せながら話す」
『リア……』
不安そうな表情を浮かべるイディにわたしは笑顔を向けた。いくら精霊たちが見えていないとはいえ、目の前で奇跡が起こったのだ。ある程度納得できるように説明するしかない。あまり自信はないのだけれど。
すると、扉ががちゃりと開く音とともに、ギィの姿が見えた。その後ろには湯気立つスープを持つロジェがいた。
「あ、リアねぇちゃ。おきた!」
「良かった……! ギィ、せ、先生呼んできて」
「わかった!」
ロジェの言葉にギィは嬉しそうに頷くと、回れ右をして走って行った。そして、ロジェはスープを持って小走りで寄ってくる。
「ずっと、眠ってたから、し、心配した、よ? とりあえず、こ、これ。食べて。サラ姉ちゃんに、作ってもらったの」
そう言いながらロジェはスープを手渡してきたので、受け取った。わたしが以前教えた長時間煮込んだ野菜のエキスたっぷりのスープのようだ。わたしはふわふわと立つ湯気を鼻いっぱいに吸い込んだ。
「美味しそう……! ありがとう、ロジェ。心配かけてごめんね」
「ううん……!」
ロジェは大きく首を横に振る。わたしはスプーンを受け取り、スープを一口飲んだ。
はああああ……、お腹に染み渡るよ……。
温かいスープが空腹を満たしてくれる。そして、ただ塩の味がする味気ないスープでなく、野菜や肉の出汁が出ているのか旨みが強い。美味さに感動しつつ、一口また一口と口に運んでいく。
そうしているとあっという間に皿は空になった。
「ごちそうさま。美味しかったよ、ありがとう」
「良かった……!」
ロジェは花が咲くような笑顔を浮かべながらわたしの持つ空のスープ皿を受け取った。そうしていると、バタバタと二つの足音が近づいてきたかと思ったら、勢いよく扉が開いた。




