第三十四話 森の精霊
真っ白な空間に漂う。ふわふわとした感覚はまるで水の中にいるようで心地よい。身を任せ、両手足を広げ、ぼーっとただ白い世界を眺める。
あれ……? この世界、前にも来たような……。
この真っ白に広がる世界に既視感がある。わたしは体を捻り、辺りを見渡した。
ああ……、ここは初めてイディと会った世界だ。
あの時、イディは確か精神世界的なものと言っていた。確かに先程感じていた疲労感や熱っぽさはなく、至って健康な状態だ。わたしは自分の手を目の前に広げ、握っては開きを何度か繰り返した。感覚も正常だ。
では、何故わたしは精神世界的なものに飛ばされているのだろうか。そう疑問に思い、首を捻った。
『…………ますか? 聞こえていますか?』
突然、声が聞こえた。わたしは周りを見渡すが、人の影などない。
『リア……、聞こえていますね』
そうはっきりと声が届いたのでわたしはこくりと頷いた。
そうすると、私の体がほんのりと光り、目の前に翠色の光の粒が集まり始めた。わたしが唖然として見ていると、あっという間に光が集まり、キラキラと輝く。
「精霊様……」
そして光の中から姿を現したのは、今さっきまで一緒に行動をしていた森の精霊だった。
『ここの方がゆっくりと話を聞けると思いまして。ただ、あの精霊を呼ぶのはできないので、面倒ですが』
「話を聞く?」
わたしの聞き返しに精霊は優雅に頷いた。
『現実世界では貴女は精霊力切れでしばらく動くこともできないでしょう? ここならば体の調子も気にすることなく話せますから』
「そういうことですか……」
精霊の言葉からこの空間へ来た意味を知る。
しかしまた、精霊力切れで倒れているのかと思うとげんなりした。前はある程度回復するまで一週間もかかり、完全回復までさらに数日を要したのだ。
今回はアモリを救うため、森の精霊を呼び出すために全力で力を使ったので仕方がない。最終的にアモリの死を回避できたので上出来ではないか。
『そういえば、名乗っていませんでした。……私は、シヴァルディ。この地を受け持つ森の精霊です』
「わたしはオ……、リア、です」
シヴァルディと名乗った精霊は美しい礼をしてきたので、わたしもぺこりと頭を下げた。きちんと名乗るのが初めてだったので、少し緊張してしまう。思わずオフィーリアと言いそうになるが、リアと名乗るほうがいいだろう。そんなわたしの様子を見て、シヴァルディは微笑んだ。
『では、聞きたいことを聞かせてもらいますね』
「はい、もちろんです。……でもその前に、アモリを助けてくれてありがとうございました」
わたしはもう一度ぺこりとお辞儀をした。シヴァルディのおかげでアモリを救うことができたのだ。きちんとお礼が言いたかったので、言えてよかった。
『ふふ、律儀な子ですね。いいのですよ。……さて、幾つか聞いても?』
「す、すみません!」
シヴァルディの話を遮った形になっていたことに気付き、慌てた。シヴァルディはくすりと笑うと、そのまま続ける。
『まず貴女はジャルダンの子ではないですよね? その銀髪に水色の瞳……、どう見てもジャルダンの色ではありません』
ジャルダンと言われると、ジャルダン領主のことしか思いつかない。ジャルダン領主は髪も瞳も緑系統のものだったし、わたしはブルターニュに生まれたらしいので、シヴァルディの言うジャルダンの子では無いと思う。わたしはそう思って首を横に振った。
「……違います。ですが、ジャルダンの子でないと何か駄目なんですか?」
『ジャルダンほどの精霊力を持たないとわたしは呼び出せないはずです。しかし……』
シヴァルディは口籠った。わたしは首を傾げると、シヴァルディは困ったような何とも言えない顔になる。
『今回、ジャルダンの子の力は衰えていることがわかりました。私は長い間眠りについていたので何があったのかわからないのです』
「精霊力が衰える……?」
『私が眠りにつく前のジャルダンの精霊力はこんなに弱くありません。貴女の友のことといい、忘れられていることが多いようです』
精霊がいるとイディから聞いていたけれど実際にはいなかったことを踏まえても、何故か古代の情報が断絶してしまっているのがおかしい。シヴァルディが眠りにつく直前に何かあったのだろうか。
『そして貴女の存在。精霊力は今のジャルダンと同等と言ったところでしょうか。貴女は精霊殿文字から知ったと言いましたが、あの文字は精霊殿の上に立つ者にしか読めない文字です。本来、ジャルダンの子でもなく、ただの子どもである貴女が読めるはずありません』
「え? でも読めるように公文書になっていたじゃないですか。それをもとにして読もうと思ったら読めますよ?」
森の精霊関連のところは精霊殿文字でしか書かれていなかったが、創世記のところは精霊殿文字、旧プロヴァンス文字で書かれていた。わたしはそれをもとにして精霊殿文字で書かれた一部を読み解いたので読めるはずないという言葉はおかしいのではないだろうか。
しかしわたしが小首を傾げたのに対して、シヴァルディは呆れたようにため息をついた。
『普通の子どもは読み解こうなんて思わないでしょう……。ですが、そういうことなのですね。一応、納得はしました』
「ええ……」
会って間もない精霊に呆れた目をされた。何だか解せない。
『それと、あの精霊のことです。あのような精霊は見たことがないのですが、あれは貴女の精霊ですか?』
シヴァルディは話題を切り替えて、イディのことを尋ねてきた。イディのことも見えているし、別に隠す必要もないのでわかる範囲で答えることにした。
「あの子はイディファッロータ。言の精霊だと言っていました。わたしの精霊かと言われるとよくわからないですが、わたしと行動をともにはしています」
『言の精霊……。この世界の精霊とは異なるようですね。どの分類にも当てはまりませんし……。新たな分類の精霊ですか……。貴女にぴったりの精霊ですね』
「はい……、ありがとうございます?」
シヴァルディは柔らかく微笑むので、わたしも釣られてへらりと笑った。
『あと、何故この森の地の精霊力はこんなに衰えているのですか? 眠りにつく前はこのような状態ではありませんでした』
「それは……、わたしにはわかりません。そのジャルダンの子にでも聞いてください」
この地の精霊力が衰えているのはわたしのせいではない。目覚めて自由になったのだから、探しに行って聞けば良いだろう。わたしはきっぱり言い返すと、シヴァルディは一瞬目を見開いたかと思うと、すぐに笑みを浮かべた。
『確かにそうですね……、貴女のような子どもに聞いても仕方がありませんでしたね。貴女の言う通り、ジャルダンの子に詳しく聞いてみることにします』
「そうしてもらえると助かります」
わたしが答えると、シヴァルディは微笑んだ。
『最後に、事情があってそのイディのように私は貴女と行動をともにできませんが、貴女から精霊力を貰ったので繋がっています。もし何かあれば呼びかけてくださいね』
「はい、大丈夫です」
今まで森の精霊がいなくともイディがいたので問題はなかった。今後、特別なことがない限り呼びかけることもないと思う。シヴァルディはシヴァルディで動いてほしい。
『そろそろ精神を肉体に返しましょう。目覚めたら少し辛いかと思いますが、死ぬことはありません。だからしっかり療養してくださいね』
「はい……」
やはり高熱に苦しむ未来は決まっていたか。わたしは覚悟を決めると、こくりと頷いた。
そして急に景色がぐにゃりと歪んでくる。前回は驚いてしまったが、目覚めの時だとわかっているので身を任せる。
『目覚めの時です。それでは、あとで……』
あとで? どういうことかとシヴァルディに尋ねようと口を開くが、何も音を発することができなかった。
前と同じようにわたしはそのまま、また暗闇の中に落ちていった。




