第三十二話 初代王の石碑
月夜に照らされた夜。今日は満月かと自室の窓から眺めて初めて知った。
今からわたしは来客用の階に向かい、中庭に忍び込む。見つかればそれでわたしの命は散り、アモリを救う可能性も潰すことになる。自然と手に力が入っていく。
「リア姉ちゃん……。アモリ姉ちゃんのこと、し、心配だと思うけど、今日は、もう寝よう?」
「そう、しようよ……。リアねぇ」
窓の外を眺めていたら後ろからロジェとギィが声をかけてきた。アモリが倒れてからみんな口数が減った。いつもは騒がしいレミもギィもかなり沈んでいて大人しい。そのくらいアモリの存在は大きいのだ。
「アモリ姉ちゃんが、お、起きても、リア姉ちゃんが倒れちゃったら、絶対悲しむよ」
「……そうだね。寝ようか」
ロジェは下の二人をこれ以上悲しませないように気丈に振る舞っている。わたしより年下なのに周りのことを考えて行動して本当に凄いと思う。年齢的に小学校低学年くらいなのに……。
わたしはそんなロジェの誘いに同意すると、薄くくたびれた掛け布団を持って沈んだ表情でいるレミのところへ向かった。
「レミ。今日、一緒に寝ようか」
「リア姉ちゃん……、ありがとう……」
レミは口調はきついが仲間想いの子だ。アモリが倒れたところを見て、死を間近に感じたのだろう。レミは目を潤ませながら自分の布団の上で横になった。わたしも隣に横になり自分とレミの下半身に布団をバサッと掛けた。
「ゆっくりお休み」
わたしはそう言いながらレミの頭を優しく撫で続けた。それを見ていたイディもレミの肩を摩っている。レミにはイディは見えてないのだけれど。
「じゃあ、あ、明かりを消す、ね。ギィも、私と一緒に、寝よ?」
「ありがと、ロジェねぇちゃ」
ギィがロジェの布団に潜り込んだのを確認すると、ふぅっと小さく灯っていた炎を吹き消した。一瞬で暗闇に包まれるが、今日は満月だ。窓から差し込む月明かりがほんのりと明るい。ロジェは自分の布団に潜り込むと「ギィ、良い夢を見るのよ」と声をかけた。
「みんな、今は良い夢を」
わたしはぼそりと囁きながらレミの頭を撫で続けた。
しばらくすると、胸元にいるレミは規則正しい寝息を立て始めた。撫でるのをやめてロジェたちの方に意識を集中させると、そちらも二つの小さな寝息が聞こえた。
「じゃあ行ってくるね」
わたしは小さくそう呟くと、みんなを起こさないようにそっと寝台から降りる。衣服を軽く整えて、扉の外へと抜け出した。
『行くのね』
イディの言葉にわたしは頷いた。アモリを助けるためのヒントでも良いから得たい。藁にもすがる思いなのだ。
『わかってると思うけど、見つからないように慎重に』
「わかってるよ」
誰がいつ近くにいるのかわからない状況なのでわたしは小声で返した。イディは『ホントによ?』と念押しすると、わたしの肩の上に移動してちょこんと座った。
わたしは月明かりに照らされる廊下を、足音を立てないように慎重に進む。就寝を知らせる夜の鐘が鳴ってからだいぶ経っているためか、見回りはなさそうだ。それとも、今日は領主視察だったのでどこかでお疲れ様会でも開いているのかもしれない。それくらい大きなイベントで、準備も念入りだった。
今日が領主視察の日で良かったのかも……。そうじゃなきゃ、忍び込むなんて難しかったかもしれない。
アモリが倒れるという緊急事態が起こらなかったら急にこのような無謀な行動を取ることはなかったが、解読がきちんとできて内容の情報をある程度得ていたら何かしらアクションはしていたかもしれない。多分、難しいからやっていないだろうけど。
大階段を下り、講堂の前を通り過ぎた。もう少し歩いて辿り着く玄関口からその奥には、いつもは許可がない限り入ってはいけないと言われていたので、何も考えず気にも留めていなかった。しかしここ最近のことでわたしが知っている孤児院はこの建物のほんの一部に過ぎないということを知った。
知らぬが仏という言葉がぴったりだ。
いよいよ、来客用のフロアに入る。マルグリッドは正妻から隠れるため孤児院側で暮らしているが、ここに勤める貴族はどうなのだろうか。この静けさを見る限り、違うのかもしれない。しん、と人の声も気配もなく、静寂に包まれている。イディにも目をやるが、彼女も同様に感じていたのか静かに首を横に振った。
念のため足音など立てないように壁際を歩いていく。真っ直ぐ進んで曲がるとすぐに中庭が見えてくるはずだ。
『最後まで気を抜かないでね』
今のところ誰も部屋から出てくる気配はない。それどころか孤児院長の部屋の扉の前を通っても生活音的なものもない。本当にこの階には人はいないのだろう。
そして、階段を横切り分かれ道を曲がると中庭への入り口が見えてきた。そこだけ月明かりがしっかり入ってきて夜なのにかなり明るく感じた。
わたしは少し早足になって中庭に忍び込んだ。
そこは相変わらず静かで、花々が咲き誇っている。昼間は気付かなかったが、咲いている花の一つひとつがほんのりと光を纏っている。道理でここだけ明るいのかと納得する。
『リア』
「わかってる」
少し奥に進むと、初代王の記念碑があった。わたしは小声でイディを制すると、つかつかと近づき石碑に手を触れた。
『精霊殿、はじまりの王像に眠る、ね。これで森の精霊が出てきたら、ここが精霊殿ってことになるけど』
「それより、先にアモリ。それはあとで、ちゃんと考えるから」
『力込めん、深き眠り、目覚める……。力はきっと精霊力のことね。じゃあ、精霊力を注いでみて』
「うん」
わたしら石碑に彫られているプローヴァ文字に触れた。何と書いているのかわたしの力ではまだ読み解くことはできない。きっとここにも何か大切なことが書かれているのだろうと思いを馳せ、わたしは目を閉じた。そして自分の内にある精霊力を引き出し、手から石碑へと注ぎ込んでいく。するすると熱が手から抜けていくのがわかる。
『光ってる!?』
「え?」
イディの声に目を開けると、触っている石碑が翠色に光眩く輝いていた。
──やはりこの記念碑と呼ばれる石には何かある。わたしは確信し、両手を碑に当ててさらに精霊力を注ぎ込んでいく。
お願い、お願い、お願い! 森の精霊様、それでなくてもいいから、アモリを助ける方法を教えてほしい!
嘆願するようにどんどん注ぎ込むが、石碑は光るだけで精霊など出てくる気配がない。わたしは焦った。
「何で、出て、こないの……!?」
『リア!?』
上手くいかない腹立たしさが湧き出てくる。そろそろ成果が出てもおかしくはないのに、ただ煌々(こうこう)と光るだけだ。
精霊力の量が足りない? それならば、わたしが持つ全てを叩き込んでやる!
わたしはじわじわと流していた精霊力の器の蓋を全開放するのをイメージした。熱が一気に上がってくる。手に炎を灯しているのかのように熱い。
『リア! それ以上は危ないよ!』
「で、も……!」
わたしに今できることはこれしかないのだ。せっかくアモリを救う可能性が見えたのにここで終わるわけにはいかない。イディはわたしの手を石碑から引き剥がそうと引っ張っている。微弱な力なのでわたしの手はびくともしない。
どんどん熱が奪われていく。体が怠くなり、頭から血の気が引いていく感覚が酷くなる。
「もう、これ以上は……」
『リア!』
駄目、と思ったその時。
翠色に光り輝いていた石碑がさらにカッと発光する。その眩さにわたしは思わず目を瞑り、石碑から手を離してしまった。すると一気に力が抜け、へたりとその場に座り込んでしまう。
『リア!』
イディが心配そうに駆け寄って来る。
正直もう倒れそうなくらいフラフラしている。頭を金槌で殴っているかのように痛みが継続的に続いている。わたしは痛みに顔を顰めた。
『誰です……。私を呼び出したのは……』
そう玲瓏な声が上から降って来た。




