第三話 自称精霊
真っ白な空間に漂う。ふわふわとした感覚はまるで水の中にいるようで心地よい。身を任せ、両手足を広げ、ぼーっとただ白い世界を眺める。
もしかして死んだのかな? ああ、まだ解読作業の途中だったのに。前もそうだった。前も、必死でレポートを作成していたけれど、急に本棚が揺れてそのまま……。
ごろんと体を捻り、顔を両手で覆う。転生直後に思い出せなかったことを今更思い出してしまって喪心してしまう。
いつもついてないなぁ……。
「未解読文字の解読ができるようになりたい」という想いから突っ走り続けてやっとの思いで文字研究をしている大学院に入学することができた。遂に解読の一歩を踏み出したところで死んだ。思い半ばだった。
オフィーリアに転生して読めない文字を読むことができるなら時間がかかっても解読をやり遂げたかったが無理だったようだ。
わたしは目を閉じると一つため息をついた。
『………え! ………ねえ! 聞こえてる?』
わたしは目を開くと辺りを見渡した。しかしただ真っ白い空間が広がっているだけで何も目には映らない。
気のせいか。疲れてるのかも。
『リア……、うーん、春乃と言った方がしっくりくる?』
懐かしい響きにばっと体を起こしもう一度辺りを見渡した。すると自分の体がほんのりと橙色に光り、光の粒が目の前に集まってくる。小さな人の形になっていく様を唖然として見つめてしまう。
「この姿……」
黒色のクセのある長い髪と奥二重の焦げ茶色の瞳。小さな鼻に薄い唇。それは、前世でのわたし、卯木春乃の容姿に良く似ていた。あまりにもよく似ているのでそれに触れようとする指が震えている。
『ああ、とっても似てるでしょ? だって貴女から生まれたのだもの』
わたしの顔をした小人は両人差し指を自分の頬に当てながらにこやかに言う。わたしはこくこくと首を縦に振ると嬉しそうににこっと笑った。
『ワタシはイディファッロータ。貴女から生まれた言を司る精霊よ』
「イディ、ファ……?」
『イディファッロータ! 長いからイディで良いわ!』
「イディ……」
わたしが呟くように名前を呼ぶとイディファッロータと名乗る精霊は嬉しそう愉しげに笑った。
『ワタシは前世の貴女、卯木春乃がオフィーリアに生まれ変わる時に生まれたの。リアの住む世界には精霊が存在するのよ』
「はあ……」
ドヤ顔で言い切るイディに生返事を返しながら、精霊の顔をぼーっと見る。そんなことを急に言われてもあの世界では精霊などいなかった。魔力というものが存在するが、それ以外は日本の田舎暮らしと変わらないくらいの生活をしていた。だから今目の前にいる小人の存在が完全にファンタジーなのだ。
『はあ……、信じてないわね。あの国、プロヴァンス王国にはかつて精霊がいたけれど、ある日を境に姿を見せることを精霊王から禁止されたの。「時が来るまで待て」と』
「精霊王?」
『そ。だからあの国では精霊は姿を見せないわ。残っているのはその名残りの彼らの力を借りるために使う道具だけ』
道具とはアモリが言っていた魔道具のことだろうか。実際に実物を見たことはないが、不思議な道具と言われたらそれしか思い付かない。イディの言っていることが本当ならば精霊が認知されていないのはその精霊の王様が言った通りにしているからなのだろう。しかし、なぜそのようなことになっているのか全くわからないし、今目の前にいる自称精霊はどうなのだろうと思う。
「じゃあイディは何でわたしの目の前にいるの? 精霊王が言ってるんじゃないの?」
『ワタシは春乃からリアに代わる時に生まれた特殊な存在になるの。だからあの世界の精霊の分類とは違うのよ。ワタシも向こうの精霊のことよく知らないし』
長い髪をくるくると弄りながら言う。そんな女の子らしいことをしたことがないけれど、顔はわたしの顔なので何だか恥ずかしくなってしまって視線を逸らした。しかしイディはそれに気付かず続ける。
『とりあえず形づくることができたから、これからあの世界でも一緒にいることができるわ』
「わたし、死んでなかったの?」
思いがけない言葉に逸らした視線をイディに移す。わたしの言葉にポカンとしていたが、すぐに首を縦に振って肯定の意を示した。
「死んでないの? じゃあこの白い世界は?」
『うーん、精神世界的な? 今、魔力切れでぶっ倒れてるとこだし』
「は? 魔力切れ!?」
魔力なんて使った覚えがない。けれど、あの体の中心から引き出されるものが魔力だと言われると納得できるかもしれない。倒れるほど魔力を使ったような感覚がないので、わたしは首を捻った。
『魔力を放出したことすらないのに、道具も通さずなんてあの世界ではあり得ないと思うわ。そりゃあ倒れて当然よ』
「そう……なの」
イディが言うにはあの世界では道具に魔力を流すことがほとんどで、それほど魔力自体消費しないらしい。わたしの場合は燃費的に非効率的だと言う。使い慣れない蛇口を捻るようにドバドバと魔力を使うことであっという間に持っていた魔力は底をついてしまったが、わたし自身は止め方もわからないためそのまま強制終了というわけだ。
使ってない感覚……、クレジットカード使ってる感覚と一緒だな。気をつけないと。
謎の結び付きで納得していると、イディは不思議そうな顔をしていた。
『まあアナタが何を考えてるかわからないけど、もうすぐ目覚めるわ! 次からは気をつけることね!』
「わかった」
『まあそのおかげでワタシもちゃんと目覚められたし悪いことだけじゃないんだけど』
そう言ってイディは空中でくるりと回った。すると橙色のスカートがひらりと舞う。わたしがその様子を眺めていると、急に景色がぐにゃりと歪んでくる。驚いて焦っていると、イディが声をかけてきた。
『目覚めの時ね。じゃあまたあとでね』
その声に返事をしようと口を開けたけれど、何も音を発することができなかった。
わたしはそのまま、また暗闇の中に落ちていった。
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一応相棒の精霊登場です。イディさんです。生まれてからあまり時間が経っていない特殊な存在です。
前世の名前は春乃でした。
次回、情報整理回です。