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第二十九話 新しい領主


 中庭を出て右に曲がりしばらく進むと、見たことのある道へと出た。ここに繋がっていたのかと納得する。そして以前マルグリッドたちと来た時に使った階段を横切り、厨房に繋がる扉を通り過ぎた。確かその隣はあの時マルグリッドが入っていったところなので、孤児院長の部屋なのだろう。

 マルグリッドはその扉の前で立ち止まった。


「さあ、心の準備をしてください」

「はい」

『リア、気を付けて!』


 イディの言葉にわたしは頷く。マルグリッドは懐からベルを取り出し、横に数回振った。チリンチリンと澄んだ音が響くと、扉が開き翠色すいしょくの羽織を着たアルヴェーンが姿を現した。わたしはすぐに視線を下にする。


「視察用の孤児院の食事を持って料理人が来ています」

「わかりました。そのまま入りなさい」

「はい。……では来なさい」


 わたしは「はい」と返事をすると、ワゴンを押す。マルグリッドの後ろに続く形で中へ入る。中をよく見たい気持ちもあるが、多くの貴族がいる中で顔を上げることなどできないので大人しくワゴンに載っている料理の器を一点に見つめる。


 温かい料理だったけど、すっかり冷めちゃったな……。


 孤児院の厨房からこのフロアまで距離があるのと、わたしの寄り道のせいでもう料理は冷めてしまっているだろう。しかしこの料理は横領疑惑の確認のための料理であるし、食べるためではないので温め直す必要もない。


「ディミトリエ様、料理が到着しました」

「……入りなさい」


 ややあってから孤児院長とは別の声の男性の声とともにまた扉が開く。この絨毯の色合いや模様、目の端に映る机の脚を見るにあの食事会の時に連れられた部屋と同じであることがわかる。

 この顔を上げた先には孤児院長と例の領主がいる。わたしは口元を引き締めた。


「おお、やっと来たか! ヴィルヘルム様、お待たせいたしました。さっさとお出ししろ!」


 孤児院長の言葉を受けてわたしが動くべきなのかと一瞬悩んだ隙に、後ろにいたアルヴェーンがワゴンを押して進んでいく。孤児院長には見えないようにマルグリッドが「ここで待ちなさい」のジェスチャーをしてくれたのでわたしは大人しく扉近くの壁に寄った。

 ほぼ視界を封じられた状態なので聞き耳で事の成り行きを見守る。かちゃかちゃと食器が机に置かれる音がするので、ちょうど今配膳しているのだろう。


「孤児院に援助をいただき、ありがとうございます。お陰様で孤児たちにこのような食事を与えることができています」


 媚びへつらう孤児院長の言葉に「嘘だよ、こんな肉ほとんど出ないよ」と声が出かかったが、ぐっと堪える。わたしたちの頑張りなど孤児院長は知らないのだ。代わりにぎゅっと手を握り込む。


「ほう……。この料理は、変わっているな」

「そうでしょうとも。孤児院での料理は孤児たちが担当しています。その中で料理は変わっているけれど味は良いものを作る孤児がおりまして……。マルグリッド」

「はい」


 マルグリッドがわたしの隣に来て、軽く背中を押す。わたしは恐る恐る前に出て一礼した。


「特別に許す。顔を上げて、ヴィルヘルム様に顔を見せなさい」


 わたしはゆっくり顔を上げた。


「この孤児、……リアが今回の料理を作りました。私も味をみましたが今までに味わったことのない味わいでした」

「そうか、確かに美味そうだ」


 領主──ヴィルヘルムと呼ばれていた青年が正面に座っていた。領主と聞いていたが、思った以上に若い。きっと二十歳もいっていない。若草色の艶やかな髪は後ろで三つ編みにまとめられ、肩から前へ垂れ流している。そしてきりりとした青磁色せいじいろの瞳が印象的で思わず見惚れてしまいそうだ。


「リア、其方らはいつもこのような料理を?」

「ヴィルヘルム様が聞かれている。答えなさい」


 孤児院長の声が低く響く。「余計なことを言うなよ」と言わんばかりの眼光に一瞬怯んでしまいそうになった。しかしここで応戦してはいけない。相手は権力者だ。


「ここ()()になってからでございます。領主様、孤児院長様の計らいによって皆飢えずに暮らせています。ですので一同感謝しております」

「ほう……」


 ヴィルヘルムが少し楽しそうな顔をしながら自身の顎を撫でる。わたしはニコリと作り笑顔を浮かべると一礼した。

 最近領主が変わり、援助が増えたと言っていたので間違ったことは言っていない。だから孤児院長も何も言わずにニヤニヤとしている。


「ヴィルヘルム様、このようにこの孤児の振る舞い、料理の技術はその辺の子どもより優れています」

「なるほどな……。ディミトリエが目をかけるのは頷けるな」

「ですので引き取りも考えております」

「ふむ……」


 ヴィルヘルムは考え込むふりする。肯定も否定もせずじっとわたしを見つめている。

 しかし孤児院長がわたしを手元に置こうとしているのは想定内だったが言葉にされると何故か不快感しか湧かない。やはりドミニクたちに料理を教えるという方法は付け焼き刃に過ぎなかった。わかっていたことだが、実際に言われると作り笑顔が崩れてしまいそうだ。


「さて、ヴィルヘルム様。最後の行程が残っております。早く済ませてしまった方がよろしいかと。……マルグリッド、連れて行きなさい」

「かしこまりました」


 わたしとマルグリッドは一礼するとそのまま後ろに下がる。アルヴェーンが扉を開けてくれたので部屋の外に出る。わたしはマルグリッドの後ろ足を見ながら進み、孤児院長の部屋を後にした。

 するとマルグリッドはわたしの方を振り返った。


「このまま真っ直ぐ、孤児院に戻りなさい」

「はい、マルグリッド様」

「……良くできていましたよ」


 最後はわたしにしか聞こえないような小声で言って微笑んだ。マルグリッドから見て失態がなかったのなら問題ないだろう。

 わたしはマルグリッドに対して一礼すると背を向けず後ずさった。しばらくすると扉の閉まる音が聞こえたので、回れ右をして歩き出す。もちろん言われた通りに寄り道せず戻るのだ。マルグリッドの表情を曇らせるようなことはしたくない。


『お疲れ様。今回も切り抜けられたわね』

「うん……。良かったよ……」


 中庭の入り口を早足で通り過ぎていく。後ろ髪引かれるが、今のわたしではあのプローヴァ文字を解読することはできない。あの場に戻っても何もできないのだ。


 ああ! あの文字、メモ取っとけば良かった! 何でやってなかったんだ!!


 しかしまた中庭に入るのはリスクが高すぎる。わたしが中庭に入っていたのがマルグリッド以外の貴族に露見すると処刑されるのは免れない。それはわたしにとって本意ではない。


『どうする? このエリア出たら本当に部屋に戻る?』

「うーん……。ちょっと講堂行きたい。一人になりたいかも」

『うん。ここのところずっと忙しかったしそうしたら良いと思うわ』


 イディがわたしの頭に手を当てて撫でてくれた。自分が料理を作ったのをはじめとして、孤児院長、領主視察と本来なら関わり合うことのない人達と出会ってしまった。このことがなければ、平民の孤児として過ごし、成人してこの孤児院に就職していただろう。わたしがブルターニュ家の捨て子とも知らず、平民と疑わず過ごしていただろう。

 来客用のフロアを出た。わたしは最短ルートを通って講堂に向かう。ここからはそんなに離れていないのですぐに辿り着くだろう。


『来客のフロアから本当に近いわね、この講堂。ここ使われてないんでしょ?』

「うん。一応、子どもたちで清めるのは清めるけど先生や貴族が使ってる感じはないなあ……」

『なんであるんだろうね』

「確かに……」


 わたしは首を傾げながら、講堂の扉を開ける。領主視察のためこの辺りに彷徨うろつく人はいない。けれど念には念を入れて、わたしは誰も見ていないから確認して滑り込むようにして講堂の中に入った。

 ここは相変わらず美しく静かだ。ステンドグラスから降り注ぐ明るい光が壁の一部を照らしている。わたしはゆっくりと中央を歩きながら深呼吸した。


 はあ……、落ち着く……。


 正面の壁には創世記が旧プロヴァンス文字、精霊殿文字で書かれている。わたしはそれが書かれている場所まで辿り着くと、手を当てゆっくりと撫でた。


「ちょっと解読進めようかな。落ち着きたいし」

『リアがそうしたいならしたらいいと思うけど、時間あんまりないよ?』

「わかってる。鐘一つ分くらいの時間だけにする」


 そう言ってわたしは体の中心から自身の精霊力を引き出し、ランタンを具現化させた。そしていつもより少なめに精霊力を注ぎ込み、近くの台に置いた。


「今日は明るいから気付きにくいかもしれないな。イディ、もし点滅したら体揺さぶって耳元で大声出してね」

『わかったわ』


 わたしはいつもの通り愛用のペンとメモたちを取り出し、少し気持ちを落ち着けるために解読の続きを始めた。


 ……ああ、何も囚われず解読できるなんて幸せ。


 わたしの口元はきっと、いや、絶対緩んでいるに違いない。


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― 新着の感想 ―
[良い点]  本人の意向とは関係なく、料理人としての道が開かれていく。笑 [気になる点]  数話前の、「肉」という文字だけでお腹が空いてきました。笑
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