第二十七話 翠色の意味
そして、すぐに領主視察の日はやってきた。元々、食事会からほとんど日があかずにその日を迎えたので孤児院長にとってわたしの噂は飛んで火に入る夏の虫だったに違いない。タイミングが本当に悪かったのか。
視察まで何かと普段手の届きにくいところを清めたり、幾つかものを新調して換えたりといろいろと新領主のために準備を整えていた。少しでも心証をよくしたい孤児院長の意地汚い心がよく見える。前領主とはまた考え方が違う人間なのだろうかと不思議になる。
そして、一番の心配事である精霊殿文字の解読だが、そこまで進んでいない。子音の組み合わせがややこしく固有名詞らしきものが出てきているのか、解読が進まない。森の精霊である、しふあるいーさん(仮)のことが精霊殿で祀られているということはわかるのだが、その精霊殿を作った人物がわからなくて詰まった。多分初代王だと思うが、まだ時間が必要だ。
「今日は外の仕事が少なくて楽だわっ!」
「で、でも、今日の夕方と明日の分が、増えるのは、い、嫌だな……」
「えー、けっきょくしんどくなるのー?」
レミたちが食堂の机を拭きながら言い合っている。
今日は領主視察のため外で行う仕事は免除……というか後回しになっている。どちらかと言うと子どもの部屋付近での仕事しかない。だから朝食が終わり、片付けが終わったら自分の部屋の掃除をしに行くことになっている。
わたしは領主へ見せるスープの仕込みがあるので、レミたちと一緒に行動はできない。片付けが終わったら魔力供給をしてそのまま食堂にいることになる。
「終わったよー! じゃあリア、また昼の鐘の後にね!」
「リア姉ちゃん! が、がんばってね」
「リア姉ちゃんなら大丈夫よっ! あんなに美味しいスープが作れるんだからっ!」
アモリが食器類の片付けを終え、他のみんなも机を拭き終えたようだ。四人は今から自室の掃除をしに行くことになる。
「うん。でも作るだけだから大丈夫だよ。みんなもお部屋の掃除お願いね」
わたしの笑顔に安心したのか心配そうな表情だったロジェの顔が柔らかいものになった。そしてわたしが手を振るとアモリたちはロジェたちを引き連れて食堂を出て行った。
『魔力供給いかないとね』
「そうだね、さっさとやってもらおうか」
イディに言われてマルグリッドの部屋に向かおうとしたら、ちょうどマルグリッドが食堂に入ってきた。食事会の時と同じ、白を基調としたワンピースに緑色の袈裟のようなものを羽織っている。
「先生、おはようございます」
「リア、おはよう。良かった、ここにいて」
そう言ってマルグリッドは椅子に腰掛け、手のひらを上にしてわたしの手を乗せるように促してきた。わたしも椅子に座り、マルグリッドの白い手の上に自分の手を重ねる。
「今から私も貴女も慌ただしくなるので魔力供給をやってしまいましょう。さあ、目を閉じて」
マルグリッドの言葉にわたしは目を閉じた。すると温かい熱が手のひらから自分の中心へとじわじわと流れ込んでくる。最近は精霊力不足で疲れる感覚がないためか、すぐに体の中が満たされる。
「もう、大丈夫です。ありがとうございます」
「どういたしまして」
マルグリッドの手を離し、礼を言うとマルグリッドは微笑んでくれた。わたしも何だか嬉しくなって微笑み返してしまう。
「今日は領主視察の日ですね。先生、その服は正装ですか?」
わたしはマルグリッドの服装を見ながら尋ねる。食事会の時の他の貴族たちも同様の格好だったので少し気になっていたのだ。
「そうですよ。翠色はこの孤児院の色です。なのでここの職員はその色の衣を纏います。衣の種類で一応身分を分けています」
「へえ……」
マルグリッドは普段、シンプルなドレスに翠色の長いカーディガンのようなものを羽織っていた。他の先生たちも同色のポンチョのようなものを着ていた。また、この孤児院の絨毯やカーテンなど所々に翠色が使われていたので、やはり以前思っていた、この色がここで決められた色なのは正しかったようだ。
マルグリッドは羽織のずれを直すと立ち上がった。わたしも立ち上がる。
「ではもう行かなくてはなりませんので行きますね。今回は領主の視察なので料理を振る舞うのが目的ではないです。だから大丈夫ですからね」
「はい、ありがとうございます」
わたしの言葉にマルグリッドは微笑むと、わたしの頭に手を乗せて優しく撫でた。そして手を離し、食堂を出て行った。
『じゃあ作っちゃお! もちろん、少しはわけてくれるよね?』
「昼はみんな食べないし、多分余るからいいんじゃない?」
ここでの食事は朝と夕方の二食だ。領主視察が昼過ぎまでなので、臨時でこの時間に視察用を作ることになっている。保つのなら多めに作ってしまっても良いかもしれない。
すっかりわたしの料理の虜になったイディは喜びを飛行で表すかのようにブンブンと飛び回っている。その姿にわたしは笑みが漏れてしまった。
「じゃあ作ろうか。いつものスープを出したら大丈夫でしょう」
『使う材料はもう置いてくれてるんでしょ?』
「そうみたい」
そう言いながら厨房の方に入ると台にはもう食材が置いてあった。
ポゥ、メイジャン、パパタタ……、いつもの見慣れた食材か。あ、肉がある……。ふうん、こういう時だけそういう良いもの用意するんだ。
いつもならここでは見ないカロの肉塊が多めに置かれている。もしかしてこれくらいは出せる支援金を貰っているのではないだろうか。その推測が正しければ、孤児院長の横領は疑惑でなく真実なのかもしれない。
『これ、今日の夕食に出したいわね』
「……わたしも同じこと思った」
わたしの心の中をイディが言い当ててわたしは思わず笑ってしまう。
「じゃあカロの肉は遠慮なく使わせてもらおうか」
『いいわね!』
ドミニクたちと交流するようになって酒が手に入るようになった。「酒なんか料理に使えるのか?」と怪訝な顔をしながら持ってきてくれたが効果を説明してレシピを提供したら目の色を変えて作っていた。そうして効果が実感してもらえ、わたしはその見返りとして酒を手に入れることができたのだ。
その酒を使って唐揚げ……は材料が不足しているので、素揚げをしよう。塩と酒を揉み込んで柔らかくして揚げると良いだろう。一部だけ領主に渡して残りは孤児院のみんなで少しずつ分けて食べることにしよう。
『レシピ決まった?』
「……うん、スープとパンに軽ーくプラスアルファだから考えやすかった」
何を作るのか決まったのでわたしは前掛けを手に取り着用した。時間をたっぷり与えてもらえたのでグツグツと時間をかけて野菜の旨みを凝縮したスープを作ろうとわたしは野菜を手に取り下処理を始めた。
「リア? もうできてる?」
「ニコラ先生」
大方の調理を終え、盛り付けをしようかと考えていたところで暗い緑みのある黄色の髪に薄い水色の瞳をもつ女性が声をかけてきた。その女性──ニコラはロジェやレミ、ギィの世話を担当する職員だ。今は就寝前などの隙間時間に顔を合わすことがあるが、わたしが五歳くらいまでは面倒を見てもらっていた。
ニコラはニコニコとしながらわたしの近くへとやってくる。
「あとは盛り付けだけです」
「みたいね。じゃあそこの台にある食器に盛り付けて載せてもらえる? ここには貴族様は入らないの」
「はい」
わたしの返答にニコラは後ろに置いてあるワゴンを指差しながら言う。確かに孤児たちが出入りしやすいこの場所は貴族にとって入りたくないところだろう。マルグリッドは特殊なのだ。
わたしはワゴンにある食器を手に取り盛り付けた。具がスープに溶け出してとてもよく煮えている。きっと野菜のエキスがたっぷり染み出したスープは美味に違いない。想像すると涎が出てきそうだ。そして、別の小皿にカロの肉の素揚げ盛り付ける。そしてその周りに生で食べても美味しい野菜を彩りで添えた。
「お待たせしました! できました!」
「じゃあ来客用の階に持っていこうか。台があるからちょっと遠回りになるけど」
「あれ? ニコラ先生が持っていくんじゃないですか?」
ニコラは翠色のポンチョを羽織っている。正装をしているので受け渡しをしてもらえるのかと思ったらそうではないらしい。
わたしの言葉にニコラは「ああ」と困ったような顔をした。
「私もそう思ってたんだけど、『料理人も連れてきなさい』って孤児院長に言われたの。……リア、何かした?」
孤児院長おおお〜! 何を言ってんのー!!
わたしは何もしていない。食事会で命令されるがまま料理を振る舞っただけだ。わたしは全力で否定するためにブンブンと首を横に振った。
「だよねえ……。リアがそんなことするはずないし……」
その様子を見てニコラはふう、と息をついた。そしてわたしの方を見て人差し指を立てた。
「貴族様相手だから目線は下にして、聞かれない限り喋っちゃダメだからね! ……じゃあ、行こうか」
知ってますと言いそうになるが、寸前のところで我慢することができた。わたしは頷くと、ニコラの後ろをトコトコと付いて食堂を出た。
『今日は何だか大変な日になりそうね』
イディがぼそりと呟いた。




