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第二十五話 この地の精霊


 夜。皆が寝静まった頃にわたしは今日の疲れを取るために講堂に向かう。何度も夜に忍び込んでいるからだいぶ手慣れたものだ。

 目的はただ一つ。ここ数日できなかった解読作業の続きをするためだ。孤児院長の食事会のおかげで作業が遅れてしまったと言っても過言ではない。


『何が何だか……、ワタシ、頭が混乱してるわ』

「イディはわたしがブルターニュ家の生まれだって知らなかったの?」


 講堂に忍び込んでからすぐ、イディは口を開いた。イディとは生まれた時から一緒のはずなので知らないはずがないが、この感じだと孤児院長が言って初めて知った口ぶりだ。


『きちんと覚醒したのがリアが階段から落ちたあの時なの。それまではリアが覚えている記憶しかなくて……』

「なるほど……」


 イディが言うならそうなのだろう。わたしも前のオフィーリアの記憶は物心ついた頃からしかない。ただ「リア」が愛称的なものだと思い込んでいたし、特に何か言われたことなどなかったのであの時告知されて心底驚いた。


「まあ、結局は生まれは貴族でも平民落ちしてるから変わんないけどね」

『そう、だけど』


 これからはオフィーリアという名前でなく、リアとして生きていきなさいということだ。変わっていたのは名前だけで暮らしとしては今までと変わらないのだ。

 そしてわたしの家族は覚えていないブルターニュ家の人間ではなくて、マルグリッドをはじめとするこの孤児院にいる人たちだ。そう思えるくらいの温かさを貰って今まで過ごしたのだ。だからわたしは自分の出生の事実は事実として受け止めて、明日に向かう方がいいと思うのだ。ここには壁文字もあるし。


「だからもういいの。さあランタン出ておいでー。解読作業をしましょー」

『切り替え早っ! まあリアが良いなら良いけど……』


 驚くイディを置いておいて体の中にある精霊力を引っ張り出してランタンを取り出す。そしてランタンに鐘二つ分の精霊力を込めて壁近くの椅子にコトンと置いた。

 ずっとお預けを食らっていたのだ。早く美しい精霊殿文字が見たい。わたしはすぐに壁に近づいて、彫られた文字に頬擦りする。


 ん〜、久しぶり。早く解読してあげるからね。後ちょっとだと思うんだ、多分……。


 顔を壁から離してうっとりとした目付きで文字を見ていく。均整の取れた文字たちが明かりに照らされている様は本当に美しい。早く読めるようになりたいと思いながら、前の作業で作った資料を取り出して広げる。金色の文字たちが広がり、ふんわりと光っている。


「さてと……」

『今日はここをするの?』


 イディがある壁の部分に指をさす。わたしは頷いた。

 そこは入って左の部分の壁文字だ。正面の創世記は精霊殿文字と旧プロヴァンス文字で上下に分かれて彫られているが、左右の壁は精霊殿文字しかない。先日の地に精霊力を流すことについて記してあったのは右側の一部だ。


「あと少しなんだけど、子音らしき文字を組み合わせた発音が難しくて……」


 子音一つ母音一つで発音できるそれはまだわかりやすいのだが、子音が二つ三つ重なっているものが難しい。ローマ字で言ったら「chi」と「ti」のようなものだ。日本語発音になるとどちらも「ち」だが、厳密には発音は少し異なる。

 前解読できた一部は創世記で出てきたものだったのでできたが、今回はヒントもないので子音の発音をきちんと理解しなければ難しいだろう。


「子音の組み合わせ、他にもあったかな……」

『こことここ、創世記にあるよ』

「本当だ」


 イディが創世記の一部を指さす。そこには母音は異なるが同じ子音の組み合わせがあるのを確認した。


 よし、少しずつ試していくしかないかな。


 精霊力を手のひらに集めるのをイメージしながらペンを取り出す。前の世界でも愛用した黒のボールペンがオレンジの光とともに現れた。

 時間は鐘二つ分なので今日中に解明するのは難しいだろうができるところまでやることができればと思う。口元が緩んでいくのを止められないまま、わたしはまだ何も書いていない真っ新な空虚にペンを走らせた。






 ふと気付くとランタンの明かりがチカチカと点滅していた。もう鐘二つ分くらい経ったのかとわたしは凝りをほぐすように伸びをした。口の中に溶けかけのテオの実が入っていたのに気付い、口の中で砕いて嚥下(えんげ)する。手持ちのテオの実はロジェに聞いてある場所を教えてもらい採ってきたものが、実り自体少ないので手元にあと二つほどしか残っていない。テオの木にも精霊力を流して実り豊かにしてみても良いかもしれない。


「イディ、もう鐘鳴った?」

『今さっき鳴ったばっかり。もう戻らないとね』


 イディの言葉にわたしはこくりと頷いた。名残惜しすぎるが明日のこともあるので戻って休まなければならない。あと使った精霊力も回復させておく必要もある。しかし当初ほどの疲労感がないのはありがたいことだ。


『ね、どこまで解読したの?』

「ん……、まだまだ一部だけど。子音の発音を組み合わせたらそれっぽい文章が出てきたかも」

『聞かせて!』


 今日はあまり進んではいないが、大きな一歩は踏み出せていると思う。わたしはある一節が書かれているところを指差すとイディはそこに向かって飛んでいった。


「多分ここに精霊のことが書かれてるの」

『この世界の精霊のこと!? 何だろ?』

「えーっと……、森の、精霊、統一、せん地。ここく、ほうしょう……多分ここ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)……を、司る、精霊……」


 イディがこの世界には日、月、水、火、風、地、森、時、武の九つに分類される精霊がいると言っていた。ということは、この付近は森の精霊が多く存在するか、強い力を持っているということだろう。

 森という言葉から作物が豊かになることに特化しているのだと思う。前読めた箇所も作物の実りを豊かにする方法だ。

 そして今回分かったことだが、精霊殿文字は清音と濁音、半濁音の区別がなく、全て清音で記されている。だから五穀豊穣(ごこくほうじょう)を「ここくほうしょう」と読めてしまうのだ。


「多分、この後名前らしきものがあるんだけど発音がわからない。しふあるいー、なんだけど、イディ心当たりある?」

『ないわ』


 精霊の名前の発音がよくわからなかったのでイディに聞いてみたが、イディは首を横に振ってばっさりと否定した。この世界の枠から外れた位置にいるイディには確かにわからないかもしれない。

 森の精霊には失礼な話だが、名前なのでとりあえずおいておいてもいいと思う。名前くらいなら資料に残っているやもしれない。


「とりあえずここまでかな。まだ続きあるけど、それはまた明日にするしかないよね……」

『そうね、絶対そうした方がいいわ』


 イディが全力で肯定してくるので、そこまでされたら部屋に帰るしかないとがっくり項垂れる。自分で決めたことなので仕方がないが、本当は徹夜でずーっと解読作業がしたい。しかし状況的にそれは厳しいのでやめておくのが一番なのだ。

 はあとため息をついたわたしとは正反対に、イディは嬉しそうにわたしの近くまで飛んできた。


『でも少しずつ明らかになってるわね。じゃあこの絵は森の精霊なのね』

「絵?」


 わたしが聞き返すと、イディは『ほら、そこ』とわたしが解読した文章の下側を指し示した。そこを見ると確かに長い髪を(なび)かせた女性らしき人が何かの植物の芽を手のひらに乗せている絵が描かれていた。


「気付かなかった……。こんな絵、描かれてたんだ……」

『え、気付かなかったの?』

「……うん。文字しか見てなかった」


 こんな時代を感じてしまう流麗(りゅうれい)な文章と端正な文字の組み合わせに目を奪われるのは仕方のないことだと思う。しかしイディにはそうでなかったらしく『リアらしい……』と呟いて笑った。

 わたしはその絵の近くに寄ってまじまじと見つめた。


「へえー。この文章と絵が対応している感じなのか。エジプトの壁画みたい……」


 今見ているところの右側には同じ女性が目を閉じて両手を広げている絵が彫られている。これも解読を進めたらどのような意味なのかわかるだろう。

 解読へのモチベーションは元から高いとは自負していたが、さらに高まり、にやけてくるのがわかる。


 ふふふ〜ん! 楽しみになってきた! 食事会とか堅苦しいのはないからこっちに専念できるし!


 思わず鼻歌を歌ってしまうくらい機嫌が良くなる。このまま続行したいところだが、そろそろ明日に影響してしまうので今日の作業は終わりにすることにした。握っていた精霊力の塊であるペンを自分の内側に取り込み、広げていたメモたちもそのままの状態を意識してその場から消す。きちんと自分の中にあるのかも確認したら、ランタンを手に取りランタンの精霊力を吸い取った。


「じゃあ慎重に帰ろうか」

『そうね、気を抜いちゃダメよ』


 わたしは笑顔で頷くと月明かりに照らされた講堂を後にした。


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[一言] やっぱり、本好きの下剋上?
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