第二十一話 料理人たち
ついに料理を振る舞う当日となった。
野菜の下処理や注意事項をまとめたメモ書きも作り、レシピも書き記しておいた。おかげで隙間時間ではやり切ることができず、夜中講堂でも作業する羽目になってしまった。目の前に未解読の文字があるのに何も手出しできず、お預け状態が悔しすぎて血の涙が出そうだ。だが、命の方が大切なので泣く泣く我慢するしかないのだ。命がないと解読ライフを送れない。
マルグリッドにも作法や注意点を教えてもらい、実践形式で練習した。わたしが気をつけないといけないところは料理の受け渡しの時ぐらいなのでそこを重点的に練習しておいたのであとはその通りにやり切るのみだ。
『ついに来たわね……! リアなら大丈夫よ! ワタシも手伝うわ』
「うん……」
この日に向けてきちんと準備はしているが、自分の命がかかっていると思うと気が重い。わたしは胃のあたりを押さえた。
孤児院長たちの食事会は昼食の時間に行われる。孤児院に勤める一部の貴族である職員たちを呼んでいるそうなので、お付きの者を含めても十人にも満たない。作る料理の数はそこまで多くないが、念のため朝の鐘が鳴ってから仕込みに行くことになっている。今ちょうどマルグリッドを迎えに行くところだ。
『できることはやったのだから、あとはやるしかないのよ。そんな悲壮な顔してたらできるものもできないわ』
「……そうだね」
まだ解読の半ばなのに死ぬわけにはいかない。わたしは気持ちを切り替えるために顔をぐいっと上げる。やや早足気味に部屋へと向かい、ポケットにしまっていたお下がりのベルを取り出した。マルグリッドの部屋に訪問することが多くなったので彼女から貰ったのだ。ノックでは体裁が悪いらしい。
わたしはベルを横に振って鳴らすとすぐにポケットにしまって目線を下げた。するとすぐに扉が開く音がした。
「リアですか。マルグリッド様は支度中です。少しここで待ちなさい」
「はい」
わたしがお辞儀を一つするのを見て、アリアは「ふん」と鼻を鳴らしながら奥へと戻っていく。本当に歓迎されてないなとため息をついて、マルグリッドが出てくるまで待つことにした。
『ほんと、嫌な感じよね。人間なんかワタシたちから見たらみんな一緒なのに威張っちゃって! それだけ威張れるんだからさぞかし立派な仕事をしてるんでしょうね!』
「この世界ではそれが普通なの。特に弱い者はそれに従わないと命に関わるんだから。郷に入っては郷に従えっていうでしょ?」
『む〜〜〜……』
納得できていないのかイディは唸る。
わたしも本当のことを言うのならこの身分制度など煩わしい。今の今まで貴族という存在に関わることがなかったので何も感じなかったが、いざ近くにくると作法やら注意点やら面倒だ。
しかし関わることになってしまったら死なないためにも煩わしくとも向こうのルールに従うしかないのだ。
「ほら、むくれてないで。今日はわたしの手伝いをしてくれるんでしょ?」
『む〜〜〜……』
まだむくれているイディに苦笑していると、コツコツと二人分の足音が聞こえてきた。一人はアリア、そしてもう一人は主のマルグリッド。わたしは目線を下にしたままその場で動かず待っていると、わたしの前までやってきてピタリと止まった。
「お待たせしました、リア。行きましょう」
「はい、マルグリッド様」
マルグリッドの後ろにアリアが控えているのはわかりきっているので言葉遣いも貴族様用だ。わたしは視線はそのままで後ろに下り、マルグリッドが通れるように横に避けた。するとマルグリッドは進み出て来客用の階の方向に歩き始めた。その後ろをアリアが付いていくので、さらにその後ろをわたしは付いていく。ちらりとマルグリッドを見ると、白を基調としたワンピースに緑色の袈裟のようなものを羽織っている。いつもと違ってきちんと整えられた衣装に「正装か」と直感的に感じた。
いつもなら使うことのない翠色の絨毯が敷かれた階段を降りて行く。この階段を使うことを禁じられていたので一体何のためにあるのだろうと思っていたが、これはマルグリッドらが使うためにあるのかと納得する。
そう、降りた先は来客用のフロアに繋がっていたのだ。
以前このフロアに足を踏み入れた時は、マルグリッドと二人だったこともあり、わたしが普段使う道を使ったが、今日はアリアも一緒だからそちらを選んだのか。
なのであっという間に厨房に繋がる扉の前まで辿り着いた。
「では、隣の孤児院長室で会合がありますので私はそちらに行きます。アリアはリアを厨房に引き渡してから戻ってきてください」
「はい、マルグリッド様」
マルグリッドが厨房の隣の部屋に入って行くと、アリアが懐からベルを取り出した。そして二、三回横に振って鳴らす。
「お待ちしておりました」
扉がすぐに開き、ドミニクが現れた。
「マルグリッド様の命により、リアを引き渡します。くれぐれもマルグリッド様の顔に泥を塗るような真似はなさいませんよう」
「か、かしこまりました!」
冷たく言いつけるアリアの言葉にドミニクは慌てたように返す。そして、アリアは冷笑一つするとわたしの手に木札をガラガラと押し付けるとそのまま去って行った。
「入りなさい」
ドミニクは顎で中に入るように指し示しながら不機嫌な声を出した。
さっきの態度と全然違うじゃない!
心の声はそう叫んでいるが、馬鹿正直に言える訳もなくわたしは恐る恐る中に入る。
「……こんな子どもがこんな大役、できるのか? 全くお貴族様の考えていることはわからん」
わたしを睨みつけながらドミニクは鼻を鳴らす。貴族の考えていることがわからないことには激しく同意する。ドミニクという専用の料理人がいるならそっちでいいじゃないか。
「そこに突っ立っていられても邪魔だ。さっさと端に寄りな」
ドミニクが子どもをあしらうように手を振ると、食材が置かれている台に向かって歩いて行った。どうやらわたしに作らせる気は毛頭ないらしい。
「ここはずっとこの顔ぶれで回してんだ。お前みたいな子どもにかき回されたらたまったもんじゃねえ。そこでじっと見てるんだな」
奥の方を見ると黒髪と茶髪の男性がこちらを睨みつけていた。ドミニクとその男性らで今までやってきたのにわたしという子どもが神聖な厨房をかき乱すのが許せないのだろう。それには激しく同情するが、こちらとしても命じられたことをきちんと遂行しなければ死に繋がるのだ。そこはわかってもらいたい。
『こいつらバカなの? 自分のプライド優先して貴族の命令に従わないのはダメでしょ』
一部始終を見ていたイディが言うが、その通りだ。わたしはため息を一つつくと、木札を近くの台に置いて持ってきた前掛けをつけた。
こっちがその気ならやってやろーじゃん。こっちだって今後の解読ライフがかかってるんだ!
スタスタと歩いて食材が置かれている台に向かう。ドミニクがわたしの足音に気が付いて振り返ると口がひくついた。
「何勝手に動いてんだ!? 邪魔だからあっち行ってな!」
ドミニクが怒鳴りつける声をスルーしてわたしは台の上に置かれた食材を改めて確認する。食材は確認したものとたいして変わらなかったのでホッと安心した。これが違っていたらいろいろと困る。
「おい聞いてんのか!」
隣でギャーギャー叫ぶ声が聞こえるが、自分の命と比べるとどうでも良いので無視して使う食材を選択する。パミドゥーのスープとカロのカツなので、パミドゥー、カロの肉、卵と近くに置いてあった籠にぽんぽんと入れていく。
「無視をするな!」
ガッと肩を掴まれ、振り返ると顔を真っ赤にしたドミニクがいた。そしてその後ろには怒りの表情を浮かべた他の料理人たち。
『コイツら本当にバカじゃない? ヤっとく?』
「……ヤったら駄目だよ」
物騒なことが聞こえたのでわたしは呆れて小声で止めた。するとイディはドミニクたちの方へ飛んでいくと舌をべっと思いっ切り出した。
しかし料理の邪魔をされるのはこちらとしても困る。わたしは深くため息をつくと、ドミニクの方に向き直った。
「……あのですね、わたしは孤児院長の命令を受けてここに来ているんです。料理人の変な自尊心のために命を無駄にしようと?」
「な……! 生意気なことを言いやがって!」
ドミニクの後ろにいた茶髪の男が怒りの表情を見せながらガッと前に出てきた。わたしは続ける。
「ここでわたしに作らせずいつもの料理を出してもどうせバレます。大切な厨房を使うのは申し訳ないですが、わたしは命の方が大切です」
小さな子どもがここまで言い切るとは思わなかったのかドミニクは呆気に取られているが、すぐに自分を取り戻してわたしを睨みつけた。後ろの二人も同じように厳しい視線を送っている。
「早く準備しないと昼の鐘に間に合わないので作業させてもらいますね」
わたしは籠とまな板と包丁を手に取ると作業ができる台へと移動する。後ろから「待て!」と男性の声がしたが、「放っておけ、どうせ……」と不機嫌なドミニクの声が聞こえてきた。「どうせ」の後はよく聞こえなかったが、とりあえず下処理などできることからやっていかなければならない。
『アイツらほんと、何考えてんだろ。リアの料理を知ってるマルグリッドもいるのに、いつもの料理作ろうとして……』
「あの人たちはわたしの料理のこと知らないから仕方ないよ。命令に従わないのはいただけないけど」
イディが呆れたようにため息をついた。わたしはイディを宥めながら籠たちを台の上に置くと、ベーコンとパミドゥー、玉葱のような辛味を持つリングの形のクロケボを取り出した。
これでパミドゥーのソースを作るので細かく材料を切らなければならない。クロケボを軽く布巾で拭き、まな板の上に置いた。そして、ザクザクと細かく微塵切りしていく。時間はかかったが三つ全て切りきった。
次にパミドゥーの紫色の皮を剥いていき、ボウルに剥いた中身を放り込む。これを合わせて味を整えて煮込んだらシンプルなソースになる。ニンニクがあればより良いが、ないので仕方がない。
『リア、竈はあっちだよ』
鍋を持ってイディが指し示す方向へ向かう。竈近くの台でドミニクが肉を捌いているが、お構いなしに鍋を置く。横から睨みつけられている気がするが、気にしないでおこう。
わたしはポゥとスウスウを取りに戻り、ポゥの殻の一部を包丁で割った。そしてその二つを持って鍋の元に戻ると、鍋に注ぎ込んだ。黄色と白が合わさって淡黄色になる。
これを火にかけようとスイッチを押すが、点かない。
「……?」
手違いだろうか、ともう一度押すがそれでも火はつかない。
「……どういうこと?」
わたしの焦りの声が漏れた。




