第十九話 献立決定
マルグリッドが出した手紙の返事が返ってきたのは夜だったらしく、わたしはその返答を朝にマルグリッドから伝えられた。
「調理場所も食材もこちらで用意したものを使うように、もし持ち込むものがあれば事前に伝えておいてほしいと返事にはありました。もし食材を確認したいのであれば今日の昼の鐘に用意させておくとのことでした。どうしますか?」
「もちろん、行かせてもらいます!」
相手が平民の子どもなのにここまでしてもらえているので孤児院長側も領主の接待に使えるかどうか見極めようとしているのだろう。どんだけ領主のご機嫌を取りたいの。
けど、向こうから提案してもらっているので有り難く受け入れておこう。
「それならば私も付いていきます。やりとりは基本私がする方がやり易いと思うので聞いておきたい内容があるならば事前に教えてください」
「ありがとうございます。ならば、食材の味や下処理のやり方を聞いていただけると助かります。もし可能なら生でいいので食材の味見ができれば」
この世界の食材は形が変わりすぎて何が何だか判別できない。パパタタのように滑りがある豆がじゃがいもと同じと言われてもわかるわけない。
マルグリッドは「わかりました。そのように伝えておきますね」と柔らかに微笑むと供給を終えたこともあり、わたしたちの部屋から出て行ってしまった。
マルグリッド先生、本当にありがとう……!
面倒なやりとりを文句を言わずに卒なくこなしてくれることに感謝の気持ちしかない。こんなに世話を焼いてくれるマルグリッドを悩ますことがないようにわたしはわたしで精一杯準備しようと決意した。
それが朝の出来事。
そして今、マルグリッドに連れられて足を踏み入れることがない来客用のフロアに来ている。来客対応のためということもあって孤児院長の部屋がこの階にあるらしい。絨毯を敷きにきた時には知り得なかった情報だ。
「今回は孤児院長は同席しません。専属の料理人とのやりとりになります」
「その、料理人も、貴族なのですか?」
移動しながらマルグリッドは今回の訪問について教えてくれた。専属と言われたのでそっちの方面かと思い尋ねると、マルグリッドは首を横に振った。
「料理人は平民から雇っています」
その返答にわたしは息を吐いた。それならばまだやりやすい。その場で聞きたいことがあっても聞けないということはない。しかし、わたしの安堵の表情とは反比例してマルグリッドの表情は曇る。
「ですが長らく料理人としてやってきているので、子どもであるリアが調理場に入るということは許せないことだと思います。なので、今回は目立たないようにしてくださいね」
「はい……」
心は二十代だったが、体は完全に子どもだった。そんな子どもが自分たちの聖域を荒らすのは普通なら許せないだろう。わたしも自分の聖域を荒らされるのは耐えられない。料理人に対して申し訳ない気持ちになりながらも、こちらも生死が関わっているのでこのようなことで引くつもりはないので、マルグリッドの指示通りにすることにした。
「さて、着きましたよ。姿勢を正して……、さあ入りますよ」
かなり奥の方まで来たようだ。マルグリッドは懐から小さなベルを取り出して手首を捻って鳴らした。透き通った美しい音が鳴り、しばらくすると扉が開いた。
「お待ちしていました、マルグリッド様」
その声の主は三十路を過ぎた男性だった。目線を下げ、丁寧な言葉遣いからマルグリッドの言う通り平民だということを実感する。しかしこの男性は貴族を相手にすることに慣れているのか、極度の緊張は見られない。
「急なお願いを聞いてくれてありがとうございます。準備はできていますか?」
「はい、こちらへどうぞ」
マルグリッドの言葉に男性は深々と礼をしながら中へ入るように勧める。マルグリッドはわたしに軽く目配せをすると中に入っていったのでわたしもそれに続こうとした。
「……」
うわ、睨まれたよ。怖い怖い。
マルグリッドの視線が男性から外れた途端、近くにいたわたしに鋭い視線を送ってきた。なぜこんな子どもが、という心の声が聞こえてきたような気がしたが、わたしはそれをスルーして中に入る。
中は立派な厨房だった。孤児院のものとは異なっていてとても綺麗だ。きちんと手入れされているのがわかる。孤児院の方も汚いわけではないが、手入れにかけられる時間はあまりないのでそこまで綺麗ではないのだ。
そして厨房の台の上に色とりどりの野菜や肉らしきものが並べられていた。野菜の方はポゥ、パパタタ、メイジャンと菜園で育てているものばかりだった。わたしは見たことがない野菜が無いことに安堵しつつ他の食材に目を向ける。
あ、鶏肉と卵、牛乳? それっぽいのもある! 凄い! さすがお貴族様!
羽をむしられた状態の鶏肉とその隣には籠に入った幾つかの卵、瓶にたっぷり入った白濁した液体も置かれている。孤児院で暮らしている限り見ることはなかったであろう食材があることに喜びを感じた。野菜だけでないのならば料理の幅も広がる!
「リア」
ヒヤリとした声で名前を呼ばせて背筋がピンと伸びる。気付けば食材を見るために身を乗り出していたようだ。男性の目も冷たい。わたしはすぐにマルグリッドの後ろに隠れるように下がった。
「ごめんなさいね、この子はリアです。聞いているとは思いますが、今回孤児院長が指名した料理人です」
「はい、聞き及んでおります。──申し遅れましたが、私はここの料理人のドミニクと申します」
「ではドミニク、食材の説明を頼みます」
「はい」
ドミニクは恭しく礼をすると一つひとつの野菜を差しながら説明し始めた。野菜の方はわたしも知っているが、念のため確認しつつ聞いていく。
……特に目ぼしい情報はないかな。
甘味、苦味、酸味、それぞれ持っている特徴はわたしが思っているものと一致していた。それならばレシピを決める時の参考になりそうだ。
「さて、こちらはカロという鶏の肉です。リア……さん、は孤児院育ちなので見たことないかもしれませんが、一般的によく出回っている鶏肉ですね。柔らかく食べやすいのが特徴です。その隣はカロの産んだ卵ですね」
ドミニクの言い方に棘があったような気がするが、事実であるし対立する気もないので黙っておく。最低限の処理はしてくれているが、丸々どん、とそのまま置かれているので焼く前の北京ダックのようだ。調理するためには切り分けないといけないのが面倒だ。
「そしてこちらの白いものは、スウスウという植物から取れた飲み物です」
牛乳かと思ったら植物性のものだったか。わたしはマルグリッドの裾を引っ張った。
「もし良ければ少しいただいてもよろしいですか?」
「ええ、もちろんです」
そう言ってドミニクは二つの器にスウスウを注いで出してくれた。わたしはそれに口をつけてゆっくり味わう。
……うん、これクリーミーだな。牛乳に近いけど少し甘い。使いどころを考えたらいいものが作れるかもしれない。
孤児院では出ない代物なのでどう使おうかと考えてしまう。マルグリッドを見るとまだスウスウが入ったままの器を持っている。中をチラリと見ると減っているようには思えない。
あ、そうか。毒見する人がいないから……。
今日はわたしが一緒にいるので付きの者はいない。わたしは先に飲んだのでマルグリッドの裾を引いて空になった器を見せ首を横に振ると、マルグリッドは安心した表情を見せてゆっくり器に口をつけた。
「とても良いスウスウを仕入れていますね」
「恐れ入ります」
そしてマルグリッドは野菜や肉の食材の処理方法を聞いていくのでわたしも彼女の後ろでふむふむと聞いていく。下処理の仕方は特に複雑なものはなかったが、生で食べてはいけないなどの調理の際に気をつけないといけないものがあったので頭に叩き込んだ。
せっかくスウスウと鶏肉、卵があるならそれを使った料理にしたいなあ……。
初めて見る食材は使いたい。牛乳を使う料理ならばポタージュなどどうか。かぼちゃに似た味わいを持つポゥもある。かぼちゃと違って既にスープ状になっているので調理もしやすい。
一品は決まったので、鶏肉を使った料理を考える。
卵もあるし、チキンカツはどうかな? 油もパンもあるので材料は揃っているし……。
パン粉をつけてサクッと焼いてトマトソースと合わせたらきっと、いや絶対美味しい。あとはパパタタを蒸すか揚げるかしてそれを添えてもいいかもしれない。
メインとスープ、あとはパンを付け合わせておけばいいかと思い、これでメニューを決定する。ちょうどその時高い鐘の音が響き渡った。すると、ドミニクは口の端を吊り上げた。
「申し訳ありません。もう昼三度目の鐘が鳴りましたので夕食の準備をしなければなりませんので……」
謙った態度はしているがさっさとどこかへ行ってくれと言わんばかりの表情である。相当わたしをここに留めたくないのだろう。
竃を確認しておきたかったが、遠目で見た感じ孤児院で使っているものと大差はなさそうなのでもう良いだろう。無理矢理留まってドミニクたちの反感を買うのは得策ではない。ただでさえ敵認識されているのだから。
わたしはマルグリッドに目配せするとマルグリッドは優しい顔で微笑み頷いた。
「そうですか。お仕事の邪魔をしてはいけませんね。では私たちはお暇させていただきますわ」
「恐れ入ります」
そう言ってマルグリッドは扉の方へ向かって歩き出したのでわたしも後に続いた。




