第七十八話 そこに文字があるのなら
結果的に言うと、説教された。迂闊すぎると。
確かにそれは否定できないので黙って聞いていたが、よくよく考えるとバレた原因の一つとしてヴィルヘルムのお守りのこともある。精霊王は多くは語らず、何が原因でとは言わなかったのでヴィルヘルムは知らないはずだ。そう考えると少し苛立ってしまった。
「あの、お言葉ですが!」
苛立ちそのままを言葉に出すと、ヴィルヘルムにジロリと睨まれた。一瞬怯んでしまうが、それで何も言わなければ言われっぱなしになる。それはごめん被りたい。
「今回コンラディン様にバレたのは、領主様にも原因があります。領主様、コンラディン様の前でお守りを使いましたよね? そのデザイン……形を見られたせいでわたしの耳飾りに繋げられてしまったのですよ?」
「…………」
「あれがなければ疑念のままで終わっていたのではないかと思うのですが」
思い切って言い切るとヴィルヘルムは額に手を当てて、難しい顔つきになる。特に反論もしてこないので、わたしはそっと息を吐いた。
「わたしにお説教する前にご自分のことも振り返ってください!」
「……よく理解した」
沈んだ声でヴィルヘルムはそう言うと、わたしを置いて咲き誇る花々の方へと歩いていく。そして一枚の石板を手に取ってこちらに戻ってきた。何故石板がこんなところに? と疑問に思うが、わたしの視線はその石板に書かれた文字に向けられた。そして駆け寄る。脊髄反射だと思う。
「ももももも文字じゃないですかあああ! こここここれは?! ……精霊殿文字でも、プローヴァ文字でもありませんね!」
石板には全く知らない文字が刻まれていた。パッと見て象形文字のようだ。全くと言っていいほど読めない! ということは未解読文字だ!
鼻息荒く、その石板を見つめていると、ヴィルヘルムはひょいと上に持ち上げた。身長差があるためわたしからその石板の文字は見えない。何と酷いことを! と批判の目をヴィルヘルムに向ける。
「これは統一前にジャルダンに暮らしていたという森の民のものだ。私の祖先でもあると聞いている」
『森の民! 懐かしい響きですね。言語統制前ですから各々に暮らしていた時代ですね』
シヴァルディの弾んだ声にヴィルヘルムは「そうだ」と肯定した。統一前のものが本当にあったのだ。あああああ! 早く読みたい、見たい、解読したい! 早く見せて! お願いだから!
ぴょんぴょんとその場で跳ねて石板を見ようと試みるが身長差は明らかなものであり、無理だった。近くにクローディアやデルハンナがいたら「はしたない」と叱られていたと思う。でも二人はいないし、気にしない!
「何で! 見せて! くれないんですか!?」
「……そうだな」
そう言いながらヴィルヘルムはわたしを見下ろした。
「これを渡してもよいが」
「そうですか!? 何でもしますよ!?」
「お、何でもか?」
「はい!」
早くほしい! 早くそれを抱えて部屋に篭りたい。わたしはヴィルヘルムの裾を掴んだ。
「では今後、王家のこと精霊のこと、きちんと私に相談してほしい。隠さず、全てな」
「はい! それはもちろんですよ!」
「……言ったな?」
口の端を吊り上げてヴィルヘルムは満足そうに頷くと、持ち上げていた石板を下ろし、わたしに見せる。わたしはそれを受け取り、じっと眺めると、うふふと笑い声が漏れてしまった。おっと我慢しなきゃいけないのに。
シヴァルディが言語統制前と言っていたので、プロヴァンスで話されている言葉とは別なのかな。それなら森の民が話していた言語を学ばなければいけないけれど、果たして残っているのだろうか。ああ、こうやって未解読文字というものが生まれていってしまう。でももし解読できた時にはもの凄い喜びに満ちた感覚を得られるだろうな。
『リーアー!』
「え?」
イディに体を揺さぶられ、わたしは石板から目を離すと、困り顔のシヴァルディと呆れ顔のヴィルヘルムがわたしを見ていることに気付いた。
「全くオフィーリアは……」
ヴィルヘルムはわたしの髪を軽く撫でると、わたしの手の中にあった石板をひょいと取り上げた。何てことを!
「今後の話がしたい。これはその後だ」
「え!? そんな……!」
「…………。プローヴァ様が話をして事なきを得たが、オフィーリアの立場がいつ危うくなってもおかしくない状態だ。きちんと情報を擦り合わせておく必要がある」
「…………はい」
ヴィルヘルムに諭され、素直な返事をするしかなかった。今は引き下がっているけれど、いつ手のひらを返してくるかわからない状態はわたしもヴィルヘルムも困る。ヴィルヘルムがどう考えているのか未知数だが、わたしが持つ情報を渡した上でどうするのか決めるのは悪くない選択肢のはずだ。
……さっさと知っていることを話して、石板を貰おう。そしてコンラディン様たちが帰るまで篭ってやるんだ。
決意新たにわたしはヴィルヘルムに導かれて中庭を出た。
この後ヴィルヘルムたちと情報の交換をし、今後のことは彼に任せることになった。わたしが表舞台に出るより、領主であるヴィルヘルムが動いた方が都合がよさそうなので有難くお願いした。自領のこともしないといけないのに、わたしのことまでやってくれるのは申し訳なかったが、ヴィルヘルムは「気にするな」と目を細めて言っていた。
その後、ヴィルヘルムはさっそく策を立て、わたしが王都永住を避けるために交渉の場を設けた。もちろんわたしも同席したが、話す間もなくあれよあれよと話がまとまり、わたしが成人後に各地を回ることを条件にジャルダンで暮らすことが決まった。もちろん成人とともにヴィルヘルムと精霊の名の下で婚姻の儀を行うこととなっているので、わたしは確実に王族に入ることはない。また精霊王のさらなる後押しもコンラディンには効果抜群だった。精霊との繋がりが失われるのは王家の象徴が無くなるのと同義だからだ。
それから数日が経ち、コンラディンたちがジャルダンの石柱に集めた精霊力を注ぎ切る日がやって来た。経過はコンラディンたちから聞いていたようで、ヴィルヘルムはわたしをあの石碑に呼び出していた。
やることはもちろんわかっている。そう、シヴァルディに精霊の目覚めのために呼びかけさせるためだろう。
わたしたちが石碑の間にやってくると、シヴァルディはふんわりと微笑んで待っていた。
『地に精霊力が満たされました。以前にリアからもらった力もあるので、さらに位の高い精霊もきっと目覚めさせられるでしょうね』
喜びに満ちた表情とその声色から、純粋に今まで頑張って来た甲斐があったと思わせてくれた。そんな温かい言葉をくれるシヴァルディには感謝しかない。
「では頼んでもいいか?」
『ええ、ヴィルヘルム。配下たちはきっと目覚めますから、ジャルダンが愛したこの土地をこれからも豊かにしていってくださいね』
「約束する」
ヴィルヘルムの力強い頷きをシヴァルディは優しい顔で見つめた後、手を組み、祈りを捧げる格好になった。どこにいるのかもわからない神に祈りを捧げる姿は、麗しい見た目の彼女がするとかなり絵になる。
『ジャルダンの地の精霊よ、その深き眠りから目覚め給え』
玲瓏な声。その声と共にジャルダンの象徴の色である翠色の輝きが、彼女の身を包み込む。そしてそれはだんだんと輝きを増し、この国の中心の色となる白色へと変化していく。その美しく神々しい輝きを直視することができず、わたしは思わず目を瞑った。
『……終わりました』
少し経ったくらいか、シヴァルディの吐息混じりの声でわたしはゆっくりと瞼を上げた。相変わらず美しいシヴァルディは翠色の髪をかきあげ、一息ついていた。
「…………?」
目覚めた精霊はどこかとキョロキョロ見回していると、シヴァルディはくすくすと笑った。
『ここは私の眠りの場所なので、配下の精霊は入ってこれませんよ。……大丈夫です、外では多くの精霊が目覚め、それを喜んでいますから。リアのおかげですね』
「……良かった」
優しい言葉にわたしは酷く安堵したのか、息を吐いた。隣でヴィルヘルムも同様にしていた。うまくいくのかやはり不安だったのだろう。
「精霊が目覚めたのか直接確認しなければ」
「……そうですね」
「だがその前に」
相槌を打ったところでヴィルヘルムはくるりとわたしの方を向き、その場で片膝をついた。ヴィルヘルムはシヴァルディに視線を向け、何かを合図すると彼女は微笑ましそうに目を細めながら手を広げる。すると彼女の手から翠色の光と共に小さなものが現れた。
何を出したのだろうと目を凝らしていると、ヴィルヘルムはそれを受け取り、よく見えるように差し出した。それはどこからどう見てもネックレスだった。
「精霊が徐々に目覚め、これからオフィーリアはいろいろな意味で忙しくなるだろう。好きな文字解読の時間も取れなくなるかもしれない」
「……わかっています」
わかっていることをもう一度言われ、少しムッとしてしまうが、ヴィルヘルムは「ちがう、最後まで聞きなさい」と首を横に振った。
「これから隣でオフィーリアの助けに、そして願いを叶えるために動いていきたい。オフィーリアが命をかける文字解読をより多くできるように。その誓いとしてこの首飾りを受け取ってほしい。私の想いが常にオフィーリアの心の近い場所にあるように」
ヴィルヘルムが見せる首飾りは、目立つ宝石部分は真っ白な石だった。それ以外は淡い色でまとめられており、かなりわたし好みだ。
……そういえば、首飾りは婚姻関係って言ってたっけ? あと色も……、……ということは。
いろんなことが繋がっていき、カーッと身体が熱くなった気がした。
「ん……? こ、これってプロポーズですか?」
「プロポーズとは?」
「えっと、きゅ、求婚ってことです!」
わたしが訂正すると、ヴィルヘルムは満足そうに大きく頷いた。すると胸がギューッと締め付けられるような感覚に襲われ、顔がだんだん熱くなっていく。今までそんなこととは皆無な生活だったので耐性がない。
なんと反応したら正解なのか分からず、目線を彷徨わせているとヴィルヘルムは軽く微笑み、わたしの首に飾りを付ける。遠慮したいとはなぜか思わなかった。
「……似合っている」
「あ、ありがとうございます……」
そろりと頬を撫でられ、恥ずかしさから俯いてしまう。イディはこちらを見てニヤニヤとしているので、さらに恥ずかしくなったが、睨みつけることしかできなかった。
やりたいことをやり切ったせいか、清々しさを感じるヴィルヘルムはそう言うと、触れていた手を戻し、「それと」と付け足した。
「まずはこれを」
「こここここれは! お預けされてた……!?」
ヴィルヘルムの手には森の民が使ったとされる文字が書かれた紙があった。この文字を見間違えるなんてあり得ない! 前見た時は石板だったが、貴重な紙に変わっている! わたしは震える手でそれを受け取った。
「持ち運べるように紙に書き写しておいた。……どうだ?」
「最高です! 領主様!!」
鼻息が荒くなってしまったが、この興奮を抑えるなんてできない。飛び上がりそうな気持ちを何とか制御しつつ、わたしは紙に目を落とした。
こんなことまでしてくれるなんて、と喜びしかない。
「今、手持ちはこれしかないが、伝手を使って他も手に入れよう」
「それは! 何と、甘美な言葉なのでしょう!」
「オフィーリアの願いを叶えると言っただろう?」
有言実行。何とできる男だ。
わたしは湧き上がる喜びを噛み締め、ヴィルヘルムに感謝の気持ちを込めながら、彼を見つめた。
『言語の勉強は任せてくださいね』
「ありがとう、シヴァルディ!」
統一前なので言語を学ばなければ解読は不可避。有り難すぎる申し出をしっかりと受け、わたしは紙を大事に抱え込んだ。
そこに文字があるのなら。困難があっても、わたしは真剣にそれに向き合っていこう。そう誓った。
「……そろそろ出よう。目覚めた精霊を確認し、混乱を収めなければ」
「はい!」
わたしの足取りは軽い。そうしてヴィルヘルムと並んで中庭を後にした。
長らくのご愛読ありがとうございました。
一旦完結にしますが、後日別話の投稿を予定しています。




