第七十五話 コンラディン 後編
イディの問いの答えを聞きたいけれど聞きたくなくて、わたしは現実逃避をするためにギュッと目を瞑る。ここまでコンラディンにバレてしまったらわたしは一体どうなってしまうのだろう。
「……オフィーリア様を王家で保護するべきだと考えています。縁を結ばせ、次世代のために注力すべきかと」
『婚姻か、はたまた養子ということ?』
「はい」
コンラディンの回答にイディは顔を歪める。イディはわたしがそれを望んでいないということをよく理解しているからだ。
その時、わたしの胸元に入れていた瑠璃色の精霊石が白く光り出し、衣服の隙間から光が漏れる。そして勝手にわたしの精霊力がズズッと抜かれた。
『それはならぬ、コンラディン』
「な……!? プローヴァ様!」
白の粒子とともに精霊王プローヴァが小さな姿でわたしの目の前に現れる。コンラディンがその姿を見て混乱していないあたり、もしかするとその姿を彼に見せていたのだろうか。あれだと精霊力を消費しにくいって言ってたし。
『契約違反だ。それは其方もよくわかっているだろう?』
「……ですが」
『縛らぬと契約をしたではないか。しかもオフィーリアの意思も確認した上で。ラピスの子として、王としてそれはやってはならぬことだ』
精霊王の言葉を受けてコンラディンは眉を寄せながら俯いた。
精霊王の居場所を教える代わりに契約した内容はわたしを王都に縛らないというものだった。今、事実が明るみになったとしてわたしを無理矢理王家にと動こうとしてもその契約が効力を発揮することになり、難易度がグッと上がる。王命でなかったことにできなくもないが、その重みが失われることになりかねない。
だがコンラディンはそれを無視してでもわたしを囲み込みたいようだ。彼がわたしを保護したいという意味はよく理解できるが、道具として見られているようでとても嫌な気持ちになる。
『コンラディン、目先に囚われてはならぬ。オフィーリアを取り込んだとして、彼女を保護するヴィルヘルムはどうする? 確実に彼を敵に回すことになる』
「彼は確かにこの王国の一領主ですが、それより価値のあるオフィーリア様を優先すべきかと」
『状況をよく理解せよ。彼は敵に回してはならぬ。其方も言っていただろう』
精霊王が言っているのはコンラディンがブルクハルトに言い聞かせていた時のことだろう。確かに蔑ろにしてはいけないとは言っていたけど。
『彼はジャルダンの子だ。ヴィルヘルムの領地には森の精霊シヴァルディがいる。彼を敵に回してしまったらシヴァルディと二度と縁は結べなくなるぞ』
「それは……」
『王族の権威があってもシヴァルディが拒めば契約はできん。シヴァルディはジャルダンを慕っているからな。それにヴィルヘルムの縁者でもあるアダンの地──クロネフォルトゥーナもどう出るかわからぬぞ』
国王は精霊王以外に九つの精霊と契約をすることになっていると聞いている。より正しい形に戻そうと思うならば、シヴァルディたちにそっぽを向かれるのは痛手でしかない。でもあの優しい彼女らが国王と契約しないなんていうのだろうか。疑問であるが。
しかし精霊王のおかげでコンラディンは自身の判断が良くないのではないかと迷い始めている。さすが格上の言うことは違う。
『それにもし其方がオフィーリアを王家にと望み、行動したならば、私自身も王家を拒絶することになる。……コンラディン、そうなっても良いのか?』
突然の精霊王の脅しにコンラディンは息を呑んだ。裏切られたかのような愕然とした表情で目を見開いている。わたしもラピスとの思い出を大切にしている精霊を統べる王が何故、ここまで言うのか不思議でならず、彼の小さな背中を凝視してしまった。
「プローヴァ様……! 何故……、そのようなことをおっしゃるのです!」
『何故私があの部屋でなく、ここで現界したか考えよ。……わかっているだろう、オフィーリアが私の真の契約者だ。彼女は最もラピスに近く、そしてこのプロヴァンスの王に近い存在。だが彼女はそれを望まず、国を荒らしたくない一心で今まで動いてきたのを私は知っている』
コンラディンの悲痛な叫びに精霊王はあっさりとわたしのことを暴露する。大体はバレていたから時間の問題だったけれど、精霊王との契約は現状ではバレてなかったはずだ。
ちょっとプローヴァ様! なんてことを! と愕然としてしまうが、イディが制するようにわたしの口に手を当て、黙って首を横に振った。何も喋るな、ということらしい。腑には落ちないが、わたしは口を噤んだ。
「オフィーリア様が……。予想できていたことだが……、プローヴァ様の助けがあればできることも確かに広がる……」
コンラディンは顎に手を当てながらブツブツと呟いている。しばらく自問自答をした後、コンラディンはスッと顔を上げ、ラピスの子特有の黒い瞳をこちらに向けてきた。その目は何か野心に燃えたものでもなく、王座を取られるかもしれない恐怖でもなかった。ただ澄んだ瞳だった。
『真の契約者の意に沿わぬ言動は看過できぬ。わかっているな? コンラディン』
「良く、大変良く理解しました……」
コンラディンはゆっくりと頷く。彼の顔色はとても悪い。
精霊王からここまで脅されたら頷くしかないだろう。わたしがコンラディンの立場なら黙って了承するしかなくなると思う。
コンラディンの言葉に精霊王はほんの少しホッとしたような目を見せる。何とか阻止できたからだろうが、精霊王がここまで言う必要は本当はない。けれど言ってくれたのはわたしのためであることは明らかだ。本当に彼は優しい心の持ち主である。
「……ですが、オフィーリア様をこのままというわけにはいきません」
『ほう、コンラディンはどうしようと考えておるのだ。王都に縛りつけるのはならぬが』
初老らしい低めの声でコンラディンが発すと、精霊王は瑠璃色の瞳を薄くし、軽く自身の顎を撫でた。若干苛立ちの色が見えるのは気のせいだろうか。
「おっしゃる通り、王都で暮らせとはもう言いません。ですが事実を知ってしまった以上、今まで通りに振る舞うのは私にはできません。豊富な精霊力、道具の作成能力、古代の文字読みの力、精霊王の真の契約者、とここまで揃ってしまっています」
『それは……そうね。揃いすぎね』
コンラディンの言葉にイディはわたしを見ながら大きく頷く。解読能力は人生の課題であり、人生を賭けて追い求めるものだが、その他はわたしが望んで得たものではない。たまたまである。だからそんな目で見ないでほしいとわたしは軽くむくれた。
「揃っていてもわたしはそれを利用する気はありません。解読なら両手を上げてさせてもらいますが! 何なら今からでも、ぜひ!」
『リア!』
少し興奮したところでイディに叱責を受ける。ちぇー、と舌打ちしたいところだったが、コンラディンと精霊王の御前なので自重しておいた。
わたしはただ解読したいだけなので、自分の能力を使って現王家をどうこうするつもりはないのだけれど、それは伝わっているのだろうか。……あまり伝わっていないから危惧されているのか? うーん、コンラディンが何を考えているのか全く掴めない。
「もう一度申しますが、わたしは今の王家が表に立って本来の正しい形で国を動かすのが一番だと思っています。王座を得るとか、政治がしたいとか、そんな気持ちはありませんが……、コンラディン様は何を心配なさっているのですか?」
「オフィーリア様、心配ではありません。貴女様のお立場のことを言っているのです」
「立場ですか?」
どういうことだと首を傾げると、コンラディンが首を縦に振って肯定する。その近くで精霊王が小さく溜息をついた。わかってないなと言いたげの目もセットで。酷い。
『私と契約したということはこの国の王と同じ存在になる。本来の王であるコンラディンは、私と契約できるほどの精霊力を持っておらぬ。だから、其方はコンラディンよりも立場は上になるということだ』
「……え」
王様より立場が上? それは遠慮したいところなのですが……、と言いたくなったが、グッと我慢する。
つまりはコンラディンより上にいるから、扱いを変えないといけないということだろうか。そんな優等生みたいに真面目なことを考えなくていいのにと思う。
「我々王家はオフィーリア様に首を垂れるべき存在と認識してしまった以上、貴女様に接する時に王族として、というわけにはまいりません」
「……それについてはわたしは気にしません。変にへり下られると周りが混乱してしまいます」
目立つような真似をされるのはこちらとしても困るので、コンラディンの申出を拒否する。そこは柔軟な態度でやってもらわないと後々面倒なことしか起こらない気がする。
『ではオフィーリア、そう命じたら良いだろう』
「それは……、王族の皆様に失礼というか……」
『だから王族より立場が上だ。其方が命じない限り、コンラディンたちが困る』
もにょもにょと濁しながら言ったことに対して、精霊王は呆れ声でばっさりと言い放つ。今まで上の立場だと思っていた人が、自分より下だという感覚がよくわからない。しかも王様に命令なんて、そんなの命が幾つあっても足りない。鉄の心臓の持ち主でもない限り。
でも精霊王が言うことは理解はできる。そう振る舞わなければ周りが困るというのは、孤児院を出る時に嫌でも思い知らされたからだ。
わたしは大きく息を吸ってゆっくりと吐き、決心した。ちゃんと向き合うと。
「……コンラディン、他の貴族の前ではわたしはジャルダンの貴族として扱いなさい。そしてここで知ったこと、見たことは黙っていなさい。これは命令です。背くことのないように」
「拝命しました、オフィーリア様」
はあ、と思わず息を吐いてしまった。上の立場になるというのはやはり慣れない。
精霊王は満足したように頷き、イディも安堵の表情を浮かべていた。
「……オフィーリア様」
「何でしょうか」
話が一区切りついたところだったが、コンラディンが目を伏せながらわたしの名を呼んだ。わたしが反応を示すと、コンラディンは「これは私個人の願いですが」と一言前置きをつけた上で話し始める。
「各領地の象徴の精霊を眠りから解き放たなければなりません。ですが、我らの精霊力では眠りから目覚めさせられないし、もちろんヴィルヘルム以外の各領主も無理でしょう。ですので……」
『リアにやってほしいということ?』
「……はい」
儀式を行っているから人型以外の精霊は目覚めさせられるが、シヴァルディのような人型精霊はまた別の方法で目覚めさせなければならない。ヴィルヘルムぐらいでやっとといったところだったので、鍛えていない領主では目覚められないのは明白だ。
わたしは顎に手を当てて暫し考える。
上中下の精霊たちはいずれ目覚めるだろうが、人型精霊が呼びかけるのが必須。この役目は最悪精霊王でも可能かもしれないが、象徴が目覚めないのを後回しにする理由はない。コンラディンたちの精霊力がそれなりにあれば、土地を周りながら目覚めさせることも可能だっただろうが、彼らの力はまだまだと言ったところだ。
コンラディン様の権力があれば、他領の石碑に行くことは可能だと思う。ただそれを安請け合いしていいのかというところだ。慎重派のヴィルヘルムならばきっとすぐに、はいとは言わないだろう。イディは困っているのか眉を下げているし、精霊王は何も言ってこない。「ダメだ」とは言っていないので、わたしの気持ち一つで良いということだろうか。
「……わかりました、と言いたいところですが、わたしの一存では決めかねます。わたくし、まだ未成年ですし、領主様か、父か保護者がいないと領地を出ることもできません」
「そうでした。……ですが前向きに考えてくださると?」
「わたくしは、ですよ。周りはどう思うかわかりません。イディと約束もしていますから、いつかは皆を目覚めさせたいと思っていますので」
わたしの言葉にコンラディンだけでなく、イディや精霊王も安心したような表情を浮かべた。シヴァルディたちとも約束したことだし、きちんとやり遂げるつもりだったのだが、拒否すると思っていたのかな?
「返事はプローヴァ様を通じて返します。もう一度言いますが、わたくしはコンラディン様方が国を治めるのが一番だと思っています。ですのでわたくしのことはそっとしておいてください。解読関係のお手伝いは喜んでさせてもらいますから」
「……ご配慮、感謝申し上げます」
コンラディンは口元を緩め、優しい顔で礼を述べた。
……何とか、なったのかな?
コンラディンはわたしの言葉で安心できたのか、その後土地に精霊力を注ぎに行ったフェシリアを追いかけて精霊殿を出た。行程は順調のようなので、最終日には森の精霊たちが眠りから覚めるだろう。
とてもとても疲れたが、コンラディンが出てから、もう一人状況を説明しなければならない人物の存在に気付き、また大きな溜息が出てしまった。




