第七十三話 コンラディン 前編
フェシリアとの茶会の後は特に何もすることなく、いつもの生活を送るだけだった。ただヴィルヘルムはコンラディンたちの相手もあるので、彼とは会う機会がなくなった。仕方ないことなのでわたしは淡々とやるべきことをこなすだけだ。もちろん力の器に無理のない範囲で精霊力を注いでおいた。おかげで既に借りた五つ全てに満たすことができたので一安心だ。
そんな状態だったが、二回目の儀式の日がやってきた。
「コンラディン様、フェシリア様、ご入場!」
ヴィルヘルムの声とともに講堂の扉が開き、コンラディンとフェシリアが翠色の絨毯を踏み締め、ゆったりとした歩き方で講壇へ向かう。ジャルダンの貴族たちは一回目を経験したからか慣れた様子で目線を下げ、入場完了を待っている。しばらく待つとフェシリアの青みがかった黒髪が視界の端に映った。
「皆様、顔を上げることを許します」
目線を上にし、王族二人を見る。彼らは連日ジャルダンの地を周っているためか疲労の色が濃い。特にフェシリアにいたっては化粧でその血色の悪さを隠しているようだ。コンラディンは机仕事ばかりだろうからこういう外回りは慣れていないのだろう。でもこれからはこの仕事を中心にこなしていかなければならないのだ。
「二度目になりますが、集まってくださったこと感謝申し上げます。前回の祈っていただいた想いが精霊様に届くよう、この杯を持ってジャルダン領を周りました。ですが予測通りあと僅かに足りません」
フェシリアが手に持っていた力の器を見せびらかすように前に出した。フェシリアたちはこの一週間でジャルダン領の三分の二を巡り、石柱に精霊力を注いだそうだ。シヴァルディ曰く、わたしが以前注いだ分を含めるとそこそこ満たされるらしいので上位精霊も目覚めさせられるかもしれないとのこと。そうなればジャルダン領の貴族たちができることも増えるだろうから期待したいところだ。
「あと少しの祈りがあれば精霊様に我らの想いが届くやもしれません。ですから祈り、想いを杯に」
そう言ってフェシリアは高く聖杯を掲げた。貴族たちはほう、と溜息を吐きながら彼女の姿を眺めている。フェシリア様、お綺麗だもんね、わかる。青みがかった黒髪が夜空の女神のようだし。
「皆で祈りを捧げましょう! どうか祈ってくださいませ」
合図があり、皆が一斉に手を組み祈り始める。わたしも手を組み、目を閉じる。わたしの精霊力はしっかりと回復済みなのでたくさん吸い取ってもらおうと体の外に力を多めに放出する。
精霊様が眠りから覚めますように……。
ズズズッと抜かれていくのがわかる。気持ちが良いくらいに精霊力を吸ってくれる。たくさん取ってもらったらフェシリアは少し楽ができるだろう。これから周る他領ではそこまでの精霊力量を溜められないだろうから。
揺らめく翠色の炎が力の器に集まっていく。四方から杯に集まり、集められた力が徐々に大きくなっていく。
「皆様、お直りください」
揺れる翠色に集中していたら終わりの言葉が聞こえ、わたしは目を開けた。するとフェシリアは力の器を高く掲げる。それは淡い白の光を纏わせている。相変わらず美しい。
暫くしてからフェシリアはそれを下ろし、疲れ目で微笑む。
「皆様の祈り、本当に美しく素晴らしいものでした。前と同様にこの杯は美しく光を帯びています。だから皆様の深く強い想いは必ずや精霊様に届くことでしょう。わたくしたちは残りの滞在でまたジャルダンを周ります。ご協力ありがとうございました」
そうして軽く礼をすると、コンラディンに目配せをした。するとコンラディンはフェシリアの代わりに前に出てくる。
「皆よ、協力感謝する。美しい杯を再び見ることができ、余は大変嬉しく思う。また一年後に精霊様に皆の想いを届けるため儀式を行う。その時はよろしく頼む」
王であるため頭は下げず、口調を優しくする。そうして全体的な収穫量のことや今年起きた災害のことなどを中心にプロヴァンス王国の話を始める。また政治的な話も踏まえ、これから考えている政策のこともあった。
昔は領主制度ではなかったからこのような形で貴族たちにいろいろなことを知らせていたのだろうなと思う。そうなると今とっている領主制は今後どうなっていくのだろうか。なくすとなると大きな反発があるだろう。日本の歴史でも明らかなことだ。この辺りはヴィルヘルムに聞いたら良いかもしれない。
「ではコンラディン様、フェシリア様、ご退場!」
考え込んでいるうちに話が終わったようだ。ヴィルヘルムが声を上げると扉が開く。コンラディンとフェシリアはゆっくりと歩き始める。薄らと輝く力の器を手に持っているからか、彼らがとても神々しく感じる。その魅力は他者も感じているのか、我を忘れうっとりと彼らを見つめている。
そして退場しきり、扉が閉まるとヴィルヘルムは講壇の前まで進み出た。
「我らの領地にも精霊様が帰って来られる時は近いだろう。コンラディン様とフェシリア様は必ず我らの悲願を叶えてくださる。その時まで想いを高めつつ、日々を大切に過ごそうではないか。……ではこれで儀式を終了する」
ヴィルヘルムの言葉で二度目の儀式は終了した。ヴィルヘルムは一番初めに講堂を出て、ゆっくりと息を吐き出していた。緊張していたからだろうか、珍しいことだ。
「オフィーリア、コンラディン様方を見送る」
「あ、はい。でもお食事は……」
「今日はそのまま注ぎに行くとのことだ。その代わり晩餐を一緒にすることになってるのは言っただろう?」
「そうでした」
うっかりしていた。いつもなら叱られるところだが、今回は何も言われずそのまま王族用の客室に向かう。あれ、珍しい。
ベルを鳴らしてもらい、来たことを知らせると中に入れてもらえた。二人は椅子に座って茶を飲んでいた。
「来たか」
「本日もありがとうございました」
コンラディンの言葉にヴィルヘルムは頭を下げて感謝を示す。儀式の後少し休憩していたのだろう。テーブルの上に置かれた二つの茶の器があり、それらはすっかり空になっている。
「もう出られますか?」
「……いや、少し話がある」
「わかりました。下がってくれないか」
「いや、ヴィルヘルムでなく、オフィーリアに話があるのだ」
ヴィルヘルムが側近たちを下がらせようと指示を出すとコンラディンは訂正を入れる。
わたしに話とは何だろうか。この滞在中もコンラディンは基本的にヴィルヘルムとやりとりをしていたので、わたしとの関わりはほぼないはずだ。何か頼み事か? でもヴィルヘルムを排する理由もわからない。
「コンラディン様、それは認められません。オフィーリアのみでは……」
「話をするだけだ。言質を取るつもりはない」
「ですが……」
ヴィルヘルムは俯き、唇を噛む。一領主であるヴィルヘルムは王であるコンラディンには弱い。王が命じたならばそれに従うのが普通だ。これ以上の制止をヴィルヘルムはできないだろう。
「領主様、わたくしコンラディン様とお話しします」
「オフィーリア!」
これ以上やっていても押し問答になる。ヴィルヘルムの立場的にも良くないことは理解しているので、わたしはコンラディンの申し出を受ける。だが、きちんと安心材料も添えておかねばヴィルヘルムは納得しないのもわかっているのでダメ元で聞いてみようか。
「お話しするだけですよね? もし相談したいことができれば持ち帰ってもよろしいですか?」
「それについては構わない」
「ご配慮ありがとうございます。よろしいですね?」
無事に許可を得ることができたので、わたしはヴィルヘルムの方を見ると渋々といった表情をしながら「わかった」と小さく頷いた。
「ではお祖父様、先に行っております」
「ああ、フェシリア、頼んだ」
フェシリアはゆったりとした動作で立ち上がり、側仕えたちに羽織を着せてもらう。基本的に彼女がその土地に注ぐのだと言っていたのでコンラディンがおらずとも問題はないのだろう。
「ヴィルヘルム様、お見送りをお願いしても?」
「……はい、どうぞこちらへ」
フェシリアがふんわりとした笑みを浮かべヴィルヘルムに願うと、ヴィルヘルムは扉の外へと手を指す。ただ視線はわたしに向いている。よほど心配なのだろう。青磁色の瞳が不安で揺れていた。
コンラディンも自身の側仕えに退出するように命じ、片付けをさせた後、皆がぞろぞろと出て行く。わたしも下がるように伝え、フェデリカたちを下がらせた。一応、未婚の女性という立ち位置であるため、扉は開けっぱなしの状態だ。
「……声を落とすことになるが良いだろうか」
「わかりました」
コンラディンは席に座るように勧めてきたので、わたしは素直に座らせてもらった。コンラディンはわたしが座ったのを確認すると、その尊いはずの頭を軽く下げた。
「先に公式ではないが謝罪をさせてくれ。フェシリアがすまなかった」
「フェシリア様?」
何のことを言っているのかと思案する。少しして茶会での出来事を言っているのだろうかと考えた。あの時のフェシリアの態度はいつもの彼女ではなく、王族のもののような気がした。あと心配していたと言っていたので、わたしのことで懸念があったのだろうと思う。
「フェシリアが其方との茶会で疑って聞いたと。失礼な聞き方になってしまったのではないかと思う。申し訳ない」
「いえ、コンラディン様が謝ることではございません」
「だがその疑いは余の発言からだと言ったら?」
「え?」
何を言っているのだろうと首を捻る。するとコンラディンは王族特有の黒目を細めた。
「オフィーリア、其方は何者だ?」




