第七十二話 文字解読がしたいだけなのに
「貴女様は本当に王家に入られないのですか?」
……ん? と突然の言葉にわたしは頭が真っ白になる。
王家に入るってどういうことだと一生懸命にその意味を探る。
ラピスの血筋を引いていないわたしは王族ではない。それは当たり前だ。そんなわたしが王族になるということは、嫁に入るか養子になるかと二択だ。すぐにどちらも願い下げだと思った。
「王族の一員になるなど烏滸がましい考えです」
彼女の問いかけに対してわたしは首を横に振って否定する。王族になるということは権力は持てるがそれに対する責務が発生する。そんなものわたしには必要ないし、そんな責務を負えるほど立派な人間ではない。
わたしの答えを聞いてフェシリアはズイッと身を乗り出し、顔を近づけてきた。
「貴女様の精霊力の高さは類を見ないものですし、その解読のお力はこの国で唯一無二。それほどの能力を持っていらっしゃるのにより高みにいかれないのでしょうか。王族の一員になればできることもきっと増えます」
より高みって何だろうとぼんやりと考える。きっと権威とか権力とかそういうものだろう。……正直そういうものには興味はない。
「確かにやれることは増えると思います。ですがわたくしはそれよりも文字解読がしたいのです」
王族の仲間入りをすればその分の仕事も増えることは必須だ。その分、わたしがやりたい解読の時間がグッと減ることは間違いない。そこまでしてわたしは王族になりたいだろうか、いやなりたくないできないと思うのが必然だ。
わたしの返答が予想通りのものだったのか、大して驚きもしなかった。乗り出した身をゆっくりと元に戻す。
「代々国王は精霊力の高さで選別されています。特例もありますが、高ければ高いほど道具を動かせますので。ですから国王は高い精霊力を持つ子を得るために精霊力の多い女性、または男性を伴侶に選ぶのです。……ブルクハルトのように」
フェシリアは一度目線を落とした。ブルクハルトが彼女にどのような言葉をかけ、どう接したのかはよく知らない。無関心だったから関わっていないのかもしれないが、彼女の心に小さくとも影を落としているのは間違いない。
少ししてからフェシリアは再び目線をこちらに合わせてきた。
「貴女様のその膨大すぎる精霊力は殿方からしたら魅力的なものです。そして王家にも。もしオフィーリア様自身が望まれれば王家に入ることができます。わたくしが推します。子を成し、きちんと力を伸ばせば圧倒的な力を誇ることになるでしょう。そうすれば貴女様は国母になれるのですよ?」
甘言を弄す臣下のような態度がフェシリアらしくなく、その変化に戸惑ってしまう。あまりの変貌に何を言えば良いのかわからず、その言葉を必死に探す。だが全くと言っていいほど思いつかない。
「もしお力を持てば、貴女様の欲する未解読の文献もきっと貴女様のものになりましょう」
甘い甘い言葉にぴくりと耳が反応する。
未解読の文献? 本当に? 欲しいと望めば手に入るの?
この世界でオフィーリアとして覚醒してから願っていたことだった。文字を解読する喜びを味わい、噛み締めたい。そんな欲望からここまで突き進んできた。精霊殿文字、プローヴァ文字と発見し、この世界の理をきちんと学んだ。そして己の存在意義を知った。
しかしそれはそれ。わたしはただ文字解読がしたいだけなのだ。朝起きてから寝落ちする寸前まで、食事もいい加減にして他のことを考えず、目の前の文字のことだけを考えて過ごしたい。そしてたくさんの文字に触れ、その文化や考えなどを知る。それは何と崇高で素晴らしいことか。
「しがらみなどお気になさらずに命じれば思いのままです。どうでしょうか?」
押しの言葉がわたしの欲望を優しく撫でていく。興奮しているのか、心臓がバクバクと音を立てているのが良くわかる。ああ、多くの未解読文字に出会いたい、そんな思いがむくむくと膨れ上がっていく。
望む返事をしようとしたところで、翠色の髪飾りが揺れ、脳裏に何故かヴィルヘルムの顔が浮かんだ。
私は其方を守る。其方が大切なことを打ち明けてくれた思いに、私はきちんと応えたい。
彼の言葉がふと思い出される。転生のことを告白した時に言われた言葉だ。
ヴィルヘルムはわたしをずっと守ってきてくれた。わたしの想いを汲んでくれていた。彼はきちんと応えてくれていた。本当にこのまま進んでいいのだろうか。
『リア! リア! ダメだよ!』
イディの焦りを含んだ声でハッと気付く。ずっとわたしの中に潜んでいたイディがいつの間にか現界していた。わたしが我に返ったのに気付いたのか、イディはふわりとわたしの目の前にやってきて、わたしの頬にその小さな手で触れる。
『リアは文字になると見境がないのは知ってるけど、今まで出会ってきたものを大切にしない子じゃないよ。よく思い出して!』
この文字に対する情熱は本物で宝物だ。熱中できるものがあるのは特別で尊いこと。わたしを作る中心ともなり得るもの。
けれどそれだけあっても駄目だ。
自分の大切なことをしっかり胸に持て。……其方は其方らしくあってほしい。
わたしの想いを理解して認めてくれた皆がいる。それも大切なものだ。わたしがわたしらしくあるためには、わたしを含めて皆が幸せでなければならない。わたしはラピスのようにはならない。別の道を探して未解読文字に絶対に出会う!
「……それでも、わたくしはそのようなことを考えてはおりません」
フェシリアの目を見据えてしっかりと返答する。
「たくさんの文献を見て解読に取り組みたいと思っていますが、わたくしはジャルダンの地で暮らす方が良いのです。王家と縁が結べるのは確かに名誉なことですが、わたくしには荷が重すぎます。これはわたくしが思っていることなのです」
「……ヴィルヘルム様の言いなりではなく、ですか?」
何故ここで領主様が、と思ってしまうが、わたしの思いは好きな時に好きなだけ解読がしたい、大切な人たちがいるジャルダン領で。
「言いなりなどとんでもありません。ジャルダンではたくさんの方々に助けられてきました。領主様も含めまだまだ恩返しができておりません。ですからわたくしはそこで助けられた分以上に皆の力になりたいのです。フェシリア様がコンラディン様の力になりたいと思うのと同じことだと思います」
マルグリッド、アモリ、アルベルト、クローディア、フェデリカ、メルヴィル、そしてヴィルヘルム。わたしは彼らに何も渡せていない。
特にヴィルヘルムはわたしを王家に売り飛ばすことだってできたはずだ。そうすれば王家との縁も繋がり、ジャルダンの地位も上がるはず。しかしそうしなかったのはわたしが強く望んだからでもあるが、ヴィルヘルムの人柄が良かったからだ。わたしの思いを汲んでくれたのだ。気付けば無意識に髪飾りに触れていた。
「ですので有難いお話ですが、お断りさせていただきます」
「……そうですか」
何故かホッとしたような表情になったフェシリアは小さく頷き、俯いた。きっぱりと断ってしまって良かったのだろうか? 不敬で罰せられないかと今になってドキドキしてしまうが、もう言ったことはなしにはできないし、要望を呑む気もない。
フェシリアは顔を上げ、いつもの優しげな微笑みを浮かべていた。
「おかしなお話をしてしまって申し訳ありませんでした、オフィーリア様。わたくし、どうしても聞いておきたかったのです。ですがわたくしの心配は杞憂でしたわ」
「ご心配があるのなら仕方ありませんが……」
一体何が聞きたかったのだろうと首を傾げる。だがいつものフェシリアに戻ったので何とかなかったのだろう。多分。ここで根掘り葉掘り聞くと藪蛇かもしれないし。
「わたくしはオフィーリア様のお言葉を信じます。本当に突然申し訳ありませんでした。こんなわたくしとこれからも仲良くしていただけますか?」
フェシリアは胸元に両手を引き寄せ、手を握りしめる。目を伏せ気味に尋ねる姿は緊張が若干見える。彼女の声は少し震えていた。
「……はい、仲良くしてくださいませ」
わたしはこくりと頷く。こんな必死な姿を見せられたら頷く以外選択肢はない。でも彼女は王族の一員であるからある程度距離は取らなければならない。アモリのような友人関係はきっと難しいだろうな。
わたしは精霊殿にいるアモリのことを考えながら、目の前に置かれた冷めた茶を一口飲んだ。
そうしてフェシリアとの茶会はお開きとなった。彼女の疲れをできるだけ癒すためにもそうした方が良いと判断したからだ。まだ二回目の儀式も地に注ぐ作業も残っている。フェシリアに与えられた王族の責務をきちんと果たし、国民に愛される王女になってほしい。彼女はその素質があるのだから。
次話ですが、書き直しが出てきたので少し遅れます。あと数話で終わりそうです。




