第七十話 翠色の精霊力
「理解したのならこの話は終わりだ。我らは精霊に祈りを捧げ、願わねばならないからな。さもなくばこの地はいずれ不作に陥ろう。それに他領に遅れを取っていいのか?」
「いや……」「このままでは……」
焦りを含んだ声がちらほらと聞こえ始める。今年は収穫量は良かったと聞いているが、近年は落ちてきていた。儀式を行えば土地が潤うことはわかっているのだ。プライドを捨ててでもやるべきことだと思う。またこれ以上、上位の領地との差を広げたくないのもあるだろうし、下位だった領地に追い抜かされるのも嫌だという考えもあるだろう。
徐々に彼らの呟きが、否定的なものから肯定的なものへと変化していく。どうせ王命でここに来なければならないのだ。力の弱い貴族たちは従うしかないし、それが大義名分となる。
「我らの祈りでこの土地を精霊力で満たそうではないか。このジャルダンを活気良くしたいと誰よりも強く願う其方たちだからできることだ」
声を張り、語りかけるような話し方で貴族たちの心を掴んでいくのがわかる。さっきまで不機嫌だったのに切り替えが早すぎる。あ、これはもう早く終わらせたいが正解かな?
しかしこの訴えかけるような演説は抜群に効果があったらしく、「そうだな……」「精霊が帰ってこればより豊かになる」などという期待を込めた言葉が聞こえた。案外チョロいな。
「では儀式を始めても問題ないな?」
念押しするヴィルヘルムの声に拍手が生まれる。反対する声は全く聞こえない。もう空気的に上げられないとは思うが。ヴィルヘルムは頷いた。
「それでは、コンラディン様、フェシリア様、ご入場!」
扉が開けられる。わたしも含め皆一斉に扉の方に体を向けるが、その視線は下に向けた。
出入り口には真っ白な羽織を羽織ったコンラディンとフェシリアが背筋をピンと伸ばして立っていた。二人が並ぶと絵になるな。少しジャルダンの貴族たちを見渡した後、ゆっくりと歩き始めた。
そして講壇までやってくるとコンラディンとフェシリアは並び立ち、貴族たちを見やった。
「皆、面を上げることを許します」
フェシリアの言葉を受けて視線を上にし、講壇の前に立つ王族二人を見る。二人の表情は若干曇っているように見えた。多分、いや絶対に先程のやり取りが聞こえていたのだろう。王都にいたら聞こえてこなかった生の反発の声に憂いているのか?
でもこれが現実なのです、お二方。アダン領は特殊なのです……。
思わず心の中で呟いてしまう。アダン領を基準としてはいけない。これから王族としてこの問題をどうするべきかよく考えてほしいところだ。決して領主たちに投げてはいけない問題と思うから。
「本日はお集まりいただきありがとうございます。わたくしたちが今日ここに来た理由は皆様ご存知かと思われますが、精霊様復活のための第一歩となる儀式を行うためです。先日アダン領に精霊様が戻ってこられたことは記憶に新しいはず。このジャルダンの地にも再び精霊様が訪れるようにとわたくしは思っております」
フェシリアが訴えかけるようにはっきりとした口調で演説する。この会は精霊復活のためであるということを印象付けたいのだろう。
「精霊様はこの土地の豊かさを象徴するもの。大地が豊かになれば巡り巡って我々に返ってくるのです。豊かにするには精霊力を持つ皆様の祈りが必須だと見つかった王家の文献に書いてありました。そしてその祈りの場所がこの場所、精霊殿であるということも」
「精霊殿?」「孤児院ではなく?」
貴族たちが一斉にざわつく。貴族たちの知識ではこの建物はラピスが建造した精霊と儀式のための建物ではなく、平民の孤児たちが集められる孤児院である。王家の発表にも「領主の精霊力で保持する古の建物」としか記載されていなかった。そちらの方がわかりやすいので仕方がない。
フェシリアは貴族たちの反応を見てから、大きく頷いた。
「この建物は初代王が王国建国の時に作成した精霊殿という特別な建物です。膨大な精霊力を誇ったという初代王はその地の精霊様とともに作り上げた精霊力の塊といえるもの。だから領主は精霊力を注ぎ、この建物の崩壊を防がねばなりません。……ですが精霊様が去り、長い歴史の中でこの建物の存在意義が見失われてしまいました。だからこの精霊殿から領主一族は去り、より実務が捗る城に移り住んだのでしょう」
精霊が去って約二千五百年ほど。その間に精霊力が魔力と名称が変わり、精霊殿が孤児院と成れ果て、精霊殿を守護するはずの領主一族はアダンを除いて皆、他の住居を構えてしまった。そして緩やかに土地の精霊力が失われ、恵みは年々減少。精霊の呪いによって王族が守秘してきた知識が一斉に失われた代償は大きすぎた。
「文献によるとこの精霊殿では毎年精霊様に祈りを捧げていたそうです。だからこの精霊殿でなくては意味がないのです。初代王が意味を持たせて建てたこの場所でなくては、祈りは精霊様に届きません」
フェシリアはきっぱりと言い切った。精霊殿の講堂が仕掛けになっているからという事実は言えないが、言っていることは間違っていない。ここでなければ精霊には届かない。
貴族たちはフェシリアの演説に聞き入っている。さすが王族の一員と言ったところか。わたしにはない素質だと思う。
そしてフェシリアは胸に手を当て、自身の精霊力を引き出した。手から純白の光の粒が溢れ、翠色の石が嵌められた力の器が現れる。宙にふわふわと浮くそれをフェシリアは優しい手つきで受け取り、真上に掲げる。突然現れたそれにジャルダンの貴族たちは騒然とした。
「これはこの祈りのために必要である杯です。これに皆様の想いと祈りを集めます。ジャルダンに精霊様を! そして発展を! ……さあ祈ってください!」
フェシリアの合図に貴族たちは皆、手を組み、祈りを捧げ始める。それを確認したフェシリアは手にある力の器を目の前の講壇に置く。凹みのある部分に嵌めたのだろう。
ヴィルヘルム、ジギスムント、わたしも手を組み、その神聖な杯に向けて祈りを捧げた。
……ジャルダンに精霊が戻ってきますように!
目を閉じ、余計かと思うが精霊力をゆっくりと放出する。ブワッと吸い取られる感覚を受けるが、問題ない量なので気にしない。少しでも多く力の器に精霊力が溜まってほしいのだ。
周りの精霊力も感じようと感覚を研ぎ澄ますと、ジャルダンの象徴色である翠色の精霊力がゆらゆらと揺らめき、それが力の器に向かって流れていく。わたしからの精霊力のラインはかなり太い。たくさん持っていってもらっているからかな。徐々に力の器の中の白い炎が大きくなっていくのがわかる。アダンで見た時よりその大きさは大きい気がする。
それと隣に座る灰色の精霊力を持つジギスムントからは精霊力が取られていない。……そうか、他領の人間の精霊力は吸えないようになっているのか。わたしがアダン領で儀式を行った時は気付けなった。わたしは無色であるから精霊力を取られないことはなかったから。
そうしている内に、貴族たちの方を見ていたシヴァルディがぴくりと動き、ヴィルヘルムに寄り、耳打ちした。おそらくそろそろ限界だと伝えているのだろう。ヴィルヘルムは頷き、フェシリアに合図を送った。
「皆様、お直りくださいませ」
そうよく通る声で言って触れていた杯からそっと手を離した。わたしも含め祈るのをやめ、顔を上げた。
講壇の上に置かれた力の器は白色の精霊力を纏い、ほんのりと輝きを放っていた。自然にそれが美しいと思わせられる。フェシリアはその器を両手でしっかりと持ち、高く真上に掲げた。その姿に貴族たちは思わず感嘆を漏らす。ジギスムントに至っては感動で涙を流している。ブレないな、この人。
「皆様の祈りがこの杯に集まりました。証拠にこの器は白く発光しております。必ずや皆様の祈りを精霊様に届けてみせましょう」
パチパチと少しずつだが拍手が起こり、そしてそれが全体に広がる。さすがにあの力の器を見たら神秘的だからこそ信じることができるだろう。これがきっかけでジャルダン貴族の意識を変えられるといいのだけれど。まあそこまで甘くはないか。
フェシリアは持っていた聖杯を胸元まで引き寄せると、コンラディンに場所を譲る。あとはお任せしますと言わんばかりに。コンラディンが講壇の前に寄った。
「皆の祈り、実に美しかった。協力感謝する。アダン領についでこのジャルダン領でもこの儀式を行えたことを嬉しく思う」
コンラディンは今の喜びを素直に言葉にする。しっかりとよく通る声。フェシリアはコンラディンに似たのかもしれない。
コンラディンは今後王族たちがどのように動くのかを丁寧に話していく。他領ではどうなのかと気になっていた貴族たちはしっかりとその耳を傾けている。
「本来は喪に付さねばならない。だが精霊様が帰って来られるならば儚くなったブルクハルトも浮かばれるだろう。そのため今後も我々はこのプロヴァンスの地を回ることになる。そしてもう一つ」
ここで一旦区切る。コンラディンは少し眉を下げ、悲しみの表情を作り上げる。
「今回の祈りだけでは本当は心許ないのだ。何せ二千年以上この儀式は行われなかった。だからもう一度儀式を行い、皆の祈りの力を集めたい」
コンラディンが発言したことによって二回目がほぼ確定した。頼み口調ではあるが、こうなると嫌だと拒否はできない。
コンラディンはヴィルヘルムに合図を送った。ヴィルヘルムが貴族たちの方に体を向ける。
「祈りが多ければ多いほど良いとのことだ。……今から一週間後の同じ時間に再び儀式を行おうと考えている。一週間後、登城をしてくれ。文書はすでに送ってある」
コンラディンの提案だから文句も言えないし、しっかり形に残しておくところ抜け目がない。二回目も無事に行えそうだ。
「それではコンラディン様、フェシリア様、ご退場!」
ヴィルヘルムの終幕の言葉を以って、ジャルダンでの一度目の儀式は何とか無事に終了した。




