第十八話 マルグリッドの部屋にて
「食事会の日程が決まりました」
今日の分の仕事を終え、マルグリッドの部屋に入るとすぐに宣告された。マルグリッドの真剣な顔からロジェたちに付いている先生たちじゃなくて、孤児院長や一部の職員の方を指しているのは明白だ。
「えっと……、それはいつでしょうか?」
「三日後です」
「早くないですか!?」
あまりの早急な日程に目を見張る。献立の作成、食材集め、試作などやることは多いのにたった三日でそれをこなせと言うのは酷な話ではないだろうか。
「領主様がここを視察に来ると言う話は聞いていますか?」
「はい。でも、それと何が関係が……」
いきなり領主の視察話をされても関係ないのではないか。わたしは繋がりがわからず首を傾げる。
「関係あります。孤児院長は孤児院での料理と称してそれを領主様の視察時に献上しようと考えておられるようです」
「献上!?」
そんな平民が作ったものを領主が食べるのだろうか? 領主ならばこのジャルダン領の貴族の中でも位が一番高いはずだ。だからそんなものを献上しようと言う孤児院長のすることが訳がわからない。
「ここは領主様の管轄の建物です。前領主様がお亡くなりになったので、今の領主様は今回初めての視察になります。以前までは孤児院での料理など出しませんでしたが、今回は領主様の希望なので出さざる得ません」
「なぜ希望などされたのでしょう?」
「……私の推測ですが、今の領主様に代わられてからここに追加の援助金が入るようになったので、それを孤児院長が懐に入れてないかを確認するためではないでしょうか。孤児たちは未来の労働力ですからちゃんとした食事をとっているのか確認したいのでしょう」
孤児院長、領主から横領の容疑をかけられてるけど、どれだけ信用ないの!?
直々に確認しにいくくらい疑われているのならば孤児院長は相当褒められたものではない行動をしがちなのだろう。そんな相手に自分の料理を差し出さないといけないと思うと気が重くなった。
「また、孤児院長は領主様への機嫌取りでいけるならばリアを使おうと考えているのだと思います。噂で食べたことのない味わいだと言われていますから。本当のことですがね」
「こんな時に噂になってしまったのは時期が悪かったのですか……」
「まあそうですね」
貴族のやりとりに巻き込まれる側としてはたまったものではない。わたしはがっくりと項垂れた。
「さあリア、貴女が罰せられることは私の本意ではありません。だからそうならないためにも一緒に考えていきましょう」
そう言ってマルグリッドはわたしの頭を優しく撫でた。それが心地よくてわたしの荒んでいた心が少し晴れていった。
「では、リアはどのような料理を考えていますか?」
「孤児院長が貴族様なら食材もこことは違うものなのではないですか? 孤児院の食材を使っても良いとは思いますが、これは子どもたちのためのものです」
わたしがきっぱりと言い切るとマルグリッドは目をぱちぱちと瞬いた。マルグリッドの食生活も知らないわたしが貴族の普段の食事を知る由もない。しかし孤児院と同じような貧しいスープとパンではないことはわかる。
野菜を育ててある程度の自給自足はできているが、日々食べるので精一杯だ。そんな生活なのに食材を余裕のある人に使うのはどうだろうか。貴族が好んで食べている食材ではないかもしれないのに敢えてそれを使うのはおかしいと思う。
「言われると確かにそうですね。わざわざ子どもたちの分を使う必要もないでしょう。……わかりました。孤児院長の方に至急確認しておきましょう。……アリア」
マルグリッドはわたしの話に納得すると、奥の部屋に控えているアリアを呼んだ。わたしがマルグリッドの部屋に来ている時は、彼女は別室にいるように言いつけられている。ただ訪問の時と辞去の時はアリアは出てくるのでこの時は緊張するのだが、基本喋らない、目を合わせないで問題はないのでそれでいっている。
「……はい、マルグリッド様」
奥の部屋から声がするとともにアリアが一礼をして部屋に入ってきた。わたしはすぐにアリアを見ないようにし、立ち上がり後ろの方へと下がった。マルグリッドに教えてもらった振る舞いの一つだ。優先度は貴女が高いのですよ、と示すものらしい。平民であるわたしは基本、話していた相手が別の相手に変わったらそうしておいたら問題はない。
「至急孤児院長に尋ねたいことがありますので、お使いを頼めますか?」
「はい。今すぐ手紙を書く用意をします」
マルグリッドが頷くとアリアはそのまま奥へと引っ込んでいったようだ。足音がコツコツと遠ざかっていく。
「リア、よくできていますね。そして、しばらくそのままで。アリアが出て行くまではその状態がいいです。他に何か聞くことはありますか?」
「調理場所も孤児院で使っている場所で良いのか、もし食材をそちらで用意してもらえるなら事前に教えてもらえるかを聞いていただけると嬉しいです」
わたしは目線を下げたまま言った。孤児院の調理場でもわたしは困らないが、配膳などを考慮するとどうなるかわからないし、食材も用意されるならレシピを考えなければならない。聞きづらいことはマルグリッドが却下してくれると思うので安心してこちら側の聞きたいことを伝えた。マルグリッドはわたしの質問に何か言うわけでもなく、「わかりました」と言ってくれた。
そうしているうちに足音が近づいたと思ったら、机の上でカタンカタンと何か置く音がした。
「ありがとう、アリア。すぐに書きますのでそのまま待っていてくださいね」
「はい」
マルグリッドがそう言うと、ペンを走らせる音が聞こえ始めた。机に置かれたものは紙やインク、ペンだったのかと納得するとそのまま黙って待ち続けた。
できたら今、使われている字のプロヴァンス文字も見たいなあ……。
『今、文字見たいって思ったでしょ』
オレンジの光の粉を撒き散らしながらイディが現れて言った。
なんでわかったの、と言いそうになったが今はマルグリッドもアリアもいる。余計な言動には気をつけなければならない。
『マルグリッドが手紙を書き始めて口元が緩々になってたわよ。こんな顔になるの文字のこと考えてる時だもん』
そこまで緩んでいたか、と思うが、イディが言うのでそんな顔をしていたのだろう。文字のことになるとテンションが上がってしまうのは仕方がないと思う。
プロヴァンス文字はイディの加護から習ったことはないが知識としては知っている。旧字体を元にかなり簡略化しているので手紙や本作りには最適な形になっている。でも実際に使われているところは見る機会がないので、正直書いているところを覗きたい。
『わかってると思うけど今覗こうなんてしたら面倒なことになるわよ』
わかってるよ、とイディに目線で訴える。わたしをマルグリッドの部屋に呼ぶこと自体アリアに良い顔されていないのに、そんな失態を冒したらマルグリッドに迷惑がかかってしまう。わたしのことをとても気にかけてくれる稀有な存在なのにそんなことになってはわたしが嫌だ。
「はい、それではこれを孤児院長に。返事をその場でいただけるようにお願いしてもらっても良いですか?」
「わかりました。行ってまいります」
イディとのやりとりの間に手紙を書き終えたマルグリッドに対しアリアはそう言うと出て行ってしまった。
「お待たせしましたね、リア。もうこちらに来ても大丈夫ですよ」
「はい」
マルグリッドに言われる通り、わたしは顔を上げると元いた位置に戻る。机の上にはインクと羽根ペンが置かれている。
この世界の書くものはやはりインクなのか。インクで書かれた字って美しいんだよなあ……。
羽根ペンらをボーッと見つめてインクが出す繊細な美しい文字たちを想像してうっとりとしてしまう。あの時見たかった、と思いながらも席に座る。
「手紙を出しましたので明日には貴女に知らせることができると思います。期間は短いですが、今日はできることをやっておきましょう」
「ありがとうございます」
文字に魅了されているわたしを現実に戻すマルグリッドの言葉に気が滅入りながらも、わたしのために心を砕いてくれているので素直に感謝を伝えた。それを聞いてマルグリッドは微笑んだ。マルグリッド自身、金髪碧眼に整った顔立ちなので相当な美人だ。さらに微笑むと目を奪われるほど美しいので、陰ではかなりモテているだろうなと思う。
「料理を出すのは孤児院長の仕えの者になるのでリアは料理を作るだけになりますが、その仕えの者も位は低いですが貴族です。なので、受け渡しの場面などを想定していきましょう」
わたしは頷くとマルグリッドは説明し始めた。
聞かれなければ答えてはいけない、言葉は被せないが基本だそうだ。料理の説明もその人に伝えて、孤児院長に伝える方式なので簡潔にしなければならないみたいだ。
他にも細かい作法を教えてもらい、マルグリッド相手に実践させてもらった。孤児院長に直接会うわけではないので、覚えることも多くはないので助かった。
鐘一つ分の時間はあっという間に過ぎてしまった。
今日の夜にもう一話上げます。




