第六十八話 翠色の精霊殿、および孤児院へ
「晴天ですね。今日は神々しい儀式日和です!」
コンラディンたちが到着して三日。今日は精霊殿で儀式を行うことになっているが、わたしはジト目で先程楽しそうな声を上げた主を見つめる。
「叔父上……、静かにしてください。叔父上の訪問は極秘ですよ」
「ああ、あの素晴らしい儀式を再び見られると思ったら取り乱してしまいました」
何故ジャルダン領にアダン領主のジギスムントがいるのか。それはわたしがヴィルヘルムに渡した手紙のせいになる。何度でもあの儀式を見たいと思ったジギスムントはジャルダンで行われる儀式に参加したい旨を手紙に書いていた。最悪無視もできたが、それをすると面倒なことになるとわかっているヴィルヘルムが渋々参加を許可したのだ。ただし他領の人間であるためこっそりと。まあバレるかもしれないが、形だけでも隠れるようにはしておく方が良いだろうとのことだ。
ジギスムントは興奮した態度が悪いと思っていないのか、欲望を叶えられるからか満面の笑みを浮かべている。ヴィルヘルムもわかっているのか、彼の態度に溜息を漏らした。
「とりあえず今日は静かにしておいてくださいね。そして儀式が終われば速やかに領地に帰ってください」
「……それにしても神聖な精霊殿がただの孤児院に成り果てているとは。嘆かわしいことです」
ヴィルヘルムの話を聞いちゃいない。相変わらずだなあと苦笑してしまう。
ジギスムントは目の前の建物を見上げて深く嘆息し、つらつらと自領に伝わる逸話を話し出す。アダン領にいた時、耳にタコができるくらい聞いた話なので聞き流しながら、わたしは目の前の懐かしさ溢れる建物を見上げた。
『帰ってきたんだね』
イディの言葉に静かに頷く。帰ってきたというと少し違うが、今まで行きたくても行けなかった場所であり、大切な人たちが暮らしている場所でもある。今の立場的に対等に話せるわけではないが、一目見ることは可能であろう。その期待に胸を膨らませる。
でもわたしの扱いってどうなっているのだろうか? 聞いているのはわたしを引き取りたいと言っている大人がいるから出て行ったことになっているけれど、その辺りはきちんと聞いたことがなかった。何となく聞けなくて。
「お待たせして申し訳ありません」
建物から誰か出てきたのか、焦りを含んだ声が耳に入る。聞き覚えのある女性の声にハッとし、わたしは声の主を見た。
「マルグリッド、忙しいところすまない」
「いいえ、精霊様の復活の一歩となる儀式に参加できる喜びと比べれば問題ありませんわ」
先生、と呼びかけたくなる衝動を堪え、わたしは唇を食い締めて二人のやりとりを黙って見つめる。目の前の女性──マルグリッドはふんわりと柔らかな笑みを浮かべている。金糸を編んだような金髪はしっかりと結い上げられ、太陽の光を浴びてより美しく見える。以前と変わらない美しさだ。
マルグリッドはヴィルヘルムの隣に立つわたしに気付き、ハッと息を呑んだ気がした。孤児院を出てから一年半弱ほどだが、変わっていただろうか。何と声をかけたら良いだろうかと悩んでいると、ヴィルヘルムがわたしの前に手を出した。「まだ話すな」と待ったをかけたのだ。
「マルグリッド、彼女は私の婚約者のオフィーリア・プレオベールだ。初めてだろう? オフィーリア、挨拶を」
ああ、リアではないと改めて突きつけられた。しかしこれはわかりきっていたことだ。ここで悲しい顔をするわけにはいかず、わたしは足を軽く一歩引いて挨拶のための礼をする。
「……オフィーリア・プレオベールと申します」
「……オフィーリア様、お初にお目にかかります。私、マルグリッド・キャンデロロと申します。孤児院の責任者の役を申し使っております」
わたしの礼を見てマルグリッドは優しげに目を細めると、優雅に挨拶返しをしてきた。リアであった時とは違って丁寧で目上に対する対応だ。間違いではないが、寂しさを感じてしまう。仕方ない仕方ないと何度も自分に言い聞かせる。
「あとこちらは私の親類でジギスムントだ。内密なのでよろしく頼む」
「かしこまりました」
ジギスムントの紹介、かなりぼかしているなーと思うが、アダン領主であることを公言しない方が良いということだろう。マルグリッドもそれを察しているのか素直に了承する。
「それと、王族であるコンラディン様とフェシリア様は二度目の朝の鐘に到着される予定だ。その時は私も出迎える」
「ではあと鐘一つ分ほどでしょうか。それまでどうなさいますか?」
「講堂の下見を」
「かしこまりました、ご案内いたします」
マルグリッドが頭を下げ、建物の中に入るように促す。ヴィルヘルムはわたしの背中を軽く押し、行くぞ、浸っている場合ではないと言いたげな目を向けてきた。わかってますよ、と唇を軽く尖らせ、誘導されるまま、懐かしの孤児院であった場所に足を踏み入れた。
……と言っても、平民用の出入り口とは別なのでわたしが入ったのは貴族しか入れない区域になる。会いたいと思っていた孤児院で暮らす子どもたちの姿はまずない。わたし自身も孤児院を出る時しか通らなかったし、当たり前か。
玄関を入ってすぐマルグリッドは一人の側仕えを呼び寄せた。黒髪の少女が目線を合わせないように近づいてくる。そしてわたしたちの前で立ち止まると、腰を低くして礼をした。
その少女の顔はよく見えないが、わたしにはわかる。わたしは彼女を知っている。
「ヴィルヘルム様、今回私の補佐を務めるアモリです。キャンデロロ家の者や貴族籍の役人は儀式に参加される貴族の方の対応にかかりきりになります。アモリは平民ですが、魔力…精霊力を持つ人間です。ですので平民の身ではありますが貴族の皆様の前に出ることをお許しください。教育は一年以上前より施しております故」
「ああ、問題ない。そういう話であったからな」
「感謝いたします」
マルグリッドは安堵の表情を見せた。ヴィルヘルムが駄目だと言うなら、彼女は孤児院へ帰らねばならない。上の命令は絶対だ。
アモリは目線を下げたままである。顔が見たい。けれど立場的にそれは許されない。そんなことをぐるぐると考えていたら手が自然と握り拳になり、力が入っていた。慌てて力を抜く。
「……オフィーリア、どうした?」
「あ、いえ……、その……」
わたしの様子がおかしいと思ったのか、ヴィルヘルムが何かあるのかと尋ねてくる。馬鹿正直に答えることはできず、どう返答すべきか悩んでしまった結果、しどろもどろになってしまう。ヴィルヘルムとアモリを交互に見て言葉を探していると、ヴィルヘルムが冷ややかな目でわたしを見てきた。ヒィ、ごめんなさい! と反射的に謝りたくなった。
「……アモリ、と言ったな? 面を上げることを許す」
やれやれと言いたげな態度でヴィルヘルムが許可を出すと、アモリはぴくりと反応した後、ゆっくりと顔を上げた。前髪で顔が隠れていたが、ゆっくりとその顔の輪郭とパーツが見えてくる。そして彼女が持つ黒の瞳がわたしを捉えた時、アモリの目が大きく見開かれ、揺れた。どう声を発するか忘れたかのように口を震わせている。
……ダメ、アモリ! そう思ったのはすぐだった。彼女がわたしをリアだと言えば、彼女は処罰を受けるだけでは済まない。だからわたしはアモリより早く口を開いた。
「初めまして、アモリ。今日はよろしくね。わたくしはオフィーリアよ」
わたしが発した言葉で正気に戻ったのか、アモリは再び深々と頭を下げ、礼をする。顔を上げることしか許されていないので、アモリはわたしの言葉に返答することはできない。
その様子をマルグリッドは寂しそうに見つめていた。きっと昔のわたしたちのやりとりを思い出しているのだろう。
「……オフィーリア」
「はい、申し訳ありませんでした」
ヴィルヘルムに先程の態度を咎められ、すぐに謝る。本当は悪いとは思ってないけど。そう思ってヴィルヘルムの方を見ると、彼は眉を顰め、こめかみを掻いていた。あ、これは困っている時の仕草だ。ということはアモリがわたしの友人であることを知っていて、仕掛けてきた? 今すぐ聞けないのがもどかしい。半開きの目でヴィルヘルムを睨んでいると、後ろでジギスムントがむずむずとしながら割り込んでくる。
「あの……早く、今すぐにでも講堂に行きたいのですが」
ジギスムントの言葉にマルグリッドは追憶から現実に戻り、ハッと我に返る。そして慌てて表情を取り繕うと、講堂がある方向を指し示す。ジギスムント様、本当にブレないな。
「立ち止めてしまい申し訳ありませんでした。では、講堂の方へご案内します」
マルグリッドはアモリに最後尾へ行くように命令すると、進行方向へ体を向け、歩き出す。マルグリッドの真後ろへスキップ気味に出てきたジギスムントはルンルンで付いていった。もちろんわたしたちもそれに続く。
貴族の区画は元から整備されていたが、儀式を行うことになったのでほとんどが新しいものに変えられ、綺麗に掃除されていた。マルグリッドが主導だということだが、相当大変だったのではないだろうか。でも彼女からはそんな様子は微塵も感じない。さすがである。
「こちらになります。アモリ、開けてください」
内部を見ながら歩いているとあっという間に講堂へ到着する。正直そこまで離れていなかったというのが正しいが。元々の精霊殿の役割を考えたら、出入りしやすい位置にあってもおかしいことではない。
アモリが扉の取っ手に手をかけ、ゆっくりと体重をかけ開ける。わたしが自由に出入りしていた頃は、嫌な音を立てていた扉は何も音を立てず、開いていく。
中は埃っぽくなく、光が降り注いでいた。目の前には新調された艶やかな翠色の絨毯が敷かれ、その続く先には鮮やかなステンドグラスと講壇が一つ。そしてサイドに背もたれのついた長椅子が等間隔で置かれていた。
ジギスムントは嬉しそうな表情でずんずんと入っていく。講堂が精霊関係のものであることを理解しているから、違いを見つけようとしているのだろう。精霊崇拝者の考えていることが手に取るようにわかってしまう自分が少し嫌になるが仕方がない。ヴィルヘルムとわたしも中へ入る。
『懐かしい……。リアと夜な夜な忍び込んだなあ』
中に入り、周りを見渡したイディはしみじみと思い出しながら頷いていた。
あそこにランタンを置いて精霊殿文字の解読をしてたっけ。あと、夕食をすっぽかしてアモリや先生に怒られたりもしたなあ。あ、空き時間が見つかったらすぐにここに来て……。
ブワッと溢れるように思い出された記憶はわたしの心を揺さぶってくる。込み上げてくるものを必死に堪えるために上を向く。そしてフーッと気持ちを落ち着けるために息を長く吐いた。
「オフィーリア」
ふいに軽く頭を撫でられ、感情を押さえられなかったことへの罪悪感を感じた。目を伏せ、「申し訳ありません」と小さな声で謝ると、急にヴィルヘルムは顔を近づけてきた。
「わかっている。其方は……よく我慢している」
囁くような優しい言葉はわたしに染み込むように入っていく。そしてヴィルヘルムはゆっくりとわたしから離れ、講堂にあるものの位置を確認しだした。これは、少し……心臓に悪いです。




