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第六十六話 杯を満たす


 しばらくの沈黙ののち、ヴィルヘルムは「わかりました」と頷いた。


「お手伝いします。オフィーリアの身柄を拘束しないとお約束した時に、精霊力の提供に応じることにも同意しましたから」

「感謝する」


 ヴィルヘルムの返答を聞いてコンラディンは安堵の表情を見せた。そういえばそんな契約をしたなと思い出す。


「ですがジャルダンのものだけでなく、他領の力の器も満たすのですよね? それは今すぐしなければなりませんか?」

「ジャルダンのものだけは今すぐしてほしい。満杯になり次第、注ぎに行きたい」

「わかりました。ではオフィーリア、それに注いでくれ」


 え、わたし? と名指しに驚くが、さすがに不満を言うわけにもいかないので、素直に了承した。フェシリアから力の器を受け取ると、とっとと注いでしまおうと集中力を高める。


「あれ……? 少し注がれていますね。もしかしてフェシリア様……」


 空だと思い込んでいた力の器の中に三割ほどの精霊力が注がれている。持ち主の方に視線を送ると、フェシリアは申し訳なさそうに俯いて小さく返事をした。


「全てをお願いするのは申し訳なくて……。ここに来るまでに杯の幾つかを注いでおりました。ですがわたくしの力量ではこれが精一杯でしたの」


 ジャルダンに来るまでにフェシリアはフェシリアで努力していたとは。だが無理だったからこちらに頼ったということか。全てを任せきりにしない態度に好感が持て、口の端が自然と上がっていた。だが、短期間にそれなりの量を注いだのならば彼女の体調の方も心配になる。これから領地を回り、儀式を行い、大地に精霊力を注ぐ。体力と精霊力勝負になるから、自己管理は必要だ。

 

「精霊力を伸ばすためにも必要なことですが、お体の方は問題ありませんか? 気持ち悪さや頭痛などは……」

「今は問題ありません。少しずつですがそれに悩まされる時間が短くなっているように感じます。オフィーリア様のお言葉があったから頑張れましたわ」


 彼女の微笑む顔に若干の疲れが混じっている。おそらく少ない精霊力で無理したのだろう。ただ枯渇を繰り返すことで伸びる量は期待できる。この領地を回ることでフェシリアの回復スピードが速まり、楽になれば良いが。


「それでもご無理はなさらないでください。途中で倒れることになればフェシリア様も周りも大変でしょうから」

「気にかけていただきありがとうございます。そのお言葉だけでわたくし、頑張れそうです」

「ではジャルダンの器だけ先に注いでしまいますね。少しお待ちください」


 そう言って手に持っていた聖杯を胸元へ引き寄せる。一気に精霊力を入れてしまっても大丈夫だろうか。倒れ込んでしまうことがないようには配慮してやれば良いか、と呑気なことを考えながら力の器に繋がる太いパイプをイメージする。そしてそれに体中を巡る精霊力を移すような感覚で、多量を注いでいく。回復量より少し多いくらいの精霊力が一定間隔で力の器に溜まっていくのがわかる。

 力の器ってどのくらいの精霊力が溜められるのだろう? まず精霊力って数値化できないから目安がわからない。それがわかれば事前予測できて、心も体も準備できるんだけど。次の改良点にしたいところだ。

 ぼんやりと考えながらどばどばと注いでいると、徐々に貧血になるように少しずつだが自分の中が枯れていく感覚が強くなってくる。まだかと杯の方に意識を向けるがまだ七割ほど。結構きついな。


「オフィーリア、大丈夫か?」


 わたしの表情を見て、ヴィルヘルムが声をかけてくる。正直大丈夫ではないけれど、時間をかけすぎるのも良くないから早く終わらせたい。わたしは言葉の代わりに引き攣った笑みを向けておいた。するとヴィルヘルムは「無理をするな」と一言呟くのみで留めておいてくれた。まあ無理はするけどね。

 あと少しなのでラストスパートをかける。注ぐ量をもう少し増やし、残りの空きを満たしていく。我慢できる頭痛がしてきたな、そろそろ吐き気も出てくるだろうなと自分の体調を予想していると、それ通りのものが襲ってくる。

 うう……、何度も経験しているけどやっぱり辛いものは辛い。弱音を口に出すわけにはいかないので心の中で吐き捨てながらも、翠色の石が煌めく聖杯を何とか満たしきることができた。注ぐのをやめ、深く息を吐く。ガンガンと殴られるような痛みの頭痛で顔をしかめてしまうが、ゆっくりと深呼吸していると楽になってきた。同時に気持ち悪さも波のように引いていく。はあと一息つくと、ヴィルヘルムが眉を顰めて、わたしを見つめていた。そしてわたしの髪に手を伸ばし、呆れているのか小さく溜息をつく。


「無理をするなと言ったのに、其方は」

「コンラディン様方をお待たせできませんし、仕方ありません。……はい、こちら満杯まで注いで起きました」


 フェシリアに力の器を差し出すと、彼女は口元に手を当てフフッと小さく笑っていた。何か面白いことでもあったのだろうかと首を捻るが、どうも思い当たることがない。するとヴィルヘルムが大きめの咳払いをし、「申し訳ありません」と一言謝った。ますます訳がわからない。


「……協力感謝する」

「ありがとうございます。フフフッ」


 苦笑い気味のコンラディンといつもとは違う笑みを浮かべるフェシリアは感謝の言葉を述べ、フェシリアが差し出された力の器を受け取る。白く発光するそれをコンラディンは初見なのか、まじまじと見つめている。それに気付いたフェシリアは、コンラディンが間近で見ることができるように杯を渡した。


「こんなに美しいものなのだな」

「わたくしも初めて見た時、その神々しさに驚きました」


 目を細め、器を見つめるコンラディンにフェシリアは小さく頷いた。しばらく観察した後、コンラディンは持っていた力の器を自身の中に取り込み、隠した。その代わり別の力の器を幾つか取り出した。青、銀、紺……と嵌められた石の色が異なっている。


「至らなさから頼ることになってしまうが、残りの器にも注いでおいてもらえるだろうか。二、三個は我々の方で満杯まで注いだのだが、各領地分になるので数が多くてな……」

「わかりました。期間はコンラディン様方が発つまででしょうか?」

「そうなる。発つまでには頼む」


 ヴィルヘルムの確認にコンラディンはしっかりと頷いた。机の上にある力の器の数を見ると、合計で五つ。領地は九つだから、三つは協力して注ぎ切ったのか。

 ヴィルヘルムがそれらをこちらに引き寄せ、わたしに隠すように指示する。わたしは指示されるまま、五つの力の器を自身の中に取り込んだ。


「……あと、ブルクハルトの件だが」


 コンラディンが切り出した話題にフェシリアがぴくりと反応するのが見えた。発表のことで口止めだろうか、とコンラディンの方に視線を向けた。


「発表通り、彼の死は事故死とさせてもらった。罪を犯したことを公表すれば、やはりフェシリアたちを連座から守れない。王家を存続させるためにもそう判断させてもらった。……ヴィルヘルム、其方はどう思うだろうか」


 わたしとヴィルヘルムは事実を知っている。コンラディンは何かを恐れているように思える。いつか情報が洩れ、王家の信用が失墜しかねないので予防線を張ろうとしているのか。脅しのようにも取れる名指しにわたしはごくりと息を呑んだ。


「コンラディン様がそう判断されたのなら従うまでです。もし漏洩を心配されているのなら契約もいたしましょう」


 ヴィルヘルムは淡々と返す。その返答にコンラディンは不満だったのか首を横に振る。


「そういうことではない。私は其方がどう思っているか聞きたいのだ」

「私は一領主に過ぎません。王家には王家の、領主には領主の役割があります。守るべきものはそれぞれで違い、価値観も異なるでしょう。私の考えは少なくとも領主目線のもので、自分が守りたいもののためにしか動きません」


 自分で判断したことで悩むなよという副音声が聞こえた気がするが、ヴィルヘルムはきっぱりと言い切る。それって不敬ではないだろうかとわたしは内心ひやひやしてしながら俯いた。

 でもわたしが思うにコンラディンの今回の判断は望みの最適解ではないかと思う。次世代に精霊王との本契約をさせ、土地の衰えを改善させるために動かねばならない。フェシリアたちを守ることは必須だ。事実を隠してでもやるべきことである。しかしコンラディンの判断は見方によっては王家の失態を隠す保身に見えるのかもしれない。違うことはわかっているが。

 ヴィルヘルムの指摘にコンラディンは静かに目を見開き、ヴィルヘルムの青磁色の瞳に見入る。そうしてフーッと悪い空気を追い出すかのように息を吐いた。

 

「……すまなかった、もう聞かぬ。ただ漏洩は困るので契約はしてもらう」

「わかりました。契約書をお持ちいただければ署名いたします」


 ヴィルヘルムの返答にコンラディンは了承すると、冷めた茶をぐいっと飲み干す。そして席を立った。


「申し訳ないが少し頭を冷やしてから報告の続きをする。このままジャルダンの地を回ってくるので地図をもらえるか」

「お部屋に持っていくように伝えます」

「早急に頼む」


 コンラディンは抑揚のない声でそう言うと、自身の側仕えを呼び寄せ、退出していった。ヴィルヘルムもアルベルトを呼び、ジャルダンの地図を用意するように頼む。

 コンラディンが怒っているのではないとわかるが、何だか余裕がなさそうだった。残されたフェシリアは眉を落とし、祖父の態度について謝罪した。


「これが正解だったのかと、正解でありたいと考えているようなのです。事情を知るヴィルヘルム様に肯定してもらいたかったのかもしれません」

「……そうでしたか。私とコンラディン様とでは立場も責任も違いますから」

「そうですね。……ではわたくしはお祖父様が心配ですので様子を見てきます」


 フェシリアも席を立つ。そしてわたしの方に黒の大きな瞳を向けた。


「オフィーリア様、また後ほどお話ししたいですわ。……よろしいでしょうか?」

「え、あ、はい。もちろんです」


 わたしの返答に目を輝かせ、「絶対ですよ」と頬を赤らめて言うと、ヴィルヘルムに向けて淑女らしい礼をした後、側仕えとともに部屋を出て行った。本当はここでフェシリアに渡したいものがあったが、後で会うならその時の方が良いかと考えながら事前に置いておいたプレゼント用の箱に触れた。


「オフィーリア」


 名を呼ばれ、ヴィルヘルムに目を向ける。青磁色の双眸がわたしを捉えていた。そういえばヴィルヘルムと二人になるのって久しぶりだ。


「何でしょうか」

「……いや……力の器を出してはくれないか」

「? はい」


 何かを振り払うかのように首を振り、顔を背けられる。人の顔を見て目を逸らすのどうなのかとは思うが、指摘するのもどうかと思うので首を傾げるだけにとどめ、借りた力の器を取り出した。そして全て机の上に並べる。


「気になることがあってな」


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― 新着の感想 ―
[一言] 頼るばっかりじゃなくフェリシア様の努力の跡が見て取れるのは手助けしようって気になりますねー オフィーリア級は無理にしてもコツコツと鍛える事の大事さを忘れないで頑張って欲しいですわあ
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