第六十五話 王族の訪問と杯
ここからヴィルヘルムは仕事に忙殺され、わたしとの時間は全く取れなくなった。領主の仕事は婚約者の基礎知識として理解させられたし、人の上に立つということはとても大変なことだ。手伝えることは個別でやったが、できることは限られるわけで。
王家の公表から数日後、コンラディンは儀式を行うための行脚の日程を通達した。アダン領以外の全ての領地を回ることになるので、今回のみコンラディン、フリードリーン、フェシリアで分担することになったそうだ。眠りにつく前も基本的に直系王族のみで行っていたということだから正しい形ではある。ただ精霊力量の関係で国王が担うことが多かったみたいだが。
さて、我がジャルダン領の担当はフェシリアになっており、彼女の到着はひと月後と予定されていた。ちょうど孤児院の改革を終えたくらいになるので、準備の方は何とかなりそうだ。
それまで領地の仕事をしたり、解読したり、精霊王と連絡を取り合ったり、フェシリアのお揃いを準備したりと過ごし、あっという間にフェシリアの到着の日までやってきた。彼女の到着三日後に儀式を予定している。
しかしだ。何故なのだろうか。
「出迎え感謝する、ヴィルヘルム」
「コンラディン様、フェシリア様。ようこそジャルダン領へお越しくださいました」
わたしは幻覚を見ているのだろうか。ここの担当はフェシリアなはずでは? 声に出したくなる気持ちを抑え、わたしはヴィルヘルムの隣で何とか笑顔を貼り付ける。領主である彼はそれを知っていたのか、対外的な笑顔を浮かべ、接待をしている。だがかなりの作り笑顔なのでギリギリまで知らなかったかもしれない、多分。
「オフィーリア様! お会いしたかったですわ!」
「フェシリア様、ようこそいらっしゃいました。道中問題はありませんでしたか?」
「ええ、王都を出発してすぐですから。それよりもオフィーリア様にまたお会いできるのが嬉しくて」
はにかみながら笑みを浮かべるフェシリアが何とも可愛らしい。フェシリアはわたしの手を取り、優しい力で握ってくる。すごく懐かれているなあ、と思いながらわたしは彼女に笑顔で返すと、花の咲いたような笑顔に変わり、そして頬を紅潮させた。
「フェシリア。きちんと周りを見ないといけないよ」
「も、申し訳ありません……、お祖父様。オフィーリア様もお見苦しいところを」
コンラディンが咳払いをしてフェシリアを窘めると、彼女は俯きがちに謝罪した。頬と耳は赤いままである。そこを見ると年相応の少女だと実感する。
ヴィルヘルムは城の中で話しましょうと彼らを誘い、そのままぞろぞろと入城していく。
「ジャルダンは森が多く、自然豊かであるな」
「ジャルダンの象徴は森と言われていますから。言い伝えによるとこの森は森の精霊様が作られたとか」
「そうだったな」
当たり障りのない雑談をしながら来客対応の部屋へと向かう。王族の訪問自体稀であるから、城で働く一部の者は緊張しているのか表情が固い。失敗は許されないと言わんばかりだ。ただ春の会議のために王都に出ている者たちは別であるが。
ピリッとした雰囲気の中、目的の部屋へ無事に到着し、コンラディンとフェシリアを着席させる。ヴィルヘルムの側仕えであるパトリシアに温かい茶と茶請けを用意させると、コンラディンがヴィルヘルムに目配せするのが見えた。おそらく「話したいことがある」だろう。ヴィルヘルムは頷くと、自身の側仕えたちに下がるように伝えた。もちろんコンラディンとフェシリアも同様に。
扉が閉じられ、コンラディン、フェシリア、ヴィルヘルム、そしてわたしの四人の空間となる。こう見るとこの顔ぶれ凄いなと他人事のように感じてしまう。
「ヴィルヘルム、突然の訪問変更の対処、誠に感謝する」
一度皆を見渡した後、コンラディンがヴィルヘルムに感謝の言葉を述べる。ヴィルヘルムは何も言わず軽く頭を下げた。表情は笑顔だが、仮面を貼り付けたような笑みなので思うところはあるのだろうなと勘繰ってしまう。しかしコンラディンはそれを知ってか知らずか、そのまま続ける。
「突然の訪問には理由がある。……フェシリア、説明をお願いできるだろうか」
「はい、お祖父様」
視線がフェシリアに向けられ、彼女は頷くと胸に手を当て彼女の中の精霊力を引き出す。すると白の粒子とともに小ぶりの杯──力の器が現界した。翠色の石が光るそれはジャルダン用のものである。フェシリアはそれを大切に両手でしっかりと持つ。
「オフィーリア様はご存知だとは思いますが、この力の器を用いて二日後の儀式を執り行います。……その前にヴィルヘルム様、これからお話しすることは口外しないことを誓ってくださいませ。直系王族だけに伝わる内容ですので」
「オフィーリアも念のため口外しないという契約を頼む」
「もちろんです。わかりました」
ヴィルヘルムが了承したので、わたしも同様だと頷く。事前に想定していたのかコンラディンは懐から羊皮紙を二枚取り出し、わたしたちの目の前に置いた。筆記具を用意させ、わたしとヴィルヘルムそれぞれが内容を確認し、素直にサインする。
コンラディンは契約書を受け取り、再び懐にしまうとフェシリアに目配せをした。彼女はホッとした顔を見せ、力の器をテーブルの上に丁寧に置く。
「この力の器は儀式で貴族たちの精霊力を抜き取り溜める精霊道具になっています。儀式会場と合わせ使うことで初めて真価を発揮する道具です。わたくしたちはそれで膨大な精霊力を集め、そしてこの地にある石柱を回り、精霊力を注ぎ満たします。ですが、力の器のみでは各領地を満たすことは不可能なのです」
そう言ってフェシリアは、力の器をもう一度持ち上げ、胸の前に掲げた。
「オフィーリア様は直接ご覧になられましたので説明は不要ですが、わたくしがアダン領で儀式を行った時、貴族たちから頂き、満たすはずの精霊力をこの器の半分以下しか集められませんでした」
「当時を知るプローヴァ様に尋ねたところ、貴族たちの全体保有量の低下が原因だとおっしゃっていた。儀式を行い、十から精霊力を扱い、後天性を伸ばさなかったツケが回ってきていると」
コンラディンは腕を組み、眉間に皺を寄せる。貴族の子どもは十歳前後から精霊力を放出し、その力が固まらないようにしなければならない。それをしなければ力が澱み、石になる。だが、精霊の呪いによって直系王族が死に絶え、儀式がなくなることでその機会が失われ、十五歳までに死に石化する子どもが出てき始めてしまった。それだけでなく、本来精霊力の回復性を伸ばすはずだった機会がなくなることで力が伸びず、その状態のまま子孫へ継承する。つまり徐々に弱体化してしまったということだ。
「このままでは足りませんから、オフィーリア様と相談して直接補い、土地に注ぎました。ですが、三分の一ほどで半分ほどに減ってしまいました。つまりは力の器と使用者の精霊力を交互に扱いながら、この地を満たしていかなければならないということがわかりました。アダン領ではわたくしの滞在期間を短く設定してしまったので、わたくしの精霊力の回復など待てず力技を使うことになったのですが……」
「それで今回のジャルダン領滞在期間が長めになっていたのですね。つまりはコンラディン様、フェシリア様の精霊力回復時間も考慮された、と」
ヴィルヘルムの指摘にコンラディンは大きく頷く。
今回、王族の皆様の滞在はかなり長めになっている。ざっと二週間強。アダン領では三日であったのに何故だろうと思っていたが、そういうことだったのかと納得した。長めに設定されていればある程度多く精霊力を使っても回復を待ち、また注ぐを繰り返すことができる。
「ですが、回収量が足りないのであれば何度か儀式を行うことも手ではないでしょうか。かなりの無理を通すことにはなりますが、精霊が戻ってくるのなら皆、力を貸すでしょう」
ヴィルヘルムの提案はわたしも考えたことだ。アダン領滞在時フェシリアに持ちかけたが、日程の関係で無理だったのだ。しかし今回の滞在は長いので、少し期間を空ければ可能だと思う。しかも精霊が絡んでいるということはわかっているので、集まりを命令しても反発は少ないはずだ。
コンラディンは顎を撫で、一考する。そして小さく頷いた。
「領主であるヴィルヘルムが可能だと言うならば一度きりでなく二度、三度と行いたい。だが二週間ほどの滞在で貴族たちの回復量を考慮すると、二度が限界だろう。限界まで注ぐことがなかったのだから完全に回復するまでかなりの時間を要するはずだ」
「……そうですね。おっしゃる通りかと」
ヴィルヘルムも同意して頷く。そんなに回復にかかるのかと驚くが、それが普通なのだろう。確かに精霊力の使い過ぎで初めて倒れ寝込んだ時は、三日寝込んでもなかなか本調子になれなかった。それが貴族のスタンダードならば儀式の乱発は良くない。
「また神聖な儀式を何度も行うのは少し問題だと思いますわ」
フェシリアの眉が下がる。そうかな? とわたしは思うが、黙っておく。
「儀式で集めた精霊力と我々の精霊力を合わせても、正直足りるかわからぬ。いや、確実に一定量を注ぐのは不可能だ」
儀式で集められる精霊力が器の半分ほど、残り半分は継ぎ足した。また一日目終了時に半分ほどまで減っているし、二日目の途中でもほぼ空になっていた。儀式を二度行っても、滞在期間を長くして回復を待っても確かに厳しい量ではある。
ではどうするのかと彼らを上目で見ると、コンラディンとフェシリアは美しい所作でこちらに頭を下げた。王族が突然頭を下げたことに驚き、目を見開いてしまう。
「申し訳ないが力を貸してほしい。我々の精霊力量ではこの力の器を満たせない。だから其方らの精霊力を頂けないだろうか」
「ということは儀式までに領地の半分ほど注がれるということですか。残りは儀式とコンラディン様方の精霊力で補われるということですね?」
ヴィルヘルムの発言をコンラディンは肯定した。なるほど、それならば何とかなりそうだ。だがそれはわたしたちの精霊力を当てにしての発言だ。わたしは別に良いのだけれど、とヴィルヘルムの様子を窺うと、彼は額に手を当て何か考えているようだった。だからわたしが勝手に了承する訳にはいかない。




