第六十二話 精霊たちが目覚める時 後編
打ち合わせをしているうちに準備が整ったのか、車がゆっくりと動き出す。とりあえず北に行くまでは止まらないだろう。
「あの、オフィーリア様は」
「?」
車が動き出して少ししてフェシリアが声をかけてくる。わたしは窓の外に向けていた視線を彼女に向けた。彼女は緊張した表情で頬を赤らめていた。
「オフィーリア様は成人を迎えられたら何の職を希望されますか? もう十になられてますのでそろそろ職選びになるかと思いますが。やはり文官でしょうか?」
「はい、そうですね。城で文官勤めできれば良いなと思っています。わたくしの家も文官を多く輩出する家なのでそうなればと。フェシリア様も職選びがあるのでしょうか?」
振られた話題は職についてだった。お披露目を終えてから貴族教育と並行して文官になるための教育をしてもらっていた。養家であるプレオベール家は領主付きの文官を輩出しているため、わたしの縁組もそこを選んだくらいだ。わたしが誰かの世話をする侍女のような役割は多分気が利かなくて無理だし、誰かのために剣を振るう武官とのいうのはもっと考えにくい。
文官になれば大手を振って城の書庫に入れるしね! ヴィルヘルムはまだ文官じゃないからと突っぱねているので、統一前の文献を探せないのだ。わたしの夢を阻止しようとしてくるのは腹立たしいことである。許せないね。
わたしは養子になる時からほぼレールの上に乗せられてたけれど、王族であるフェシリアはどのような扱いなのだろうか。側仕えになる必要はないに等しいのでその教育はいらないはずだ。わたしの疑問にフェシリアは「そうですね」と顎に指を当てて考えるポーズを作る。
「わたくしは王座とは無縁でしたので、次の王のための補佐と研究の教育を受けていました」
「研究というと、フリードリーン様のような作物研究でしょうか?」
「はい、傍系王族の義務ですから。叔父上様が今、筆頭でされていますが、のちのちはわたくしが婿を取り、跡を継ぐつもりでしたの」
わたしは目を瞬かせた。だがよくよく考えてみると、フェシリアは自身の精霊力の低さからブルクハルトに蔑ろにされているので、その形になっていたのは納得できる。フリードリーンとの関わりもそれなりにありそうだとは思っていたが、後継として学んでいたのだろう。
「フェシリア様は婿を取られ残られる予定でしたか。ご兄弟もですか?」
「臣下として降る場合もあり得ますがその時の王家の状態によりますね。今は……その、とても複雑な状態なので」
「あ……そう、でしたわね」
フェシリアに言葉を濁されて初めて自分の失言に気付く。今はブルクハルトの関係で環境はよろしくない。もしかすると今ここにいるフェシリアも処刑の可能性があるのだ。全てはコンラディンの判断次第になる。
「オフィーリア様は文官を目指されていますが、ジャルダンで働かれるのですか?」
「……? ジャルダン以外でも働けるのですか?」
ジャルダンで働く以外考えていなかったわたしはきょとんとした顔をしてしまった。他領でも働けるなら、他領の文献にお目にかかれる機会が増えそうだ。それはそれで魅力的である。
「基本的に自領で働かれる方が多いですが、王都に出て来られる方もいらっしゃいます。王都の文官、武官は各領地から集められますから」
「王都の文官はどのようなことを?」
「各領地の税収や歴史編纂、王家の財産管理など多岐に渡りますね。彼らがいなければ仕事が回りません」
王都の文官もやり甲斐はありそうだが、わたしにとって旨味はなさそうだ。だって文字に関するものがないのだもの。わたしの表情からその気がないとわかったのかフェシリアは楽しそうに笑んだ。
「ですが王都の文官となると婚期が遅れてしまいますね。オフィーリア様はヴィルヘルム様がいらっしゃるからわざわざ王都に出る必要はありませんし」
「違いますよ」と反射的に否定しようとして言葉を飲み込んだ。
あれ、婚約したのって婚姻とか養子とかで取り込まれないようにするためだったはずだ。おかげでそれは回避できて、コンラディン様と契約を結ぶことができた。つまりはもうこの仮初の婚約は解消しても良いのでは? ヴィルヘルムも領主としてより良い相手を選べるんじゃ……と考えていると、何故かチクッと針を刺したように胸が痛む。ん? 何か悪いものでも食べたかなと軽く胸をさすった。
そんなわたしの様子を見てフェシリアはクスクスとお姫様らしく可愛らしい笑い声を噛み殺す。
「ヴィルヘルム様も大変ですこと」
「……? どういうことでしょうか?」
「ふふふ、独り言ですわ」
全く意味がわからず首を傾げるわたしに対して、フェシリアはわたしの頭のあたりに視線を送り、また頬を緩めた。そして再び目線をわたしに合わせる。
「どちらにせよオフィーリア様には古城の文献を解読してもらわねばなりません。ですから安易に王都で文官任命はできません」
「王都にいる方が何かと便利ではないですか?」
「利はあるのですが、文官仕事は量がその、多いので」
なるほど、ブラックだということか。フェシリアが困った顔で濁すあたり相当な仕事量なのだろう。つまりはそちらがメインになってしまって解読の方まで手が回らない可能性が高いということだ。それは由々しき事態である。それならば尚更王都に出る必要はなさそうだ。まあジャルダンには大切なものも多いので出るつもりもないが。
「……そろそろ到着するのではないでしょうか?」
フェシリアの側仕えが外を覗きながら声をかけてくる。昨日と同じ道を通っているのでわかるのだろうなと思いながらわたしは車が停止するのを待ち、フェシリアは必要な荷物を準備させ始めた。話は一旦中断である。
「ここから西に向かいながら注いでいきますね」
「今日一日でいけますか? 昨日と同じですと帰領するお時間が……」
「素早くするようにしますわ」
今日初めての石柱の前でフェシリアと側仕えたちが相談をしている。厳しい行程だがフェシリアの予定もあるから仕方がない。だがそれ以上に地に精霊力を注がなければこの地の生は絶えてしまうだろうから手を抜いてはいけない。
フェシリアは側仕えを下がらせると、杯を掲げ、そして石柱に付ける。サーッと早送りのように地に草花が生え、生に満ちていく。何度見ても美しいと思える。「終わりました。では次に」とフェシリアは踵を返すと、皆が車に乗り込むように指示した。
その後は先程の儀式と同様に石柱を見つけては止まり、精霊力を流していく。フェシリアも慣れてきたのもありスムーズに終えていく。
ただ今日の行程の半分を終えたくらいでフェシリアがわたしに駆け寄り、こそっと耳打ちをしてきた。
「……器の精霊力の量が、もう……」
「失礼します、見せてくださいませ」
力の器を受け取り、手を当てて確認すると、精霊力がもうない状態だった。残っていて一割ほどだ。残り半分もあるのにこれでは続行不可である。
わたしは人目を気にしながら木の影に隠れ、こっそりと精霊力を注いでいく。時間がないからもう一気に入れてしまおうと注ぐパイプを太くするイメージをして叩き込む。ドバドバと入っていく様は爽快だが、気分は悪くなっていく。
うえ……、量の調節間違えた……。気持ち悪……。
急ぐが故に調節を誤り、木の幹に体を寄り掛ける。フェシリアが心配そうな表情を浮かべて駆け寄るが、わたしは左手で大丈夫だと制した。少し休めばすぐに回復するから問題はないのだ。ただ回復まで酷い頭痛と吐き気と戦わなければならないのが難点だが。
しばらく休むと、症状は和らぎすっきりとしてきた。わたしはもう一度力の器の残量を確認する。九割くらいまで増えている。あと残りを注いでも良いが、残り一割はフェシリアにやってもらった方が良いだろう。彼女も力を使えば伸びるはずだ。
「満杯まであと少しですので残りはフェシリア様が注いでもらってもよろしいですか?」
「まさかそこまで注いでくださったのですか? お身体は? もう平気なのですか?」
差し出した杯とわたしを交互に見てフェシリアは目を丸くする。わたしは微笑んで力の器をフェシリアに渡す。
「少し休めばすぐに良くなりますから」
「枯渇気味になると調子が悪くなるのにオフィーリア様はそれも克服されているのですね……」
「えっと、それは慣れもありますから」
衝撃を受けたのかフェシリアはしみじみと言うのに対して、わたしは焦りを含んだ声で答える。わたしも初めの方は枯渇してしまって熱を出して寝込んでいた。しかし気にせず使うことで枯渇した後の回復量を鍛えたことになったのだ。その結果、体調不良も自然と無くなった。だからフェシリアも精霊力を繰り返し使うことで伸ばしていけば良いのだ。
「フェシリア様もたくさんお力を使われたらわたくしのように伸びますわ。ですので残りを注いでくださいませ」
「そうですね、頑張りますわ」
フェシリアは力の器をキュッと握りしめて、目を瞑る。そしてゆっくりとだが精霊力を注いでいった。少し時間はかかったが、満杯まで入れることができたようだ。
「……やはりこれは慣れませんわ」
「お辛いとは思いますが続けることが大切なのです」
目を開けたフェシリアは疲れ気味にそう言った。少し気分が悪そうだ。こればかりは仕方がない。励ましの言葉をかけ、わたしはフェシリアを休ませるために車へ誘導した。
そんなこともありながら何とか西から南へ注ぎ回ることができた。そして──。
「これが最後になりますね」
「もう器の力も空に近いですわ。わたくしの力も合わせて注いでしまいましょう」
南から北上し、城に近い場所までやってきた。地図を見るにここがおそらく最後の場所であると思う。
フェシリアは気持ちを落ち着けるために一度深呼吸をした。いよいよ最後ということもあるからだろう。コンラディンに任された役目をやっと終えることができるのだ。時間的にも厳しかったが、何とか暮れの鐘がなる前には終わりそうだ。
「ではいきます」
心を落ち着け、フェシリアは一歩前に出る。手に持っていた杯をいつもより高く掲げた。彼女の姿が夕日に照らされ、さらに神秘的に見える。ラピス由来の黒髪と相まって、夜の女神が降臨しているようだ。そしてフェシリアは優雅な手付きでその聖杯を注ぐように石柱に近づけ、接着させる。
すると夕焼け色に染まる大地から生命が芽生え、真っ直ぐに伸びていく。衰えたこの地が精霊の源の力で満たされているのがありありとわかる。
最後の一滴まで注ぎ切るとフェシリアは大きく息を吐いた。
「終わりました」
「お疲れ様でございました」という側仕えたちの労いの言葉でフェシリアは安堵の表情を浮かべた。わたしもそっと息を吐く。
──終わった。あとはクロネに任せるしかない。
時の精霊クロネフォルトゥーナは土地が少しでも潤えば精霊を眠りから解き放てるかもと言っていた。
わたしは期待の目を込めて隣に立つクロネを見上げた。灰色のお下げを橙色に染めて彼女はアダンの大地をじっと見つめていた。何を思っているのだろうか。眠りにつく前のアダンを思い出しているのだろうか。わたしにはわからない。
『──リア。わたし、やってみるね』
「うん、お願い」
わたしが頷くとクロネは祈るように胸の前で手を組み、灰色の瞳を瞼で隠す。
『アダンの地の精霊よ、深き眠りから目覚め給え』
クロネの華奢な体が時の象徴色である薄い灰色の光に包まれる。クロネは祈りを強め、ギュッと組んだ手を強く握る。すると柔らかな輝きは徐々に白さを増し、カッと強く発光した。その眩しさにわたしは目を細めてしまう。
『リア! 見て!』
イディの叫び声にわたしはゆっくりと瞼を上げる。その時にはクロネの光は既に失せていた。チカチカとする視界がやっと開けてきた頃、わたしの目の前には。
「これは……?」
「突然現れたぞ!?」
戸惑った声が上がる中、灰色の大小さまざまな灯火のような光が幾つかが目に入る。思わず手を差し出すと、その明かりはわたしの手のひらにふわりと乗った。
「オフィーリア様、これは……もしや……」
声がする方に顔を向けると、フェシリアの方にも大きなものと小さなものが一つずつ彼女の黒髪に擦り寄るように飛び回っていた。フェシリアは目を見開き、今にも喜びから涙を流しそうだ。手が震えている。
『全ての精霊は無理だったけど、少しだけ眠りから目覚めたよ。リアとフェシリアは色の関係で好かれてるね』
『これが……精霊なのですね』
わたしはフェシリアを見てこくりと頷いた。そして彼女が待つ答えを口にする。
「精霊が帰ってきたようです」




