第六十一話 精霊たちが目覚める時 前編
ガコガコと車は揺れ、わたしたちを揺らす。あまり車移動には慣れていないので辛いが我慢するしかない。わたしは小さな窓の外をじっと見つめる。
『すっごい長閑な領地だね』
『そうね、精霊を大切に想ってくれるアダンだから昔そのままを残そうとしてるのかもね』
『クロネ様!』
イディの呟きに返事をしながらクロネが灰色のお下げを揺らしながらわたしの隣に立つ。先程まで姿がなかったが、わたしたちが出立したからこちらに現れたのだろう。差金はおそらく片眼鏡の精霊好きな領主だと思う。クロネは灰色の瞳を優しく細める。
『アダンの子ってほんとーに変わらないわ』
『そうなんですね。でもクロネ様はそんなお願いを聞くんですね』
『ふふ、そうだねぇ。わたしも結局甘いのかなぁ』
クロネはケラケラと笑う。イディもつられて笑っていた。わたしはそれを横目で見て、そんな二人を微笑ましく思う。
「オフィーリア様?」
そんなわたしを不審に思ったのか、フェシリアが首を傾げて、わたしの名を呼んだ。表情に出てしまっていただろうか? 人型の精霊は許可を出さねば基本的に姿は見せない。わたしがイディたちと契約していることは秘密にしないといけないので気を付けなければ。特に王族相手に知られるのは困る。
わたしは誤魔化すためにフェシリアに笑みを向けると、彼女は頬をほんのり赤く染めた。ん? 何でだろう?
「い、いえ……とても楽しそうな顔をされていたので何か思い出されたのでは、と思いまして……」
「ふふ、そうかもしれません」
やはり顔に出てしまっていたようだ。とりあえず笑顔を見せて流しておこう。わたしは令嬢らしく微笑む。令嬢たるものが何なのかプレオベールでしっかり学んでおいて良かった。
「もしかして文献のことですか? 文字がお好きだとおっしゃっていたので……」
「良くお分かりになりましたね、フェシリア様! わたくし、文字の中でも未解読文字がとても好きでたくさんの文字に会いたいのです!今、わたくしが解読作業を行っているのは精霊殿文字とプローヴァ文字なのですがもしかすると他にも文字が存在するのかもと思っているのです。今一番怪しんでいるのがこのプロヴァンスの統一前の部族たちが使っていたと言われる文字ですね。領主様…ヴィルヘルム様が言うには『リーアー!』
気持ち良く語っていたところをイディに頬を軽く叩かれて邪魔される。同志になれるかと思って未解読文字の素晴らしさを細かく語ろうとしたのに。ぷくーっと頬を膨らませたくなる衝動を抑え、わたしは横目でイディを睨みつけるだけにとどめておいた。
「オフィーリア様?」
「あ、いえ! すみません、わたくしばかり語ってしまって……」
「ふふ、良いのです! オフィーリア様が好きなこと、たくさん教えてくださいませ!」
「え!」
同志発見ですか!? と叫びたくなるが、さすがにまずいので我慢する。けれど期待を持った目をフェシリアに向けてしまう。
嬉しい! この世界に来て誰にも(ジギスムントは特例)理解されなかった文字の素晴らしさにフェシリアは気付いてくれたのだ。これは語るしかない! 興奮する自分を何とか宥めながら、できるだけ冷静に文字の素晴らしさを語ろうではないか!
ふふふん、やっぱり旧プロヴァンス文字から話した方が入りやすいかな? それとも精霊殿文字? うーん、迷う! でも楽しい!
今使われているプロヴァンス文字と旧プロヴァンス文字の違いや精霊殿文字の作りや特徴など、わたしはフェシリアにわかったいることを中心に話した。本当は実物を見ながらが一番良いのだけれど、この車の中で金文字と銀文字を披露するのは問題だ。資料等はまた準備して見せたいものだ。
フェシリアはわたしを見てにこにこと笑顔を絶やさず話を聞いてくれた。もちろん相槌や質問もしてくれた。聞き上手であるなと思った。
そう熱い思いを語っているうちに車は目的地に到着したようで、車が止まり、周囲の確認のため武官たちが降りていく。もっと話したかったなと名残惜しさを感じながらも、安全確認が済んだ報告をもらったので車を降りた。
降りた先は畑が広がっているくらいで特に何もないが、そこにあるのが当然のように存在する石柱が一つ立っていた。
「ここはアダン領の一番北の部分ですね。今日はここから西の道を回り、帰城の予定です。……では始めましょうか」
フェシリアは側仕えたちを下がらせ、石柱に近づく。そして胸に手を当て力の器を取り出した。
わたしは力の器を使って注いだことはないのでどうやるのかはわからない。だがフェシリアは精霊王に聞いているのだろう。彼女は力の器を上に掲げ、目を閉じ、祈りを捧げるポーズをする。すると杯は白く輝き始める。中に溜められた精霊力が反応しているのだろう。
そしてフェシリアはその器を石柱に近づけ、そしてコツンと触れさせた。ふわりと風が舞ったような感覚とともに、周辺が変化していく。先程までは殺風景だった畑に青々とした雑草が生え、その丈を伸ばしてゆく。中には花を咲かせるものもあり、小花から大輪までさまざまだ。スーッと早送りのように育つ様は生命の神秘を感じるしかない。わたしが注いだ時は、この光景は見られなかったのでとても新鮮だ。
これが精霊力で満たされた土地! その美しさにわたしはほう、と見惚れるしかなかった。
「……終わりですね」
ふう、とフェシリアは一仕事を終え、息を吐く。そして持っていた杯を仕舞い込む。
「この調子で石柱に注いでいきましょう。……地図を」
地図を出してもらい、フェシリアは現在地に印を入れる。何をしているのだろうかと思い、じっと見つめているとその視線にフェシリアが気付く。
「これは石柱の場所を記録しているのです。お祖父様に頼まれたのは三つなのです。一つ目は儀式を行うこと、二つ目は集めた力を注ぐこと、そして三つ目は石柱の場所を記録しておくこと。これで来年はより円滑に行えますからね」
わたしが考えていたことは筒抜けなのか、フェシリアは自身の行為を説明してくれた。確かにジャルダン領でも同じことをやって効率良く行けるように考えた覚えがある。フェシリアは次の人、コンラディンのためにそれを行っているのだ。納得である。
「では乗りましょうか。次の石柱でまた同じことをさせてもらいますね」
地図を側仕えに渡し、フェシリアは車へと向かう。わたしはもう一度精霊力が注がれた土地を見つめ、息を吐いた。生命力を感じる。するとクロネがススッと隣までやってきて、同じ光景をじっと見つめた。
『少しだけだけど精霊力が入ったね。本当に嬉しい』
「これで少ないの?」
わたしが小声でこっそり話しかけると、クロネはこくりと頷いた。
『全盛期はもっとみなぎってた。でもこれだけでもいけるかもしれない』
「……何が?」
嬉しそうなクロネの声にわたしは首を傾げた。クロネはわたしの方に顔を向けて幼さが残る笑顔を浮かべた。
『アダンの地の精霊を眠りから覚ます』
「戻せるの?」
『わたしの配下の精霊ならいける。アダンの全ての地に注がれた時に呼びかけてみる』
固く決意したクロネは胸に両手を当てる。つまりはフェシリアがアダン領を回り切ると、時の精霊たちが現れるかもしれないということだ。これは王国中を駆け回る大きなニュースとなるだろう。クロネは少し緊張した面持ちでもう一度アダンの地を見つめると、『行こう』と先を促す。わたしは頷いてフェシリアが乗り込んだ車へと向かった。
その後北から西へと大きな道を進みながら、途中途中で現れる石柱に精霊力を注いでいった。注ぐ度に生命力に満ちた景色になるのは何とも心地が良い。わたしはただ見ているしかなかったが、フェシリアは黙々と土地を精霊力で満たしていった。
そして今日最後になるであろう石柱に注いだ後、フェシリアは顔を曇らせた。何かあったのかと尋ねると、こう答えたのだ。
「思ったより消費が激しいようです。明日のことを考えると少し厳しいかもしれません」
と。つまりは全てを力の器で賄うのではなく、力の器は補助的なものだということだ。国王の精霊力と集めた力の器の精霊力を合わせてこの地を潤していく。だから足りない分は注ぎ主であるフェシリアが補っていくしかない。
しかし彼女の精霊力はまだ心許ない。そのためわたしが力を貸すことになった。減ってしまった力の器を再び満たすべく、わたしはフェシリアから杯を受け取った。目を閉じ、残量を見てみる。
うーん、半分くらいまで減ってる。本当はもっと注がなきゃいけないんだろうな。でも復活して一年目だからほどほどで許してもらおう。
わたしは減った分を補うべく多量の精霊力を叩き込んでいく。回復するのと同じくらいの精霊力を注いでいけばプラスマイナスゼロになるが、面倒なので入れられるだけとりあえず入れておく。
問題なくほとんど満タンくらいまで入れ、フェシリアに器を返却した。
「オフィーリア様、ありがとうございます。さすがの精霊力の高さですわ! これで明日も回れます。ですが……明日、もし精霊力が足りない事態になっては困るので付いてきてもらえますか? 本当に申し訳ないのですが……」
「わかりました。お手伝いします」
わたしの返答にフェシリアは安堵の表情を浮かべた。どちらにせよコンラディンとの契約もあるからお手伝いはしないといけないのを彼女はきっと知っている。でもこうやって頼んできてくれるのは嬉しい。フェシリアの人柄がよく見える。
そして城に着く頃には暮れの鐘はとっくに鳴り終えていた。フェシリアとまた明日と言い合い、解散する。明日はもしかすると歴史的な一日になるかもしれない。高まる緊張を抑えつつ、アダン領を回る一日目を終えた。
そして二日目。だが最終日となるこの日、アダンの空は晴れ渡る快晴だった。まるで精霊たちが眠りから覚めるのを今か今かと待ち侘びているように感じてしまう。
「おはようございます、オフィーリア様」
「おはようございます、フェシリア様。今日もよろしくお願いします」
「ふふ、こちらこそですわ」
わたしが車の前で空を眺めていると後ろからフェシリアが声をかけてきた。彼女は微笑み、風に揺れる髪を押さえる。
車の責任者が到着したので、彼女が乗車するのを確認してからわたしも乗り込む。今日は残りである三分の二を回る予定となっている。なかなか厳しいスケジュールだが仕方がない。まあわたしは基本的に付いていくだけなので困ることはほとんどないが。
「今日は北から時計回りに進んでいこうかと。この道で行けば効率が良いと聞きましたので」
「わかりました。フェシリア様にお任せします」
フェシリアは側仕えが広げた地図を指差しながらわたしに今日のルートを教えてくれた。昨日の道とは反対側から東を通って、南へ抜けるルートになる。なかなか長い道のりになりそうだ。




