第五十九話 深刻な事態
「お疲れ様でした、フェシリア様。素晴らしいお姿でした」
「ありがとうございます、ジギスムント様。皆様の前に立つなんてお披露目以来のことで、とても緊張してしまいました」
無事に精霊力を力の器に注ぐ儀式を終え、登城した貴族たちを見送った後、ジギスムントは労いのためにフェシリアを昼食に誘った。そこに何故かわたしも入っている。おそらくおまけだろう。
フェシリアは安堵の笑顔を浮かべながら食前の飲み物を口にしている。重要な任務をやり遂げたので清々しい気持ちだろう。
「ああ、あの力の器が祈りで満たされたあの神々しさを再び見たいものです! 次に拝見できるのが来年なんて……、待ち遠し過ぎます! ……ジャルダンで行う時にこっそり参加するか?」
物騒な話が出ている気がするがどう反応すべきだろうかと思いつつ、手に取った果実水をちびちび飲む。ジギスムントは先程の儀式による興奮がまだ冷めないようでうっとりとした表情で食前酒を飲んでいる。
でも確かにあの薄らと王族の光を纏った聖杯は美しかった。あの光景は神秘的で何度見ても心奪われるだろう。
あとはフェシリアがアダン領にある石柱にその溜めた精霊力を注いでいくだけだ。彼女は午後から行くと言っているし、任せてしまっても良いだろう。フェシリアがアダン領を発ってからわたしもジャルダンに帰る予定になっているから、それまでは心置きなく解読作業をさせてもらおうかな。フフン、楽しみだ。
そんなことを考えていたら、サラダのような野菜の盛り付けと焼いた小さな肉が運ばれてくる。隣に添えられるのは硬めのパンだ。この世界の食事事情にも慣れたが、前世の美食を知っているので物足りない。だが仕方ないので黙ってカトラリーを手に取った。
「……あの、オフィーリア様」
先に野菜を食べようとしたところでフェシリアが声をかけてくる。わたしは手を止め、小首を傾げた。
「食事の後、少しお時間ありますでしょうか?」
彼女の顔は何故か戸惑いの色が見られる。先程とはまるで違う。午後からは解読の予定だったのだが、こんな顔をされていると無理だ。ジギスムントでなく、わたしを指名してくるのは気になるところだし。
「はい、問題ありません。……ですが午後からはアダン領を回られるのではないですか?」
「相談をしてから結果次第で……といったところです。少し気になることがありまして」
何か問題があったのだろう。わたしで解決することなのだろうか、と疑問に思いつつ、わたしは了承の返事をした。するとジギスムントが「そうだ」と何かを思い出したのか、手を止めた。
「フェシリア様、午後からアダンを回られると伺っておりますが、私は同行しないで良いのでしょうか?」
アダンを回るなら案内役は必要だろう。長であるジギスムントが適任であるが、フェシリアは石柱に精霊力をこっそり注いで回らねばならない。それはジギスムントには秘密にしておかねばならないことだ。本当のところ、彼は知っているのだが、直系王族だけが継承すべき内容なのでここはジギスムントの同行を断らなければならないはずだ。
「ジギスムント様はご公務がおありでしょう? 本当に見て回るだけですし、ご領主様の案内は必要ありませんよ」
「そうですか? ですが案内があった方がより順調に進められると思うのですが……」
断りを入れたフェシリアにジギスムントは食い下がる。彼の顔には「どうしても付いて行きたい」という執念のようなものが見える気がした。だってこれからフェシリアがやろうとすることがわかってるからね。きっと、いや絶対地に精霊力を注ぐのを見たいのだろう。
前、仕事ほっぽりだしてジャルダンに見に来たじゃない! と思うが。
そんなジギスムントの想いを振り払うようにフェシリアは首を横に振った。
「お気遣いは本当に有難いのですが、ご領主様のお手を煩わせる訳にはいきませんわ。案内なら他の者でも問題ありませんよね? ……それならオフィーリア様について来ていただきたいですわ!」
え、わたし?
突然の指名にわたしは口をぽかんと開けてしまった。わたし、ジャルダン領の人間だよ? アダン領のこと、全く知らないよ?
フェシリアに付いていっても本当に見てるだけになるだろう。それならわたしは部屋に篭って解読作業をしたいのだけれど、と言おうと口を開くとジギスムントが射るような眼差しをわたしに向ける。その鋭さにわたしは思わず怯んでしまう。
「それはよろしいですね! オフィーリア、フェシリア様に同行してください! ね! ね! そうしましょう!」
笑顔全開でそう言い放ち、承諾しなさいと言わんばかりに迫る。何故そこまで必死になるのか、訳がわからない。ジギスムントの言葉に真意を測りかねていると、クロネが大きく溜息をつく声が聞こえた。わたしがそちらを見ると、クロネは呆れた目をジギスムントに向けていた。
『ジギスムントはわたしを使おうとしているわ。ほんとーにアダンの子は変わらないんだから……』
『クロネ様を? 何故ですか?』
同じ疑問をイディが尋ねてくれたので、わたしは視線だけ彼女たちに向けた。クロネを使うってどういうことだろう?
『わたしの主はリアでしょう? わたしがリアに同行すればわたしの目を通じてジギスムントにも同じ光景が見られるから』
『あ、前にシヴァルディ様がリアにやったって言ってなかった? 領主様が孤児院に来た時に』
イディの言葉を聞いて思い出す。シヴァルディを必死に呼び出した結果、精霊力が枯渇し寝込んだ時、シヴァルディがヴィルヘルムとの会話を夢で見せてきたのだ。それのおかげでヴィルヘルムの突然の訪問理由が何となくわかったのだ。ということは、ジギスムントはわたしとクロネを利用して精霊力を注ぐ光景を覗き見しようとしているのか。何と執念深い男だ。わたしは苦笑いするしかない。
「ではオフィーリア様、よろしくお願いします!」
「頼みましたよ、オフィーリア!」
本人の同意なしで勝手にわたしが行くことになっているが、もう拒否することは叶わないだろう。作業ができないのは遺憾だが、精霊復活のための一歩だと思うことにしよう。早くこの地に帰ってきてほしいしね。わたしは「わかりました」と了承した。
すると二人とも安心したのか表情が和らぎ、止まっていた手が再び動き始める。わたしも空腹を満たすために焼いただけの肉に手を伸ばした。
その後、基本ジギスムントの一人語りになった食事会は無事に終了した。フェシリアはジギスムントの熱い語りに動じることなく微笑んで聞いていたのが印象的だった。彼女は圧倒的強者だと思う。
そしてわたしはそのままフェシリアの客室に招待されることになった。フェシリアの相談事を聞くためである。まあその後一緒にアダン領を回ることになるだろうけど。予定を急遽変更することになったのでフェデリカたちには申し訳ないが、頑張ってもらうことにしよう。
部屋に到着するとフェシリアの側仕えが茶と菓子を用意してくれていた。手際が良い。フェシリアは彼女らに下がるように伝えると、付いていたフェデリカも空気を読んで退出していった。
フェシリアと二人の空間になると、彼女はとりあえずといった雰囲気でわたしに茶を勧める。なのでお言葉に甘えて一口飲んだ。とても良い香りがするので上等なものだろうな。ほぅ、と落ち着いたところでフェシリアは口を開いた。
「突然のお願いでしたが、聞いていただきましてありがとうございます」
「いえ。ですが相談とは何でしょうか?」
王族のお願いだからね、基本断れないからね、と思いながら用件を尋ねる。フェシリアは顔を曇らせながら、胸に手を当てる。すると白い光の粒とともにアダンの象徴色である灰色の石が埋め込まれた力の器が姿を現した。フェシリアはそれを手に持ち、ことりとわたしの目の前に置く。
「これが……どうかされましたか?」
「とりあえず触ってみてはもらえませんか?」
フェシリアがそう言うのでわたしは素直に力の器を手に取る。ほんのりと白く発光したそれは芸術品のようだ。
でも何故か根拠もなく感じてしまう。──足りない、と。えっと……何が?
「…………?」
「オフィーリア様も感じますか?」
「はい……。何となくですが……」
「おそらく精霊力が足りないのだと思われます」
フェシリアはほぼ確信を持っているのか、しっかりとした口調で断言した。わたしもなるほどと思い、もう一度器に目を落とした。そして目を閉じ、杯に集中する。すると杯の半分より少ないラインで力が溜まっているのを感じた。わたしは目を開き、彼女の意見に同意だと頷いた。
「あまり集まっていないように思います。量が少ないと感じますね」
「やはりそうですか……。おそらくこの杯を満たすくらいの力が必要なのだと思うのです。ですが結果はこの通り、足りない」
フェシリアは頬に手を当てて憂いた。
確かにアダン領の石柱に精霊力を注ごうと思うとこの量は正直に言うと厳しいだろう。点在している石柱の総数はわからないが、それでもほんの少しずつしか注げない。これではフェシリアが出向く意味がない。
「足りないならば足せば良いのではないでしょうか? もう一度儀式を」
「それを考えていたのですが正直に言うと時間がありません。わたくしの滞在はあと二日。明日となると人が集まらないのではないかと」
わたしの提案をフェシリアは眉を下げて首を横に振る。ジギスムントなら何とかするんじゃないかと思ってしまうが、さすがに明日もう一度、と言われてもすぐに登城はできないだろう。フェシリアが一度帰って、となると期間が空き過ぎてしまう。
『精霊力を伸ばす習慣がなくなった影響がここまで出るなんて』
イディが困惑した声で呟く。シヴァルディもヴィルヘルムの精霊力量を少ないと評していた。そしてラピスの子孫であるコンラディンも同様に。つまりはこのプロヴァンス全体の貴族の精霊力も衰えているということだ。だから集められる量もぐっと減ってしまったのだろう。




