第五十八話 古の儀式
講堂とフェシリアの滞在する客室はそこまで離れた距離ではなかった。よくよく考えるとここは儀式を行うためにある精霊殿だ。力の器を持ち、この地に精霊力を注ぐ王が必ず訪れないといけないことを考慮すると、あの部屋は国王のためにあったのではないか。そんな考察をしていると講堂の扉の前でジギスムントたちがわたしたちを待っていた。どこかそわそわと落ち着きのないジギスムントにフェシリアは声をかけた。
「ジギスムント様、お待たせいたしました」
「問題ありません。どうぞ今回はよろしくお願いいたします」
笑顔ではあるが、完全に口元が緩みきっている。隣に立つクロネが小声で『いつものアレよ』と囁いてきて少し笑ってしまった。ブレないなあ、と。
「では私たちは先に入室します。こちらのテレーゼが扉を開けますので、開いたら入場してください」
「わかりました。入場後は任せてもらっても問題ないですか?」
「はい、よろしくお願いします」
フェシリアは唇をキュッと引き締めた。どうやらかなり緊張しているようだ。
初めての領地訪問だと言っていたし、それに加えて儀式を行う大役まで任せられている。緊張するなという方が難しいだろう。わたしは緊張を解そうと、彼女の震える手をぎゅっと握った。
「フェシリア様、大役ですがフェシリア様ならきっとやり遂げられますよ」
「……オフィーリア様」
フェシリアはふにゃりとした笑顔を見せた。そして握っていた手を握り返してきた。とても力強かった。
「わたくし、頑張れそうです……!」
「はい!」
そして手を離すと彼女は覚悟を決めた凛々しい顔付きになる。その立ち姿は、彼女が王族の一員だと痛感させられる威厳のあるものだった。
そんな姿を見てわたしは安心し、ジギスムントと一緒に講堂に入ることにした。重厚な扉を開けてもらうと、中にはさまざまな髪色の人間がおり、長椅子に着席していた。全員貴族である。大人からわたしくらいの子どもまで年齢はさまざまである。
ジギスムントは彼らの視線に臆することなく、スタスタと前へと進んでいく。さすがこの領地のトップである。とりあえず着いていくしかないのでわたしは黙って後ろを歩いた。
「オフィーリアはこちらに座りなさい」
講壇の近くまでやってくるとジギスムントは左側の誰も座っていない長椅子の方を指し示し、着席するように促してきた。わたしは素直に頷き、ゆっくりと慎重に座った。ジギスムントも座るのかと思ったが、彼はそのまま講壇に行き、貴族たちの顔が見える位置に立った。
『ジギスムントはアダンの子だから、この儀式の仕切り役よ』
何をするのか疑問に感じていたところにクロネがお下げを揺らしながら隣に座った。そういえばそんなことをシヴァルディが言っていたなと思い出す。ジギスムントはこのアダン領の象徴色である灰色の衣を身に纏い、その灰色の瞳を講堂全体に向ける。そして大袈裟に自身の両手を横に伸ばした。
「本日は急な呼び出しにも関わらず、集まってくれたこと感謝する。事前に知らせたと思うが、この日佳き日に王族の一員であるフェシリア様がアダン領を訪問されたからだ。そのため今日は特別で歴史的な一日となるだろう」
ちらりと後ろの様子を窺うと貴族たちは輝かんばかりの目をジギスムントに向けていた。王族が訪問することが珍しいのか? しかもフェシリアは初訪問だし、と考える。そのままジギスムントは続ける。
「この場で精霊様に祈りを捧げるという何とも崇高で素晴らしい儀式を我々は今からフェシリア様の指示のもとで行う! それが悲願である精霊様との邂逅に繋がればと私は祈っている」
パチパチと大きな拍手が起こる。
あ、違う。王族が来るからとかではなく、精霊関係だから皆、協力的だったのかと一瞬で納得した。さすがはアダン領である。ジギスムントを筆頭に精霊を崇拝しているのか。お伽話の存在になっていてもここではその存在は強力だと思い知らされる。
「祈りの際はきちんと精霊様を想い、感謝を込めて祈りなさい。その想いは精霊様に必ずや届くだろう」
パチパチパチ……と再び拍手が起こった。ジギスムントは満足そうに一度頷いた後、右手を挙げ、静かにするように合図を送る。すると音が止み、静かな空間が生まれた。
「それではフェシリア様のご入場です!」
バッと両手を宙に広げると、後ろの扉が開く。貴族たちの視線は一気に出入り口に集まった。
そこには白の衣を身に纏い、堂々とした姿のフェシリアがいた。背筋をピンと伸ばし、ゆっくりと講壇へ向かう。青みがかった黒髪が揺れ、白の衣と相まって神秘的である。ここにいる誰もが彼女に見惚れていただろう。
フェシリアは講壇まで辿り着くと、美しく優雅に微笑んだ。その笑みに「女神だ……」と呟いたのが耳に入る。確かに女神のような微笑みだ。フェシリアは両手を大きく広げた。
「本日はお集まりいただき感謝いたします。面を上げることを許可します」
フェシリアの言葉に貴族一同が顔を上げた。彼女は皆の顔を一度見渡してから、また話し始める。
「集まってもらったのは、古の儀式の復活のためです。王家の古い文献より精霊様のために行なっていたという儀式の記述を発見いたしました。今日この日に、このアダン領でその儀式を行いたく思います」
貴族たちが、ワッと歓声を上げた。その声は喜びと希望に満ち溢れている。
大勢の前で演説する経験などなかったのか、フェシリアは言い終わって少し安堵した表情をしていた。しかしすぐに気を引き締め直して、自身の胸に手を当てる。その瞬間にジギスムントが一歩前に出て右手を挙げ、皆を静かにさせた。
すると白い光の粒が散る中に小ぶりの聖杯が現れる。儀式で必要な力の器だ。彼女はそれを真上に掲げて静止する。
「これは皆の想いを集めるための杯。これに精霊様への想いと、このアダンの地の発展を祈りましょう! ……さあ、祈ってください!」
そう重みのある言葉を発した後、フェシリアは手にした力の器を講壇に置いた。凹みのある部分にぴったりとはまり、カチッと音がする。
ジギスムントを始め、貴族たちは皆、手を組み祈りを捧げ始めた。わたしも同様に祈る。
……この地に精霊たちが戻ってきますように。
シヴァルディたちとの約束の成就を願い、目を閉じる。
すると灰色の大小さまざまな炎が講壇に向けて流れていく様子が見えた。ああ、精霊力が集まっていく。一つになっていく様は何とも美しい。徐々に膨らんでいく炎は灰色から白へと色が変わっている。力の器は石柱に注ぎやすいように力を変換する能力もあったのか。
新たな事実を知り、驚いていたら、隣に座っていたクロネがピクリと動き、後ろを見た。そしてすぐに彼女はジギスムントに駆け寄る。
『そろそろあの下位貴族が限界になるわ! もうやめないと!』
そう言って指差した先は一番後ろの席に座るわたしくらいの子どもだった。少し顔色が悪く、気分が悪そうだ。子どもなので精霊力量も少ないためか。
ジギスムントはすぐに確認すると、力の器に精霊力を注ぐフェシリアに合図を送る。彼女はこくりと頷き、器から手を離した。
「お直りくださいませ、皆様」
フェシリアの良く通る声が講堂に響く。祈りのポーズをしていた貴族たちは彼女の言葉に合わせて祈りを止め、顔を上げた。
すると彼女は講壇の上に置かれた力の器を持ち上げ、再び掲げる。先程見た器とは異なり、それは祈りの力──精霊力によって白い光を薄らと纏っていた。それをフェシリアが高く掲げることによって神が何かをもたらすような場面にも見える。
「す、素晴らしく、そして美しい光景です……!」
ジギスムントが感動のあまり涙ぐんでいる。そんな彼をクロネはニコニコと見ていた。アダンの地の精霊は強い。
フェシリアは皆の反応を窺った後にその杯を慎重に胸元へ寄せる。そして両手でそれを前へ突き出した。
「皆様の祈りがこの杯に集まりました。白く発光しているのが何よりの証拠! わたくしは王族の使命として必ずや皆の祈りを精霊様に届けましょう」
彼女の言葉に貴族たちは喜びの声を上げた。進行役であるジギスムントも立ち上がり、涙を流しながら拍手を送り始めた。熱気がすごい。
フェシリアはやり切れた思いからか、安堵の表情を浮かべている。たった十二歳の女の子なのに大役を務め上げたのが立派だと思う。わたしもその労をねぎらうべく立ち上がり、彼女に拍手を送った。
「……オフィーリア様」
目が合い、フェシリアは顔を紅潮させた。口パクで「わたくしやりました」と言い、笑顔を向ける。わかっていますよ、ご褒美は忘れてませんよ。わたしはフェシリアにその答えとして笑みを向けておいた。
「……ではこれで儀式を終わります。フェシリア様、ご退場!」
クロネに突かれたジギスムントは自分の役目を思い出したのか、高らかに叫ぶ。彼の目からまだ涙が流れているのは気のせいだろうか。
ジギスムントの声かけにより、フェシリアは手に持っていた力の器を消し去り、ゆったりとした足取りで退場していく。そして講堂の扉が閉まると、フェシリアに目を奪われていた貴族たちは我に返ったのか、冷めぬ興奮を口々に語り始める。中にはジギスムントと同じく涙を流している者もいた。さすがここはアダン領だ。
しばらくするとジギスムントが恍惚とした表情のまま、台の前に立ち、大空を抱くように手を広げ宣言する。
「さあ、これで我が領地の悲願である精霊様との邂逅に近づいただろう。我らは今後も精霊様に祈りと感謝を捧げよう!」
その終演の言葉を以て、ラピスが始めた儀式は復活を遂げた。歴史的な瞬間であり、二千年以上ぶりの出来事である。




